写真は1933年、元満州(現・中国吉林省、公主嶺)独立守備隊の黒井慶次郎(右から2番目)

 

 

★国(厚生労働省・防衛省)に要請します!

「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」

PTSD兵士と家族の実態調査を直ちにして欲しい。

②復員したPTSDの兵士はどれだけいたのか。

③どのような症状だったのか。

④家族はどう対処したのか。

⑤家族はどのような援助を求めているのか。

⑥国府台陸軍病院の研究の成果・受けついだ戦後精神医学の進歩の成果をPTSDの兵士の家族のトラウマからの解放に役立てて欲しい。トラウマの連鎖を断つ方法を教えて欲しい。

PTSD兵士の存在は隠されてきた。戦争中、国府台陸病院でPTSD兵士の研究と治療に従事したのは当時の精神医学会から選抜された優秀な医師だったとされる。彼らは戦後日本の精神医学会をリードしたらしい。しかし、国府台陸軍病院の諏訪敬三郎病院長は自身の研究論文以外、病院で行われたことを50年間、社会に話してはならないと弟子たちに封印した。

 

ベトナム戦争、イラク戦争に従軍した米兵の3割~5割にPTSDの症状があったという。1945年以降の830万人の帰還した日本兵に当てはめれば250万人~400万人という驚くべき多数の治療必要な日本兵が存在したことになる。それが治療も施されず野放しに家族のもとへ帰された。放置された。暴力、殺人、自殺、麻薬・アルコールなどの依存症、社会に順応できない無気力などが多くの家庭で発生しただろう。暴力などを振るう方は自身では制御できない苦しみを、振るわれる方はその原因も分からずに耐え忍ぶしか方策はなかった。事件にならない限りはPTSD兵士の暴力などは家の恥として社会に表面化することはなかった。

 

国府台陸軍病院の医師たちや、管轄する陸軍・国は帰還する兵士にPTSDを発症することが、それまでの研究から十分予測できたはずである。対策を講じなければ暴力、依存症、社会不適応者が膨大に出てくることも分かっていたはずである。

しかし、何らの対策も講じられなかった。帰還兵の家族にも兵士のPTSDのことは何一つ伝えられなかった。家族は(帰還兵である我が子の、夫の、父親の)暴力などの意味も原因も対処法も分からず、ただただ耐え忍ぶしか方法はなかったのである。帰還へのPTSDはそのようにして家族に拡散し、連鎖となり、今に続いている。

 

PTSDの兵士の家族は父親の暴力の原因を知らずにいる!

彼らは精神的苦しみから救われなければならない!

PTSDの日本兵のほとんどが今はこの世にいない。亡くなった。彼らを治療したり、心の病から解放する手立てはすでにない。解決するべき問題は、帰還兵の子どもの世代、孫の世代にPTSDの連鎖が続いていること、その世代が帰還兵である父親の暴力の意味や、自身に連鎖した制御できない精神の不安定の原因が戦争によるPTSDが原因であると知らないという問題である。

 

私は父親の無気力や、責任のなさや、無口で暗い姿を戦争体験によるPTSDのなせる業と67歳の時に気づくまで、それが父親本来の性格であると考えて来た。父が生きていた時も亡くなってからも、遂に父親を尊敬できなかった。一人前の人間として見ていなかった。どこか軽んじていた。しみじみとした情愛の通う父と息子の関係は終生築けなかった。不幸な親と子だった。それはもはや取り返しつかない。

72才になった今、父親は戦争体験によりPTSDを発症していたと確信できて、初めて父親の苦しい心の中を想像できるようになった。それだけでも良かった、心が救われたように思う。

 

しかし、250万人~400万人と思われるPTSDの兵士の子どもたち、孫世代のほとんどは自分たちへ向けられた暴力の意味や、自身が抱えている制御できない精神の原因が、父親の戦争体験によるPTSDにあると知らないでいる。知らないことには解決方法も対処の仕方も分からない。それでは救われない。彼ら彼女らは救われなければならない。

そこで冒頭の国への要請にたどりつく!

もはや、国や精神医学会がPTSDの兵士の存在を隠してきたことや、国府台陸軍病院で得られたPTSDの兵士の研究の成果が250万人~400万人のPTSDの兵士たちの戦後の窮状には目が行かず、その治療にも何ら生かされなかったことを非難するだけでは何の意味もない。

 

一時も早く、PTSDの兵士の子どもたち、孫世代に父親の暴力の意味、自身が引き受けたPTSDの原因は戦争体験が根底にあることを知らせ、気づいてもらう必要がある。それは急務である。

原因を知るだけでも意味がある。それだけでも、暴力などが父親本来の精神や性格ではないのだと知るだけでも救われるものがある。

 

「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」は要請します。

国はもう遅きに失するとは言え、いまからでも腰を上げ対策に乗り出して欲しい。日本の精神医学会もその研究の成果を現に苦しんでいるPTSD兵士の家族たちの心の解放に目を向け役立てて欲しい。

202012月1日

 

 

国を動かす!どうしたら実現できるだろうか?

★「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」は以下のような国への要請をホームページ冒頭に掲げている。(その理由は下のセクション参照してください)。どうしたら実現できるだろうか?「皆さんと一緒ならできるかもしれない」というかすかな手ごたえ・希望を感じています。皆さんからご意見をいただきたい。寄せられたご意見はHPに掲載したい。

★署名を集める。署名を国(厚生労働省・防衛省)に提出する。署名を力に国(厚生労働省・防衛省)と交渉する。国会で取り上げてもらう。国会で審議してもらう

★国(厚生労働省・防衛省)に要請します!

PTSD兵士と家族の実態調査を直ちにして欲しい。

②復員したPTSDの兵士はどれだけいたのか。

③どのような症状だったのか。

④家族はどう対処したのか。

⑤家族はどのような援助を求めているのか。

 

⑥国府台陸軍病院の研究の成果・受けついだ戦後精神医学の進歩の成果をPTSDの兵士の家族のトラウマからの解放に役立てて欲しい。トラウマの連鎖を断つ方法を教えて欲しい。

★寄せられたご意見

 ★(山田幸巳さん)

 野党共闘で現政権を倒すしかないですね!! それも「政党助成金」無しでも維持で

 きる政党がね! 我が家の親父のように戦後「シベリア抑留」を数年間経験して戻っ

 た者のその後は・・・ 何でも悪さをこぼさないように・・・おかしいだろ!!

  • ★(遠藤美幸さん)
    政治家の中にもP TSDの復員兵の家族が必ずいます。自分のこととして捉えられたら人は心が動き、行動に繋がります。
    ■11月28日(土)までの到着
     分を掲載しました。

お知らせ

日本最初・唯一の

 

PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処・子ども図書室」は

 

 5月10日の開館日から12月3日まで

283人の皆さんに

ご来館いただきました!

年末年始・休館日のお知らせ

12月25日~1月8日は休館いたします!

 

 

11月15日(日)神奈川新聞(18万部)、11月27日(金)伊勢新聞(10万部)に共同通信の配信記事で「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の活動が紹介されました。このHPの「家族の声」で公開している「私が背負った昭和の業」の野崎忠郎さんも紹介されています。

10月21日(水)島根日日新聞(6万部)に共同通信配信で「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処・子ども図書室」の活動が報道されました!

11月17日神戸学生青年センターにお出でいただいた皆さん本当にありがとうございます。43人とお聞きしました。30人と予定したようですが心から感謝申し上げます。皆さんに交流館の雰囲気を感じてもらおうと交流館に展示しているパネルを(大きな絵画用カバンに入れて・妻さち子が用意してくれました)会場に持ち込み、展示しました。コープ共済連時代にお世話になった生協関係の人たち、ピースボートで私の「父と語れば」の父親たちを語る会に参加してくれた人たち、交流館通信の読者の人たち、遠く広島大学の先生にもお出でいただきました。同窓会のような、身内の集まりのような雰囲気の中でお話しできました。とてもアットホームでした。皆さん本当にありがとうございました。2月11日にも講演会を予定しているグループからの依頼も受けました。この文章を帰りの新幹線で書いていますが、とても幸せな神戸でした。皆さん、本当にありがとうございました!!!

VFPJ(ベテランズ フォーピースジャパン)のスピーキングツアーの11月15日のゲストスピーカーとして黒井秋夫が開始から20分位から10分間お話ししました。11月16日、ユーチューブにアップされました。VFPJのFacebookにアクセスしても視聴できます。どうぞご覧ください。

2020年11月8日(日)三多摩平和交流ネットワーク主催の講演会での私のお話しがYouTubeにアップされています。dmeneサイトで「黒井秋夫YouTube」で検索すれば出てきます。あるいは黒井秋夫のFacebookにアップしていますので黒井秋夫のFacebookに接続すればご覧いただけます。

参加者感想・添え書き公開します! 

2020.11.8 三多摩平和交流ネットワーク

★11月8日(日)の講演の際に参加者から寄せられた感想を公開いたします。「PTSDの日本兵の存在」を多くの人たちに知っていただくことが「戦争はダメ」の世論作りに繋がります。
★皆さんの所でもぜひお話しさせてください。
★日本全国、参加者数にかかわらず喜んでどこでも行きます。
★会場開催の費用はご負担いただきますが、講演者に付随する交通・宿泊費などその他の費用はかかりません。当会が負担いたします。よろしくお願いいたします。
連絡先 黒井秋夫 08011213888
ホームページ https://www.ptsd-nihonhei.com
208-0001武蔵村山市中藤3-15-4 
★メールアドレス qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp
★参加者の感想は以下の通りです。

・父も同時期に出征、帰国しているので大きな関心がありました。「謝る」ことで封印

 された気持ちを「父の代わり」に行うという話が印象的でした。私も軍歴紹介など し

 ている最中です。

・加害であり被害であった日本。子どもらに伝えられると良いと思います。黒井さんのカフェ図書館行きたいです。

・力強い講演ありがとうございました。近いうちにお茶飲み処におじゃまさせていただきたいと思います。頑張ろう!!

・今日はありがとうございました。

・子どもの頃「おむすびを」と、家にやって来る男性がいました。母によると「『戦死したとの公報』で、妻が弟と夫婦になっているところに戻ってきて」とのこと。「夫の出征中に夫の父に迫られて自殺してしまった女性」。私の父も中国での蛮行の記憶を心の底に抱えて戦後を生きました。心の問題の記憶を伝えることは本当に重要です。

・お話しが聴けてとても良かったです。活動を応援しています。

・「子ども図書室」が名称に加わっていることに感激しました。」親子読書の関係者お伝えしてもよろしいでしょうか。本を寄贈したい方も多数いると思います。

・今日はありがとうございました。以前に交流館を訪問、二度目のお話しですが熱い思い、戦争はいけない、黒井さんの生き方を胸に刻みました。

・加害と被害の歴史認識はつらい事と思いますが戦争をなくすためには大切であると!!後世に伝える努力を共に!

・「子どもに伝わる言葉」私も持ちたいと思いました。

・思いあふれる黒井さん。すばらしい!会員になります。

・賛助会員になります。おたより楽しみにしております。お話しを聞いて本当に来て良かったと思います。

・とても力強い良いお話しでした。戦争を記憶し、事実を伝える活動こそこれからの平和の原点、改めて確信しました。

・いつもありがとうございます。交流館にぜひうかがわせていただきます。

・兵士としてPTSDの後遺症を持つ家族の話を直接聞いたのは初めて。事実を知った時点の驚きはいかばかりか良く分かった。アランネルソンや他の人の場合は本や映像で知っていたが・・。

・応援します!

 

 

2020年11月11日(水)毎日新聞多摩版に報道されました。「PTSDの日本兵の存在」が広く国民に知られることが「戦争はダメ」の世論を作り、「日本が二度と戦争を起こさない。誰もが安心して暮らせる社会」に繋がると思います。これからも多くの人たちと繋がりながら、倦まずたゆまず、ゆっくりでも諦めずに活動を続けます。皆さんのご支援を心からお願いいたします。

2020年10月20日(火)福井新聞(19万部)、22日(木)陸奥新聞(5万部)、

26日(月)河北新報(42万部)に愛媛新聞と同様の記事が「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処・子ども図書室」、「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が紹介されました。

PTSDの日本兵の存在」はまだまだ多くの国民は知りません。

この事が広く知られていくことが「戦争はダメだよね」という世論を作り「日本が二度と戦争を起こさない。誰もが安心して暮らせる社会」に繋がると信じ、皆さんと手を携え、お力をお借りして倦まずたゆまず、ゆっくりでも活動を続けます。

2020年11月4日(水)愛媛新聞に「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処・子ども図書室」、「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が紹介されました。

PTSDの日本兵の存在」はまだまだ多くの国民は知りません。

この事が広く知られていくことが「戦争はダメだよね」という世論を作り「日本が二度と戦争を起こさない。誰もが安心して暮らせる社会」に繋がると信じ、皆さんと手を携え、お力をお借りして倦まずたゆまず、ゆっくりでも活動を続けます。

 10月8日、西日本新聞朝刊(福岡県・58万部)に「戦争で精神障害 日本も」として1面TOP記事として掲載されました。

「PTSDの日本兵の存在」を1面TOP記事として掲載したのは西日本新聞が最初と思います!!

★25面・社会面に

「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が

語り合う会」の活動が紹介されました。

アサココに

掲載されました!

朝日新聞に折り込みで月2回発行されるアサココ(35万部)の催し欄に11月8日(日)三多摩平和交流ネットワーク主催の黒井秋夫の講演が主催者の投稿により掲載されました。

PTSDの日本兵と家族の交流館

村山お茶飲み処・子ども図書室」通信11月1日号

★「子ども図書室」にたくさん寄贈いただきました!

★本のご紹介

・いまこそ知りたい!みんなでまなぶ日本国憲法

・くまのぷうさん・風の谷のナウシカ・火の鳥

・へいわとせんそう・星の王子様

・とんぼのうんどうかい・まちんと

★「読み聞かせ」できる方、ご協力ください!

 

 

 

 

★親子で一緒に読める本が並んでいます!

★子ども用の図書をおゆずりください!まんが大歓迎!

李素楨さんとの交流日誌・111日号 10月号を一部再掲載。


★李素楨さん

・中国吉林省師範大学大学院教授

・桜美林大学講師

李素楨さんから・10月に届いたお便り。

・子ども図書室を設置されたとのこと、私たちも大賛成です。今後子どもたちに戦争体験を引き継ぐことになるでしょう。

・日中子ども交流に関する読む本を贈呈いたします。貴資料館のご発展と日中友好の懸け橋になることを信じます。今後私たちも尽力いたします。お互いに協力し合っていきましょう。

91日号通信より採録

8月の「村山うどんを食べる会」に来館された李素楨さんが公主嶺出身と聞いて驚きました。私の父親の満鉄独立守備隊の初任地が公主嶺なのです。父親の引き合わせと直感しました。あの世の父親が「息子よ、悪いことをしたと私の代わりに謝ってくれ」と言っている声が聞こえました。

私は李素楨さんに「あなたのご両親、祖父母、村の人たちに従軍兵の父親がなしたであろう非道な行為と多大なご迷惑を加害兵士の息子である私は心から謝罪します。どうぞ父親を許してください」とお話ししました。李素楨さんは私の手を握り「日中友好、日中友好!」と返してくださいました。その言葉に私は涙、涙でした。

★黒井に9月に届いたお便り。(一部省略)

『お父様の代わりに謝罪して下さったことに、中国人として、とても感激しました。あの戦争は指導者の責任だと思っています。お父様は普通の庶民として、戦場に行かされたのであって、お父様の責任とはいえません。お父様は加害者であったけれども、被害者でもありました。国境や民族を超えて、平和な社会を作るために、お互いに協力し、頑張って行きましょう。中国に黒井さんの活動を伝えたいと思いますし、民間レベルでの平和のための活動にお互いに頑張っていきましょう』


「交流館」通信は周辺900世帯に配布しています。報道各社にもメール配信しています。

武蔵村山市の市長さん、副市長さん、市議会議員さん、観光課にもお届けしています。


PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処・子ども図書室」

5月10日(開館日)~10月25日

来館者220名!ご来館ありがとうございました!

武蔵村山市127名 立川市など多摩地域48名 都区内36名 東京以外9名

★「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処・子ども図書室」はめざします!

   PTSDの復員日本兵と暮らした家族」たちの情報を発信します。

   PTSDの復員日本兵と暮らした家族」の交流と安らぎの場になります。

   子どもたちが集う楽しい「子ども図書室」にします。

   地域の人たちと子どもの笑顔あふれる交流を作ります。

PTSDの日本兵と家族」の存在を多くの皆さんに知っていただくことが

「日本が二度と戦争を起こさない。安心して暮らせる社会」に

繋がります!皆さんのお力添えを宜しくお願いいたします!

★黒井秋夫がお話しします。講演会ご案内!

①日時 118日(日)13:3016:00 会場 北多摩西教育会館 3階 国分寺市光町1-40-12    

お話し内容『「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」で実現したい事』

*JR中央線 国立駅北口より徒歩7 *定員50名(要予約)主催・三多摩平和交流ネットワーク

参加費 500円(大学生以下無料) 申し込み 080-3094-3353(ならさき しげや)

開催日 1117日(火)午後6時半から 会場 神戸学生青年センター *主催 実行委員会    

*阪急六甲駅下車 北東徒歩3分 TEL(078-851-2760) 参加費 700

*戦争の持つもう一つの暴力 「復員日本兵の心的外傷後ストレス障害=PTSDを考える」

 

 

2020年9月27日(日)佐賀新聞(12万部)、10月1日(木)山形新聞(20万部)、南日本新聞(28万部)に「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」、「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」の関係記事が掲載されました。8月23日の「村山うどんを食べる会」に参加された中国研究者が黒井秋夫の父親が従軍した際の初任地・公主嶺出身と聞いた黒井が女性に父親がなしたであろう所業を謝罪した事と謝罪に対する中国人女性の寛容な「戦争はあなたの父親の責任ではない」という返答があったこと、「共に平和のために邁進しましょう」という呼びかけなどが紹介されました。

2020.8.23(村山うどんを食べる会)での出来事。

吉林省公主嶺で生まれた女性が参加してくれました。

彼女が中国人最初の来館者でした。

驚きました。

父・黒井慶次郎の従軍初任地が何と吉林省公主嶺!

偶然ではない!父親の引き合わせと直感しました。

「悪いことをしたと私に代わり謝ってくれ!」

父の声が聞こえました。

黒井秋夫は従軍時の父の中国の人たちへの加害行為を

(殺人・物品の強奪など)中国人女性に謝罪しました。

彼女は黒井の肩を叩き、手を握り「日中友好!日中友好」

と返してくれました!

★展示パネルの説明文より

823日「村山うどんを食べる会」では「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の活動の歴史で未来にも大文字で記されるであろう出会い・出来事がありました。

当日の参加者に中国人の歴史研究者の先生(女性・67才)がいらっしゃいました。その方は出身地を吉林省・公主嶺とお話しされました。

何ということでしょう。1932年に私の父・黒井慶次郎が20歳で徴集された最初の任地が公主嶺なのです。その時の出来事のあらましと、以降の推移を報告いたします。

明治以来の日本が中国、朝鮮半島、アジアに戦争を仕掛け、地域の平和を壊す元凶であった歴史を反省し教訓として、アジアの人たちへの真摯な謝罪の心を表明し、信頼される友人として、仲良く手を組み、平和でアジアの誰もが安心して暮らせる社会をめざしたいと思います。

 現在進行形でもある出来事を将来の平和な社会の礎にするよう活動を続けます。これからも皆さんのお力添えをよろしくお願いいたします。一緒に手をたずさえ歩いて行きましょう!

 

2020.8.23 みんなの食堂「村山うどんを食べる会」

まとめより抜粋

(「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」通信・91日号より)

・中国師範大学の先生で現在は日本の大学で教鞭をとられている67歳の中国人女性の方が取材参加されました。先生が公主嶺出身と聞いて驚きました。20歳で初徴集された私の父親の満鉄独立守備隊の初任地が公主嶺なのです。父親の引き合わせと直感しました。私に現地で採れた穀物の粟をお土産にいただきました。父も食べたであろう中国産粟を見て感無量となり涙、涙でした。 あの世の父親が「息子よ、悪いことをしたと私の代わりに謝ってくれ」と言っている声が聞こえたように思いました。

私は先生に「あなたのご両親、祖父母たち、村の人たちに従軍した父親がなしたであろう殺害などの非道な行為と多大なご迷惑を加害兵士の息子である私は心から謝罪します。どうぞ父親を許してください」とお話ししました。最後には先生は私の手を握り肩をたたいて「日中友好、日中友好!」と返してくださいました。その言葉を聞いて、私は再度、涙、涙でした。ほんの少しですが私は心が軽くなりました。この気持ちを大事にして活動を続けたいと思います。

 

先生から届いたメール文

23日の「村山うどんを食べる会」とお宅の資料館を見学させいて頂き、インタビューをも受取り下さり,誠にありがとうございました。

 特に、お父様の代わりに謝罪して下さったことに、中国人として、とても感激しました。お気持ちと戦争に関する歴史認識を中国に伝えることに責任を感じました。

 実は、あの戦争の指導者の責任だと思っています。お父様は普通の庶民として、戦場に行かされたのであって、黒井さんのお父様の責任とはいえません。お父様は加害者であったけれども、被害者でもありました。

 私たちは、2度と戦争を起こさない、起こさせない責任と義務を負っていると思いますし、誰もが安心して暮らせる社会作っていく義務と責任を持っている、と考えます。国境や民族を超えて、また、人間として平和な社会を作るために、お互いに協力し、頑張って行きましょう。

 最後に、お宅の素晴らしい資料館が全世界に広がっていくよう、願っております。私も及ばずながら、中国に帰る機会があれば、黒井さんの活動を広く伝えたいと思いますし、これからも民間レベルでの平和のための活動に邁進していきます。お互いに頑張っていきましょう。』

 

メール文をHPなどに公開申込みを了解いただいたことへの

先生へのお礼メール

私の謝罪への先生の寛大なお心をホームページなどで公開することで、日本と中国だけでなく、広くアジアの、世界の人たちが手を結び、友好と信頼が広がることに役立つよう努力いたします。本当にありがとうございます。大きな勇気をいただきました。

 

添付したのは私の家の仏壇の写真です。

仏壇の父の写真に先生のメールを額縁に入れて供えました。

父も喜んでいると思います。先生の寛大なお心に感謝でいっぱいです。

これまでの自民党政府の多くは日中戦争(アジア太平洋戦争)が侵略戦争ではないと否定したり、戦争以外に選択肢はなかったというなど、戦争を仕掛けた事実への反省は余りにも不十分です。このような日本政府の姿勢では、日本軍の戦争で奪われた中国、朝鮮半島、アジア諸国民2000万人の命は安らぐことはできません。

日本人として本当に恥ずかしくアジアの人たちに申し訳ないと思っています。

 

日本は地理的にもアジアの一員です。中国、朝鮮半島とは国境を接しています。

漢字を使う文化も、日本語のほとんどの単語が漢語(中国語)を使用して成立していることも、中国、朝鮮半島との長い相互交流があったからこそ日本文化も作られました。

仏教も、儒教も、それに伴う文化も平和な交流、信頼が築いたものです。

これからの日本も過去の歴史に学び、日本人・日本文化の足元が中国、朝鮮半島、アジアとの平和な交流から生まれたことを大事にして行くべきだと思います。

 

戦争はプラスのことは何も生みません。平和な状況だけが暮らしも文化も進展させると思います。私は父親たちの過ち・間違いを「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」の活動を通じて、広く日本の人たちにお知らせして、「2度と戦争を起こさない。誰もが安心して暮らせる社会」をめざす活動を続けて行きたいと考えています。

 

日本国民の大多数が先の戦争のことを中国、朝鮮半島、アジアの人たちに(米英連合国含めて)、心から謝罪し「2度と戦争を起こさない日本を作る」道を日本国憲法を守って進んで行くべきです。

そういう社会を作る為に活動を続けます。

 2020.9.16  黒井秋夫。

 

 

 

 

 

 

①『「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」で実現したい事』としてお話しします。お近くのみなさんどうぞお出で下さい!

 

日時 11月8日(日)13:30~16:00

会場 北多摩西教育会館 3階 国分寺市光町1-40-12

   JR中央線 国立駅北口より  徒歩7分

参加費 500円(大学生以下無料) 定員50名(要予約)

申し込み ☎080-3094-3353(ならさき しげや)

申し込み期間 9月24日(木)~11月7日(土)10時~17時

主催 三多摩平和交流ネットワーク

 

黒井秋夫が講師としてお話しします。

お近くの皆さまどうぞお出で下さい!

 

★以下 主催者の発行物より。

 

開催日 11月17日(火)午後6時半から

会場  神戸学生青年センター

    阪急六甲駅下車 北東徒歩3分 TEL(078-851-2760)

参加費 700円

講師 黒井秋夫(PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会代表)

 

戦争の持つもう一つの暴力

「復員日本兵の心的外傷後ストレス障害

=PTSDを考える」

 

帰還兵の心的外傷後ストレス障害(PTSD)が大きな問題になったのは、ベトナム戦争から帰還した米兵が社会復帰できず、アルコールや麻薬の依存症になる例が多くみられることによってである。その時、アジア・太平洋戦争に従軍した日本兵はどうだっただるかという疑問は出されたが、大きな問題になることはなかった。

日本兵のトラウマが広く明らかになるのは、2018年に出版された中村江里さんの「戦争とトラウマ」と、同年にNHKで放映されたドキュメント「隠されたトラウマ」によってであった。

日本兵がトラウマにならないわけがない。旧陸軍では精神を病んだ兵士は、千葉県市川市にあった国府台陸軍病院などの精神疾患専門の病院に送られた。国府台病院だけで患者は1万人を越えたという。この事実が長い間知られることがなかったのは「皇軍に戦争神経症はない」として軍部が隠ぺいして来たからであり、終戦時に患者の記録を焼却隠滅したからだった。

現在、自衛隊もPKOという美名のもとで、戦場への派兵がなされている。そして、派兵された自衛隊員の自殺率の高さが報じられている。集団的自衛権が合憲とされ、敵基地攻撃論が堂々と語られている今、兵士のPTSDの問題は避けて通れないのではないだろうか。

 

主催 実行委員会

(神戸学生青年センター、神戸・南京をむすぶ会、兵庫県反天皇制連続講座、

 

ふぇみん兵庫)

 

 

学習会を開きましょう!

★黒井秋夫が語り部(話し手)を務めます。

全国どこでもOKです。

交通費・宿泊費含め費用はかかりません。

★参加者が少人数でも喜んで出かけます。

★申し込み・黒井秋夫☎08011213888

 qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp

今日のひとこと

以下より以前の「今日のひとこと」は

「今日のひとこと」上記ボタンからご覧ください。

1024日(土)晴れ。10時の室温、18℃。

NHKの朝ドラ「エール」時々見ている。今週、名曲「長崎の鐘」が生まれるまでの小山祐一の苦悩が描かれる。戦争に駆り出す曲を作った戦争責任に苦しむ姿が描かれる。もしも日本人が、戦争に責任のある人たちが、ドラマの小山祐一のように自分の戦争責任に、真摯に向き合っていたなら、戦後日本は今とはちがっていたのではなかったか思う。もっとましな国になっていたのではないかと。(*モデルの古関裕而さんは戦後、自衛隊の歌を作っている)。

「長崎の鐘」を作る為に小山祐一は長崎の永田武医師に会いに行く。どうしても曲のヒントをつかめない小山祐一は崩れ落ちた浦上天主堂で彫りこされた鐘と、花を植える子どもたちから、地の底から立ち上がらせるは「希望」だと気がつく。

1018日の「今日のひとこと」に私も『私は繰り返し、繰り返し夢と希望を語ろうと思う。先人たちも繰り返し語り私たちを励ましてくれたように。どんな状況になったとしても私は未来を信じている。』と「希望」を書いた。「希望」は科学的ではない。宗教的と言えるかもしれない。しかし、私に力を与えてくれる。あそこに書いた未来の実現を信じているのだ。人類はそうなるはずだと。だから、ドラマを見ていてそこに強く共感した。

 

小山祐一が会いに行った永田武は永井隆がモデルらしいが彼の「いとし子よ」は胸を打つ。特に抜き書きした★①~③は私の非暴力とも共通する。その後に全文掲載した。

 
★①『「もしも日本が再武装するような事態になったら、そのときこそ…誠一(まこと)よ、カヤノよ、たとい最 後の二人となっても、どんな罵りや暴力を受けても、きっぱりと『戦争絶対反対』を叫び続け、叫び通して おくれ! たとい卑怯者とさげすまされ、裏切り者とたたかれても『戦争絶対反対』の叫びを守っておくれ!」』
 
★②『「敵が攻め寄せたとき、武器がなかったら、みすみす皆殺しにされてしまうではないか?――という人が多いだろう。しかし、武器を持っている方が果たして生き残るであろうか?武器を持たぬ無抵抗の者の方が生き残るであろうか?」・・・
 
「狼は鋭い牙を持っている。それだから人間に滅ぼされてしまった。ところがハトは、何ひとつ武器を持っていない。そして今に至るまで人間に愛されて、たくさん残って空を飛んでいる。』
 
★③『いとし子よ。 敵も愛しなさい。愛し愛し愛しぬいて、こちらを憎むすきがないほど愛しなさい。愛すれば愛される。愛 されたら、滅ぼされない。
愛の世界に敵はない。敵がなければ戦争も起らないのだよ。』

 

以下,全文を掲載する。

いとし子よ 永井隆(194910月)

 「いとし子よ。 あの日、イクリの実を皿に盛って、母の姿を待ちわびていた誠一よ、カヤノよ、お母さんはロザリオの鎖ひとつをこの世に留めて、ついにこの世から姿を消してしまった。

そなたたちの寄りすがりたい母を奪い去ったものは何であるか?――原子爆弾。・・・いいえ。それは原子の塊である。そなたの母を殺すために原子 が浦上へやって来たわけではない。

 そなたたちの母を、あの優しかった母を殺したのは、戦争である。」

 「戦争が長びくうちには、はじめ戦争をやり出したときの名分なんかどこかに消えてしまい、戦争がすんだ ころには、勝ったほうも負けたほうも、なんの目的でこんな大騒ぎをしたのかわからぬことさえある。そう して、生き残った人びとはむごたらしい戦場の跡を眺め、口をそろえて、――戦争はもうこりごりだ。これっきり戦争を永久にやめることにしよう!そう叫んでおきながら、何年かたつうちに、いつしか心が変わり、なんとなくもやもやと戦争がしたくな ってくるのである。どうして人間は、こうも愚かなものであろうか?」

 「私たち日本国民は憲法において戦争をしないことに決めた。 わが子よ! 憲法で決めるだけなら、どんなことでも決められる。憲法はその条文どおり実行しなければならぬから、日本人としてなかなか難しいところがあるのだ。どんなに難しくても、これは善い憲法だから、実行せねばならぬ。自分が実行するだけでなく、これを破ろうとする力を防がねばならぬ。これこそ、戦争の惨禍に目覚めたほんとうの日本人の声なのだよ。」

「しかし理屈はなんとでもつき、世論はどちらへでもなびくものである。 日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から憲法を改めて、戦争放棄の条項を削れ、と叫ぶ声が出な いとも限らない。そしてその叫びがいかにも、もっともらしい理屈をつけて、世論を日本再武装に引きつけるかもしれない。」

 「もしも日本が再武装するような事態になったら、そのときこそ誠一(まこと)よ、カヤノよ、たとい最 後の二人となっても、どんな罵りや暴力を受けても、きっぱりと戦争絶対反対を叫び続け、叫び通して おくれ! たとい卑怯者とさげすまされ、裏切り者とたたかれても戦争絶対反対の叫びを守っておくれ!」

 「敵が攻め寄せたとき、武器がなかったら、みすみす皆殺しにされてしまうではないか?――という人が多いだろう。しかし、武器を持っている方が果たして生き残るであろうか?武器を持たぬ無抵抗の者の方が生き残るであろうか?」・・・

「狼は鋭い牙を持っている。それだから人間に滅ぼされてしまった。ところがハトは、何ひとつ武器を持っていない。そして今に至るまで人間に愛されて、たくさん残って空を飛んでいる。・・・ 愛で身を固め、愛で国を固め、愛で人類が手を握ってこそ、平和で美しい世界が生まれてくるのだよ。」

 

「いとし子よ。 敵も愛しなさい。愛し愛し愛しぬいて、こちらを憎むすきがないほど愛しなさい。愛すれば愛される。愛 されたら、滅ぼされない。愛の世界に敵はない。敵がなければ戦争も起らないのだよ。」

10月19日(月)午後から冷たい雨になった。

 

私は繰り返し、繰り返し夢と希望を語ろうと思う。先人たちも繰り返し語り私たちを励ましてくれたように。どんな状況になったとしても私は未来を信じている。

 

この頃の政権中枢からの発言、繰り出す政策は私を悲しくさせる。現状をさらに悪化させると暗い気持ちになる。コロナ感染が歴代政権の政策の弱点、まちがいを浮き彫りにした。保健所を整理縮小して来た医療政策、公立病院にも経済性を求めて独立法人化したこと、PCR検査能力もいまだに各国と一ケタ違う。オンライン授業ができないのは、パソコンが生徒たちに行き渡っていないからという(韓国は100%)。経済の縮小で非正規や一人親世帯の人たちは真っ先に生活に困窮している。街の小規模事業者が悲鳴を上げている。倒産も増えている。一方で東証上場企業が倒産したという声は聞かない。この日本の政治は何なんだ。この国の隅々まで、考え方、価値基準、機構など市場原理主義、経済効率主義で組み立て、改変して来たつけが表面化したように思う。心の通わない政治の脆弱さが露呈していると私は思う。これまでの路線、今の政治方向を大転換する必要があるのは明らかではないか。しかし、菅内閣からは従来の路線をさらに推し進めると言う言葉しか聞こえてこない。だとしたら、ひずみは一層破壊的に進むだろう。弱者はさらに弱者に、その層はもっと拡大するだろう。何としてもこの流れを変えたい。人の心の通った政策の方向に変えたい。弱者が益々弱い立場になり、その層が一層広がる様は見ていられない。

しかし、種々の世論調査では菅内閣の支持率は50%を超えている。私たちの声は多くの国民の心にまだ届いていない。心をとらえていない。

 

だとして絶望するまいと私は言いたい。誰かが現政権の流れを変えなければならない。誰かが。その誰かは誰でもない。そう気づいている私たちが誰かだ。私たちが自分の意志を声に出し、行動に表現していくことが必要だ。

 

日本では菅総理が日本学術会議6人の任命を拒否して、自分と異なる意見は今後の日本の政治に必要ないと排除した。私はその発想は恐ろしい。同じ考えの人たちだけに役立つ政治しかしない宣言のように映る。違う意見は政治の眼中にないように見える。戦争中に政府方針に少しでも同調しない人に「非国民」という言葉を向けて国民を分断し、一方に純化していったと同じ空気を感ずる。

私は異なる意見、異なる考えの集団どうしがどう折り合うか、どう調和して共に生きて行くかが政治の仕事だと思っている。安心して幸せに、仲良く、楽しく暮らしたいのは誰もが同じだ。性、年齢、住む土地、くらし境遇、身体的要素、性格、人間は一人ひとりそれらはみんな違う。それでも人間は一人では生きてはいけない社会的動物なのだ。だから人間世界には様々な摩擦も生ずる、利害は見たところ一致しないことも多い。それだからこそ政治が生まれたと思う。どう利害を一致させるか。調整するか。合意点を見出すか。違う意見を一方に我慢を強いるのではなくどう両立させるのか。そこに知恵が必要なのであり、政治家と言う専門の仕事が成立するのだと思う。

排除、分断は政治の敗北だ。それは知恵の放棄だ。どういう社会をめざすのか同い年の菅総理には問いたい。その社会で異なる意見の集団どうしを、どう生かしていくのか教えて欲しい。

 

このように日本の政治状況を「俯瞰」すると明るい展望はなかなか見えてこない。希望ある報道にも余りお目にかからない。

私はかねてから「俯瞰」も大事だが「足元」を見ようと言ってきた。日本を天上から「俯瞰」したら菅政権と市場原理主義、経済効率主義の大森林しか見えないかもしれない。しかし、その大森林の「足元」には次代の大樹に成長しようとする小樹の芽生えが見えるのだ。それもおびただしい数の小樹の芽生えがだ。全国各地に様々な団体が活動している。一つ一つは大きくはない。大きく脚光を浴びすることも少ない。しかしそういう活動がたくさん存在しているのは事実だ。

例えば室田元美さんの「ルポ 悼みの列島」「ルポ 土地の記憶」を読んで私は本当に勇気を得た。目を開かされた。そこには日本全国に残る戦争の傷痕を語り継いでいる人たちなどの姿が描かれている。

それらは未来の日本を形作る小樹の芽と言えるのではないだろうか。

原発の問題、貧困・弱者に寄りそう活動を続ける人たち、そのほか、様々な課題を継続して取り組んでいるたくさんの人たちがいるのを知っている。そういう活動が人間にやさしい、誰もが安心して暮らせる社会を引き寄せる小樹なのではないだろうか。

「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」、「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処・子ども図書室」もそう言う小樹の一つだ。

 

 

小さな活動は天上から「俯瞰」したら見えないかもしれない。市場原理主義、経済効率主義の大森林しか見えないかもしれない。しかし、大森林を抜けて地上に降りてみれば、おびただしい数の「活動体」がうごめくように元気に生きているのだ。いつの日か、それら小樹が世代交代し大森林の上に伸びて、陽の目を見る日が来るのではないだろうか。私はそのことを信じている。私は夢と希望を信じている。だから活動を続ける。声を上げ続ける。焦らず、諦めず、へこたれず、遅くても、ゆっくりでも、多くの人たちと手を組んで、輪を広げて歩き続けるつもりだ。みなさん、希望の灯を掲げて一緒に歩いて行きましょう!

 

「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」の

展示パネル・資料を順次紹介いたします。

パネル①

    黒井慶次郎・初徴集(20歳)の軍服姿の写真。

 

   黒井慶次郎の軍歴。従軍、転戦した戦地の地図。軍曹に昇進するまでの経歴。

 

   履歴申立書。軍人恩給申請の為の書類と推測する。

 

   黒井慶次郎が「満州事変記念フォトアルバム」に記載した「鉄道守備隊の任務」「上官の訓示及演習記録」の文章。

 

★展示資料の説明文

 

戦後,復員兵・黒井慶次郎は従軍体験に口を閉ざし、何ごとにも無口で一日中話さず、定職に就く意欲も無かった。“戦争神経症”の状態だった。復員前とは別人に変わった!

 

 

 

黒井慶次郎は31歳の時に伍長、33歳で軍曹となる。

 

10人~20人の兵士を指揮する立場にいた。

 

銃弾、砲弾の飛び交う戦場で部下に指揮命令しただろう。

 

進駐した武漢、宜昌は“敵”中華民国政府のある重慶に対峙する日本軍の最前線だった。

 

しかし、復員後の父黒井慶次郎は部下を鼓舞したり臨機応変に指揮命令できた人物のかけらもなかった。

 

一家に起こる問題解決全てから逃げて妻と長男に放り投げていた。きちんと働かず、定職に就こうという意欲も無く、一日中を無口で通し、特に戦争の事には口をつぐんだ。

 

部下を指揮命令した軍曹時代の面影などどこにもなかった。

 

自分が教育され信じた「天皇を拝する神の国、不敗強国、アジアの指導者日本」は帰国したら、GHQ指揮下で自分の長男は、命をかけた自分の従軍人生を全否定する黒塗り教科書(人間天皇、民主主義)で教育される日本だった。

 

黒井慶次郎は戸惑い、何が正しいのか何が間違いなのか、生きて行く羅針盤を持てなかった。口をつむぐしかなかった。働く意欲を失った。戦争の後遺症、“戦争神経症”を発症した。従軍前とは別の人間になった。

 

パネル②

①初徴集で大連港に上陸した写真。写真への父の添え書き。

②戦死した中隊長参拝記念の写真。写真への添え書き。

③”匪賊討伐”の皇軍写真。写真への添え書き。

④戦車の写真。写真への添え書き。

黒井慶次郎について(1912年3月14日生まれ)。

 

①“戦争神経症”発症前の父親。「昭和維新」に同調する若者だった!

 

★満州事変(193198日)の翌年、5.15事件が起きた1932年、父・黒井慶次郎は20歳で初徴集される。日本国内は5.15事件首謀者の助命嘆願運動が盛り上がった。

 

★写真『大連上陸()』の父の添え書き(193211月記す)。

 

・『昭和6918日満州事変勃発。昭和71130日午前1時、満蒙第一線へ勇み立つ我等若人をのせた陸軍宇品丸は大連に入港した。午前8時甲埠頭九番バースに横付、午前八時半上陸。憧れの満州の地に第一歩を印した』

 

・『昭和6918日!それは同胞九千萬厚生の記念日。昭和維新の第一日であらねばならぬ。南嶺城頭の血庫に斃れたる勇士!それは同胞救生の先駆、昭和維新史をかざる導士でなければならぬ』

 

★小作農の9人兄弟の9番目の父親は、大恐慌後の農村の窮乏を救う考えも持っていたとされる昭和維新思想を体現した5.15事件(1932515日勃発)等に強く同調していたと思われる。20歳代の父は「同胞救生の先駆=窮乏する農民を救う活動家」「満蒙第一線へ勇み立つ我等若人・・・憧れの満州の地に第一歩を印した」とメモしたように若者らしい快活で正義感あふれる行動的な人間だったと推測できる。

 

 

 

②黒井慶次郎について(1912年3月14日生まれ)。

 

“戦争神経症”発症前の父親。

 

南満州鉄道を守る独立守備隊として従軍した。アルバムの添え書き

 

には若者らしい使命感に燃えた勇ましい言葉が並ぶ。

 

『帝国の生命線を死守する軍人僕の姿である』『我(が)討伐隊は進む』『堂々と進む我(が)戦車の偉容』『匪賊討伐に従事』

 

★復員後、一日中話さず、定職につかず、対外的なことは母や兄に押し付け逃げた父親とは別人である。

 

★従軍体験の戦争神経症により、別の人格の人間になったと理解すればつじつまが合う。

 

 

 

③戦後の復員兵・黒井慶次郎は従軍体験に口を閉ざし何ごとにも無口で一日中話さず定職に就く意欲も無かった。“戦争神経症”の状態だった。復員前とは別人に変わった!

 

黒井慶次郎はなぜ“戦争神経症”を発症したのか?父親はなぜ精神を壊したか?

 

★GHQ(敵国)の支配する日本に復員した。自分が信じた(洗脳された)正義・価値観との巨大なギャップに遭遇した。

 

★命をかけた従軍体験を完全否定する黒塗り教科書で自分の長男(黒井秋夫の長兄)が教育されている日本に復員した。

 

★何が正しいのか、間違いなのか心に落とせなかった。理解できなかった。落ち着いた精神状態に戻れなかった。社会順応できなかった。

 

 無口になるしかなかった。仕事に就く意欲を失った。

 

★“戦争神経症”の基盤は中国での加害者としての戦争・戦場体験。部下や同僚の死に対する直接間接の責任などが考えられる。

 

 

 

★昭和維新 以下(ウィキペディアより)

 

1930年代日本で起こった国家革新の標語。 1920年代から1930年代前半にかけては、戦後恐慌世界恐慌による経済の悪化、排日移民法張作霖爆殺事件などによる国際社会の不安などから、軍部急進派や右翼団体を中心に、明治維新の精神の復興、天皇親政を求める声が急速に高まった。特に政争を繰り返す政党政治への敵愾心が激しく、また天皇を外界と遮断して国を誤っている(と彼らには見えた)元老重臣ら側近達への憎しみも凄まじい。代表的事件として五・一五事件二・二六事件が挙げられる。

 

2019.12月8日(日)

第5回「おしゃべりカフェ」を30人の参加で『ホームの武蔵村山市中藤地区会館』で開催しました。

5回目と会を重ねるごとに和やかなおしゃべりと交流が広がっています。

遠くは神戸市、愛知県岡崎市から大学生など若い参加者も!

若い世代に語り継がれています。受け継がれていくでしょう!

拉孟戦、戦友会の講演者の遠藤美幸さんは「おしゃべりカフェ」にも加わり大いに盛り上がりました。

8月に続いてコンサートも開催。今回はメンバー4人の「タコス」!心癒される演奏に参加者も大満足でした!

終了後は黒井宅に場所を移し、タコスの皆さんも参加して懇親会。話の輪と交流がさらに広がりました♬(^^♪。

 次回は2020.8.23(日)です。

多くの皆さんのご参加をお待ちしています。

 

2019年8月25日(日)

「おしゃべりカフェ」に46名が参加しました。

北村毅さん、室田元美さんの講演、北川直実さん、遠藤美幸さん、星野泰久さん、西中誠一郎さんの発言をいただきました。その後、参加者どうしのお話合いと交流、カクテル―チェさんのコンサート、最後は和やかな懇親会で、大成功の「おしゃべりカフェ」となりました。次回は12月8日(日)日中戦争が日本軍の真珠湾攻撃でさらに戦線拡大したメモリアルの日に開催いたします。

多くの皆さんの参加をお待ちしています。

 

★2019年3月17日(日)23名の皆さんが参加されました。  

 武蔵村山市 さいかち地区会館で開催しました!

従軍した父親の思い出を全員が語り合い、耳を傾けました。

放映したBS1スペシャルにも登場する研究者の中村江里さんから兵士のPTSDについてコメントをいただきました。

下写真。2018年10月14日、2回目の学習・交流会に20名が参加しました。研究者、中村江里さんから参加いただき、お話しいただきました。

下写真・2018年5月13日、初回の学習・交流会に9名参加。



新着情報

講演会のお知らせ (木, 05 11月 2020)
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荻田如月子さん武蔵村山戦跡写真展開催中 (Wed, 07 Oct 2020)
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北多摩西教育会館で講演会でお話しします! (Fri, 25 Sep 2020)
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講演会「神戸学生青年センター」 (Fri, 25 Sep 2020)
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イベント情報

10月14日、幼児遊び部屋あります。
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「市民のひろば」に掲載されました!
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2018年5月13日 学習・交流会の様子


ブログ

父と暮らせば

ETV特集「隠されたトラウマ~精神障害兵士8000人の記録」
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父と暮らせば(19)「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」ができた理由
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父と暮らせば(18)「独立守備隊従軍の時の父の戦闘記録」その2
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黒井秋夫の父の従軍時の写真


読書紹介

見過ごされたトラウマ・今朝の朝日新聞31面
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「朝日川柳」
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