日本最初・唯一の

PTSDの日本兵と家族の交流館・

村山お茶飲み処」が

 5月10日(日)に開館しました!!

9日・3人、10日・19人(子ども4人)

12日・2人、13日1人が入館されました!

 

★コロナウィルス感染予防のため

一度に4人までの入館といたします。

★5人目からは入口のテーブルで

お茶を飲みながらお待ちいただきます。

 

行き方は上にある

PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処

ご利用案内ボタンをクリックしてご覧ください!

5月19日(火)

清水寛さんからはがきが届きました!公開しても良いとおっしゃっていますのでお知らせします。

文面は以下の通りです。

 

黒井秋夫さん、お忙しい所「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」のご案内とメッセージありがたく、うれしく、幾度も読みかえしております。まさしく「日本最初・唯一の~~会館」です。これが契機となって、各地に同じような生まれていくといいですね先駆的で豊かな内容の新しい”平和のとりくみ”です。今後も知らせて下さい。期待して楽しみにしております。連帯のあいさつです。(以上の私のつたない感想と共感のメッセージでよろしければホームページでも掲載してください)

 

今日のひとこと

5月19日(火)午後になりました。

 上記の通り清水寛さんからはがきが届きました。雨の中の配達でにじんで読みにくい所があります。ほぼ正確に記載したつもりです。

 清水寛さんは教育関係の方であれば障害児教育の研究者として誰もがご存知の埼玉大学名誉教授です。私の一回り年上で84歳です。同時に国府台陸軍病院の精神障害兵士の8002人のカルテをもとにした「日本帝国陸軍と精神障害兵士  不二出版 2006年初版」の著者でもあり、PTSDの日本軍兵士研究の第一人者です。

 昨年「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が新聞に紹介された記事を見た清水さんから連絡をいただき交流させていただいています。12月8日の「おしゃべりカフェ」には大量の資料を送っていただきました。また、今回の交流館の開館に際してもご自分の書籍を寄贈いただきました。

 清水さんはご自身の父親もまた従軍した体験からPTSDを発症したことをNHKのBSプレミアム「隠されたトラウマ・精神障害兵士8002人の記録」の中でお話しされています。帰還間もなくは自分の氏名を忘れていたこと、治療の末にいったんは回復したが晩年に再度発症、「ソ連軍が攻めて来るから逃げろー」と叫びソ連と戦闘状態の恐怖を抱えて亡くなった!と振り返っています。

 清水さんは何の実績もない、遥かに年下の私を「黒井さん」と電話でもFAXでもいつも丁寧に呼んでくださいました。著名な研究者・学者であっても対等に接してこられる姿勢に私自身が心を洗われてきました。本当に尊敬できる人に巡り合ったと感謝しています。まだ短い期間でしかありませんがずっと私を励ましていただきました。

 今日17日に先生の(清水さんとしてきましたが、やはり先生と素直に呼びます)ハガキを受け取り目を通し、母屋の妻さち子に走って見せに行きました。余りの嬉しさに!読みながら涙がこみ上げてきました。

ありがとうございます先生!勇気百倍です!頑張ります先生!

5月19日(火)昨日からの雨が小降りになってきた。室温は21℃。やや寒い。

 17日(日)に約200人の皆さんと組織に(報道各社にも)情報をメール送信しました。5月10日の開館日の様子、毎日新聞、朝日新聞に報道されたこと、反響があり「従軍した父親のPTSDに苦しんだのは私だけではないと分かった。コロナが収まったら交流館にぜひ伺いたい」という電話連絡が二組から届いたことなどをニュースにしたものである(これを読む方でご希望の方は今後随時情報提供いたしますのでメールアドレスをご連絡ください)。

 この活動はただただ多くの人たちに情報提供することでしか広がらない!と考えています。19日までの30日間のHP閲覧者は405人です。1か月で400人を越えたことは無いのでずいぶん増えました。しかし、日本社会から見たら微々たる広がりで、物の数の範疇ではありません。

 ひと月ほど前に偶然にフェイスブックに突き当たりました。それからフェイスブックでも情報を発信するようになりました。しかし、71才の私はSNSには疎いので、おっかなびっくり状態です。友達リクエストとか、画像や文章の作り方とか良く分かっていません。それでも情報を広げる新しい情報提供方法なので、慣れて有効に使いこなしたい思っています。ただただ多くの人たちに情報提供することでしか広がらない!と思っているからです。みなさんにもお願いいたします。ぜひお友だちに「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」のHPをご紹介ください。

 写真は交流館の寄贈コーナーです。これまで11人の研究者や個人の方から書籍や資料を寄贈いただきました。心から感謝しています。清水寛さん、北村毅さん、中村江里さんの書籍、研究資料をまとめて手近に閲覧できるのは当館だけだと思います。また、知人友人からは貴重なDVD、資料をお送りいただいています。皆さんのお力添えが館の魅力を増しているとありがたく思っています。

 皆さんのご支援を力にして焦らず、あきらめず、少しずつ前進する方法を考え進んで行くつもりです。これからもよろしくお願いいたします。

 

5月17日(日)晴れ、蒸し暑い一日でした。

アドレスの分かる皆さんに下記のような前書きを付けてメールを発信いたしました。

これを読まれる皆さん。アドレスをお教えください。今後随時、情報をお送り致します!

 

510()に「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」は開館いたしました。

 

緊急事態宣言で「ステイホーム」の呼びかけの最中に「何人でも良い、来てくれる人がいたらうれしい!」と思っていましたが、開館10時前からどんどん狭い我が家のガレージ(待機場所)に集まり、10㎡の交流館に一度に入館いただけない状態になりました。びっくりしました。

 

 

 

新潟県阿賀野市の山田さんが用意してくれた紅白饅頭(30組も届いた)は処理に困るどころか渡し切りました!

 

感謝で一杯です。15人が武蔵村山市民。町内の(谷津自治会)元自治会長さん2名、地元基盤の武蔵村山市議会議員さん(新政会)も駆けつけていただきました。「開館がうれしくてどうしても来たかった」と埼玉県川越市の女性会員さん、妻の甥と姪とその子どもたちにも来館いただきました。心から感謝申し上げます。小心者の私は戸惑い、応対ですっかり舞い上がってしまいました。

 

 

 

毎日新聞、朝日新聞に開館が報じられましたが、今までの報道では経験のない電話連絡が直後からありました。

 

その中で2組の女性からの電話は「PTSDの会」の立ち上げと「交流館」建設の目的が前進していると私に実感と確信を持たせてくれました。

 

「従軍した父親のPTSDに苦しんだのは私だけではないと分かりました」「コロナ感染が落ち着いたら交流館にぜひ行きたい」という内容でした。一組の方は姉妹だと言い、電話の向こうで泣いていました。私も一緒に泣きました。

従軍した父親のPTSDに苦しんだ家族を掘り起こしたい!繋がりたい!PTSDの連鎖をみんなで断ち切りたい!その思いが少しづつでも実を結びつつある!と実感しています。

 

 

 

この活動をあきらめずに、地道に続ける覚悟です。

 

私一人では何もできません。多くの皆さんの支えだけが頼りです。

 

これからも皆さんのお力添えを心からお願いいたします。

 

 

 

以下は、地域周辺700世帯に戸配するチラシの原稿です。来週かけて撒きます。

 

武蔵村山市長、副市長さん、20人の市議会議員さん、市の観光課にもお届けします。

 

今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

 

皆さんがお元気で毎日を過ごされるよう心から願っております。

 

 

 

2020.5.17  黒井秋夫。

 

5月16日(土)

 10時頃から雨降り。室温22.4℃

 5月11日(月)に新聞報道を見ての電話が数本あり、その中で従軍兵だった父親のPTSDに苦しんだ女性からの物が2本だったと13日書いた。この事は「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」にとっても、「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」にとっても大きな一歩だとの思いを日々強く感じています。

 先の大戦に徴兵された日本兵は総数900万人いる。ベトナム、アフガン・イラクの米軍帰還兵の30%前後にPTSDが現れているのと同比率で、日本兵にも存在したとすれば200万人以上いた事になる。兵士の多くは既に亡くなった。しかし、家族、子供、孫たちは生きているし、多くは11日の電話と同じような苦しみを体験してきたに違いない。その人数、家族数も又200万人とか、200万家族とか存在していると類推することができる。

 しかし、これだけ多くの人たちが抱える課題を解決しようとする組織が「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が2018年1月17日に立ち上がるまで、PTSDの日本兵の組織はもちろん、家族の組織さえなかった。どう考えたらいいのだろう。

 日本遺族会、シベリア抑留者が補償を求める団体(その支援団体)、傷痍軍人の団体などは戦後まもなく作られ今も存在している組織もある。しかし、PTSDの復員兵、及びその家族の組織は遂に2018年までできなかった。「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の会員数はいまだに20人という少数で本当に小さい組織でしかない。200万人前後の復員兵とその家族が戦争による後遺症に苦しんだし、現在でも尾を引いている事象であるにもかかわらず、社会はその存在を知らず、苦しんでいる当事者も父親(祖父)の異常な行動、暴力の原因が戦争体験による後遺症であることに、今でもほとんど気付いていない。

 2018年1月に「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」ができなかったら日本兵のPTSDは永遠に世に出ることはなかったのだろうか!日本という国が自ら起こした戦争をどう総括したのか。日本国民はどれだけ戦争の全体像が見えていたのか、いるのか?戦争体験が兵士の心を傷つけないではおかないという事象まで考えや想像が及ばないとしたら、それでは戦争を知っているとは言えない私は思う。数年前まで私もそうだったが。

 横道にそれてしまった。

 PTSDの従軍した兵士(父親・祖父)と共に暮らした家族が100万人単位で、その原因が戦争体験のPTSDと気づかず今現在も苦しんでいる国や社会がPTSDの兵士の存在を大々的に社会問題化する時が近い将来に来るとは考えられない。いわば殆んど今のまま、放って置かれる状態が続くだろう。父親や祖父の後遺症(暴力、虐待)は連鎖して続いて行くだろう。誰が止めるのか。

 本人たちが気づき立ち上がるしかない。今のところ「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」と「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」が仲間を掘り起し、繋がりを作り、連鎖を止める活動の輪を広げていくことが唯一の道だと自覚している。

 話しが長くなってしまった。新聞報道の後に「父親のPTSDに苦しんだのは私だけではなかったと分かった」という電話は正に、気づき輪が広がる現在進行形の現場と言えると私は思う。近道はない、ただただこの活動を地道に諦めずに続けることだ。この先5年、そして10年、私が生きているかどうかは分からない。その時までに会員が100人以上、1000人以上になった時、全国に活動する支部のような物ができた時、発信力は今の何倍、何十倍にもなるだろう。私はその時まで頑張るつもりだ。

 そうなれば、もっと多くのメディアが日本軍兵士のPTSDとその後遺症に苦しむ家族の存在を報道するだろう。戦争には必然的にそういう問題が起きると社会が認識することになるだろう。解決すべき社会問題と認識される時代が来るだろう。私はそのような未来を引き寄せたい。

 そこへ至る道のりを少しづつでも確実に前進していると、私は今、実感している。

 これを読んで貰えている皆さんに繰り返しお願いする。これまでもそうだったし、これからもそうだ。私一人では何もできない。多くの皆さんがこの問題を社会に広げていただきたい。拡散をお願いしたい。非力な私のエネルギーは皆さんのお力添え以外にはありません。私にエネルギーを注ぎ込み助けていただきたい。これからもよろしくお願いいたします。

 

「今日のひとこと」バックナンバーは

ブログ「今日のひとこと」をご覧ください。

「交流館・村山お茶飲み処」開館が報道されました!

毎日新聞2020.5.10

朝日新聞2020.5.11

PTSDの日本兵の

資料パネル5枚を展示しています!

当会の活動資料はファイルで公開しています!

研究者の皆さんなどから寄贈いただいた

書籍・資料も閲覧できます!

私の父、黒井慶次郎の軍歴。初徴集されたころの若々しいはつらつとした時代。

昭和維新の先駆者足らんとした20代。

毎日新聞に紹介された北九州市の出口敬子さんの父親出口一伍長の戦争後遺症のありさま。

海外の紛争地に派遣された自衛隊員にPTSDが発生しています。

二度とPTSDの兵士とその家族を出してはいけない!展示パネルは訴えます。

 

「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」の

展示パネル・資料を順次紹介いたします。

パネル①

    黒井慶次郎・初徴集(20歳)の軍服姿の写真。

 

   黒井慶次郎の軍歴。従軍、転戦した戦地の地図。軍曹に昇進するまでの経歴。

 

   履歴申立書。軍人恩給申請の為の書類と推測する。

 

   黒井慶次郎が「満州事変記念フォトアルバム」に記載した「鉄道守備隊の任務」「上官の訓示及演習記録」の文章。

 

★展示資料の説明文

 

戦後,復員兵・黒井慶次郎は従軍体験に口を閉ざし、何ごとにも無口で一日中話さず、定職に就く意欲も無かった。“戦争神経症”の状態だった。復員前とは別人に変わった!

 

 

 

黒井慶次郎は31歳の時に伍長、33歳で軍曹となる。

 

10人~20人の兵士を指揮する立場にいた。

 

銃弾、砲弾の飛び交う戦場で部下に指揮命令しただろう。

 

進駐した武漢、宜昌は“敵”中華民国政府のある重慶に対峙する日本軍の最前線だった。

 

しかし、復員後の父黒井慶次郎は部下を鼓舞したり臨機応変に指揮命令できた人物のかけらもなかった。

 

一家に起こる問題解決全てから逃げて妻と長男に放り投げていた。きちんと働かず、定職に就こうという意欲も無く、一日中を無口で通し、特に戦争の事には口をつぐんだ。

 

部下を指揮命令した軍曹時代の面影などどこにもなかった。

 

自分が教育され信じた「天皇を拝する神の国、不敗強国、アジアの指導者日本」は帰国したら、GHQ指揮下で自分の長男は、命をかけた自分の従軍人生を全否定する黒塗り教科書(人間天皇、民主主義)で教育される日本だった。

 

黒井慶次郎は戸惑い、何が正しいのか何が間違いなのか、生きて行く羅針盤を持てなかった。口をつむぐしかなかった。働く意欲を失った。戦争の後遺症、“戦争神経症”を発症した。従軍前とは別の人間になった。

 

パネル②

①初徴集で大連港に上陸した写真。写真への父の添え書き。

②戦死した中隊長参拝記念の写真。写真への添え書き。

③”匪賊討伐”の皇軍写真。写真への添え書き。

④戦車の写真。写真への添え書き。

黒井慶次郎について(1912年3月14日生まれ)。

 

①“戦争神経症”発症前の父親。「昭和維新」に同調する若者だった!

 

★満州事変(193198日)の翌年、5.15事件が起きた1932年、父・黒井慶次郎は20歳で初徴集される。日本国内は5.15事件首謀者の助命嘆願運動が盛り上がった。

 

★写真『大連上陸()』の父の添え書き(193211月記す)。

 

・『昭和6918日満州事変勃発。昭和71130日午前1時、満蒙第一線へ勇み立つ我等若人をのせた陸軍宇品丸は大連に入港した。午前8時甲埠頭九番バースに横付、午前八時半上陸。憧れの満州の地に第一歩を印した』

 

・『昭和6918日!それは同胞九千萬厚生の記念日。昭和維新の第一日であらねばならぬ。南嶺城頭の血庫に斃れたる勇士!それは同胞救生の先駆、昭和維新史をかざる導士でなければならぬ』

 

★小作農の9人兄弟の9番目の父親は、大恐慌後の農村の窮乏を救う考えも持っていたとされる昭和維新思想を体現した5.15事件(1932515日勃発)等に強く同調していたと思われる。20歳代の父は「同胞救生の先駆=窮乏する農民を救う活動家」「満蒙第一線へ勇み立つ我等若人・・・憧れの満州の地に第一歩を印した」とメモしたように若者らしい快活で正義感あふれる行動的な人間だったと推測できる。

 

 

 

②黒井慶次郎について(1912年3月14日生まれ)。

 

“戦争神経症”発症前の父親。

 

南満州鉄道を守る独立守備隊として従軍した。アルバムの添え書き

 

には若者らしい使命感に燃えた勇ましい言葉が並ぶ。

 

『帝国の生命線を死守する軍人僕の姿である』『我(が)討伐隊は進む』『堂々と進む我(が)戦車の偉容』『匪賊討伐に従事』

 

★復員後、一日中話さず、定職につかず、対外的なことは母や兄に押し付け逃げた父親とは別人である。

 

★従軍体験の戦争神経症により、別の人格の人間になったと理解すればつじつまが合う。

 

 

 

③戦後の復員兵・黒井慶次郎は従軍体験に口を閉ざし何ごとにも無口で一日中話さず定職に就く意欲も無かった。“戦争神経症”の状態だった。復員前とは別人に変わった!

 

黒井慶次郎はなぜ“戦争神経症”を発症したのか?父親はなぜ精神を壊したか?

 

★GHQ(敵国)の支配する日本に復員した。自分が信じた(洗脳された)正義・価値観との巨大なギャップに遭遇した。

 

★命をかけた従軍体験を完全否定する黒塗り教科書で自分の長男(黒井秋夫の長兄)が教育されている日本に復員した。

 

★何が正しいのか、間違いなのか心に落とせなかった。理解できなかった。落ち着いた精神状態に戻れなかった。社会順応できなかった。

 

 無口になるしかなかった。仕事に就く意欲を失った。

 

★“戦争神経症”の基盤は中国での加害者としての戦争・戦場体験。部下や同僚の死に対する直接間接の責任などが考えられる。

 

 

 

★昭和維新 以下(ウィキペディアより)

 

1930年代日本で起こった国家革新の標語。 1920年代から1930年代前半にかけては、戦後恐慌世界恐慌による経済の悪化、排日移民法張作霖爆殺事件などによる国際社会の不安などから、軍部急進派や右翼団体を中心に、明治維新の精神の復興、天皇親政を求める声が急速に高まった。特に政争を繰り返す政党政治への敵愾心が激しく、また天皇を外界と遮断して国を誤っている(と彼らには見えた)元老重臣ら側近達への憎しみも凄まじい。代表的事件として五・一五事件二・二六事件が挙げられる。

 

交流館・村山お茶飲み処」開館が報道されました!

毎日新聞2020.5.10

朝日新聞2020.5.11

きらめき+2月号に当会活動が紹介されました!      遠藤美幸さんの『「最後の証言」戦争のトラウマ―元兵士とその家族』です。

 毎日新聞20.4.3 『戦後75年 女の気持ち』に

「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が紹介されました。

 北九州市の出口敬子さんの取材を続けている毎日新聞西部本社報道部の松田幸三記者より、3月末より黒井に電話による取材がありました。その中身が今回の記事となりました。また、4月6日のFM放送エアステーションひびきの「松田記者の話す新聞」で「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が番組中に紹介されることに繋がりました。取り上げていただいたことに感謝いたします。多くの皆さんに知らせていただくことが第二第三の出口敬子さん(父親の出口一さん)、黒井秋夫(父・黒井慶次朗)を作らない、PTSDの兵士を作らない世論作りに繋がると信じています。

 『松田記者の話す新聞』

「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が紹介されました!

2020年46日(月)10:30~11:00

 北九州市の「エアステーションひびき」の「松田記者の話す新聞」という番組で「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が紹介されました。当会のHPで以前紹介した父親が晩年にPTSDを発症した出口敬子さんがゲストです。

YouTubeで視聴できます。

2020年4月6日放送分で検索してください。

30分番組の後半で紹介されました。

 

黒井秋夫語り部活動」だより

2月20日(木)18:30~19:30 大阪市(エル大阪)関西共同行動 定例会

 

約20人の皆さんにお話しさせていただきました。

懇親会にも参加させていただき、交流を深めました。 

・黒井を戦争や平和の学習会にお呼び下さい。会場費、資料費以外の費用はかかりません。

 皆さんのところでもぜひご計画をお願いいたします。

 どんな少人数でも、短時間でも、遠くても喜んでお伺いいたします。

 

日本最初・唯一の

「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」は

4つの目標をめざしています!

 

以下のお知らせは印刷し「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」周辺700世帯に配布しています。武蔵村山市の市長さん、副市長さん、20人の市議会議員さん、

 

観光課にお届けしています。  報道各社にもメール配信しています。

 

 

510()に「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」は開館いたしました。

緊急事態宣言で「ステイホーム」の呼びかけの最中であり「何人でも良い、来てくれる人がいるだけでうれしい!」と思っていましたが、開館10時前からどんどん我が家のガレージ(待機場所)に集まり、10㎡の交流館に一度に入館いただけない状態になりました。びっくりしました。

 

新潟県阿賀野市の山田さんが用意してくれた紅白饅頭(30組も届いた)は処理に困るどころか渡し切りました!感謝で一杯です。15人が武蔵村山市民。町内の(谷津自治会)元自治会長さん2名、地元の武蔵村山市議会議員さん(新政会)も駆けつけていただきました。「開館がうれしくてどうしても来たかった」と埼玉県川越市の女性会員さん、妻の甥と姪とその子どもたちも来てくれました。皆さんに心から感謝申し上げます。

小心者の私は戸惑い、応対ですっかり舞い上がってしまいました。

 

毎日新聞に10日、朝日新聞に11日に開館が報じられましたが、今までの報道では経験のない電話連絡が直後からありました。その中で2組の女性からの電話は「PTSDの会」の立ち上げと「交流館」建設の目的が前進していると私に実感と確信を持たせてくれました。

「従軍した父親のPTSDに苦しんだのは私だけではないと分かりました」「コロナ感染が落ち着いたら交流館にぜひ行きたい」という内容でした。一組の方は姉妹だと言い、電話の向こうで泣いていました。私も一緒に泣きました。

従軍した父親のPTSDに苦しんだ家族を掘り起こしたい!繋がりたい!PTSDの連鎖をみんなで断ち切りたい!その思いが少しずつでも実を結びつつある!と実感しています。

 

この活動をあきらめずに、地道に続ける覚悟です。しかし、私一人では何もできません。

皆さんに助けられて、ここまで来ることができました。心から感謝申し上げます。

皆さんの支えだけが頼りです。これからも皆さんのお力添えを心からお願い申し上げます。

 

同封したA3のチラシは「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」周辺700世帯に5月20日頃から配布させていただきます。

武蔵村山市長さん、副市長さん、20人の市議会議員さん、市の観光課にもお届けします。

読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、産経新聞、共同通信、NHK記者さん などにメール配信しています。

 今後ともよろしくお願いいたします。

皆さんがお元気で毎日を過ごされるよう心から願っております。

2020.5.20  配布者 黒井秋夫。

 

日本最初・唯一の

PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」

開館日5月10日は19人(と、子ども4人)がご来館!!

ご近所の皆さん、中藤・神明・武蔵村山市15人の皆さん

ありがとうございました!

武蔵村山市議会議員さん(新政会)、谷津自治会2名の元自治会長さん

東大和市、川越市、練馬区の

皆さんご来館ありがとうございました!

★日本最初・唯一の「PTSDの日本兵と家族の交流館村山お茶飲み処」はめざします!

「PTSDの復員日本兵と暮らした家族」たちの情報を発信します。

□「PTSDの復員日本兵と暮らした家族」の声、情報を開示、展示、発信します。

□「PTSDの日本兵」に関する研究資料、書籍、映像、新聞報道などを展示、放映します。

②PTSDの復員日本兵と暮らした家族」の安らぎの場をめざします。

10日の新聞報道後「父親のPTSDに苦しんだのは私だけではないと分かりました」の電話が複数ありました。「PTSDの日本兵と暮らした家族」の心の傷を交流により軽くなる場所をめざします。

子供たちと保護者の皆さんに地域の高齢者が戦争体験を語り継ぐ場にします。

・隣接する中藤地区会館内の児童館・学童保育の子どもたちと若い保護者の皆さんに、地域の高齢者が戦争体験を紙芝居など使いお話しする企画を開催します。

みんなの食堂・手芸サークル活動で高齢者と子どもの笑顔溢れる交流を作ります。

・コロナ感染が終了したら「村山うどんをみんなで食べる会」を開きます!

・手芸サークルなどの活動場所になります!

・お茶を飲みながら「よもやま話し」をする場所になります!

武蔵村山の名所になるよう頑張ります! 旧満州から帰国した女性からのお手紙!

日本最初で唯一というのが誇らしい。武蔵村山の名所になるでしょう!とありました。頑張ります!

★ご支援の振込先口座名義 PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会

ゆうちょ銀行からの送金(郵便振替用)➡ゆうちょ銀行口座。

・記号    11390・番号 21576251

ゆうちょ銀行以外からの送金 (内国為替用)➡ゆうちょ銀行口座

・店名 一三八(イチ サン ハチ)・店番138 ・普通預金(口座番号)2157625

PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」開館が

毎日新聞・5月10日

朝日新聞・5月11日

報道されました!!

報道後、2組の女性から「父親のPTSDに苦しんだのは私だけではないと分かりました!」と電話がありました。私も一緒に泣きました。メディアから取材申し込みも!

武蔵村山市の皆さん、ご近所・中藤・神明・中央地域の皆さん!

コロナ感染が終わったら

「みんなの食堂・村山うどんを食べる会」開きます!

おしゃべりで笑顔の花を咲かせましょう!

「みんなの食堂」は定期的に開く予定です。お手伝い募集しています!

★「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」案内。

行き方の詳細は

「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」

ご利用案内をご覧ください!

★所在地 東京都武蔵村山市3-15-4 武蔵村山市中藤地区会館の西側に隣接しています。

★武蔵村山市中藤地区会館の西隣に隣接。★西武バス、都バスの三ツ橋バス停から徒歩1分。

★武蔵村山市コミュニティーバス 神明2丁目から徒歩4分。

開館日  火曜日~木曜日 土曜日・日曜日・休日 ★入館は無料です。

開館時間 10時~17時。12時~13時は昼食のため閉館しますが継続見学は可能です。

休館日   月曜日 金曜日 

★コロナ感染終了までは4人まで一度に入館可能です。5人目からはお待ちいただきます。

連絡先 黒井秋夫 08011213888 

コロナに負けずに頑張りましょう!

このお知らせは印刷し

PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」周辺700世帯に配布しています。

武蔵村山市の市長さん、副市長さん、20人の市議会議員さん、観光課にもお届けしています。

このお知らせは報道各社にもメール配信しています。

PTSDの日本兵」交流館・村山お茶飲み処、四つのめざすこと。

 

★情報発信の場、PTSD兵士の家族の安らぎの場、戦争体験を語り継ぐ場、

 

地域の憩いの場(みんなの食堂・手芸サークルなど)をめざします! 

 

「PTSDの復員日本兵と暮らした家族」たちの情報を発信します。

 

・PTSDの復員兵(父親、祖父)から受けた暴力などの体験により、共に暮らした家族、子ども、孫たちは心に深い傷を負いその連鎖がさらに子孫に続いています。

 

・戦後75年を経ても戦争は後遺症を抱えた人たちにとっては終わっていません。

 

□「PTSDの日本兵」交流館・お茶飲み処は、「PTSDの復員日本兵と暮らした家族」たちの切実な訴えや声、情報を開示、展示、発信します。

 

□「PTSDの日本兵」に関する研究資料、書籍、映像、新聞報道などを展示、放映します。

 

□二度と「PTSDの兵士」を作らない、戦争や暴力に頼らず話し合いで解決する社会をめざします。

 

②PTSDの復員日本兵と暮らした家族」の安らぎの場をめざします。

 

・「PTSDの復員日本兵と暮らした家族」はその体験から心に傷を負い、人生、生き方、家族関係などに少なくない影響を与えています。

 

そのような心の傷と負の連鎖の解決方法の一つは体験者どうしが体験を語り合うことです。

 

「交流館・お茶飲み処」は心の傷を会話をすることで軽くして解消する場所をめざします。

 

子供たちと保護者の皆さんに地域の高齢者が戦争体験を語り継ぐ場にします。

 

・中藤地区児童館・学童保育が隣接しています。子どもたちが毎日、ランドセルを背負い「交流館・お茶飲み処」の前を通ります。この子どもたちと若い保護者の皆さんに地域の高齢者の戦争体験を紙芝居など使用して、語り聞かせる場所を作ります。学童保育・児童館と協力して進めます。

 

「交流館・お茶飲み処」を地域の人たちの笑顔溢れる場所にします。

 

「みんなの食堂、手芸サークル」など高齢者や子どもたちが集う場所になります。

 

・周辺に住む人たち(高齢者や子ども等)が気軽に集える企画を(みんなの食堂や手芸サークルなど)実施して「交流館・お茶飲み処」を地域の人たちの憩いの場所にします。

武蔵村山館に次いで全国に「PTSDの日本兵」交流館・お茶飲み処を作りましょう! 

 ★戦争・平和の

学習会にお呼び下さい!

語り部(お話しする人)を

黒井秋夫がつとめます

黒井秋夫は「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」代表です

PTSDの日本軍兵士の負の遺産は

家族に連鎖して現在も続いています!

 ☆学校で・労働組合で・何人か集まって・全国どこでも

どんな集まりでも、どんなに少人数でもお伺いいたします! 

 

・会場費、印刷費用は主催者でご負担をお願いいたしますが、

 交通費含めてその他の費用はかかりません。

 ・相談・申し込み・お問い合わせ先

 🏣208-0001 武蔵村山市中藤3-15-4

・代表 黒井秋夫 ☎080-1121-3888 qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp

 

6おしゃべりカフェ

 

2020年8月23日(日)開催!

 

語り継がれない経験はくり返す!

 語り継いで未来の命を守りたい!

 

従軍者への思いや戦争について

 

話したいことを、持ち寄り、語り合い

 

若い世代に受け渡しましょう!

 

 従軍した父親や祖父の

 

思い出を交流しましょう!

 

その心中を考えてみましょう!

 

2020.8.23 10:00~17:30(予定)

 

定員60名。資料代500円。

 

参加希望の方は予約をお願いします。

 

お茶を飲みながら語り合いましょう!

 

 

 

予定するプログラム  

 

9:45受付開始 参加者名簿に記帳願います。

 

  資料代として500円いただきます。

 

10:0012:00 BS1スペシャル

 

 「隠されたトラウマ~精神障害兵士8002人の記録」を見ます。

 

12:0013:00 休憩 昼食を用意します。予約をお願いいたします。 

 

13:0013:30 「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」

 

         活動内容をお話しします。  

 

13:3015:10 研究者の講演

 

あるいは従軍者の家族が体験を話します

 

     (講演者・お話しする人は20207月頃にお知らせします) 

 

15:3016:45 「おしゃべりカフェ」

 

         従軍した父親の思い出など話し合い、交流します。 

 

17:0017:30    コンサート。

 

子どもから大人まで楽しめます。ほっと一息!

 

18時頃~   懇親会。楽しく交流します。ぜひご参加ください!

 

 ★2020年8月23日(日)武蔵村山市中藤地区会館

 

武蔵村山市中藤3-16  付近にコンビニ、食堂はありません。

 

★カレーライスの昼食を用意します!(要予約)

 

     お茶・お菓子用意します。持ち込みも大歓迎。

 

問い合わせ先 080-1121-3888(黒井)

 

詳細は逐次お知らせします。

 

おしゃべりカフェで

 

  大事にしていること  

 

・お互いどうし、個人それぞれの考えを尊重します。

 

自由な発言を保障します。

 

・他の人の発言を途中でさえ切ったり、

 

異なる意見でも頭から否定はしません。 

 

・相違点よりも話し合いで共通点を探します。

 

和やかで楽しい交流の場をめざします。

 

・参加者どうしが友達になれる「おしゃべりカフェ」を作ります!

 

 2019年度日本記者クラブ特別賞受賞!

BS1スペシャル「隠された日本兵のトラウマ

を視聴した感想をお寄せください。

順次ホームページに掲載させていただきます。

送り先・アドレス

qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp

 

「1000人アンケート」にご参加を!

 

★戦争にいかれた親族、お知り合いは復員後どのような生活・暮らしをお送

 りになりましたか?

いま思い出して「もしやPTSDの影響ではなかったか?」というような 当たりはありませんか?

 

随時集約して、結果をおしらせします。

 

 

2019.12月8日(日)

第5回「おしゃべりカフェ」を30人の参加で『ホームの武蔵村山市中藤地区会館』で開催しました。

5回目と会を重ねるごとに和やかなおしゃべりと交流が広がっています。

遠くは神戸市、愛知県岡崎市から大学生など若い参加者も!

若い世代に語り継がれています。受け継がれていくでしょう!

拉孟戦、戦友会の講演者の遠藤美幸さんは「おしゃべりカフェ」にも加わり大いに盛り上がりました。

8月に続いてコンサートも開催。今回はメンバー4人の「タコス」!心癒される演奏に参加者も大満足でした!

終了後は黒井宅に場所を移し、タコスの皆さんも参加して懇親会。話の輪と交流がさらに広がりました♬(^^♪。

 次回は2020.8.23(日)です。

多くの皆さんのご参加をお待ちしています。

 

2019年8月25日(日)

「おしゃべりカフェ」に46名が参加しました。

北村毅さん、室田元美さんの講演、北川直実さん、遠藤美幸さん、星野泰久さん、西中誠一郎さんの発言をいただきました。その後、参加者どうしのお話合いと交流、カクテル―チェさんのコンサート、最後は和やかな懇親会で、大成功の「おしゃべりカフェ」となりました。次回は12月8日(日)日中戦争が日本軍の真珠湾攻撃でさらに戦線拡大したメモリアルの日に開催いたします。

多くの皆さんの参加をお待ちしています。

 

★2019年3月17日(日)23名の皆さんが参加されました。  

 武蔵村山市 さいかち地区会館で開催しました!

従軍した父親の思い出を全員が語り合い、耳を傾けました。

放映したBS1スペシャルにも登場する研究者の中村江里さんから兵士のPTSDについてコメントをいただきました。

下写真。2018年10月14日、2回目の学習・交流会に20名が参加しました。研究者、中村江里さんから参加いただき、お話しいただきました。

下写真・2018年5月13日、初回の学習・交流会に9名参加。



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今日のひとこと 5月10日~13日 (火, 19 5月 2020)
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「今日のひとこと」4月25日~5月10日 (Tue, 12 May 2020)
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4月のHP訪問者数。 (Mon, 04 May 2020)
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お知らせを戸配する意味。 (Fri, 01 May 2020)
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イベント情報

10月14日、幼児遊び部屋あります。
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「市民のひろば」に掲載されました!
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2018年5月13日 学習・交流会の様子


ブログ

父と暮らせば

ETV特集「隠されたトラウマ~精神障害兵士8000人の記録」
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父と暮らせば(18)「独立守備隊従軍の時の父の戦闘記録」その2
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黒井秋夫の父の従軍時の写真


読書紹介

見過ごされたトラウマ・今朝の朝日新聞31面
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「朝日川柳」
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