お知らせ

2020.8.23(村山うどんを食べる会)での出来事。

吉林省公主嶺で生まれた女性が参加してくれました。

彼女が中国人最初の来館者でした。

驚きました。

父・黒井慶次郎の従軍初任地が何と吉林省公主嶺!

偶然ではない!父親の引き合わせと直感しました。

「悪いことをしたと私に代わり謝ってくれ!」

父の声が聞こえました。

黒井秋夫は従軍時の父の中国の人たちへの加害行為を

(殺人・物品の強奪など)中国人女性に謝罪しました。

彼女は黒井の肩を叩き、手を握り「日中友好!日中友好」

と返してくれました!

★展示パネルの説明文より

823日「村山うどんを食べる会」では「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の活動の歴史で未来にも大文字で記されるであろう出会い・出来事がありました。

当日の参加者に中国人の歴史研究者の先生(女性・67才)がいらっしゃいました。その方は出身地を吉林省・公主嶺とお話しされました。

何ということでしょう。1932年に私の父・黒井慶次郎が20歳で徴集された最初の任地が公主嶺なのです。その時の出来事のあらましと、以降の推移を報告いたします。

明治以来の日本が中国、朝鮮半島、アジアに戦争を仕掛け、地域の平和を壊す元凶であった歴史を反省し教訓として、アジアの人たちへの真摯な謝罪の心を表明し、信頼される友人として、仲良く手を組み、平和でアジアの誰もが安心して暮らせる社会をめざしたいと思います。

 現在進行形でもある出来事を将来の平和な社会の礎にするよう活動を続けます。これからも皆さんのお力添えをよろしくお願いいたします。一緒に手をたずさえ歩いて行きましょう!

 

2020.8.23 みんなの食堂「村山うどんを食べる会」まとめより抜粋

(「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」通信・91日号より)

・中国師範大学の先生で現在は日本の大学で教鞭をとられている67歳の中国人女性の方が取材参加されました。先生が公主嶺出身と聞いて驚きました。20歳で初徴集された私の父親の満鉄独立守備隊の初任地が公主嶺なのです。父親の引き合わせと直感しました。私に現地で採れた穀物の粟をお土産にいただきました。父も食べたであろう中国産粟を見て感無量となり涙、涙でした。 あの世の父親が「息子よ、悪いことをしたと私の代わりに謝ってくれ」と言っている声が聞こえたように思いました。

私は先生に「あなたのご両親、祖父母たち、村の人たちに従軍した父親がなしたであろう殺害などの非道な行為と多大なご迷惑を加害兵士の息子である私は心から謝罪します。どうぞ父親を許してください」とお話ししました。最後には先生は私の手を握り肩をたたいて「日中友好、日中友好!」と返してくださいました。その言葉を聞いて、私は再度、涙、涙でした。ほんの少しですが私は心が軽くなりました。この気持ちを大事にして活動を続けたいと思います。

前記「通信91日号」送信の際の先生へのメール文

 23日の「村山うどんを食べる会」にお出でいただきました。心から感謝申し上げます。

先生が公主嶺出身とお聞きして心の底から驚きました。

父親、黒井慶次郎が20歳で徴集された初任地が公主嶺だからです。

父親があの世から「私に変わって謝罪してくれ」と言って引き合わせてくれたのだと思いました。

一度の言葉で許されるとは思っていませんが、「2度と戦争を起こさない。誰もが安心して暮らせる社会」をめざして活動を続けることの中で、中国の人たちと仲良く暮らしている未来を引き寄せたいと思っています。

先生が言ってくれた「日中友好」「中日友好」をともに喜ぶそういう社会をめざしたいと思います。

これからもよろしくお願いいたします。

 

先生から届いたメール文

23日の「村山うどんを食べる会」とお宅の資料館を見学させいて頂き、インタビューをも受取り下さり,誠にありがとうございました。

 特に、お父様の代わりに謝罪して下さったことに、中国人として、とても感激しました。お気持ちと戦争に関する歴史認識を中国に伝えることに責任を感じました。

 実は、あの戦争の指導者の責任だと思っています。お父様は普通の庶民として、戦場に行かされたのであって、黒井さんのお父様の責任とはいえません。お父様は加害者であったけれども、被害者でもありました。

 私たちは、2度と戦争を起こさない、起こさせない責任と義務を負っていると思いますし、誰もが安心して暮らせる社会作っていく義務と責任を持っている、と考えます。国境や民族を超えて、また、人間として平和な社会を作るために、お互いに協力し、頑張って行きましょう。

 最後に、お宅の素晴らしい資料館が全世界に広がっていくよう、願っております。私も及ばずながら、中国に帰る機会があれば、黒井さんの活動を広く伝えたいと思いますし、これからも民間レベルでの平和のための活動に邁進していきます。お互いに頑張っていきましょう。』

 

メール文をHPなどに公開申込みを了解いただいたことへの

先生へのお礼メール

私の謝罪への先生の寛大なお心をホームページなどで公開することで、日本と中国だけでなく、広くアジアの、世界の人たちが手を結び、友好と信頼が広がることに役立つよう努力いたします。本当にありがとうございます。大きな勇気をいただきました。

 

添付したのは私の家の仏壇の写真です。

先に先生からいただいたメールを仏壇の手前に額に入れて供えている写真を添付いたしました。

父も喜んでいると思います。先生の寛大なお心に感謝でいっぱいです。

仏壇の父の写真に先生のメールを額縁に入れて供えました。

これまでの自民党政府の多くは日中戦争(アジア太平洋戦争)が侵略戦争ではないと否定したり、戦争以外に選択肢はなかったというなど、戦争を仕掛けた事実への反省は余りにも不十分です。このような日本政府の姿勢では、日本軍の戦争で奪われた中国、朝鮮半島、アジア諸国民2000万人の命は安らぐことはできません。

日本人として本当に恥ずかしくアジアの人たちに申し訳ないと思っています。

 

日本は地理的にもアジアの一員です。中国、朝鮮半島とは国境を接しています。

漢字を使う文化も、日本語のほとんどの単語が漢語(中国語)を使用して成立していることも、

中国、朝鮮半島との長い相互交流があったからこそ日本文化も作られました。

仏教も、儒教も、それに伴う文化も平和な交流、信頼が築いたものです。

これからの日本も過去の歴史に学び、日本人・日本文化の足元が中国、朝鮮半島、アジアとの

平和な交流から生まれたことを大事にして行くべきだと思います。

 

戦争はプラスのことは何も生みません。平和な状況だけが暮らしも文化も進展させると思います。私は父親たちの過ち・間違いを「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」の活動を通じて、広く日本の人たちにお知らせして、「2度と戦争を起こさない。誰もが安心して暮らせる社会」をめざす活動を続けて行きたいと考えています。

 

日本国民の大多数が先の戦争のことを中国、朝鮮半島、アジアの人たちに(米英連合国含めて)、心から謝罪し「2度と戦争を起こさない日本を作る」道を日本国憲法を守って進んで行くべきです。

そういう社会を作る為に活動を続けます。

 

機会を作り先生とまたお会いして交流を続けて行きたいと願っております。

先生の御研究が大きな成果を上げられることを願っております。

お元気でいて下さい。

2020.9.16  黒井秋夫。

 

 

 

 

 

 

①『「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」で実現したい事』としてお話しします。お近くのみなさんどうぞお出で下さい!

 

日時 11月8日(日)13:30~16:00

会場 北多摩西教育会館 3階 国分寺市光町1-40-12

   JR中央線 国立駅北口より  徒歩7分

参加費 500円(大学生以下無料) 定員50名(要予約)

申し込み ☎080-3094-3353(ならさき しげや)

申し込み期間 9月24日(木)~11月7日(土)10時~17時

主催 三多摩平和交流ネットワーク

 

黒井秋夫が講師としてお話しします。

お近くの皆さまどうぞお出で下さい!

 

★以下 主催者の発行物より。

 

開催日 11月17日(火)午後6時半から

会場  神戸学生青年センター

    阪急六甲駅下車 北東徒歩3分 TEL(078-851-2760)

参加費 700円

講師 黒井秋夫(PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会代表)

 

戦争の持つもう一つの暴力

「復員日本兵の心的外傷後ストレス障害

=PTSDを考える」

 

帰還兵の心的外傷後ストレス障害(PTSD)が大きな問題になったのは、ベトナム戦争から帰還した米兵が社会復帰できず、アルコールや麻薬の依存症になる例が多くみられることによってである。その時、アジア・太平洋戦争に従軍した日本兵はどうだっただるかという疑問は出されたが、大きな問題になることはなかった。

日本兵のトラウマが広く明らかになるのは、2018年に出版された中村江里さんの「戦争とトラウマ」と、同年にNHKで放映されたドキュメント「隠されたトラウマ」によってであった。

日本兵がトラウマにならないわけがない。旧陸軍では精神を病んだ兵士は、千葉県市川市にあった国府台陸軍病院などの精神疾患専門の病院に送られた。国府台病院だけで患者は1万人を越えたという。この事実が長い間知られることがなかったのは「皇軍に戦争神経症はない」として軍部が隠ぺいして来たからであり、終戦時に患者の記録を焼却隠滅したからだった。

現在、自衛隊もPKOという美名のもとで、戦場への派兵がなされている。そして、派兵された自衛隊員の自殺率の高さが報じられている。集団的自衛権が合憲とされ、敵基地攻撃論が堂々と語られている今、兵士のPTSDの問題は避けて通れないのではないだろうか。

 

主催 実行委員会

(神戸学生青年センター、神戸・南京をむすぶ会、兵庫県反天皇制連続講座、

 

ふぇみん兵庫)

 

 

今日のひとこと

以下より以前の「今日のひとこと」は

「今日のひとこと」上記ボタンからご覧ください。

9月20日(日)曇り、時に雨。長袖着用。

このところ、口コミなのか小学生の来館者が目立つ。「入っていいですか」と声を掛けて入館する。9月17日は5人(男子3人、女子2人)、19日は6人(男女それぞれ3人)学童保育・児童館の子どもたちが来館してくれた。名簿に氏名と学年を記載して30分位いて帰って行った。入口で手指消毒をして、麦茶を飲んで、児童文庫の本を手に取り、菓子を食べたりして「ありがとうございました!」と礼儀良い。自分が子どもの頃は菓子があれば気のすむまで食べたと思うが、来館する子どもで口にしない子もいる。帰った後の菓子の入れ物を見ても余り減っていない。菓子目当てでどっと来て食べ尽くすありさまを想像したが、拍子抜けする。戦後間もない私の子ども時代とは本当に違う。あの頃はお菓子その物の種類がなかった。洋菓子などあっただろうか。

20日は「小学生のみなさんへ」とミニポスターを掲示した。

 

 妻さち子が、19日に立川の本屋に行くと言って午前中に車で出かけた。昼に帰宅して買い求めた本を見たら全部が児童図書、絵本だった。10冊以上ある。「これは交流館に来た子ども用だよ」と言う。どんな本を買ってくるのか言わないで出かけたが「そうだったのか」と心に沁みた。ありがたい。「へいわってどんなこと?」「へいわとせんそう」「非武装地帯に春が来ると」「父さんが生きた日々」「とうきび」「くつがいく」作者は日本、中国、韓国。「日・中・韓平和絵本」と帯にある。

お礼とも言えないが「黒井さち子・児童文庫コーナー」と書棚に命名した。

 

8月23日の中国人女性との出会いはすでに書いた。このことを展示用パネルにして今日、9月20日から展示を始めた。本当にこの出会いが、日本と中国との一つの懸け橋にしたいと切に思っている。それだけでなく、日本と韓国、日本とアジア、世界の人々との懸け橋になれたらどんなに素晴らしいことだろう。夢が広がる。多くのみなさんの力添え、支援の輪、一緒に歩く仲間たち、そんな大きな流れになりたい。皆さん宜しくお願いいたします!一緒に歩いて行きましょう!

 

お知らせします!

8月29日(土)

読売新聞・多摩版「たま人」欄に
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の
活動が紹介されました。
「PTSDの兵士と家族の交流館・村山お茶飲み処」も紹介されました。

 


PTSDの兵士の存在が広く国民に知られることが

「2度と戦争を起こさない。誰もが安心して暮らせる社会」に繋がると信じ

活動を倦まずたゆまず続けます。

皆さんのお力添えを心からお願いいたします。
多摩地域と地元武蔵村山市で一番読まれている読売新聞で活動が紹介されたことは地元で認知されたようで、とてもうれしいです。

全ての皆さんとすぐには頷けない自分とは離れた意見だとしても、

心を開き、耳を傾け「平和と戦争」を話し合いたと思います。

ぜひご来館ください!

 

(読売新聞多摩版45.2万部発行)

  多摩地区すべての新聞発行部数112万部の38%を占めています。 

(武蔵村山市では21500部、全世帯の6割以上をカバー)

 

 

 

月31日(月)東京新聞5面 社説発言らんに「私説」として「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」が紹介されましたのでお知らせします。

東京新聞の早川由紀美論説委員が8月に当館に来館されて早川さんの祖父、父親、自分自身との家族関係にも「戦争」の傷痕があったとという文章です。紹介記事というよりは「私説」のとおり早川さん自身の「自分の中の『戦争』」が語られています。早川さんの姿勢に感銘を受けました。

 

 

みんなの食堂「村山うどんを食べる会」は

33人の参加者で大成功しました!

事前の雷雨予報ははずれて、雨も風もなし。村山うどんに「おいしい!」のたくさんの声!沖山グループの歌ではみんなが歌い、踊りでは飛び入り参加も!参加者どうしの交流が時間いっぱい続きました。「コロナに感染しない、感染させない」とフェイスシールド、飛沫遮断幕などの対策を取りました。庶民の知恵と底力を発揮して大盛り上がりの「村山うどんを食べる会」は大成功でした。お手伝いの皆さん(調理、会場づくり、映像中継・音声、受付)、本当にありがとうございました。

次回の「みんなの食堂」もよろしくお願いいたします!

 

2020.8.23 みんなの食堂「村山うどんを食べる会」まとめ

★初回のみんなの食堂

「村山うどんを食べる会」は

大成功と評価します!

・参加者は33人。(親と一緒の4才と小学校1年生の児童)、中学2年生、大学3年生から83歳まで幅広い皆さんに参加いただきました。地域的には武蔵村山13人、多摩地域6人、都区内9人、神奈川3人、埼玉2人とコロナ感染下にかかわらず駆けつけてくれた皆さんに心から感謝申し上げます。

・沖山さんたち二人組の歌と踊りは最高でした。笑いと合唱、飛び入り参加で会場の雰囲気が一気に和みました。会話と交流を促進するきっかけにもなりました。感謝でいっぱいです。

・当日の食材、飲み物が参加者からも提供いただきました。加えて北海道や山形の友人たち、支援してくださるみなさんからも寄せられました。本当にありがとうございました。

・会場設営では前日から会館を建設した飯塚棟梁が駆けつけて下さり、テーブル、飛沫遮断幕、雨除けシートなどを作っていただきました。また、片付けに翌日も来てくださいました。感謝でいっぱいです。

・受付係はこれまで2回来館してくれた地元の中学校2年生が担当してくれました。片付けも最後までしてくれました。テキパキと積極的にこなしてくれてとても心強く思いました。

・何と言っても、朝から調理、配膳、片付けをしていただいた地元の女性の皆さんありがとうございました。成功を支えた最大の力になりました。

・黒井の妻さち子が献立を決め、食材を仕入れ調理し、料理の提供方法から片付けまで、手伝いに来てくれた仲間たちと協力し仲良く取り仕切ってくれました。第一の功労者です。ありがとうございました。また私の縁者の人たち、甥や姪の家族、娘家族たちにもささえてもらいました。皆さんからは会場に来るなり手伝いをしてもらいました。私の娘の夫・内山大樹さんには会場が3か所に分散するのでズーム中継をしてもらいました。踊りと歌の音声も担当してもらいました。いつものことながら頼りにしています。感謝でいっぱいです。

・コロナ感染が広がり、政府はGOTOトラベルの一方でお盆の帰省自粛を言うなどちぐはぐな方針。社会は感染非難を恐れるあまり及び腰になり、様々な催しが中止されています。そういう中だからこそ「村山うどんを食べる会」は「コロナに感染しない、感染させない」を合言葉に、主催者と参加者が十分な対策と注意をすれば開催は可能と判断して実施しました。

庶民は神代の昔から、為政者がどう言おうが、楽しむときは楽しみ、時には法のほころびを見つけてでもお祭りや観劇、お伊勢参りなどを楽しんできました。「村山うどんを食べる会」も、しぶとく生きた先祖の心意気を引き継いで「みんなの食堂」を実施しました。

・中国師範大学の先生で現在は日本の大学で教鞭をとられている67歳の中国人女性の方が取材参加されました。先生が公主嶺出身と聞いて驚きました。20歳で初徴集された私の父親の満鉄独立守備隊の初任地が公主嶺なのです。父親の引き合わせと直感しました。私に現地で採れた穀物の粟をお土産にいただきました。父も食べたであろう中国産粟を見て感無量となり涙、涙でした。 あの世の父親が「息子よ、悪いことをしたと私の代わりに謝ってくれ」と言っている声が聞こえたように思いました。

私は先生に「あなたのご両親、祖父母たち、村の人たちに従軍した父親がなしたであろう殺害などの非道な行為と多大なご迷惑を加害兵士の息子である私は心から謝罪します。どうぞ父親を許してください」とお話ししました。最後には先生は私の手を握り肩をたたいて「日中友好、日中友好!」と返してくださいました。その言葉を聞いて、私は再度、涙、涙でした。ほんの少しですが私は心が軽くなりました。この気持ちを大事にして活動を続けたいと思います。

・「PTSDの日本兵と家族」という重いテーマの活動ではありますが、多くの人たちに知っていただき関心を持ってもらうには、「また参加したい」という気持ちになっていただく楽しい企画で和やかな雰囲気の催しでありたいと思っています。これまで最近の「おしゃべりカフェ」では2回の音楽コンサートが好評でした。これからも楽しいと感ずる催しとして「みんなの食堂」や各種の企画を実施いたします。

 

★費用について 

★再使用可能品(数回~相当回数の使用可能な物)

フェイスシールド 16.390

トレー      17.940

体温計       4.738

(消毒液       2.723

★あと数回は使用可能な物品の経費  41.431円  参加者一人当たり(33人)1.255

 

★食材、会場設営経費

会場設営      7.000

食材・食器    16.492

★今回消費経費   23.492  参加者一人当たり(33人)711

★経費合計     64.923

 

★収入 

会費        4.700

当日カンパ    22.000

★収入合計     26.700

 

★経費の評価

・初回ということで経費をほとんど考慮しないで進めてしまいました。結局、参加者一人当たりの経費が711円かかりました。不足分を蓄えた皆さんからのカンパで負担することになりました。

・初回ということを考慮しても、もっと計画性を持つべきだったと反省しています。

・次回は参加者の会費と当日カンパで収支が取れる「みんなの食堂」を計画したいと思います。

 

★参加者の当日感想を紹介します。

(主催者が前置き部分など割愛しています)。

 

*「村山うどんを食べる会」は510日にうかがってから、楽しみにしていました。今までは電車とバスでしたが、今回は車で来ました。友人知人をさそってここに来る計画を立てるためです。

  献立表があったのはうれしい。食べきれないほどの量と多様な野菜・果物をおいしくいただきました。ごちそうさまでした。食材が北海道、山形、地元産と豊富。これも平和なればこその多様性と感じ、多くの方々の手で作られたものに、調理してくださった奥様とボランティアの方々、協力賛同の方々、本日参加の皆さまの力が集まり、楽しくおいしい会ができたと思います。

 これからも何かあれば来ますし、何もなくとも友人知人と一緒に通いたいと思っていますので、今後とも宜しくお願いします。

 

*楽しくすごさせていただきました。食事がたっぷり、すごい。私の父も(大正7年生)兵役を経験しました。母方の実家に行くと、必ず天井下に兵隊姿の遺影の写真が置いてありました。私は(69才)実体験はないですが戦争の影を感じてきました。また機会があったら話を聞かせてもらいに来ます。(一国平和主義の日本人を恥ずかしく思っています)戦争を含めた運命の荒波にほんろうされた人々をもっと知って理解する必要を感じています。

 

 

*おいしいうどん、小茄子漬、とてもおいしくいただいて、歌や踊りとにぎやかで、暑い暑いと思っていたのが、皆さんと一緒に楽しませていただき、暑さ忘れて幸せな気持ちで帰ってきました。本当にありがとうございました。

 

 

 

8月25日毎日新聞夕刊(68万部)

 「キャンパる」で活動紹介されました!

 

 これを加えてこの1年間に18の新聞社に23回紹介記事が掲載されました!!

「PTSDの日本兵の存在」を日本の人たちに知っていただくことが

「二度と戦争を起こさない、安心して暮らせる社会」に繋がると信じて活動を続けます。

これからも皆さんのお力添えを宜しくお願いいたします!

 

2020年7月30日から

★信濃毎日新聞(発行部数・46万部)

★沖縄タイムス(16万部)

 ほかに14日までに同様の記事が

★北海道新聞(95万部)

★青森県の東奥日報(21万部)

★山梨日日新聞(19万部)、★岩手日報(19万部)

★高知新聞(16万部)、★東京新聞(45万部)

8月15日・山形新聞(20万部)

紹介されました

更に8月20日までに

中日新聞(213万部) 京都新聞(35万部) 

徳島新聞(20万部) 宮崎日日新聞(20万部) 

南日本新聞(28万部)  山陰中央新報(18万部)

紹介され8月24日、北日本新聞(22万部)

総合計654万世帯

お知らせされました!

 

「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」が

16の新聞社に

(その地方・県では一番読まれている新聞です)

紹介されました。

総合計654万世帯の皆さんに

「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」を

知っていただく機会になりました!

 

  日本の世帯総数は5410万世帯です。

654万は日本の総世帯の12.1%に当たります!

 

「PTSDの日本兵と家族」の存在を多くの皆さんに知っていただくことが「二度と戦争を起こさない」ことに繋がると信じて活動を続けます。皆さんのお力添えを宜しくお願いいたします! 

 

新聞報道の影響かHPへの訪問者が20人~50人に増加しています。8月は700人を越える

訪問者になりそうです!!

 

「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」では

荻田如月子さん(武蔵村山市在住)の

武蔵村山市の戦跡写真を展示しています。

写真は随時更新いたします!

 

 

朝礼がうんざりで、ずっと楠を見つめていた校庭。

高いのが苦手な私には、高すぎるジャングルジムがある公園。

ロープと板の手作りのブランコがあった雑木林。

 

 

私がかけまわり、遊びつくした所を、今は私の娘息子が、同じように過ごしている。

 

慣れ親しんだこの地のいたる所には

ある人が、泣いた

ある人が、命拾いした

ある人が、殺された

ある人が、正義と信じて戦地へ向かった場所が

今は形を変えていても、確かに存在していた

 

 

荻田如月子

2 

日本最初・唯一の

 

PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」

 

5月10日(開館日)~9月26日

 

185の皆さんに

 

ご来館いただきました!!

 

武蔵村山市98 東大和市13名、立川市12 

 

東久留米市瑞穂町町など多摩地域20名 

都区内33名 埼玉県 4名 神奈川県 3名 長野県 1名

千葉県 1名

 

 

ご来館ありがとうございました!

 

 

 

PTSDの日本兵と家族の交流館村山お茶飲み処」は

 

めざします!

 

     PTSDの復員日本兵と暮らした家族」たちの情報発信。

 

      PTSDの復員日本兵と暮らした家族」の安らぎの場。

 

      子供たちと保護者の皆さんに戦争体験を語り継ぐ場。

 

      みんなの食堂・手芸サークルで高齢者と

子どもの笑顔溢れる交流を作ります。

 

      武蔵村山の名所になりましょう!

 

 

 

PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」

 

PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」

 

 

 

学習会・交流会を

開きませんか!

 

★テーマ 平和・戦争・PTSDの日本兵と家族など。

 

★黒井秋夫が語り部(話し手)を務めます。

 

・「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」代表

 

・「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」館主

 

★全国どこでもOKです。交通費・宿泊費含め費用はかかりません。

★参加者が2人以上なら、どんなに少人数でも喜んで出かけます。

 

 ★申し込み・お問い合わせ

 

・連絡先 🏣208-0001 武蔵村山市中藤3-15-4

 

・黒井秋夫 ☎080-1121-3888  qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp

 

・「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」HP   https://www.ptsd-nihonhei.com

「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」の

展示パネル・資料を順次紹介いたします。

パネル①

    黒井慶次郎・初徴集(20歳)の軍服姿の写真。

 

   黒井慶次郎の軍歴。従軍、転戦した戦地の地図。軍曹に昇進するまでの経歴。

 

   履歴申立書。軍人恩給申請の為の書類と推測する。

 

   黒井慶次郎が「満州事変記念フォトアルバム」に記載した「鉄道守備隊の任務」「上官の訓示及演習記録」の文章。

 

★展示資料の説明文

 

戦後,復員兵・黒井慶次郎は従軍体験に口を閉ざし、何ごとにも無口で一日中話さず、定職に就く意欲も無かった。“戦争神経症”の状態だった。復員前とは別人に変わった!

 

 

 

黒井慶次郎は31歳の時に伍長、33歳で軍曹となる。

 

10人~20人の兵士を指揮する立場にいた。

 

銃弾、砲弾の飛び交う戦場で部下に指揮命令しただろう。

 

進駐した武漢、宜昌は“敵”中華民国政府のある重慶に対峙する日本軍の最前線だった。

 

しかし、復員後の父黒井慶次郎は部下を鼓舞したり臨機応変に指揮命令できた人物のかけらもなかった。

 

一家に起こる問題解決全てから逃げて妻と長男に放り投げていた。きちんと働かず、定職に就こうという意欲も無く、一日中を無口で通し、特に戦争の事には口をつぐんだ。

 

部下を指揮命令した軍曹時代の面影などどこにもなかった。

 

自分が教育され信じた「天皇を拝する神の国、不敗強国、アジアの指導者日本」は帰国したら、GHQ指揮下で自分の長男は、命をかけた自分の従軍人生を全否定する黒塗り教科書(人間天皇、民主主義)で教育される日本だった。

 

黒井慶次郎は戸惑い、何が正しいのか何が間違いなのか、生きて行く羅針盤を持てなかった。口をつむぐしかなかった。働く意欲を失った。戦争の後遺症、“戦争神経症”を発症した。従軍前とは別の人間になった。

 

パネル②

①初徴集で大連港に上陸した写真。写真への父の添え書き。

②戦死した中隊長参拝記念の写真。写真への添え書き。

③”匪賊討伐”の皇軍写真。写真への添え書き。

④戦車の写真。写真への添え書き。

黒井慶次郎について(1912年3月14日生まれ)。

 

①“戦争神経症”発症前の父親。「昭和維新」に同調する若者だった!

 

★満州事変(193198日)の翌年、5.15事件が起きた1932年、父・黒井慶次郎は20歳で初徴集される。日本国内は5.15事件首謀者の助命嘆願運動が盛り上がった。

 

★写真『大連上陸()』の父の添え書き(193211月記す)。

 

・『昭和6918日満州事変勃発。昭和71130日午前1時、満蒙第一線へ勇み立つ我等若人をのせた陸軍宇品丸は大連に入港した。午前8時甲埠頭九番バースに横付、午前八時半上陸。憧れの満州の地に第一歩を印した』

 

・『昭和6918日!それは同胞九千萬厚生の記念日。昭和維新の第一日であらねばならぬ。南嶺城頭の血庫に斃れたる勇士!それは同胞救生の先駆、昭和維新史をかざる導士でなければならぬ』

 

★小作農の9人兄弟の9番目の父親は、大恐慌後の農村の窮乏を救う考えも持っていたとされる昭和維新思想を体現した5.15事件(1932515日勃発)等に強く同調していたと思われる。20歳代の父は「同胞救生の先駆=窮乏する農民を救う活動家」「満蒙第一線へ勇み立つ我等若人・・・憧れの満州の地に第一歩を印した」とメモしたように若者らしい快活で正義感あふれる行動的な人間だったと推測できる。

 

 

 

②黒井慶次郎について(1912年3月14日生まれ)。

 

“戦争神経症”発症前の父親。

 

南満州鉄道を守る独立守備隊として従軍した。アルバムの添え書き

 

には若者らしい使命感に燃えた勇ましい言葉が並ぶ。

 

『帝国の生命線を死守する軍人僕の姿である』『我(が)討伐隊は進む』『堂々と進む我(が)戦車の偉容』『匪賊討伐に従事』

 

★復員後、一日中話さず、定職につかず、対外的なことは母や兄に押し付け逃げた父親とは別人である。

 

★従軍体験の戦争神経症により、別の人格の人間になったと理解すればつじつまが合う。

 

 

 

③戦後の復員兵・黒井慶次郎は従軍体験に口を閉ざし何ごとにも無口で一日中話さず定職に就く意欲も無かった。“戦争神経症”の状態だった。復員前とは別人に変わった!

 

黒井慶次郎はなぜ“戦争神経症”を発症したのか?父親はなぜ精神を壊したか?

 

★GHQ(敵国)の支配する日本に復員した。自分が信じた(洗脳された)正義・価値観との巨大なギャップに遭遇した。

 

★命をかけた従軍体験を完全否定する黒塗り教科書で自分の長男(黒井秋夫の長兄)が教育されている日本に復員した。

 

★何が正しいのか、間違いなのか心に落とせなかった。理解できなかった。落ち着いた精神状態に戻れなかった。社会順応できなかった。

 

 無口になるしかなかった。仕事に就く意欲を失った。

 

★“戦争神経症”の基盤は中国での加害者としての戦争・戦場体験。部下や同僚の死に対する直接間接の責任などが考えられる。

 

 

 

★昭和維新 以下(ウィキペディアより)

 

1930年代日本で起こった国家革新の標語。 1920年代から1930年代前半にかけては、戦後恐慌世界恐慌による経済の悪化、排日移民法張作霖爆殺事件などによる国際社会の不安などから、軍部急進派や右翼団体を中心に、明治維新の精神の復興、天皇親政を求める声が急速に高まった。特に政争を繰り返す政党政治への敵愾心が激しく、また天皇を外界と遮断して国を誤っている(と彼らには見えた)元老重臣ら側近達への憎しみも凄まじい。代表的事件として五・一五事件二・二六事件が挙げられる。

 

日本最初・唯一の

「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」は

4つの目標をめざしています!

2019.12月8日(日)

第5回「おしゃべりカフェ」を30人の参加で『ホームの武蔵村山市中藤地区会館』で開催しました。

5回目と会を重ねるごとに和やかなおしゃべりと交流が広がっています。

遠くは神戸市、愛知県岡崎市から大学生など若い参加者も!

若い世代に語り継がれています。受け継がれていくでしょう!

拉孟戦、戦友会の講演者の遠藤美幸さんは「おしゃべりカフェ」にも加わり大いに盛り上がりました。

8月に続いてコンサートも開催。今回はメンバー4人の「タコス」!心癒される演奏に参加者も大満足でした!

終了後は黒井宅に場所を移し、タコスの皆さんも参加して懇親会。話の輪と交流がさらに広がりました♬(^^♪。

 次回は2020.8.23(日)です。

多くの皆さんのご参加をお待ちしています。

 

2019年8月25日(日)

「おしゃべりカフェ」に46名が参加しました。

北村毅さん、室田元美さんの講演、北川直実さん、遠藤美幸さん、星野泰久さん、西中誠一郎さんの発言をいただきました。その後、参加者どうしのお話合いと交流、カクテル―チェさんのコンサート、最後は和やかな懇親会で、大成功の「おしゃべりカフェ」となりました。次回は12月8日(日)日中戦争が日本軍の真珠湾攻撃でさらに戦線拡大したメモリアルの日に開催いたします。

多くの皆さんの参加をお待ちしています。

 

★2019年3月17日(日)23名の皆さんが参加されました。  

 武蔵村山市 さいかち地区会館で開催しました!

従軍した父親の思い出を全員が語り合い、耳を傾けました。

放映したBS1スペシャルにも登場する研究者の中村江里さんから兵士のPTSDについてコメントをいただきました。

下写真。2018年10月14日、2回目の学習・交流会に20名が参加しました。研究者、中村江里さんから参加いただき、お話しいただきました。

下写真・2018年5月13日、初回の学習・交流会に9名参加。



新着情報

北多摩西教育会館で講演会でお話しします! (金, 25 9月 2020)
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講演会「神戸学生青年センター」 (Fri, 25 Sep 2020)
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8月のHP訪問者が800人を越えました! (Wed, 02 Sep 2020)
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「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」通信20.8.1号 (Sun, 02 Aug 2020)
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イベント情報

10月14日、幼児遊び部屋あります。
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「市民のひろば」に掲載されました!
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2018年5月13日 学習・交流会の様子


ブログ

父と暮らせば

ETV特集「隠されたトラウマ~精神障害兵士8000人の記録」
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父と暮らせば(19)「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」ができた理由
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父と暮らせば(18)「独立守備隊従軍の時の父の戦闘記録」その2
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黒井秋夫の父の従軍時の写真


読書紹介

見過ごされたトラウマ・今朝の朝日新聞31面
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「朝日川柳」
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祝・完成

「交流館・武蔵村山お茶飲み処」展示の準備作業中

 

交流館村山お茶飲み処、見学できます

NHK「隠された戦争のトラウマ」放映中!

 

開館を祝う会510日)は延期します。

感染が落着き次第

再度日程をお知らせします!

コロナに負けず頑張りましょう!

 4月12日(日)会代表・館長・黒井秋夫の予定。

今朝の武蔵村山は曇り空、12日は黒井はおおむね終日在館予定です。

母屋への行き来などで席を外している場合でも会館は開いています。

 

4月4日は散歩途中の人が立ち寄り、1時間も話し込むことになりました。5日は谷津自治会の役員会帰りの人、バス待ちの人がお茶を飲んで行ってくれました。また犬の散歩の女性の方はおしゃべりカフェの「イベントなどの日はお手伝いできますよ」と言ってくれました。6日は終戦時に予科練生だった90歳の方が話し込んで行きました。出身が山形市とのことで黒井と同郷です。また、4月24日は研修としての見学予約も入っています。広がっていくのを実感しています!

 

 新型コロナウィルスの感染で510日の開館を祝う会と懇親会は延期しますが、コロナ感染が落ち着いて安心して開催できる環境になったら再度お知らせします。どうぞ楽しみにお待ちください。

コロナに負けず頑張りましょう!