PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が運営する・PTSDの日本兵と家族の交流館(村山お茶飲み処・子ども図書室)のホームページです。

 

★私たちは世界に平和憲法の約束を守ります。

二度と戦争は起こしません。加わりません。

私たちはいかなる戦争にも反対します。

 

私たちは銃を取りません。

紛争は話し合いで解決します。

侵略されたら直ちに白旗を掲げ降伏します。

日本が戦地になったら避難民になり生き延びます。

世界に日本への支援と平和的解決を訴えます。

 

日本が二度と戦争を起こさない!
誰もが安心して暮らせる平和な社会をめざします!

 

中国、朝鮮半島、アジア、世界に平和と友好の虹の橋を渡します!

PTSDの日本兵と家族の思いと願い大阪証言集会(625日・日曜日)を大阪天満のPLP会館で開催予定です(予約しました)。

次回大阪実行委員会で決めたいと思います。

PLP会館アクセスマップ

·         PLP会館 5階大会議室(定員204人) 

·         一般社団法人平和と自由と繁栄の会館(PLP会館) : トップページ (plp-kaikan.net)

·         530-0041 大阪市北区天神橋3-9-7 ☎0663515860

·         大阪市営地下鉄堺筋線 扇町駅4番出口より徒歩3

·         JR大阪環状線 天満駅改札口より南側へ徒歩5

·         当館には駐車場はございません。ご来館の際は公共交通機関をご利用ください。

 

 

1月28日のPTSDの日本兵と家族の思いと願い大阪証言集会の実行委員会に26人もの皆さんに参加していただきました。心から感謝申し上げます。

昨日1月28日のPTSDの日本兵と家族の思いと願い大阪証言集会の実行委員会に26人もの皆さんに参加していただきました。心から感謝申し上げます。定員30人の用意した会場が満杯になりました。
黒井は関西地域100人程の皆さんに封書とメールで実行委員会にお力をお貸し下さいと依頼のお手紙をこれまで2通お出ししましたが、皆さんが声掛けしたお友だちに繋がり、会議開始前からすでに和やかな雰囲気。賑やかな交流がそこここで広がりました。
東京の実行委員会でも毎回、自己紹介(近況報告)を冒頭に行いますが、昨日も自己紹介から始まりました。
実行委員会は16時に終了しましたが、お仕事の都合などで終わるギリギリに駆けつけて下さった方もいらっしゃって、その都度、自己紹介のお話をいただきました。
お集まりいただいた皆さん多士済々❣❣
声を上げ始めたPTSD日本兵の家族・子どもたち、維新の会の平和活動への攻撃妨害を止めさせる活動を続けている人、アレンネルソンさんの講演活動を支えたグループ、日本の中国に対する15年戦争を研究したり、日本の加害を発信している人たち、黒井の大学時代の同級生、そしてこの2~3年の黒井のお話し会に参加して賛同の声を上げて下さったみなさんなど、など。
会議ではNHKの首都圏情報ネタドリなどの映像を放映、パワーポイントで証言集会の開催目的・意義を話しあいました。
大阪証言集会は6月25日(日)を予定していますが、日程の是非、証言集会の構成、会場確保の段取りなど議論しました。
次回の実行委員会・2月25日(土)までに各人が会場を具体的にあたって見ることなど確認しました。
全員で会場を片付け、京阪天満橋のカフェで二次会を約10名で気勢を上げました。カフェで気勢?と思われるでしょうがそんな雰囲気。黒井と埼玉所沢から当日司会などのために駆けつけた森倉さん、研究者であり祖父がPTSDの帰還兵だった研究者の北村さんの他は全て女性たち、初対面も多いのに3つのテーブルどうしの声高の会話交流がはずみました。まわりの静かなお客さんには迷惑だったかも知れません(関西のおばちゃんののりバリバリでした)。
事前には参加者は15人程と見ていましたが最終的には26人❣びっくりです。しかもやる気満々の雰囲気が作られました❣
とにかく皆さんには感謝感謝の気持ちでいっぱいです。
次回が楽しみになりました。関西地域のみなさん次回2月25日(土)は「福島区民センター301」で13時半開始です。どうぞ皆さんのお力をお貸し下さい。よろしくお願いいたします。

PTSDの日本兵と家族の思い証言集会大阪実行委員会 (第1回) 

「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会・PTSDの日本兵と家族の交流館」

代表 黒井秋夫 2023.1.28

★テーブル前の各人の氏名立ては匿名でも結構です。

★お渡しした「参加者名簿」の書き方説明とお願い。NHK放送のギガファイル便、DVDについて。

1.「PTSDの日本兵と家族の思い証言集会」開催の意義と目的を黒井秋夫が提案します。

 ➡NHK首都圏情報ネタドリ129日放送を視聴します。パワーポイントで説明いたします。

2.参加者自己紹介、実行委員会に参加した思いなどお話しください。また、証言集会開催意義の提案に対するご意見質問などもお話しください。お互いを理解し合いながら、思いを束ねて6月証言集会成功への道筋の第一歩にしましょう。

 ➡「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」発言いただきます。

 ➡北村毅さん(東京証言集会発言者・大阪大学大学院准教授)、発言いただきます。

 ➡北川れん子さん(証言集会のチラシを作製配布いただきました)発言いただきます。

3.開催意義・目的を意見交換します。一致点を確認します。

4.「PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会・実行委員会」と「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の関係について黒井が説明いたします。

 ➡「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」

 ・「PTSDの復員日本兵の家族」で構成します。その活動を支援する人、研究者の方も会員になることができます。「PTSDの復員日本兵の家族」どうしの体験をお話しする機会や場作りが活動の柱です、大事にします。自分たちの体験を研究者の皆さんの助けを得て社会に発信します。

202311月頃をめどに第1回大会・発足会を開きます。

 ➡「PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会実行委員会」

 ・「PTSDの日本兵の存在と暮らした家族」に連鎖して連綿と続いている戦争被害・後遺症の実態を社会に知らせる証言集会を開催します。証言集会でまだ気づいていない、潜在している、戦争被害・後遺症に苦しむ人たちが気づくきっかけを作り、掘り起こします。

 ・実行委員会はオープンな組織にします。皆さんそれぞれが様々な活動やお仕事を抱えながら参加しています。実行委員会は毎月開きますが、都合に合わせて参加してください。その時に集まった人たちが実行委員会です。6月の証言集会本番にはお友だち含めて30人の当日スタッフが目標です。

5.2月~6月証言集会までの日程を提案いたします。

6.会議場、証言集会会場借用できるためにも証言集会実行委員会を発足させます。

実行委員会、証言集会の会場を実行委員会の名前で借用します。

3月以降の証言集会実行委員会、50人程度が参加できる会場の確保。

625日大阪証言集会の開催会場の確保、200人~300人程度が参加できる会場を確保します。

  午前9時~17時まで借用します。予算は10万円程度を考えています。

7.625日(日)証言集会までの日程を提案いたします。

8.次回225日(土)及び以降の証言集会実行委員会の運営について相談いたします。

 ➡大阪証言集会実行委員会代表は黒井秋夫が務めます。黒井は大阪実行委員会に毎回参加いたします。

 ➡実行委員会の議長(複数でも良い)、会場確保、証言集会運営など事務局スタッフ5名を募ります。

9.大阪証言集会の認知度を高めましょう。

 ➡“NHKのネタドリ”の映像を多くの人たちに見てもらいましょう。“ギガファイル便”で希望す 

  る皆さんにお送りします。DVDもお貸しします。ダビングして(6月まで互いに連絡し合い回覧して下さい)その後、返却お願いします。

 

➡お知り合いに広げましょう。市民運動、労働組合などに働きかけましょう。

ご紹介いただければ黒井が直接連絡して支援のお願いをいたします。

 ➡メディアへの働きかけ。地元マスコミへの情報提供。記者クラブへの情報提供。

 ➡「PTSDの日本兵の存在と連鎖し続いている家族の苦しみ」を伝え、理解してもらいましょう。

➡北川れん子さん、チラシ配布ありがとうございます。

 

★主要日程

開催日

事項

場所など

115

手りゅう弾塚見学会

川越市、ウニクス南小谷・10:45集合

128

大阪証言集会実行委員会

エル大阪南館713 13:30~17

212

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

212

PTSDの日本兵の家族交流会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

225

大阪証言集会実行委員会

(福島区民センター301

312

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

312

PTSDの日本兵の家族交流会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

325

大阪証言集会実行委員会

未定

416

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

416

PTSDの日本兵の家族交流会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

422

大阪証言集会実行委員会

未定

521

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

521

PTSDの日本兵の家族交流会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

527

大阪証言集会実行委員会

未定

618

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

618

PTSDの日本兵の家族交流会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

625

1回大阪証言集会

未定

79

大阪証言集会実行委員会

未定

723

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

723

PTSDの日本兵の家族交流会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

827

大阪証言集会実行委員会

未定

93

2回東京証言集会

武蔵村山市市民会館

917

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

917

PTSDの日本兵の家族交流会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

 

 

 

2023年1月24日(火)朝日新聞 有川恒正さんの寄稿文に賛同します。
特に戦後世代が動かし始めてからの政権党は、憲法を都合良い解釈でその精神に逆らい真逆、正反対の方向に進んでいます。
国民の代表である国会の審議も軽視、あるいは無視して、国家の行く道を左右することまでも内閣や首相の独断で決め実行にしています。
1月23日発表の世論調査によれば岸田政権の支持率は31%➡35%と回復傾向。5%ダウンしたが52%で支持しない方が多数は変わらない。
憲法無視の政治を許している現状を嘆くだけでは何も変わりません。
憲法の精神を生かす政治をめざす活動や市民の声はいたる所から上がっています。学習会が開かれ、集会やデモ、スタンディングが実行されて、ニュースやチラシが配布されています。
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会・PTSDの日本兵と家族の交流館」もニュースを発行し証言集会を開催して声を上げ続けます。

手榴弾塚見学会5年生の男の子,新聞2社が加わり

16人で楽しい時間でした!

2023年1月15日(日)は埼玉県川越市の手榴弾塚見学会を主催しました。小学5年生や新聞2社を含む16人の参加者でした。
心配した雨も降らず、寒くもなく和気あいあい楽しい時間でした。手榴弾塚見学会❣小5年生の男の子加わり15人で楽しい時間でした!驚きました。平べったいのは地雷です。大真面目でこんなものを作っていたとは。現場はびん沼川河川敷一面の陶器製の手榴弾と地雷が川底まで埋まり捨てられた“戦争遺跡”です。陶器に刻印された文字から信楽産の物とか生産地が分かるとのこと。
★下記カッコ内は当日参加された梶原さんの感想から抜粋です❣

 

『昨日見た刻印は1点だけでしたが、信楽の刻印でした。二度押しされているようで、六角枠に「信」の文字、その下に18と89か39の数字が押されていました。
これは「生産者別表示記号」(通称「統制番号」)という名前で、戦時中の統制経済下で生産された製品です。各地の発掘調査で碗や皿など色々な機種のものが出土しています。はっきりわかりませんが今のところ最も古いものは、昭和15年2月11日に行なわれた紀元節を記念しての製品です。すなわち1940年から統制経済が終了するまで(1946年頃までか)存続していました。番号は、当時の窯屋の番号で、調べればどこの窯屋で焼いていた製品か分かると思います。
この統制番号が付いていた手榴弾は信楽産ですが、磁器もあったので肥前あるいは長崎県の波佐見の製品もありますね。ただ統制番号は見当たりませんでしたので、肥前か波佐見かはわかりませんでした』

 


大阪証言集会実行委員会にご参加ください!

1月28日(土)13:30~エル大阪      どなたでも参加できます!

新年あけましておめでとうございます

2022年は本当に多くの皆さんに支えられ助けていただき飛躍の一年となりました。

心から感謝申し上げます。

 

しかし、既に高齢になった私たちに長い時間は残されていません。

2023年は更にワンステップ、ツーステップ、スリーステップの大躍進をめざしたいと思います。それは父親たちの願いにも通ずる道と思います。

PTSDの日本兵の存在と、今も続いている家族・子どもたちの苦労の体験」を多くの人たちに知っていただくことが「日本が2度と戦争をしない、誰もが安心して暮らせる平和な社会」に繋がると信じています。

この活動の広がりが庶民の暮らしと平和外交を置き去りして、軍事大国を作り、戦争のできる国に進みかねない国の方向に待ったをかける道に通ずる活動でもあると信じています。

2023年も皆さんのご支援とお力添えをよろしくお願いいたします。

皆さんと手を携え、倦まずたゆまず諦めず、前進する覚悟です。

202311日(日)

「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」

PTSDの日本兵と家族の交流館」   代表 黒井秋夫 

PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会

2023年は東京と

大阪2会場で開催します!

★東京は202393日(日)

★大阪は625日(日)に予定します!

証言集会実行委員会も東京と大阪で

毎月開催です!

★東京、大阪どちらも実行委員会参加はオープンです!

東京地区・212日(日)14:0016:00武蔵村山市中藤地区会館

大阪地区・128日(土)13:3017時エル大阪南館713号室

大阪証言集会実行委員会の参加表明が既に10人超の皆さんから届いています!

(1月9日現在)

一部紹介いたします!

128日、大阪でお待ちします。僅かでも役に立てれば幸いです。

②微力ですが、ご協力させていただきます。拡散できればと思います。

1/28参加できそうなので、よろしくおねがいします。

③通信の12月号に大阪での実行委員会の予定が書いてあり、行く気満々です。

625日に大阪で証言集会がある!うれしい。

④新年快楽。新しい年のご挨拶を申し上げます。128日の実行委員会に参加いたします。何ほどの働きもできませんがお手伝いしたく存じます。

よろしくお願いします。

■北川れん子さんはチラシを作成し参加呼びかけされています!

PTSDの復員日本兵と暮らした家族が

語り合う会」交流会・お話し会のお誘い

129日にNHKの“首都圏情報ネタドリ”を視聴した皆さんから「私の父(祖父)も、私自身も放送された人と同じです。PTSDの日本兵と家族の交流館を訪問したい。お話ししたい」という電話やメールが届いています。この状況を受けて、毎月「PTSDの日本兵と家族の交流館」を会場に「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」交流会・お話し会を開催しますのでお気軽にお出で下さい。

お互いの父や母、祖父や祖母との家族生活の体験などをお話し交流しましょう。

★当面の会員交流会・お話し会の開催日程。

212日(日)312日(日)416日(日)

*いずれも10:0012:00会場・PTSDの日本兵と家族の交流館&中藤地区会館

 

212日初回のお話し会参加予定の方への返信を公開いたします。

『お便りありがとうございます。

PTSDの日本兵と共に暮らした家族が語り合う会」会員申し込みありがとうございます。

「家族が語り合う会・お話し会」は212日(日)に開催します。

2月以降は毎月の第2日曜日か第3日曜日に開催する予定です。

会場は「PTSD日本兵と家族の交流館」と、交流館の向かいにある武蔵村山市立中藤地区会館です。

212日は研究者含めて約10名の皆さんから参加希望が届いています。その中には129日の「首都圏情報」放映を見て参加する方が19日現在3名いらっしゃいます。

当日は研究者の中村江里さんも来られる予定です。

形式は全員参加のお話し会と、中村江里さんとの個別のお話し会の2部構成も考えています。

いずれにしても212日まで、皆さんとお話し合いを続けながら良いやり方を模索して、参加して良かったと思っていただける心温かい場にしたいと思っています。

これからもよろしくお願いいたします。お元気でお過ごしください。2023年1月9日 黒井秋夫』

証言集会実行委員会とPTSDの日本兵の家族のお話し会予定日

開催日

事項

場所など

115

手りゅう弾塚見学会

川越市、ウニクス南小谷・10:45集合

128

大阪証言集会実行委員会

エル大阪南館713 13:30~17

212

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

212

PTSDの日本兵の家族お話し会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

225

大阪証言集会実行委員会

(福島区民センター301

312

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

312

PTSDの日本兵の家族お話し会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

325

大阪証言集会実行委員会

未定

416

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

416

PTSDの日本兵の家族お話し会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

422

大阪証言集会実行委員会

未定

521

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

521

PTSDの日本兵の家族お話し会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

527

大阪証言集会実行委員会

未定

618

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

618

PTSDの日本兵の家族お話し会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

625

1回大阪証言集会

未定

79

大阪証言集会実行委員会

未定

723

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

723

PTSDの日本兵の家族お話し会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

827

大阪証言集会実行委員会

未定

93

2回東京証言集会

武蔵村山市市民会館大ホール

917

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

917

PTSDの日本兵の家族お話し会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

 

 

新年あけましておめでとうございます。
2022年は本当に多くの皆さんに支えられ助けていただき飛躍の一年となりました。
心から感謝申し上げます。
既に高齢になった私たちに長い時間は残されていません。
2023年は更にワンステップ、ツーステップ、スリーステップの大躍進をめざしたいと思います。それは父親たちの願いにも通ずる道と思います。
「PTSDの日本兵の存在と、今も続いている家族・子どもたちの苦労の体験」を多くの人たちに知っていただくことが「日本が2度と戦争をしない、誰もが安心して暮らせる平和な社会」に繋がると信じています。
この活動の広がりが庶民の暮らしと平和外交を置き去りして、軍事大国を作り、戦争のできる国に進みかねない国の方向に待ったをかける活動でもあると信じています。
2023年も皆さんのご支援とお力添えをよろしくお願いいたします。皆さんと手を携え、倦まずたゆまず諦めず、前進する覚悟です。
2023年1月1日(日)
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」
「PTSDの日本兵と家族の交流館」   代表 黒井秋夫 
★近くのお伊勢の森神社にお参りし例年通りの熊手を求め交流課玄関に飾りました。妻、さち子さんのご先祖が眠るお墓にお参りして今年の飛躍へのお力添えをお願いしました。お墓からは真っ青な空に雪の富士山が丹沢山地を従えて堂々と立っていました。

PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会

2023年は東京と大阪

2会場で開催します!

★第2回東京証言集会は202393日(日)

★大阪は625日(日)に予定します!

★PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会の

実行委員会も東京と大阪で毎月開催します!

★東京、大阪どちらも

実行委員会参加はオープンです!

毎回どなたでも参加できます!

東京地区・212日(日)14:0016:00武蔵村山市中藤地区会館

大阪地区・128日(土)13:3017時エル大阪南館713号室

PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」

交流会・お話し会のお誘い

129日にNHKの“首都圏情報ネタドリ”を視聴した皆さんから「私の父(祖父)も、私自身も放送された人と同じです。PTSDの日本兵と家族の交流館を訪問したい。お話ししたい」という電話やメールが届いています。この状況を受けて、毎月「PTSDの日本兵と家族の交流館」を会場に「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」交流会を開催します。まだ会員登録していない方も大歓迎します。お気軽にお出で下さい。お互いの父や母、祖父や祖母との家族生活の体験などをお話し交流しましょう。大阪地区の「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」交流会・お話し会の開催も進めます。

★当面の会員交流会・お話し会の開催日程。

2023212日(日)10:0012:00 

312日(日)10:0012:00 

416日(日)10:0012:00 

会場・PTSDの日本兵と家族の交流館&中藤地区会館

★会員交流会開催日の午後14時から証言集会実行委員会を交流館東隣の武蔵村山市中藤地区会館で開催します。証言集会実行委員会はオープン参加です。

誰でも参加できますので会員交流会に引き継いで午後の実行委員会への参加も歓迎します。

★証言集会実行委員会開催予定(大阪の3月以降の日程と場所は皆さんと相談させていただきます)

開催日

事項

場所など

115

手りゅう弾塚見学会

川越市、ウニクス南小谷・10:45集合

128

大阪証言集会実行委員会

エル大阪南館713 13:30~17

2月12日

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

2月12日

PTSDの日本兵の家族交流会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

225

大阪証言集会実行委員会

(福島区民センター301

312

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

312

PTSDの日本兵の家族交流会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

325

大阪証言集会実行委員会

未定

416

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

416

PTSDの日本兵の家族交流会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

422

大阪証言集会実行委員会

未定

521

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

521

PTSDの日本兵の家族交流会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

527

大阪証言集会実行委員会

未定

618

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

618

PTSDの日本兵の家族交流会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

625

1回大阪証言集会

未定

79

大阪証言集会実行委員会

未定

722

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

722

PTSDの日本兵の家族交流会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

827

大阪証言集会実行委員会

未定

93

2回東京証言集会

武蔵村山市市民会館

917

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

917

PTSDの日本兵の家族交流会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

「PTSDの日本兵と家族の交流館」憲法第9条を体現する白旗を掲げています!

本日4日の朝日新聞『分断に向き合う』二つの提言を読みました。特に「差別を生んだ分類の歴史沈黙を繰り返さない」とする竹沢泰子さんのご意見に黒井は賛同いたします。長いですが以下引用します。
「現状だけを見れば法的差別は大幅に解消され、経済的・社会的な支援が設けられ、この上何を要求するのかと感ずるかもしれません。しかし、実際には、差別は長い歴史の中で積み重ねられており、多数派や支配的な立場の人々は、自分たちに有利な状態を維持しようとします。過去に差別を受けた少数派集団の子孫は職業、教育、資産、居住区、食物や医療へのアクセスなど不利な状態が再生産されます。差別は過去の話だから時間が経てば自然解消される、というものではないのです」
「私は神戸出身で阪神淡路大震災の時のことを思い出します。ルーツを問わず被災者として助け合い、朝鮮人らが殺された関東大震災の二の舞になる事はなかった。歴史の教訓を生かし、過ちを繰り返さなかった。『差別はなくならないから仕方ない』と声を上げなければ、悪循環が続くだけです。沈黙は、差別に加担することです」
「いま、日本社会でも『多様性』や女性の積極的登用という言葉がよく聞かれるようになりましたが意思決定の中に入らない限り、社会は容易に変わりません。意思決定の同質性が高いと、既得権を握る一部の人には心地よい空間であっても、不公正や不平等、排除が再生産されやすい構造です。それは誰にとっても生きにくい社会です。差別をしない・されない世界、すべての人にとってより生きやすい社会のために、一つ一つ差別の芽を摘んでいくという、私たち一人一人の決意が必要です」

PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会23.1.1発行

PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会

2023年は東京と大阪2会場で開催します!

★第2回東京証言集会202393日(日)

★大阪は625日(日)に予定します!

★PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会の

実行委員会も東京と大阪で毎月開催します!

★東京、大阪どちらも参加はオープンです!毎回どなたでも参加できます!

東京地区・212日(日)14:0016:00武蔵村山市中藤地区会館

大阪地区・128日(土)13:3017時エル大阪南館713号室

みなさんのお力をお貸し下さい!

呼びかけ人(黒井秋夫)202311

PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会・PTSDの日本兵と家族の交流館代表

皆様には日頃から大変お世話になっております。

心から感謝申し上げるとともに、皆様のご活動に最大の敬意を表明いたします。

アジア太平洋戦争において「日本軍兵士のPTSD」に関しては加害においても被害においても

戦後長らく問題にもされず、話題になることもありませんでした。

「日本軍兵士のPTSD」を取り上げた教科書は存在せず、日本では、いわば「日本軍兵士のPTSD」は事実上ないものとして歴史上無視されてきたのです。

しかし、196070年代のベトナム戦争や以降のイラク戦争などに従軍した米軍兵士20%~50%がPTSDを発症して米国で大きな社会問題となりました。

日本においては2018年にNHKが「隠された日本兵のトラウマ・8002人の病床日誌」を放映し日本社会でも大きな注目を浴びる契機となりました。同じ20181月に中村江里さんの「戦争とトラウマ~不可視化された日本兵の戦争神経症」が発刊され、来春に6刷の予定で多くの読者を得て、日本社会にこの問題の認識が広がっています。

2018117日に「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が発足し、20205月に「PTSDの日本兵と家族の交流館」が開館しました。以降、「日本軍兵士のPTSD」という問題が多くのメディアに報道されるようになっています。

202287日に「PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会」を東京武蔵村山市市民会館で開催し200名を超える参加者で成功させました。

当日は吉田裕さん(一橋大学名誉教授、東京大空襲・戦災資料センター館長)、中村平さん(広島大学大学院教授)、中村江里さん(広島大学大学院准教授)、北村毅さん(大阪大学大学院准教授)に参加いただき講演とメッセージをいただきました。また10社以上のメディアがテレビ放送、新聞、機関誌に報道し、この問題への関心と認識が日本社会にかつてなく広がっています。

2023年は上記のような流れを更に広げるために、証言集会を東京だけでなく大阪でも開催したいと思っています。証言集会を準備、運営する実行委員会も立ち上げます。

実行委員会は趣旨に賛同する人なら毎回誰でもオープンに参加できる組織として運営いたします。

1回実行委員会を2023128日(土)13:3017時 エル大阪南館713号室で開催します。

皆様にはぜひご参加いただくとともに、お仲間に拡大いただき、証言集会を成功させたいと思います。

この活動を広げることが「日本が2度と戦争をしない」という世論を作り「誰もが安心して暮らせる平和な社会」に繋がると信じています。皆様のお力添えを心からお願いして呼びかけといたします。

2023年月1日 黒井秋夫

 

★証言集会実行委員会開催予定(大阪の3月以降の日程と場所は皆さんと相談させていただきます)

開催日

事項

場所など

115

手りゅう弾塚見学会

川越市、ウニクス南小谷・10:45集合

128

大阪証言集会実行委員会

エル大阪南館713 13:30~17

2月12日

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

2月12日

PTSDの日本兵の家族交流会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

225

大阪証言集会実行委員会

(福島区民センター301

312

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

312

PTSDの日本兵の家族交流会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

325

大阪証言集会実行委員会

未定

416

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

416

PTSDの日本兵の家族交流会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

422

大阪証言集会実行委員会

未定

521

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

521

PTSDの日本兵の家族交流会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

527

大阪証言集会実行委員会

未定

618

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

618

PTSDの日本兵の家族交流会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

625

1回大阪証言集会

未定

79

大阪証言集会実行委員会

未定

722

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

722

PTSDの日本兵の家族交流会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

827

大阪証言集会実行委員会

未定

93

2回東京証言集会

武蔵村山市市民会館

917

東京証言集会実行委員会

武蔵村山市中藤地区会館14時~

917

PTSDの日本兵の家族交流会

PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10~12

PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」

交流会・お話し会のお誘い

129日にNHKの“首都圏情報ネタドリ”を視聴した皆さんから「私の父(祖父)も、私自身も放送された人と同じです。PTSDの日本兵と家族の交流館を訪問したい。お話ししたい」という電話やメールが届いています。この状況を受けて、毎月「PTSDの日本兵と家族の交流館」を会場に「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」交流会を開催します。まだ会員登録していない方も大歓迎します。お気軽にお出で下さい。お互いの父や母、祖父や祖母との家族生活の体験などをお話し交流しましょう。大阪地区の「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」交流会・お話し会の開催も進めます。

★当面の会員交流会・お話し会の開催日程。

2023212日(日)10:0012:00 

312日(日)10:0012:00 

416日(日)10:0012:00 

会場・PTSDの日本兵と家族の交流館&中藤地区会館

★会員交流会開催日の午後14時から証言集会実行委員会を交流館東隣の武蔵村山市中藤地区会館で開催します。証言集会実行委員会はオープン参加です。

誰でも参加できますので会員交流会に引き継いで午後の実行委員会への参加も歓迎します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NHK「首都圏情報ネタドリ2022129日放送」」大きな反響!

「私の体験・人生も同じです」というお便りや電話、交流館訪問が続いています!「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」ホームページに届いたお便りを紹介します!

A ①従軍したのは母方 祖父

②帰国後どんな仕事でしたか?: 本の出版?→ 養豚 農家 など。③家族に暴力や暴言などふるうことは?: あったらしい。(祖母と母)④精神科の医療機関に通院、入院は ありません。
⑤(母から聞いた話し)祖父は、満州鉄道で働いており、終戦後そのままシベリア抑留され昭和25年に復員したそ   うです。シベリアでは、木の伐採をしていて食料がなく、若い人は何でも食べたため、亡くなる人が多かったと話していたそうです。・(母から50年間)祖父のDVの話しを聞かされて続けています。※ 母ー83才 私-56才です。
〈内容〉殴る、蹴る、引きずり回す。ノコギリの刃で叩かれる。(母)髪の毛を剃られる。(母)長男の失敗を母の責任にされ、殴る、蹴るをされたなど。

⑥祖父に関しては、復員してからDVが酷くなったらしいと母から聞いています。母は祖母からそのように聞いているようです。・負の連鎖なのか、今、考えれば私自身が母が怖くて何も自分の意見が言えませんでした。

⑦祖父母は00県、私は00育ちのため、たまにしか会う事が出来ませんでした。会った時は、私達、孫に対してやお嫁さん達には優しいおじいちゃんでした。(母)大人になり、お産で実家に帰っても祖父の気配を感じただけで身体がブルブル震えていたそうです。

★偶然テレビで特集を組まれた番組を拝聴し共感いたしました。
 過去のトラウマから抜け出せない母を一度は、同じ境遇の話し相手と話す事で母が楽になれればいいと思いました。しかしながら、高齢になってしまった母が00県からそちらに向かうのは困難の可能性があります。
 母の参加が困難であれば孫である私だけでも参加し、何がお役に立ちたいと思いメールいたしました。よろしくお願い申し上げます。

C *PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会会員希望: する
メッセージ: 樺太からの引き上げ家族の子供として育ちました。極貧の中、両親から虐待され4歳の時、入水自殺を図りましたが助かりました。それが原因で小児結核を発症し一時は危篤となりましたが再度たすかりました。
現在は良き妻と子供、そして最愛の孫がいます。しかしいまさらながら幸せそうな孫を見ていると子供時代のトラウマが強く出てくるようになり苦しんでいます。
私の妻、子供には言っても理解できないと思い、一人でその孤独に耐えています。
両親はもう他界しましたが私の世話になっていても、子供時代と同様に私を罵りバカしながら亡くなっていきました。私が葬儀とお墓も建てましたが自分の人生には苦労しかなかったと思っています。、、、、誰も理解はできないでしょうね、同様な苦労をしている方がいるならぜひともお会いしたいです。

D 従軍したのは?: 父親および母方の伯父

    帰国後どんな仕事でしたか?: いくつかの仕事をしたが長続きしなかった。何度も職を変えた。
③家族に暴力や暴言?: 暴力は無かったが暴言や非常識なふるまいが多く、金銭に執着が強い。家族にお金を使わせないことが多かった。
④精神科の医療機関に通院、入院は無かった。
父はよく「国に裏切られた」と言っていた。満州に開拓団の一人として入植したがその時の条件が戦争で徴兵されることは無い、とのことだったがは負け戦が見えて来たときに外務省職員や軍属はいち早く情報を得て日本に逃げていたが、開拓団の人たちは何も情報を貰えず、残された私の母方の家族(母の両親と弟三人)は満州の奥地で飢えと寒さのため死亡した。また私の兄と姉は母親が逃げる途中で餓死した。そのことが両親の不仲の原因となり戦後30年ほど経過してから両親は離婚した。また私のすぐ上の兄が父親の子供への無関心が原因で病気になり、34歳の若さで死亡した。私とすぐ上の兄は戦後に生まれた人です。
国に裏切られたことが父のトラウマとなり、抑留されたロシアから帰国しても他人だけでなく家族も信じられない人になってしまった。お金だけが信じられる全てで、家族に渡す生活費も最低限のものだった。しかし自分の道楽品には惜しみなくお金を使っていた。母の兄にお金を貸したが商売が倒産してお金の返済が出来なくなったときに母との兄弟の縁を切らせたので、母は子供である私を頼るようになり(親族が全員戦争で死亡したので)、私は今で言うヤングケアラー状態になりました。いつ母親が自殺するか分からない状態なので学校の勉強に身が入らなくなりました。ここで私の人生が少し狂ったように思います。父はどんな悲惨なことがあったか決して他言しませんでした。彼は衛生兵だったので自分が銃を取って人を殺した訳ではなかったのですが、あまりに悲惨な現場を目撃してしまい、気の小さい人だったので耐えられなかったようです。最後は結局母と離婚して孤独死してしまいました。もっと父親に寄り添ってあげたかったのですが、父は素直になれなかったようです。
⑦従軍したその方の思い出などお話しください。: 全く子供に対して愛情を示さなかったので、まるで思い出はありません。母方の伯父は私が生まれる前に戦争で(場所も分からない)亡くなったので、母から話しを聞くだけで記憶にはありません。戦争は実際に戦場に赴いた人ばかりではなく、その妻や子供にまで暗い影を長年落とし続けるのだと改めて思い知らされます。
PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」に関するお問い合わせがありましたらお書きください: 同じような思いをされた家族の方々と話をしてみたいと思います。いつか記念館を訪れたいと考えています。
この訪問者はプライバシーポリシーに同意しました。メッセージ送信日時: 2022-12-09 21:53:05 JST

E *PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会会員希望: する
★メッセージ:昨夜のNHKTV放送を拝見しまして是非会員にさせて頂きたく申し込みしました。このような会をされている場所がある事に感動いたしました。
私は亡き父が50才の時にできた子供です(現在57才)母と姉と4人暮らしでしたが兵士(衛生兵)だった父親からのPDSDについて周囲や同年代の友人には理解が難しく、長い間他人には告げられない苦しい時代を過ごしました。その後、心理などを自己で学び客観的に父親を見られるようになってからは楽になりましたが母と姉も其々に苦しい人生を送りました。コロナ禍で隠された家庭内での苦しみがある青少年もいると聞き、現在はカウンセラーの学びをしているところでございます。
どうぞ宜しくお願いいたします。
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E-2

匿名を希望しない。私の母方の家はめちゃくちゃで、子供の頃から私は「呪われた家だ」と思っていました。祖父は、私が物心ついた時には重度のアルコール依存症で精神病院に長期入院しており、そのまま亡くなりました。
祖母は私が小さい頃に自殺。私の母も祖母が亡くなってから精神を病み、自ら命を絶ちました。その後、遠方にいた叔父も自殺したと聞きました。
唯一生きている叔母は遠方で暮らし、実家にはあまり帰ってきません。
大人になるにつれ、祖父がかつて家族に深刻な暴力や暴言を行っていたことを知りました。
祖母の自殺はそれに耐えかねてのことだったようです。
祖母は農薬を飲み、何ヶ月も生死の境をさまよい、母はつきっきりで看病しました。
その数ヶ月で、母の精神は蝕まれてしまったようです。
母方の実家は暗く、気味が悪いと感じていたのを覚えています。
アル中で最低な祖父のせいで、母方の家はめちゃくちゃになった。そう思ってきました。
昨年、NHK「目撃!にっぽん」を見て、PTSDになった元兵士とその家族の苦悩、そして黒井秋夫さんの活動を知り、番組の中で紹介された写真に祖父と同じような目つきの兵士を見つけて、ハッとしました。
私が覚えている生前の祖父はほとんど寝たきりのような状態でしたし、叔母も戦時中の祖父の話はあまり知らないようなので、戦争に行った祖父がそこでどんな体験をしたのかはわかりません。
ですが、番組を見て以来、もしかしたら「アル中で最低な祖父」は戦争が作り出したものかもしれない、と思うようになりました。
私は子供の頃から祖母や母のようになることに怯えてきましたし、私の弟も(因果関係は不明ですが)自殺しています。
昭和53年生まれの私の人生にも、もしかしたら戦争の影響が脈々と続いていたのかもしれない。改めて戦争の恐ろしさを思うと同時に、祖父の人生とはどのようなものだったんだろうと想いを巡らせるようになりました。
もはや祖父の真実を知ることは叶いませんが、ただ禍々しいものだと思っていた母方の家を、私なりに理解するきっかけをいただき、ありがたく思っています。交流館にも伺ってみたいです。
この訪問者はプライバシーポリシーに同意しました。メッセージ送信日時: 2022-12-16 02:05:33 JST

 

E―3

初めまして、私は00と申します。どうぞよろしくお願いいたします。先日テレビを何気なく見ていましたら私と同じ思い辛い体験をされた方がいらっしゃったことを知り、とても驚き、そして話して下さった事に感激いたしました。私も同じ体験をしていますので、私の父は学歴はありませんが中国にて連隊長だったようです。

アルバムには当時の執務中の写真や、戦果を上げた功績を称えたたくさんの賞状がありました。体には弾痕がありました。とても粗暴な性格ですぐカッとなって母は顔中血まみれになったりしました。小学生だった私にも容赦なく殴られてよく顔が腫れていました。親子の会話は一切無くて地獄にいるような生活でした。いつも私は何の為に生まれてきたのかと誰にも話すこともできずに寄る辺ない人生を今迄生きてまいりました。

70才を過ぎてこの非人間に対して憎悪と恨みの念がどんどん増してきています。

この手紙を差し上げましたのは、異常で信じられない非人間性の父のお話を黒井さまにぜひ聞いていただきたいのです。私の人生は一口では語れない位の父の悪行で狂ってしまい平凡な人生が送れませんでした。黒井さまが聞いて下さる機会がありましたら幸いです。

交流館にはご連絡なしでお訪ねしてもよろしいのでしょうか。

突然のお便りと乱筆乱文大変失礼いたしました。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

手りゅう弾塚(埼玉県川越市)見学にご参加ください!

★115日(日)見学会スケジュール。

10:45 車利用の場合はウニクス南古谷(川越市泉町3番1☎049-235-8275)のフードコート集合。電車利用の場合はJR川越線南古谷駅からウニクスまで徒 歩8分です。ウニクスまでお越しください。

11:00 ウニクス南古谷出発 

11:15 手りゅう弾塚到着~12:00ころまで見学。

12:00 手りゅう弾塚出発  

12:15 ウニクスに戻り、フードコートで昼食の後解散。

主催は証言集会実行委員会です。参加希望の方は黒井(08011213888)までお申し込みください。

会計報告「語り合う会・交流館」

202211日~1225日)

20221月繰越金

201449

 

 

 

収入

支出

 

1

19000

実行委員会費

9900

2

51700

団体会費

21000

3

18000

発送費

233649

4

62000

消耗品費

46806

5

70000

菓子代

23867

6

41100

印刷費

33689

7

47000

交通費

36324

8

37640

HP管理費

16530

9

29550

小ホール費

150076

10

17000

大ホール先払い

111748

11

42106

書籍費

15715

12

20840

交流館改善費

10000

証言集会

191263

 

 

書籍仮受金

24672

 

 

合計

668691

 

709304

収支

31910

 

 

2022年残高

169539

 

 

李素楨さんとの交流日誌 1月1日号 

★初級者コースあります!ご一緒に中国語の達人になりましょう!

★中級者テキスト「中国語で巡る漢詩と三国志の旅」です。楽しいですよ!

李素楨さんのZOOM中国語講座を学んでいます。とても楽しい授業です!

(1回2時間×月4回の授業で格安2千円。ご希望の方は08011213888黒井まで。詳細をお伝えします)

★日中口述歴史文化研究会常務副会長 吉林長春師範大学 教 授 法政大学 講 師 

★「PTSDの交流館」に2020823日に来館され交流が続いています!

★「語り合う会」の講演(授業)を以下、予定しています!

2023125日 埼玉大学、授業のゲストスピーカーとして。

・2月5日(日)「憲法9条牛久の会」★分断を助長し対立を煽ることに賛成できません。どんなに受け入れがたい意見であっても耳を傾けましょう!違いの強調ではなく、一致点を探し手を繋ぎましょう!

1PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会を

20236月頃に書籍出版で進めています!

PTSD兵士の家族の3人の証言、野崎忠郎さんの手記集、北村毅さん、中村江里さんの発言、証言集会の模様を写真など使用して再現します。

20236月予定の第1回大阪証言集会をめどに「あけび書房」さん出版で進んでいます!

多くの皆さんにこのニュースをお届けしています!

ニュースは武蔵村山市長、副市長、市議会議員、教育委員会、市立3小教職員に配布しています。

52か所のマスメディア、報道人に送信しています。200人に郵送で、300人と複数のメーリングリストに

メール送信でお届けしています!「PTSDの日本兵と家族の交流館」周辺600戸に配布しています。

 

★「語り合う会」と「PTSDの兵士の交流館」連絡先

黒井秋夫 08011213888 ホームページ https://www.ptsd-nihonhei.com

208-0001武蔵村山市中藤3-15-4 ★メールアドレス qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp

ご支援のカンパ振込先口座名義 PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会

★ゆうちょ銀行からの送金(郵便振替用)ゆうちょ銀行口座。 記号 11390・番号 21576251

★ゆうちょ銀行以外からの送金 (内国為替用)ゆうちょ銀行口座

★店名 一三八(イチ サン ハチ)・店番138 ・普通預金(口座番号)2157625

 

 

呼びかけ・お力をお貸し下さい!
呼びかけ人(黒井秋夫)2022年12月1日

PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会・PTSDの日本兵と家族の交流館代表

2023年6月25日、PTSDの日本兵と家族の思いと願い大阪地区証言集会を開催しましょう!
「大阪地区証言集会」実行委員会を2023年1月28日、一緒に立ち上げましょう!



皆様には日頃から大変お世話になっております。
心から感謝申し上げるとともに、皆様のご活動に最大の敬意を表明いたします。
アジア太平洋戦争において「日本軍兵士のPTSD」に関しては加害においても被害においても
戦後長らく問題にもされず、話題になることもありませんでした。
「日本軍兵士のPTSD」を取り上げた教科書は存在せず、日本では、いわば「日本軍兵士のPTSD」は事実上ないものとして歴史上無視されてきたのです。
しかし、1960・70年代のベトナム戦争や以降のイラク戦争などに従軍した米軍兵士20%~50%がPTSDを発症して米国で大きな社会問題となりました。
日本においては2018年にNHKが「隠された日本兵のトラウマ・8002人の病床日誌」を放映し、番組が2019年度日本記者クラブ賞特別賞を受賞し日本社会でも大きな注目を浴びる契機となりました。同じ2018年1月に中村江里さんの「戦争とトラウマ~不可視化された日本兵の戦争神経症」が発刊され、来春に6刷の予定で既に多くの読者を得て、日本社会にこの問題の認識が広がっています。
2018年1月17日に「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が発足し、2020年5月に「PTSDの日本兵と家族の交流館」が開館しました。以降、「日本軍兵士のPTSD」という問題が多くのメディアに報道されるようになっています。
2022年8月7日に「PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会」を東京武蔵村山市市民会館で開催し200名を超える参加者で成功させました。
当日は吉田裕さん(一橋大学名誉教授、東京大空襲・戦災資料センター館長)、中村平さん(広島大学大学院教授)、中村江里さん(広島大学大学院准教授)、北村毅さん(大阪大学大学院准教授)に参加いただき講演とメッセージをいただきました。また10社以上のメディアがテレビ放送、新聞、機関誌に報道し、この問題への関心と認識が日本社会にかつてなく広がっています。

2023年は上記のような流れを更に広げるために、証言集会を東京だけでなく大阪でも開催したいと思っています。証言集会を準備、運営する実行委員会も立ち上げます。
実行委員会は趣旨に賛同する人なら毎回誰でもオープンに参加できる組織として運営いたします。
第1回実行委員会を2023年1月28日(土)13:30~17時 エル大阪南館713号室で開催します。
皆様にはぜひご参加いただくとともに、お仲間に拡大いただき、証言集会を成功させたいと思います。
この活動を広げることが「日本が2度と戦争をしない」という世論を作り「誰もが安心して暮らせる平和な社会」に繋がると信じています。皆様のお力添えを心からお願いして呼びかけといたします。

〒208-0001 武蔵村山市中藤3-15-4 黒井 秋夫 (語り合う会・交流館代表)
ホームページhttp://www.ptsd-nihonhei.com 
☎0425659580📳08011213888 ★アドレス qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp

PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会
2023年は東京と大阪2会場で開催します!
★第2回東京証言集会2023年9月3日(日)
★大阪は6月25日(日)に予定します!
★PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会の
実行委員会も東京と大阪で毎月開催します!
★東京、大阪どちらも参加はオープンです!毎回どなたでも参加できます!
東京地区・2月12日(日)14:00~16:00武蔵村山市中藤地区会館
大阪地区・1月28日(土)13:30~17時エル大阪南館713号室

★証言集会実行委員会開催予定(大阪の2月以降の日程、場所は皆さんと相談させていただきます)
1月28日(土) 関西地区証言集会実行委員会(エル大阪南館713号室)13:30~17時。
2月12日(日) 「第2回東京証言集会」骨子論議
2月25日(土) 第2回関西地区実行委員会、13:30~17時(場所未定)
3月12日(日) 「第2回東京証言集会」月ごとの課題策定。
3月25日(土) 第3回関西地区実行委員会13:30~17時(場所未定)

PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」

交流会・お話し会のお誘い

129日にNHKの“首都圏情報ネタドリ”を視聴した皆さんから「私の父(祖父)も、私自身も放送された人と同じです。PTSDの日本兵と家族の交流館を訪問したい。お話ししたい」という電話やメールが届いています。

この状況を受けて、毎月「PTSDの日本兵と家族の交流館」を会場に「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」交流会を開催します。まだ会員登録していない方も大歓迎します。お気軽にお出で下さい。

お互いの父や母、祖父や祖母との家族生活の体験などをお話し交流しましょう。

大阪地区の「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」交流会・お話し会の開催も進めます。

★当面の会員交流会の開催日程。

*2023212日(日)10:0012:00 

会場・PTSDの日本兵と家族の交流館

*312日(日)10:0012:00 

会場・PTSDの日本兵と家族の交流館

 

★会員交流会開催日の午後14時から証言集会実行委員会を交流館東隣の武蔵村山市中藤地区会館で開催します。

証言集会実行委員会はオープン参加です。

誰でも参加できますので会員交流会に引き継いで午後の実行委員会への参加も歓迎します。

首都圏情報ネタドリ!(2022年12月9日放送)

視聴者から「語り合う会」HPに届いたお便り

①従軍したのは母方 祖父

②帰国後どんな仕事でしたか?: 本の出版?→ 養豚 農家 など

③家族に暴力や暴言などふるうことは?: あったらしい。(祖母と母)

④精神科の医療機関に通院、入院はありましたか?: ありません。
⑤(母から聞いた話し)祖父は、満州鉄道で働いており、終戦後そのままシベリア抑留され昭和25年に復員したそ   うです。シベリアでは、木の伐採をしていて食料がなく、若い人は何でも食べたため、亡くなる人が多かったと話していたそうです。
・(母から50年間)祖父のDVの話しを聞かされて続けています。※ 母ー83才 私-56才です。
〈内容〉
・殴る、蹴る、引きずり回す
・ノコギリの刃で叩かれる
・(母)髪の毛を剃られる
・(母)長男の失敗を母の責任にされ、殴る、蹴るをされたなど。

⑥戦争によるPTSDではないかと思うようなことはありませんでしたか?: ・祖父に関しては、復員してからDVが酷くなったらしいと母から聞いています。母は祖母からそのように聞いているようです。
・負の連鎖なのか、今、考えれば私自身が母が怖くて何も自分の意見が言えませんでした。

⑦従軍したその方の思い出などお話しください。: ・祖父母は00県、私は00育ちのため、たまにしか会う事が出来ませんでした。会った時は、私達、孫に対してやお嫁さん達には優しいおじいちゃんでした。
・(母)大人になり、お産で実家に帰っても祖父の気配を感じただけで身体がブルブル震えていたそうです。

: はじめまして。偶然テレビで特集を組まれた番組を拝聴し共感いたしました。
 過去のトラウマから抜け出せない母を一度は、同じ境遇の話し相手と話す事で母が楽になれればいいと思いました。しかしながら、高齢になってしまった母が00県からそちらに向かうのは困難の可能性があります。
 母の参加が困難であれば孫である私だけでも参加し、何がお役に立ちたいと思いメールいたしました。よろしくお願い申し上げます。
この訪問者はプライバシーポリシーに同意しました。メッセージ送信日時: 2022-12-10 12:09:19 JST


匿名を希望 しない

メッセージ: 野崎忠郎氏の「私の背負った昭和の業」をじっくり読みました。命令でしたことを、自慢げに語っていた、とありますが、命令とはそういうものなのでしょう。
断れば死ぬわけですから。ウクライナの戦争が長期化する今、反戦運動の末端に関わっている私自身がどうあるべきか、野崎さんの文から、真剣に考えたいと思った次第です。北海道の00なので、なかなか東京にはいけませんが、機会があれば、館内に足を運びたいと思っています。
この訪問者はプライバシーポリシーに同意しました。メッセージ送信日時: 2022-12-04 10:19:22 JST

*PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会会員希望: する
メッセージ: 樺太からの引き上げ家族の子供として育ちました。極貧の中、両親から虐待され4歳の時、入水自殺を図りましたが助かりました。それが原因で小児結核を発症し一時は危篤となりましたが再度たすかりました。
現在は良き妻と子供、そして最愛の孫がいます。しかしいまさらながら幸せそうな孫を見ていると子供時代のトラウマが強く出てくるようになり苦しんでいます。
私の妻、子供には言っても理解できないと思い、一人でその孤独に耐えています。
両親はもう他界しましたが私の世話になっていても、子供時代と同様に私を罵りバカしながら亡くなっていきました。私が葬儀とお墓も建てましたが自分の人生には苦労しかなかったと思っています。、、、、誰も理解はできないでしょうね、同様な苦労をしている方がいるならぜひともお会いしたいです。
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    従軍したのは?: 父親および母方の伯父

    帰国後どんな仕事でしたか?: いくつかの仕事をしたが長続きしなかった。何度も職を変えた。
③家族に暴力や暴言?: 暴力は無かったが暴言や非常識なふるまいが多く、金銭に執着が強い。家族にお金を使わせないことが多かった。
④精神科の医療機関に通院、入院はありましたか?: それは無かった。
⑤戦争体験を家族に話しましたか?どんな内容でしたか?: 父はよく「国に裏切られた」と言っていた。満州に開拓団の一人として入植したがその時の条件が戦争で徴兵されることは無い、とのことだったがは負け戦が見えて来たときに外務省職員や軍属はいち早く情報を得て日本に逃げていたが、開拓団の人たちは何も情報を貰えず、残された私の母方の家族(母の両親と弟三人)は満州の奥地で飢えと寒さのため死亡した。また私の兄と姉は母親が逃げる途中で餓死した。そのことが両親の不仲の原因となり戦後30年ほど経過してから両親は離婚した。また私のすぐ上の兄が父親の子供への無関心が原因で病気になり、34歳の若さで死亡した。私とすぐ上の兄は戦後に生まれた人です。
⑥いま思い出して、普通ではない、戦争によるPTSDではないかと思うようなこと?: 国に裏切られたことが父のトラウマとなり、抑留されたロシアから帰国しても他人だけでなく家族も信じられない人になってしまった。お金だけが信じられる全てで、家族に渡す生活費も最低限のものだった。しかし自分の道楽品には惜しみなくお金を使っていた。母の兄にお金を貸したが商売が倒産してお金の返済が出来なくなったときに母との兄弟の縁を切らせたので、母は子供である私を頼るようになり(親族が全員戦争で死亡したので)、私は今で言うヤングケアラー状態になりました。いつ母親が自殺するか分からない状態なので学校の勉強に身が入らなくなりました。ここで私の人生が少し狂ったように思います。父はどんな悲惨なことがあったか決して他言しませんでした。彼は衛生兵だったので自分が銃を取って人を殺した訳ではなかったのですが、あまりに悲惨な現場を目撃してしまい、気の小さい人だったので耐えられなかったようです。最後は結局母と離婚して孤独死してしまいました。もっと父親に寄り添ってあげたかったのですが、父は素直になれなかったようです。
⑦従軍したその方の思い出などお話しください。: 全く子供に対して愛情を示さなかったので、まるで思い出はありません。母方の伯父は私が生まれる前に戦争で(場所も分からない)亡くなったので、母から話しを聞くだけで記憶にはありません。戦争は実際に戦場に赴いた人ばかりではなく、その妻や子供にまで暗い影を長年落とし続けるのだと改めて思い知らされます。
PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」に関するお問い合わせがありましたらお書きください: 同じような思いをされた家族の方々と話をしてみたいと思います。いつか記念館を訪れたいと考えています。
この訪問者はプライバシーポリシーに同意しました。メッセージ送信日時: 2022-12-09 21:53:05 JST

*PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会会員希望: する
★メッセージ: はじめまして。
昨夜のNHKTV放送を拝見しまして是非会員にさせて頂きたく申し込みしました。このような会をされている場所がある事に感動いたしました。
私は亡き父が50才の時にできた子供です(現在57才)母と姉と4人暮らしでしたが兵士(衛生兵)だった父親からのPDSDについて周囲や同年代の友人には理解が難しく、長い間他人には告げられない苦しい時代を過ごしました。その後、心理などを自己で学び客観的に父親を見られるようになってからは楽になりましたが母と姉も其々に苦しい人生を送りました。コロナ禍で隠された家庭内での苦しみがある青少年もいると聞き、現在はカウンセラーの学びをしているところでございます。
どうぞ宜しくお願いいたします。
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以下は2022年、ネタドリ放映以前に届いたメールです。

  従軍したのはどなたですか?: 父親
帰国後に仕事はなさいましたか。どんな仕事でしたか?: 00県、警察官
家族に暴力や暴言などふるうことはありませんでしたか?: 夜中に奇声
精神科の医療機関に通院、入院はありましたか?: なし
戦争体験を家族に話しましたか?どんな内容でしたか?: 母にー戦争から帰ってきて人を殺したくてしかたなかったーと言ってたと。
いま思い出して、普通ではないと思うようなこと、戦争によるPTSDではないかと思うようなことはありませんでしたか?: 父は南京戦復員後、結婚。私は昭和21年生まれだが父は殆ど酒浸りの公務員。母と私たち兄弟3人は貧しい生活。戦後、父の仕事は警察から警察予備隊、防衛庁へ。下級官吏で借金生活だった。不安定な生活から逃げるように私は地方の大学へ。戦争についてお互い話することは避けていた。酒を飲むと人が変わると母が言ってたが私が小学生の頃、夜中、母が近所に逃げたらしく朝起きると母がいなかったこと。秋祭りの次の朝、父の給料袋探しに母とゴミの山をかきわけた。
従軍したその方の思い出などお話しください。: 昨年、父の軍隊手帳のコピーが実兄から届き、初めてみる履歴に驚愕。南京攻略戦に参加したことがわかり、初めて父の実像に触れ、頭を勝ち割られる衝撃を受けた。父の酒焼けの首を恥ずかしいと思い、父から逃げていた自分の思い上がりが吹き飛ばされた。昨年12月、週刊金曜日声の広場に私の投稿が載りました。同じ時期東京新聞で同会の記事を拝見しました。大変興味深い記事でした。
:
同会の簡単なチラシがありましたらお送りくだされば有難いです。
この訪問者はプライバシーポリシーに同意しました。メッセージ送信日時: 2022-01-22 10:04:57 JST

 

*PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会会員希望: する
メッセージ: 敗戦まで亡父は00の朝鮮人造石油会社に勤めていました。命からがら引き揚げてきて就職口を求めやっと入れた炭鉱では、叩き上げの上司にパワハラを受け、いつしかアルコール依存症になっていました。私が物心ついたときには夜パラって母を折檻し、暴れまわって家の中をぐちゃぐちゃにしていました。父を憎み離婚できない母も憎む捻じくれた成長をしました。黒井さんの記事が赤旗のひと欄に載ったとき、うちの父は戦場でではないけれど同じように戦争の犠牲者だったのだと思いました。00に住んでいるので会に参加は出来ませんが黒いさんの活動を支援したいと思いました。
メッセージ送信日時: 2022-01-11 14:33:23 JST

 

 

*PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会会員希望: する
メッセージ: 先ほど、「ちゃぶ台の会」に参加し、黒井さんのお話を伺いました。
涙無くして聞くことは出来ませんでした。
戦争はきれいさっぱり終わったわけではないことに、今更気がつきました。
最近、フィリピンの歴史の先生と出会いました。フィリピンの日本人孤児について研究している方です。
そこで日本がフィリピンに対してしてきた被害の凄さについて、調べて知ることになりました。
被害国としての戦争の悲惨さはかなり熱心に学んで平和活動をしてきたつもりでしたが、
加害国としての事実に向かい合い始めました。
今、リアルに加害者側として、現地の人に自分なりの声を届け始めているところです。
そんな折、黒井さんのお話を伺い、戦争に駆り立てられた加害者側の日本の兵隊も、生きて帰っても猛烈な被害者なのだということが痛いほど心に沁みました。
必ず邪魔になる。 強い信念の言葉をいただきました。
黒井さんばかりでなく、どこの国にも多数発生しているPTSDを引きずる、
普通の人<兵隊に駆り出されていった望まぬ兵士たち>に心を寄せて、
戦争をしないことを誓い、守っていきたいと思います。
今後のご活動、心より応援し、ともにありたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
この訪問者はプライバシーポリシーに同意しました。メッセージ送信日時: 2022-02-13 18:01:03 JST


匿名を希望: する: 今日の新聞を読んでこちらのホームページから送らさせていただきます。
記事中の「目の色が変わる」で、私の祖父を思い出しました。
2014
年に他界、生きていれば100才です。
中国へ戦争に行った事を聞いた事があります。銃を持ち撃たなければ死んでいた事や、爆撃で大怪我した人の足を縛り

切断したり、現地の中国人の話など聞きました。
私にとっては優しい祖父の記憶もありましたが、男尊女卑で、自分が一番、私が生まれる前の祖父は気に入らないと

手を上げ、自分の子供には今で言う虐待の様なことをした事もあったと聞いています。
私も祖父の目の色が変わって怒る姿も記憶にあります。私は手をあげられた事はないですが。
戦争の影響かどうか分かりませんが、定年までアルコール、たばこもしておりましたし、PTSDもあったのかなと

新聞記事を読んで思いました。
昔の人は皆んな男尊女卑で、家父長制と思っていましたが、私の家だけだったのかなと、もし、戦争が一因ならば

もっと祖父の気持ちが楽になるようにしてあげたら良かったと思います。
この訪問者はプライバシーポリシーに同意しました。メッセージ送信日時: 2022-08-16 13:04:37 JST

 

 

 

 

戦争のトラウマからアルコールに依存した父 今も続く家族の苦しみ

  • 2022年12月9日

中国戦線で戦闘に参加し、シベリアに抑留された父。戦争のトラウマなどから戦後は酒を大量に飲むようになりました。母が動けなくなるほど殴ったり蹴ったりするところを一度見たことも。娘の私は、父の言動の影響で男性に恐怖心を抱くようになるなど、ずっと生きづらさを抱えてきました。
何が父の心をむしばんだのか。父の軍歴をたどると、壮絶な戦場の一端が見えてきました。
(聞き手 首都圏局/ディレクター 梅本肇)

12月9日放送 首都圏情報ネタドリ!
「家の中に封じられた“戦争の傷痕” 〜親から子に連鎖した苦しみ〜」

酒を飲むと父のどなり声が…恐怖と緊張の毎日だった

私、鈴木頼子(仮名・73歳)は終戦の4年後に生まれました。子どものころはよく、父から戦地の話を聞かされました。「ほらここ、ヒューンって弾がかすめたから、傷ができているやろ」と父が体の弾痕を指さすのを見て、戦争ってなんて恐ろしいんだろうと思ったのを覚えています。

父は戦時中、中国大陸に出征し、終戦後は旧ソ連のシベリアに抑留されたと聞いています。復員後は、戦争のトラウマからアルコールに依存するようになりました。

酒を飲むと声が大きくなり、どなり声のようになることもあって、家の中には常にぴりぴりとした緊張感のある空気が漂っていました。

子どものころ、一度見た忘れられない光景があります。父が母を動かなくなるまで殴ったり蹴ったりして、私をガッとにらみつけてきたんです。あのときはとても恐ろしく、寝るときに毎晩、夢に出てきました。

父の言動の影響で、私は引き戸を乱暴に閉める音などを聞くと、恐怖心がわくようになりました。他の人がなんとも思わない音でもだめなんです。男性への恐怖心も持つようになり、家に引きこもりがちの生活を送っていました。

「私は子どもを持たない」とはっきりと感じたのは、高校生か大学生のころです。私自身、誰かを愛することを学ぶ機会がなかった。ものすごく生きづらさを抱えてきました。

父の心をむしばんだ“戦争”を知りたい

何が父をあんなにも苦しめてきたのか。私は、父の戦争体験をたどることにしました。

軍歴証明書を調べると、父は終戦の6日後、ソ連軍などに抑留され「生死不明」とされていたことがわかりました。その2年後の11月に日本に帰還したと、あとから記されています。

父は本当に兵隊さんだったんだ。どれだけつらく大変だったか、その「生死不明」という文字を目の前にすると、“戦地にいた”父のことがリアルに感じられて胸が痛くなりました。

さらに記録には、父がこれまで語らなかったことも記されていました。

「昭和12年 南京攻略戦に参加」

旧日本軍が多くの市民を殺害したなどとされる「南京事件」。その時期、父は南京での戦闘に参加していたと記されていたのです。

これを見たときは思わず涙が出て、それ以上記録を読み進めることができませんでした。

父は私に言えることしか言わなかった。こうした体験は言いたくもないことで、心の中にガッと押し込めてかぎをかけていたのでしょう。本当にしんどい思いをしてきたことが、よく分かりました。

多くの人が“長年語れなかった”その背景は

体験を語ってくれたのは、73歳の女性です。

長年、自身の苦しみを周囲に明かすことはほとんどありませんでした。しかし最近、自分と同じような境遇の人たちが経験を語るのを見て、「戦争で苦しんでいるのは兵士だけではない。家族にも大きな影響を及ぼすことを知ってほしい」と、私たちの取材に応じてくれました。

女性のように、元兵士が負った心の傷や、それが家族に大きな影響を与えていたことについて、長年語れなかったという人は少なくありません。

戦争とトラウマの関係について研究する、広島大学大学院の中村江里准教授は、元兵士の心の傷を国が隠してきたことが、大きく影響しているのではないかと話します。

広島大学大学院 中村江里准教授
「戦時中の新聞を見ると、国は、戦争の恐怖による精神疾患が、敵軍の兵士には見られるが、日本軍には見られないとしていました。国民の士気を上げるためです。国家によってそうした病気の存在が否定されるということは、精神疾患を患った元兵士や家族にとっては、自己を否定されることに等しいわけですね。そうした父親の存在や、家庭のなかでの暴力というのは、周囲には話せないと感じた人も多かったと思います」

中村さんが話を聞いた元兵士の家族の中には、戦後も苦しみを語ることは難しかったと話す人も少なくありません。元兵士が復員しても、「戦争に行って大変だったね」と受け止める人はほとんどおらず、むしろ「なぜ帰ってきたのか」となじられるケースすらあったといいます。

「自分が傷ついたことを、安心して語れない社会だったわけですね。そのことが、その後もさまざまな歪みをもたらして、それが戦後世代にも引き継がれてしまっているのだと思います」

体験を周りに語りづらかったことが、元兵士や家族の苦しみをさらに深めたのではないかと話す専門家もいます。心理学が専門でトラウマについて研究している、甲南大学の森茂起教授です。

甲南大学 森茂起 教授
「トラウマを経験した時に、その体験を言葉にして語って、人に分かってもらうことが回復につながります。しかし家の中で戦争の話がタブーとされるような状態が続くと、元兵士やその家族の感情表現は制限されていきました。そのために影響が残ってしまった人も多いと思います。このことが、この問題を複雑にしています」

太平洋戦争開戦から81年が経った今もなお、世代を越えて続く苦しみの連鎖。戦争は歴史上の出来事ではなく、私たちの家族が関わった地続きの悲劇であるという事実が突きつけられています。

12月9日放送 首都圏情報ネタドリ!
「家の中に封じられた“戦争の傷痕” 〜親から子に連鎖した苦しみ〜」

https://www.sanyonews.jp/article/1339423?rct=tekiitteki 2022年12月9日(金) 山陽新聞・影山美幸論説委員から昨日電話取材がありました。 早速、今日の朝刊のコラム(滴滴)に掲載されました。 岡山県にもPTSDの兵士に苦しんだ家族にこの記事が届いて欲しいともお話しされました。 多くの人たちに読んでいただきたいです。

復員日本兵と暮らした家族が語り合う会・PTSDの日本兵と家族の交流館の

活動が広がっていることが

放送されます(NHK総合TV)!

「家の中に封じられた戦争の傷痕〜太平洋戦争開戦81年〜」初回放送日: 2022129

 ()午後7:30  放送予定 

1210日(日)11:1511:42 再放送されます。

太平洋戦争の開戦から81年。これまで家の中だけに封じられてきた戦争の傷痕が浮かび上がってきた。戦場のトラウマなどからアルコール依存や家庭内暴力に陥った元兵士たちの心の傷。それが共に暮らす家族の生活や人生にまで大きな影響を与えていたのだ。いまだにわだかまりを抱え、苦悩し続けている家族もいる。初めて語り始めた家族の声に耳を傾け、戦争の禍根の大きさを見つめる。

映画「野火」を世に出し、現在は「PTSDの日本兵の戦後」の映画製作中の映画監督・塚本晋也さんが出演します!

呼びかけ・お力をお貸し下さい!

呼びかけ人(黒井秋夫)2022121

PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会・

PTSDの日本兵と家族の交流館代表

 

2023625日、PTSDの日本兵と家族の思いと願い

大阪地区証言集会を開催しましょう!

「大阪地区証言集会」実行委員会

 2023128日、一緒に立ち上げましょう!

1回大阪証言集会

一緒に作り上げ成功させましょう!

皆様には日頃から大変お世話になっております。

心から感謝申し上げるとともに、皆様のご活動に最大の敬意を表明いたします。

アジア太平洋戦争において「日本軍兵士のPTSD」に関しては加害においても被害においても戦後長らく問題にもされず、話題になることもありませんでした。

「日本軍兵士のPTSD」を取り上げた教科書は存在せず、日本では、いわば「日本軍兵士のPTSD」は事実上ないものとして歴史上無視されてきたのです。

しかし、196070年代のベトナム戦争や以降のイラク戦争などに従軍した米軍兵士20%~50%がPTSDを発症して米国で大きな社会問題となりました。

日本においては2018年にNHKが「隠された日本兵のトラウマ・8002人の病床日誌」を放映し、番組が2019年度日本記者クラブ賞特別賞を受賞し日本社会でも大きな注目を浴びる契機となりました。同じ20181月に中村江里さんの「戦争とトラウマ~不可視化された日本兵の戦争神経症」が発刊され、来春に6刷の予定で既に多くの読者を得て、日本社会にこの問題の認識が広がっています。

2018117日に「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が発足し、20205月に「PTSDの日本兵と家族の交流館」が開館しました。以降、「日本軍兵士のPTSD」という問題が多くのメディアに報道されるようになっています。

202287日に「PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会」を東京武蔵村山市市民会館で開催し200名を超える参加者で成功させました。

当日は吉田裕さん(一橋大学名誉教授、東京大空襲・戦災資料センター館長)、中村平さん(広島大学大学院教授)、中村江里さん(広島大学大学院准教授)、北村毅さん(大阪大学大学院准教授)に参加いただき講演とメッセージをいただきました。また10社以上のメディアがテレビ放送、新聞、機関誌に報道し、この問題への関心と認識が日本社会にかつてなく広がっています。

 

2023年は上記のような流れを更に広げるために、証言集会を東京だけでなく大阪でも開催したいと思っています。証言集会を準備、運営する実行委員会も立ち上げます。

実行委員会は趣旨に賛同する人なら毎回誰でもオープンに参加できる組織として運営いたします。

1回実行委員会を2023128日(土)13:3017時 エル大阪南館713号室で開催します。

皆様にはぜひご参加いただくとともに、お仲間に拡大いただき、証言集会を成功させたいと思います。

この活動を広げることが「日本が2度と戦争をしない」という世論を作り「誰もが安心して暮らせる平和な社会」に繋がると信じています。皆様のお力添えを心からお願いして呼びかけといたします。

 

〒208-0001 武蔵村山市中藤3-15-4 黒井 秋夫 

PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会・PTSDの日本兵と家族の交流館代表

ホームページhttp://www.ptsd-nihonhei.com

 

0425659580📳08011213888 ★アドレス qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp

雨天でも大丈夫!濡れません!

交流館の軒先と駐車場が繋がりました!

30人規模の集まりも開けるようになりました!

交流館を作ってくれた飯塚棟梁のお仕事です。

感謝、感謝です!ありがとうございます。

 

20221124日!

天声人語

2022.11.22

これは「演技」ではない。

戦争を知った帰還兵たちのリアルな復活劇だったのだ。

 

ロシアによるウクライナ侵攻が始まって9カ月近く。

戦争はあらゆる心を破壊する。

だからどれだけ遠くても、どれだけ遠くても、どれだけ困難でも、やめさせなければいけない。

 

2022年11月4日(金)
駒場東邦中学校1年生240人に「終わらない戦争」というテーマで以下のようにお話ししました。
★人を殺す人間になって欲しくない!
人に殺される人間になって欲しくない!
何ごと(戦争)があっても生き延びて、
誰もが安心して生活できる未来社会を
作る人間になって欲しい!
★戦争では何も守れない!戦争は苦しみをうむだけ!
★ロシアもウクライナも勝者にはなれない
 ロシアもウクライナも敗者だ
 ロシア人もウクライナ人も多くの命が奪われた
 奪われた命は取り返しつかない
 たくさんの人が戦争のトラウマ、PTSDで何十年も子ども・孫世 
 代まで続く苦しみが始まっている
★人類と日本の未来を!切り開く人になってください!
 不可能と思われていることに挑戦しましょう!
 気が遠くなるような道筋でもあきらめず、戦争をしない地球と 
 社会の実現をめざし、人間の叡智を信じてPTSDの日本兵と 
 家族の交流館は白旗を掲げ続けます!
★以下のような生徒たちの感想が届いています。
*戦争のせいで父親とまともに暮らせなかったことに日本政府の 
 責任を感じた。
 PTSDに悩まされている人は今もいるので、PTSDに関する情報を
 もっと開示するべきだと思った。
 未来に戦争が起こらいようにすることは僕たちにかかっている 
 と思った。
*ウクライナの戦争はロシアが悪いけれど武器を取って人を殺
 し、国民を精神不安定な状態にしたウクライナにも非はあると
 思った。
 強い者の意見に流されるような社会では戦争は起こってしま 
 う。だから一人ひとりが意見を持ち恐れず発信することが大事
 だ。
*黒井さんの声の熱からどれだけ自分たちに伝えたいかが伝わっ
 た。戦争は何も生みださないから、日本はもちろん世界中どこ
 でも戦争が起きないように努力していきたいと思う。

 

文化人類学 87.2に寄せて

2022.11.16  

PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会

PTSDの日本兵と家族の交流館 代表 黒井秋夫

 

中村平さん、北村毅さんの「文化人類学87.2」オートエスノグラフィは歴史的な地平を切り開いたと思います。

日本兵のPTSDが日本兵(第1世代)、子どもたち(第2世代)、孫たち(第3世代)へと連鎖し今もなお継続中であることを、まざまざと人の心へ衝撃を伴って発信されました。

戦争が戦争期間中のみならず、戦後の落ち着いたと思われている家族生活、社会生活の深層で、ゴジラのうごめきのように吠えまわり、人の生き方を変え、関与し、抑圧し、捻じ曲げていることをお二人の論文は満天下に学問の成果として明らかにしました。

戦後日本人(家族)の精神史、あるいは人々はどのように考え生きたかを考える上で極めて重要な深層を説明解析する、時代を画する切り口を世に問うたと思います。

お二人の論文を読んで、黒井はまた父と母、兄や弟との葛藤、自身の心の有り様を反芻する作業が心の中で始まりました。

まだ、言えていないことがある。触れていないことがある。それは一体どういうことなのか。

やはり、黒井は自分と家族との一連のできごとを再度思い浮かべ、できる限り世の中に吐き出し、後世に生きる人たちに戦争の恐ろしさとして理解してもらう作業を続ける仕事があるのだ、とお二人に言われているように思います。

北村さんの祖父の方は「息子の新妻にチャンコロの首を切ったことをニタニタ笑いを浮かべながら自慢げに話した」とありますが、8.7集会の証言者の野崎忠郎さんの祖父も同じように息子の新妻に酒を飲みながら731部隊での人体実験を手柄話として話して息子の嫁を驚かせています。こういうことが日本中のあちこちで語られていたかもしれません。奥底にたまった心の重石を異常な表現でしか吐き出せなかった元兵士の心の闇もまた戦争の恐ろしさと思います。

 

 これからもお二人との対話を続けながら、少しでも黒井も成長し、「二度と戦争をしてはいけない」を次代の人たちに伝えていきたいと思います。

★「第1回PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会・8月7日・武蔵村山市市民会館」の記者会見と家族交流会に参列していただき発言もいただいた中村平さん(広島大学大学院教授)と北村毅さん(大阪大学大学院准教授)のお二人が揃って発表されたPTSDの日本兵と家族がテーマの論文が掲載されている「文化人類学87-2」を交流館で5冊買い求めました。ご希望を下さればお譲りします。税込み価格3144円です。
★野崎忠郎さんの手記集はその後も読みたいという希望が届いていて8日現在で41冊になりました。在庫が50冊程度なので野崎さんと相談して増刷することにしました。
多くの皆さんにPTSDの日本兵と家族に未だに続いている戦争の傷痕、家族・人間の人生を奪い捻じ曲げた壮絶な心の吐露を聞いてもらいたいと思います。こちらは1冊200円です。

来館者

 

2023年1月30日現在

1943人です!

小学生が8割です!

 

多くの皆さんのご来館を

お待ちしています!

2022年11月5日(土)
ルポライター鎌田慧さんが新社会党機関紙11月2日号(第1281号)に「PTSDの日本兵と家族の交流館・手記集」を「コラム・沈思実行」に紹介しました。この手記集は全て「野崎忠郎」さんの手記を冊子にした物です。
鎌田慧さんは文中で「なにげなく読み始めて圧倒された。”私が背負った昭和の業”。筆者は野崎忠郎氏。よく考えぬかれた端正な文章で、感嘆させられた。・・・・これだけ突き放して書けるようになるまでの、筆者の葛藤の重さを感じさせられた。・・・・戦争のトラウマを語る運動もようやくはじまった。若い人達に読んでほしい」とあります。
今年の7月以降から8.7証言集会や各種の催しで200円で販売を始めましたが大変好評で、20冊、50冊のまとめ買いなどもあって、既に200冊ほど販売しています。
若干の在庫がありますので連絡くださればお送りいたします。

★横浜市従業員労組機関紙「横浜市従9月15日号」に9月1日号の「癒えない記憶の戦争・上」に次いで「癒えない記憶の戦争・下」として8・7PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会が紹介されました!

「わだつみのこえ156号」に寄稿文と5月1日のピースおおさかでの”お話し会”が紹介されました。

「ちゃぶ台」が創刊されました!発行者は藤宮礼子さんです。「ちゃぶ台の会」主催で今年は4回、「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」のお話し会を開いていただきました。8.7証言集会の司会者でもあります。2023年の第2回証言集会の実行委員会にも参加していただいています。

「たんぽぽ」383号に”私たちがめざすもの”との表題で寄稿いたしました。発行は「松戸市民ネットワーク・松戸で生きたい私たち」、発行責任者は小林孝信さんです。


2022年9月11日(日)「PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会・実行委員会」を13人の出席で開催しました。

2023年9月3日(日)の第2回「PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会」への第一歩を踏み出しました。

武蔵村山市中藤地区会館で開かれた誰でも参加できるオープンな実行委員会には13人が参加しました。

8月7日の第一回証言集会の振り返りを中心に話し合い交流しました。

復員日本兵のPTSDの実態が兵士個人や家族の問題から、国家が起こした戦争に起因するものであり、発生から関係したすべての事象は全て国家に責任があるとする大転換が証言集会から始まったことが話されました。

参加者アンケートでは「証言の時間がもっと欲しかった」「PTSDの日本兵の存在を初めて実感した。社会にもっと知らせて欲しい」という声が多数あることから2023年の証言集会のあり方や、実行委員会の強化、あり方が議論されました。

次回以降の実行委員会は以下のように予定いたします。

誰でも参加できますので多くの皆さんの参加をお待ちしています。

1016日(日) 1113日(日) 1211日(日) 

2023115日(日) 219日(日)

・会場は武蔵村山市中藤地区会館 14時~16

 

 

 

 

 

 

PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会」参加者感想文

1,

  証言集会について(①は以下同じ)。父は何も語らず32年前に逝き、軍歴も分からないのでネットで色々探して見当をつけた。今年6月になって妹が詳細な軍歴を送ってくれた(全くその存在を知らなかった)地図をたどりながら見て、行動の広範囲と多忙さに驚いた。

父の戦争責任をここ30余年心に抱えて、人に話す折もなく苦しかった。昨年、吉田裕さんの「日本軍兵士」に出会い、兵士の具体的な肉体的苦痛(荷の重さ、靴、水虫、歯などなど)や私的制裁の精神的苦痛など、20代の全てを軍隊で過ごした父の苦痛のいくらかでも初めて自分の肌で感じた。

今回の皆さんの証言を通して、父の戦後、そして家族としての自分の人生を初めて考えた。これまでは自分の生きづらさと父との関係を考えてはきたが、戦争、軍隊と関連させては見ていなかった。吉沢さんの「引きこもり」という言葉が自分の内面に抱えている問題と同質に感じて強く共感した。

  吉田裕さんの講演について(②は以下同じ)。吉田さんの著書を読んで参加したいと思いました。内容は基本的に読んでいた事でしたが直接お話をうかがえて良かった。

  家族の交流会について(④は以下同じ)。とても良かった。孫世代の大学の先生たちが、研究者としてではなく同じ立ち位置で話してくれて共感することが多く、自分にとって新しい角度であり、感慨が深くこれからの希望を感じた。初めに証言を聞いて、その後、参加者が平等の立場で自分の経験を分かち合うという方式はとてもいい。意見ではなく経験と感情を分かち合う、前の世代の侵略戦争の責任がずっと心に重かったが、今回参加した事で78歳の自分に内面化された戦争、自分の人生と戦争、という角度を得て、今何をするのか、どう生きるのか、思いめぐらせるようになった。何か新しいものが開けていく気がしている。

 

2, ①家族の証言

  横浜市従労組機関紙の記者が「家族の恥」から「国家の責任」へのパラダイムの転換を

  感じさせた証言とおっしゃったのが、実に腑におちました。

  まさにその通りの、お三方の証言でした。

  また、中村江里さんのことばの選び方の巧みさ「終わらない戦争」「語りはじめた兵士のこども

たち」「公的なスティグマ、セルフスティグマ」「個人や家族の中に隠されてきたトラウマを社会に開く」歴史が動き始めたという力づよい言葉に感銘を受けました。

 ②吉田さんの講演 著書『日本軍兵士』がそうであるように、アジらない、煽らない、関心があるのは事実だけ、事実を明らかにすれば本当のことはおのずと見えてくるという姿勢に感服しました。日本軍の戦争神経症対策は「詐病の摘発」であり「殴打、飢餓、首枷」で詐病を告白させたというおぞましい歴史の事実。

  記者会見。さすが記者さんという質問あり、メディアの奮起をうながす発言ありで楽しい記者会見でした。「パラダイムの転換」に触れて、中村平さんから「黒井さんの問題提起を初めて聞いたとき、日本兵の加害性を削減する役割を果たしてしまうのではないかという危惧をもった」という興味深い発言がされた。戦後の日本では、きちんとした教育がされないまま「悪の権化」としての日本兵像だけがあった。黒井さんの問題提起はそれを揺るがした。軍人のなかの加害性と被害性の両方を見る必要がある。ヒロシマにしても同様だ。ヒロシマにも「加害の責任」があるという発言が迫力でした。

どの発言もすばらしかった。実行委員会で可能なかぎり文字おこしをし、公表可能なかたちにしてほしい。

  10時に集合した30名の実行委員のみなさん(自分もその一人ですが)に敬意を表します。

 

 

3,①一人30分必要だった。森倉さんが時間を気にして駆け足でお話しして下さったのが残念です。3人とも内容はどれも重要で貴重なものでした。この活動を形にして残すことと伝えていく必要があると思います。

②なかなか得られない情報ばかりでした。物質的に戦う前から負けることは明らかなのに、なぜ戦争に走ってしまったのか、日本人はバカだとつくづく思います。それを周りの人々が止められなかった点についても同様です。吉田先生の研究は貴重で素晴らしいと思います。

③掛け合い、興味深かったです。

 

4,③面前DVで育った孫世代への世代間連鎖の指摘は私自身に当てはまることと感じています。吉沢さんのお父さんのように、理屈で相手を打ちのめす様な物言いを私もしてしまいます。自分でも自制ができなくなる自分に後でおののくことがしばしばです。

 この問題が過去のことではなく、亡くなった父や母だけの問題でもなく、私自身にも私の周囲にも(このあたり、判読不能=黒井)影響を与え続けている現在進行形の問題だと痛感させられています。

 

5,①生活の多くの時間を戦争体験のフラッシュバックとして支配している、繰り返しその生活が続いていくことが印象に残りました。

②日本兵の太平洋戦争中の生活環境の悪さも精神疾患に繋がったのだと言うことが分かりました。

 

6,①(元気のいずみで知ったので)このように大規模とは想定外でした。16時に終わると思い昼食抜きでした。途中で席を立てず、中村先生の本代で財布の中身が消えて(他の本の欲しかった)、それでもわずか数行のお知らせで参加決断したことをほめたいです。吉田先生のお話しに驚き、軍歴の調べ方があることも分かり、やってみたいと思います。

母の長兄が広島の被爆者だったので(晩年になって体験を語りました)原爆禁止は早くから身近にありました。

米国ではベトナム戦争経験者(VFP)の中のPTSD問題も注目されました。日本でもきっとあるはず、、、なのに調査からも取り残されるのでは(人権意識の低さ)と感じていました。2000年前後にはアレンネルソンさんの講演も各地であり、黒井さんも聞かれたのでしょう。日本政府の“棄民政策”でずっと省みられなかったことがやっと陽の目を見たことに席を立てませんでした。

メディアへの要望も語られ良かったと思います。

それらの全ては今後二度と同じ過ちを繰り返さないためです。世界で起きている暴力、争いを「止めることに繋がるように。

 

7,素晴らしい会でした。トラウマの研究は欧米では半世紀前からあるのです。日本では知られなさすぎます。

 

8,①皆さんのお話を直接お聞きするのは初めてでした。その言葉を聞きたくて、今日参りました。ありがとうございました。吉沢さんの「父は暴力は振るわないが家の中には見えないがピリピリしたものが家族のなかにありました」という言葉、同感です。あれはしんどかった。私もプチ隠れ引きこもりです。

 ②吉田さんのお話しは、さまざまな方々の著書など紹介下さり感銘を受けました。一つ一つよ無気力が足らず、黒井さんの会報で拝見するだけに終わっていました。しかし、戦前戦後にも「日本軍兵士を人を人として扱っていない」というきちんとした指摘をした方がいらしたのだと“灯”をいただいた思いです。

 

9,①お三方の貴重なお話しありがとうございました。短い時間でしたので、もっとじっくり聞きたかったです。

 ②データを基に兵士の状況を具体的に聞くことができてとても驚きを覚えました。日本人の良さが戦争中に失われて(秘匿され)権力者に都合の良いように操作されていたと改めて感じました。当時の日本の状況、日本人の思想がどんなものであったのか実感を持って想像しがたいのですが、自らの意思を表明することが“上手ではない”日本人が変わっていかなければ“付和雷同・同調圧力”が続くのだろうと思いました。

 

10,全体主義、統制主義、学校で左利きを右利きに、軍隊では銃を使う時に右利きに強制された。帰還兵の先生が軍隊体制教育をしていた。運動部では体罰が当たり前が近年まであった。今80歳代は精神的に残った考えをして、奥さんに暴言暴力をふるっている現在である。

 

11,①今まで封印されていた記憶を公衆の前で勇気を持って話していただき大変心に響きました。(特に吉沢さん)家族の問題は外部には語りづらく知られたくない思いもありますが、その問題に社会的意味(問題)があることに気づけることは人生を変えることになると思いました。

 ②吉田先生のご講演は兵士の体格(身体)や心という中々つかみとれない内容を資料と先生の膨大な知識に裏づけられていてわかりやすく興味深かったです。かつて初年兵が40㎏の弾薬箱をかついでビルマルートを歩いたと聞きました。かなりつらかったでしょう。良く分かりました。

 ④言葉では言い表せないです。とても心に響きました。どうもありがとうございます。私は戦友会研究をしています。元兵士がいなくなった後、女性たち(娘)が語り始めています。

 

12,日本の秘密主義もあり、PTSDで困っていることは中々広まっていません。戦争の悲惨さを再認識してもらうためにこの事実を広めていく必要があるでしょう。

 

13,貴重なお話しありがとうございました。PTSDの症状は人それぞれであると感じ、この存在をもっと世の中に広めるべきだと思いました。今日の証言、また交流会の中でしか話されないような内容を匿名でも良いので文字に起こして本にしていただければと思います。また交流館が大きな資料館として大きく後世に残すことができれば良いと考えました。

 

14,①衝撃的な家族の証言でありました。外国人に比べて日本兵のPTSDは極端に少ないと聞いていましたが、実際はPTSDが自分の父親にもあったし、もっと沢山いただろうという実話には涙と驚きなしには聞けませんでした。“PTSDの会”を立ち上げた黒井さんの行動力と戦争を絶対に起こしていけないという強い気持ちが心に響いてきました。

 ②吉田裕先生の「兵士の心と身体をめぐる諸問題」についての講演も素晴らしいものでした。先生は現在「東京大空襲戦災資料館」の館長であり尊敬しています。ぜひ研究者としてもこの家族会と連携して励ましていってもらいたいと思います。

 

15,まだまだ戦後は終わっていないと感じます。復員日本兵だけでなく、被爆した子どもたちが生き残り、その時の悲惨な体験が繰り返しよみがえってくるなど、PTSDはいろいろなところで起こってきたんだろうなとも思います。復員兵のPTSDでこれだけ多くの人たちが苦しんできたことを初めて知りました。空襲で負傷した人たちに対する賠償もしていない日本ですがPTSDで苦しんだ復員兵にも賠償すべきだとも思いました。

 

16,①歴史の授業で扱われて来なかった兵士とその家族の葛藤や苦悩を聞けるとても貴重なお話しでした。次回も参加したいと考えております。

 ②食料や物資による国力の差、日本人の戦争観と兵士の関わりを詳しくお話しくださり勉強になりました。戦争期における兵士の人権の軽視が問題であると思いました。

 “質問”➡なぜ、軍首脳部は兵站や兵士の健康状態に気を配ることをしなかったのか?
戦後復員兵に対する保護は十分であったか。また、世間からはどう思われていたか?

 

17,⑤中村江里さんの「戦争とトラウマ」を読みました。「なんで今までなかった事にできたのか」も少しわかりました。一端は私たち市民の側にもあったこと。白衣の人が新宿に座っていたことを覚えています。が、あとで調べて何も出てこなかった覚えがあります。「公」の歴史で消してしまう。今も続いています。来年楽しみにしています。

 

18,非常に勉強になりました。

 

19,アメリカなどの従軍兵については報道などで知っていたが、アジア太平洋戦争時に日本兵の除隊後の実態としては黒井さんの三多摩健康友の会での訴えで知ることになりました。戦後、ご本人はじめ家族の苦労には大変心が痛む思いで拝聴いたしました。広く世界に知らせていく活動に敬意を表する次第です。1945815日に終戦を迎えましたが、未だ終戦を迎えていないことを知りました。今後の奮闘、陰ながら応援したいと思いました。すばらしい勉強会になりお疲れ様でした。

 

20,⑤戦場のPTSDを知ったのは米兵の帰還兵のニュースからでした。ベトナム戦争後の映画にも帰還兵の自死が描かれていたと記憶します。今日の会でもお話のあったアレンネルソンさんの「あなたは人を殺しましたか」を読み、訪日中のネルソンさんの講演会にも参加して過酷な戦争体験が心と人格を破壊することを知り、反戦を訴えるのはもちろんのこと、兵士たちのケアを法的に制度的に整える必要を痛感しています。日本の場合、戦場のPTSDが明らかになったのは小泉政権の自衛隊イラク派遣でした。現在40人を超えていますよねPTSDにより自死した自衛官は。職場復帰できない方も相当に上ると聞きます。アジア太平洋戦争の被害者がいることを知ったのは2018年のNHKでした。あれは衝撃でした。黒井さんのカミングアウトで最初の一人が明らかになり、次々見つかり声を上げられることを期待しつつ、安保法制化で米軍と世界中どこへでも派兵されることになった自衛官への医療バックアップ体制を構築していかなくてはと思います。

こういうと自衛官が加わる戦争を前提にしているようで心苦しいです。基本は全ての戦争に反対し、この小さな島国家が生き残る戦略は平和外交しかないと確信しています。

PS北村先生のお話しで、、、戦争の子ども世代、孫世代の“戦争を語り合い継承する”自助グループがドイツに現れているとのこと、世界的なムーブメントにして行きたいです。

 

21,“歴史が動いた”という言葉がありましたが正にそれにふさわしい会になったと実感します。夫婦や親子の個人的問題と思われたものが歴史的社会的な問題であることに気づかされることは普遍的問題だと思います。

 

22,①本人、ご家族にとってどれだけ苦しくつらい戦後であったことか。振り返り語られる勇気に敬意を表します。

 ②一銭五厘、赤紙一枚と聞いたことがあります。人命、人権思想のなさ。戦後反省できなかった日本。人を人とも思わぬ戦前が始まっているように感じます。戦争を準備させぬ市民一人ひとりの戦いをこそと思います。

 

23,なかなか中身の濃い集会でした。勉強になりました。

  もう少しご家族のお話を直接お聞きしたかったと思います。父親の振る舞いが従軍体験に基づくものであると受けとめられた時、初めて父親を取り戻したと感じられるように思いました。たとえ、攻め込まれたとしても戦争はしないという決意があってこそ、外交努力によって他国との利害対立を解決する姿勢が確固となると考えます。

中村先生のご研究ももっと聞きたかったです。

  吉田先生の資料を確認しながらのお話しは大変説得力がありました。「日本軍兵士」読ませていただきます。ありがとうございました。

*来年については感染状況が(2020年~2022年)ピークになる8月上旬を避けて下旬にしていただければと思います。

*李素楨さんのお話しに触れられたことで、日本軍の戦争犯罪が現地の被害者はもちろんのこと、加害の側にいた日本軍兵士の内面にも深刻な影響を与えた、その両面が見えて来たように思います。集会の成功おめでとうございます。

 

24,①理由が分からないまま、戦後「人が変わった」ようになられた家族を受け止めて来られた方 

   の人知れぬ苦しみを思いました。終戦、停戦で終わる戦争はないだろうなあ。

  今回、兵士の身体性が戦争にどう壊されていくのかが良く分かりました。ありがとうございました。吉田先生の人間味も合わせて感じられる良い講演だったと思います。

  メディアの役割をめぐってのやりとり、すごく良かったです。加害と被害の複層性?個人の問題に矮小化させるのではなく国家の責任を問うことが大事というのに共感です。

 

25,①貴重な会を企画下さりありがとうございます。戦争は参戦した当事者(兵士)だけでなく、家族や社会、何年にもわたって傷(PTSD)を被っていると思います。社会に向き合うにも時が必要だったのかもしれません。でも“無し”にはできないですね。

  吉田先生のお話し➡「軍歴証明」について参考になりました。軍人遺族年金を最近他

界した母が受け取っていましたが、どういう条件や軍歴で対象になるのかと思っていました。

・会場での録画に関して、会の趣旨とは別に今、個人情報のこともありビデオ撮影への配慮が求められていると思います。

 

26,職業軍人だった祖父と私の父の不和について考え続けてきました。今回のお話しを聞いて新たな視点を持つことができました。すでに祖父は亡くなっていますが、幸い父は健在です。父の心の整理の為に父自身の話しを聞いてみようと思いました。ありがとうございました。

 

27,①戦争を体験した世代が少なくなるにつれて、戦争の勇ましさを声高に主張する人々が増えたと思います。PTSDに苦しんだ日本兵の声を(あるいはその家族の声)を丁寧に拾い上げることが戦争の実相を後世に残し平和の礎になることを本日の会に参加し確信しました。

・戦争はプロパガンダに彩られます。そして形のないイデオロギーに支配されます。しかし、身体こそ戦争の実態を理解する機能です。兵士の身体を通した吉田先生の戦争のとらえ方はとても大切であり、さまざまな社会的な事象を理解するための一つのツールになると思います。とても有意義でした。

 

28,黒井さんの活動が実ってこのようなPTSDの問題が世に出始めたことは大変意義深く、戦後の日本の歴史への再評価になると思います。声を上げた人々の勇気に感謝です。

 

29,レジュメの表紙にあった写真「戦争はしません。白旗を掲げましょう。話し合い和解しましょう」の言葉が心に残りました。ウクライナ戦争で軍備増強が叫ばれる中、上の言葉がまさに胸に突き刺さりました。9条を持つ日本こそ上の言葉の精神で進むべきです。

・黒井さんのお話しを聞くのは2度目ですが少なくとも300万近い家庭(兵士)がPTSDに悩まされ、放置され苦しんだ戦後を思い、ぞっとすると共に国家の無責任さに怒りが湧きました。軍隊自体、暴力が横行していたため復員兵士の家庭で父親が暴力をふるうことを時々耳にしました。

 

30,①黒井さんのお父様の晩年の映像は非常に衝撃を受けました。ご家族のことを語られるのは本当に心が痛むと思いますし、とても勇気がいることだと思います。ありがとうございました。

 以前、西東京市の公民館で何人かの人と話をしていて、特攻に行く直前で終戦になったという体験を話された方がいたのですが、それに誘われるように別の方が「自分の父親は戦争体験して帰ってきたが、家では妙に恐かった。それは戦争体験したからなんだろうなあ」というような話をしていました。程度の差はあれ、おそらく帰還兵を迎え、生活した家族というのは何らかの傷を負っているのかもしれません。ちょっとした会話の中に見えることを落とさず聞いて行きたいなと思います。

  海軍の艦艇の環境が劣悪で精神神経症疲労が目立つという内容に吉沢さんのお父様が戦艦沈没で九死に一生を得たとおっしゃっていたことを思い出し、吉沢さんのお父様もそんな体験をされていたのだろうと思いました。また、先日NHKハートネットTVの「戦争が聞こえる」という番組で盲学校の生徒が戦争に協力せざるを得なかった内容が描かれ、それちょ関連することも語られていて、このことについても知っていきたいなと思いました。

 

31,私の父は南部戦線(タイ?)で補給部隊(トラック部隊)の士官として従軍した。戦後、会社員としては仕事を全うしたが、家では「アル中」で、休みの時は朝から飲んで母や兄を罵倒していた。父呉から聞いた唯一の戦争の話は、士官として捕虜の首をはねた時の話である。「首をはねたとたん、その捕虜は立ち上がった」との話しだった。父は家族に戦争の話はしなかったが後になり、小学校で戦争の悲惨さについて話していたらしい。多分晩年になってそれが父の贖罪だったのだと思う。小学校で話した内容がビデオに残っています(多分)。

 

32,私の父も南方から帰ってきましたが自分の記憶では父にPTSDの覚えはありません。ベトナム戦争当時のアメリカ兵のPTSDが一時期マスコミに話題になったことを覚えています。

 

33,戦争についてはできる限り知ろうとして歴史書や文学作品に触れてきましたが、一番知らなくてはいけないことは戦争が個々人の心身にもたらす影響だと思いました。今回はその核心的な内容について教えてもらいました。これからも考えていきたいと思います。

 

34,①つくづく戦争がなければご家族がこんなに苦しむ事はなかったし、元日本兵の方の受けた理不尽に対する怒りが家族の社会にしみ出していっているように感じます。(これを家庭の問題に押し込めたい人たちがたくさんいそうです)知らしめていかないといけないと感じました。

②吉田先生は映画などで良くお顔は拝見していましたが、初めて講演を聞けて嬉しかったです。「兵士個人が我慢すればなんとかなる」的な人命軽視、今の日本の自己責任論の根源を見るような思いです。日本の経済的な衰退も突き詰めるとここに収斂していくような気がします。現実から目をそらして正しい対策を取らない、今も同じだなと思いました。

 

35,黒井秋夫さんの今の活動を見ると、戦争にさえいかなければおとう様は今の黒井さんのように積極的に行動されていただろうと思います。30年以上経ってお父様の苦しみに気づいてあげられたことは何より供養になったと思います。PTSD復員日本兵に対して戦中の事ではなく戦後も隠し続けてきた日本政府は今と少しも変わっていないと思います。

 

36,証言がメインと思いましたが発表時間が短くなり、」急がされたものになったので残念です。じっくり時間を取り聞きたかったです。来年も参加しますので御藩士をじっくり聞かせてください。

 

37,本日はこのような貴重な機会を作ってくださりありがとうございました。お恥ずかしいですが戦争を知らない世代の私にとっては、復員日本兵の方やご家族が戦後もPTSDに苦しみに闘ってこられた事実を初めて知る機会になりました。そして大変衝撃的な事実で言葉が見つからない程の事実でした。戦争は人の身体を傷つけ、命を奪い生活を奪ったことはもちろん、心にも耐えられない傷をもたらすことを改めて認識しました。昨日も被爆者の方のお話も聞かせていただきましたが、今の戦争に苦しめられている方が大ぜいいらっしゃることを私たちは決して忘れてはいけないと思います。

また、今まさに戦火の中にいる人々や子どもたちがどれだけ心の傷や恐怖を背負っているのかと思うと胸が本当に痛いです。ウクライナへの軍地侵攻を一日も早く終わらせるとともに、日本も二度と戦争のできる国にしてはいけない!!と強く思います。

話はずれますが私の娘は精神障害者です。娘の場合は現在社会にうまく適応できずに発病してしまいました。暴力などふるうことはありませんが、娘が病気を抱えながら生きることを支える家族も時々心が折れそうになります。きっとPTSDの日本兵のご家族も私と同じように人には言えない他人には分かってもらえない、きっと私以上の辛い思いをしながら支えて来られたと思います。そういう意味でも共有できる思いをたくさんできた機会になりました。ありがとうございました。

 

 

38,証言集会に来るのはとてもしんどい事でした。家族の関係を否定することだと思われていたので口にするのがはばかられた。言ってみるとそれぞれがそれぞれの知っていることで

横浜市従労組さんが機関紙で証言集会を報道しました。続編もあるようです!
報道いただいたことに心から感謝申し上げます。

PTSDの日本兵と家族の思いと願い

証言集会・実行委員会開催案内!

PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会・実行委員会11日(日)14:0016:00

武蔵村山市中藤地区会館で開催いたします。

今回は87日の第1回証言集会の感想振り返りを中心に交流いたします。

「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の運営についても時間があれば論議したいと思っています。今回もどなたでも参加できます。多くの皆さんのご参加をお待ちしています!!

https://www.ptsd-nihonhei.com/

 

 

 

毎日新聞(8月16日、17日)3面で日本兵のPTSDの記事が全国に報道されました。

8月17日(水)鶴岡市アートフォーラムでの講演会が地元の新聞、山形新聞と河北新報で報道されました。

2022年8月23日(火)曇り。交流館にて。
★8月17日の「黒井秋夫さんのお話しを聞く会・於、鶴岡市」の実行委員の皆さんに概ね下記のような感謝の気持ちをお伝えした。
♦『8月17日のお話しを聞く会は本当にお手数おかけしました。心から感謝申し上げます。
50人以上の参加者になり、しかも多士済々、私の心に深く刻み込まれる会になりました。
翌18日にはYBC山形放送で放送されました。
9分20秒と思いの他長く、交流館、証言集会、鶴岡のお話し会も網羅してとても良い内容で感心しました。
当日の運営もとてもスムーズで、感想意見も活発で、答える方も「話す会」で触れきれなかったこともお話しできました。
いつかは生まれた鶴岡で話さねばならないと思っていましたが、短い間にどんどん決まり、あっという間にその日が来ました。
お話しする17日の朝は新潟市の我が家でむかえましたが、言い足りないことがいくつも浮かんで、4時には目が覚めパワーポイントの最初に二コマ付け加えるなどいくつも変更しました。
生まれた故郷で、しかも触れたくなかった父のことを、自分を良く知る皆さんに話すにはそれなりの覚悟が必要でした。
しかし、話し始めたら、父の事実に気づいた時には、この人たちにこそ真っ先に話さなければならなかったんだと思えてきました。
来ていただいた隣近所の人たち含めてこの人たちに理解してもらえたら、これほど力強いことはない!と思いながら話していました。
そしてあっという間に、その時間は終わりました。
とても充実した思いが心に溢れました。
お話ししたかったことは余すことなくお話しできたように思います。あのような素晴らしい場を作っていただいた実行委員の皆さん、同級生の皆さんには感謝のしようもありません。
ただただ、ありがとうございます!のことばを差し上げるだけです。
願わくは、これが終わりではなく、最初に過ぎないと思っていただきたいのです。
命ある限り、言葉が話せる限り、黒井秋夫はお話しし続けます。
「PTSDの日本兵の存在」を多くの人に知っていただくことが「日本が二度と戦争をしない。誰もが安心して暮らせる平和な社会」に結びつくと信じています。
これからも、どうか私の背中を押していただきたい。支えていただきたい。この度は本当にありがとうございました。心から感謝申し上げます。これからも健康に留意されてお元気でご活躍ください。今後もよろしくお願いいたします。ありがとうございました』♦
★鶴岡でのお話し会から1週間になろうとしている。
 「肩の荷を一つ降ろした、心のつかえを一つおろした」ことは間違いないようだ。どこかすがすがしいような、ぼんやりと垂れこめていた霧が晴れて、遠くまで見渡せるような気分を感じている。背負っていた父親の重さの幾分かを天上の世界に解き放ったような気がしている。
「父親の人生の果たせなかった思いの万分の一でも背負って生きる語り部になる」と、ピースボートから下船する時に宣言したが、6年以上経過して、少し軽くなったような澄んだ気分に触れて、ある種の気負いを持ち続けてきたんだなあと思いつくのだ。
父親の魂を天上世界に戻すとしたら、それはやはり父の生まれた山形、庄内、鶴岡の空に帰すのが一番ふさわしい場所なのだろうと思う。
鶴岡で日本軍復員兵・黒井慶次郎の無念の思いと、二度と戦争をしてはいけないとする無言の遺言を伝えることができたと言うことは、息子としての責務の一つを果たしたといえるのではないだろうか。
それらが相まって肩の荷を一つ降ろしたという今の感情になっているように思う。
それでも、鶴岡の実行委員の皆さんに
『願わくは、これが終わりではなく、最初に過ぎないと思っていただきたいのです。
命ある限り、言葉が話せる限り、黒井秋夫はお話しし続けます。
「PTSDの日本兵の存在」を多くの人に知っていただくことが「日本が二度と戦争をしない。誰もが安心して暮らせる平和な社会」に結びつくと信じています。
これからも、どうか私の背中を押していただきたい。支えていただきたい。』
と、書いたように、鶴岡でのお話し会は鶴岡に限っても序章なのだと多くの皆さんにもお伝えしたい。
まだまだです。本番はこれからです。これからこそが大事なのです。と皆さんにご理解いただきたいのです。
皆さん、これからもよろしくお願いします。
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会・PTSDの日本兵と家族の交流館」代表 黒井秋夫。
★写真は水田に浮かぶ鳥海山と真っ白な月山。
 両方とも黒井の生まれたところからは良く見える。鳥海山は北の方角に端正な全容が見えるが、月山は近いが手前の山にさえぎられて頂上に近い狭い月山しか見えないのが惜しい。
月山は10km北方の鶴岡市付近から見るのが雄大で一番と思う。
8月17日の「お話しの会」の日は珍しく夏も残る幾つかの雪渓を抱えた鳥海山が見えていた。私に「今日は頑張れよ!」と言っているように感じた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/d07f8b42aad787843addd622d9faa6dccce51d60

 

      2022年8月17日(水)鶴岡アートフォーラムで開催された「黒井秋夫さんのお話を聞く会(参加者54名)」がユーチューブにアップされました。

アップしていただいた草島進一さんに深く感謝申し上げます。

https://l.facebook.com/l.php?u=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3D8cBcEn5PfVs%26fbclid%3DIwAR18iYqUwZtFE8RS7kdh19H2aQA-yAfrxXjYIfBkovDGPUCGDPWBPiZKzh8&h=AT02IDnjbJxps5cC6tNNhnQOaBK9XwJs8C2DDSuruELW-6qkQSBke_uEAFuCsq5ym1Xv-53a5cTGTSJqZM0bB6BeBMu5I-tWuqMqrAUvVgu1CaSxF9CMiDWniTiFcaiKg3boxU-p6eC235FyOI9b&__tn__=%2CmH-R&c[0]=AT109gn3gNDdmZlsx3lToq5WZDip1Bt1C0o19JiN-jCbzAFdUl4WtMLeufgCMO4jn-AifsQL9eLhvnYWFTjA86wxv5CVF0wneibQCKt8g7lcwx8EkLclBHS77NhPjHV3BhxGozEzfiGAOho64lsyPZoH

https://mainichi.jp/articles/20220816/ddm/003/040/111000c            8月16日(火)毎日新聞で報道されました。

8月16日(火)朝日新聞で報道されました!

8月17日(水)山形県鶴岡市(黒井秋夫の出生地)アートフォーラムで「黒井秋夫の話を聞く会」が開催されます。   鶴岡市の市民団体と小中校の同級生たちが企画してくださいました。感謝の気持ちでいっぱいです。            山形新聞に告知記事が掲載されました。

PTSDの日本兵の家族の思いと願い・証言集会ニュース

ヒロシマ通信1624号・8月12日版(竹内良男さん発行)で8.7証言集会が紹介されました!

証言集会実行委員会・

語り合う会合同ニュース

2022.8.10 発行

 

PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会が開催されました!(2022.8.7)

★実行委員会の皆さんに心からお礼申し上げます。

武蔵村山市市民会館小ホールに午前10時に(武藤さんは8時前に交流館にお出でになりました。小ホール搬入口には9時前に内野さんなどお集まりいただきました。皆さん全て自主的に!)集まっていただいた34人の実行委員さんのテキパキとした臨機応変の対応で何の混乱も起きず、順調に運営できました。実行委員の皆さんに深くふかく心から感謝申し上げます。

 

PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会」はPTSDの日本兵の家族が「家族の恥と思い隠してきた、言葉にできなかった」事実を社会に自ら発信するという歴史的な集会になりました。

 

参加者201人、報道は914人、研究者7人にお出でいただきました。

出征した父の初任地、吉林省公主嶺の出身、中国人歴史研究家・李素楨さんも駆けつけてくれました。2020823日、日本兵の歴史研究の為に交流館に来館された李素楨さんに、出生地を聞き驚いて、父の引き合わせと直感して、日本兵父の蛮行を謝罪して以来、交流が続いています。黒井は証言の途中で紹介して最前列の李素楨さんと握手をしました!

 

最後のPTSDの日本兵の家族交流会では関西から来られた二人の女性の方がゆっくりゆっくり言葉を選び、長い間心に抑えていたご自分の体験をお話しされました。胸が詰まりました。

権力が隠してもかくしても決して痛みを抱えた庶民は黙って引き下がることなどないのだ!

これからも、次々と押さえられた声が地の底から湧き出て来るに違いない!

これからもPTSDの日本兵の家族たちがお話しできる場を作ります。

★証言集会のまとめの実行委員会を下記日程で開催します。

 証言集会に携わった思い、良かったこと、改善点、感想などを出していただき交流いたします。

 来年の証言集会をどういう目的、どういう内容で開催するか、どういう準備をするか、などの意見、

思いも出し合いたいと思います。ぜひご参加ください。

 911日(日)14時~16時 武蔵村山市中藤地区会館

2,証言集会までの歩み

314日 相談会(野崎、吉沢、森倉、黒井)於・交流館

412日 相談会(野崎、吉沢、森倉、黒井)於・交流館

515日 相談会(野崎、吉沢、森倉、黒井)於・交流館

612日 オープン実行委員会 12人参加 於・中藤地区会館

717日 オープン実行委員会 14人参加 於・中藤地区会館

731日 オープン実行委員会 20人参加 於・中藤地区会館

87日 証言集会当日、各部署でお手伝いいただいた皆さん 34人!

3,会計報告

*証言集会参加者 201名(報道関係、高校生など19名は無料)有料参加者182

■収入合計 221.263

・資料代182名×500円=91.000円 

・会場カンパ 100.263円 特別カンパ 30000円 

■支出合計 142.676

・小ホール会場費 67.495円 ・実行委員会会場費 4.247円 

・研究者、映像協力者謝礼 40.000円 ・資料印刷代 2.680円 ・カラーチラシ印刷代 16.350円 

78.587円の黒字になりました!

4,2023年証言集会について

来年2023年は武蔵村山市市民会館の小ホールから大ホールに場所を移します。

更にいつか、東京日比谷公園大音楽堂で開催する規模の「証言集会」を実現する覚悟です。

2023年の日程は820日(日)開催を予定いたします。

これからも皆さんのご支援をよろしくお願いいたします。

5.「戦争をしてはいけない」を子どもたちに伝える活動に力を入れたい!

★東伏見学童クラブ 「平和学習」

8510:3011:40 1年生~4年生70人程と先生8人。 

・ロシアのウクライナ侵攻、日本軍のアジア侵攻から始まった長い戦争の歴史、1894年日清戦争 1904年日露戦争 1910年日韓併合 1931年からの15年戦争 1941年太平洋戦争 そして1945年の敗戦、

沖縄が戦場となり、広島・長崎に核兵器が使用され、東京などの都市空襲で日本は焼野原になりました。日本の50年に及ぶ侵略戦争の結果、何を得たのか。子どもたちに質問しました。「無意味―むいみー」と子どもたちは一斉に答えました。

 

*武蔵村山市青少年教室 「戦争について考えてみよう」 830日(火)

・対象 小学生・中学生・保護者同伴可 主催 教育部文化振興課生涯学習係

・東伏見学童クラブと同様、日本が始めた戦争を写真を使用して質問形式で進めます。その後、ある日、外国軍が攻めてきてミサイルが今いる場所に打ち込まれたらどうするか、どうしたら生き残れるか?を、みんなで考え、出し合い、発表するやり方で進める予定です。必ず生き延びる方法はない、と言うこと、戦争をしないことだけが生き延びる道であると気付いてもらいたいと考えています。

 

6,8.7証言集会が報道されました!

★東京新聞夕刊」が202288日(月)報道しました!

共同通信配信で次の21社が記事を掲載しました!

北海道新聞 東奥日報 岩手日報 秋田魁web 福島民報 信濃毎日 下野新聞 

千葉日報 東京新聞WEB 神奈川新聞 福井新聞 大阪日日 神戸新聞 中国新聞 

徳島新聞 高知新聞 西日本新聞 熊本新聞 宮崎日日 沖縄タイムス 

DAILYSUNNEWYORK

戦争の心の傷、実態調査を 元兵士の家族ら証言集会

8/7() 19:45配信

東京都武蔵村山市で開かれた、PTSDを抱えていたとみられる元兵士の家族による証言会=7日午後  太平洋戦争の戦地から復員し、心的外傷後ストレス障害PTSD)を抱えていたとみられる元兵士の家族による証言会と交流会が7日、東京都武蔵村山市で開かれた。「戦争による心の傷に苦しんだ兵士と家族は長年、隠された存在だった」として、国などに実態調査をするよう訴えた。  同市の「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が主催し、約200人が参加。埼玉県川越市の吉沢智子さん(67)は、海軍将校だった父の暴言に苦しんだ体験を語り「父は戦後の社会に適応できなかった。わが家にはいつも恐れや怒りが渦巻いており、家族は引き裂かれた」と振り返った。

カンパ振込先口座名義 PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会

★ゆうちょ銀行からの送金(郵便振替用)ゆうちょ銀行口座。 記号 11390・番号 21576251

★ゆうちょ銀行以外からの送金 (内国為替用)ゆうちょ銀行口座

★店名 一三八(イチ サン ハチ)・店番138 ・普通預金(口座番号)2157625

「語り合う会」と「PTSDの兵士の交流館」連絡先

黒井秋夫 08011213888 ホームページ https://www.ptsd-nihonhei.com 

208-0001武蔵村山市中藤3-15-4 ★メールアドレス qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp

「語り合う会」通信は周辺600世帯と武蔵村山市の市長・副市長さん、市議会議員さん、教育委員会、

市立3小に配布。報道各社に配信しています。

 

「しんぶん赤旗」が202289日(火)報道しました!

★呆け天残実録紹介

https://boketen.seesaa.net/

実行委員として参加した方の集会の紹介が早々とブログ紹介されましたのでお知らせいたします。

★UPRANさんがYouTubeに証言集会を動画配信しています!

(134) 20220807 UPLAN PTSDの日本兵の家族の思いと願い・証言集会 - YouTube

 

(134) 20220807 UPLAN【記者会見】PTSDの日本兵の家族の思いと願い・証言集会 - YouTube

8.7PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会をYouTubeにUPRANさんが動画配信しました。

下記アドレスをコピーしてご覧ください。

 

https://l.facebook.com/l.php?u=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3D9g_pTH3zsww%26fbclid%3DIwAR0Y16_3o-8_5KwoLi8IJIw6Hkmefa2jbfs5ZCWDvhHuauj61fA6-gmoY4M&h=AT0Fo_AIdg6cPR_WBspIhdB8EygY6Re3mGkcvYxceDZEEiNS6fbwgt6rPzrLg1a3KLBvcQLjbXVyOraXGptAeW7-zaWzS9y_5szCiBedVfGtnPM6wJcOmjxI2aupD0OCvZw4i5j3uGciHfLZER6b&__tn__=-UK-R&c[0]=AT1_I-ebvjIYKaFi8G3HRXgmjiw1ivAnfQcQCfghIqMRzAzBSCPjrUiL9swh7H8L06bDCSW6FEAperNgQBhy2ibcmPREesiy0WkDFzF1vRHBmB5wYSmxDt0GpUpkUFxHL0JE

8.7 PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会」が共同通信配信で次の各社が記事を掲載しました!

 2022年8月9日(火)

「8.7 PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会」が共同通信配信で次の各社が記事を掲載しました(黒井がNETで検索確認した範囲です。ほかのメディアが掲載している可能性があります。気付きましたら教えて下さい)!
北海道新聞 東奥日報 岩手日報 福島民報 信濃毎日 下野新聞 
千葉日報 東京新聞WEB 神奈川新聞 北国新聞 福井新聞 
中日新聞 大阪日日 神戸新聞 中国新聞 徳島新聞 高知新聞 
西日本新聞 熊本新聞 宮崎日日 沖縄タイムス 
DAILYSUN・NEWYORK

 

 

「8.7 PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会」をしんぶん赤旗が2022年8月9日報道しました!

8.7証言集会が8月8日(月)東京新聞夕刊でほうどうされました!

2022年8月7日(日)
「PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会」が武蔵村山市市民会館小ホールで開催され、PTSDの日本兵の家族が「家族の恥と思い隠してきた、言葉にできなかった」事実を社会に自ら発信するという歴史的な集会になりました。
参加者201人、報道は9社14人、研究者7人にお出でいただきました。集まっていただいた30人の実行委員さんのテキパキとした臨機応変の対応で何の混乱も起きず、順調に運営できました。
実行委員の皆さんに深く深く感謝申し上げます。
最後のPTSDの日本兵の家族交流会では関西から来られた女性の方がゆっくりゆっくり言葉を選び、長い間心に抑えていたご自分の体験をお話しされました。胸が詰まりました。
権力が隠しても隠しても決して痛みを抱えた庶民は黙って引き下がることなどないのだ!
これからも、次々と押さえられたいた声が地の底から湧き出て来るに違いない!
これからもPTSDの日本兵の家族たちがお話しできる場を作ります。
来年2023年は武蔵村山市市民会館の小ホールから大ホールに場所を移します。更にいつか、東京日比谷公園大音楽堂に開催するような「証言集会」を実現する覚悟です。
これからも皆さんのご支援をよろしくお願いいたします。

 

8月3日(水)の「しんぶん赤旗・くらしの情報」でお知らせされました。

8.7証言集会が8月2日の東京新聞多摩武蔵野版に掲載されました。

証言集会の証言者、森倉三男さんが本日、7月29日(金)の「しんぶん赤旗」に紹介されました!証言集会も記事の最後で報じられています!

■証言集会賛同者の皆さん

(7月27日現在 61の団体・個人)

麻生禎子 井川晶子 石川豊子 石川昌宏 梅垣仁 江頭晃子 遠藤美幸 太田恒久 大類善啓 

尾形淳 荻田如月子 神代洋一 川北勉 川上哲 河村洋子 北村毅 北川れん子 黒田恵 黒田多聞 小泉恵美 佐藤定夫 佐藤正兵 佐藤三保 三多摩平和交流ネットワーク サンホセの会 清水寛  常慶良輔 杉浦ひとみ 鈴木徳子 重元勝 市民社会フォーラムとあけび書房 高橋正博 長南光 椿逸雄 寉田一忠 富田宗廣 永田恵子 中村江里 中村平 西村一郎 2021+VFPpieceスピーキングツアー実行委員会 原文夫 平田利文 福嶌繁男  藤井洋子 藤宮礼子 町田よし子 水戸喜世子 むらき数子 室田元美 森彪 森下大輔 矢間秀次郎 矢野宏 山田純一 山本智美 横田基地の撤去を求める西多摩の会 吉川由貴 吉沢真次   レイチェル・クラーク 

2022年7月23日(日)
「ちゃぶ台の会(藤宮礼子さん)」主催の「私たちが見た戦争と平和への祈り~PTSDの復員兵士と暮らした家族 お話会」が開催されました。
PTSD兵士の家族として森倉さん、吉沢さんと黒井がNHKの映像も使用して、兵士の父とのそれぞれの体験と思いとお話ししました。また、PTSD兵士の研究者の中村江里さんも15分間お話しされました。
参加者交流では「復員兵の父に私の母は暴力を受けていた。父の死後、母は精神を壊した。黒井さん同様に私も父が嫌いだった」「父親はシベリア抑留され帰宅した時にガリガリに痩せた異常な姿に、母親から”お前は本当に私の子どもかい?”そのあと、半年間父は2回から出てこなかった。晩年、精神に異常をきたし苦しんで亡くなった」「復員兵の祖父は家族に威圧的に接していた。私の父と仲が悪かった」「復員兵の父はお酒が入ると母に暴力をふるうことがあった。今日初めて父もPTSDだったのかと気づいた。参加して良かった」というような参加者の体験が話されました。
15人程の参加者でしたが、PTSDの兵士も、その事に苦しんだ家族もたくさんいたんだ。珍しいことではなかったんだ。と、実感させられました。
★参加者の一人の感想を紹介します。
PTSDの復員日本兵をご家族にもつ方の お話を聞いてきました。 以前NHKの番組の中で取り上げていて 父親が戦争から帰ってきたあと 一言もしゃべらず 笑わず 働かず 「父のような男には絶対ならない」と思った という方の話を見たのですが なんと!その方のお話を聞くことができました ベトナム戦争の米軍帰還兵の方の 本を読む中で 戦争体験によるPTSDを知り 「父はこれだったんだ!」と気づき 今は東村山で同じような経験を持つ方々との 交流館を開いているそう。 国は帰還兵の数も調べていないし PTSDの日本兵の存在も 徹底して隠しました。 銃弾や陶器でつくられた手榴弾を 触らせてもらったのですが ずっしり重くて冷たい。 帰り道、昨日閣議決定された 安倍さんの国葬について考えました。 戦前戦中は国民を同じ方向に向かせるための 儀式だった国葬。 国会が開かれていないまま いまや法的な根拠もないまま 大臣メンバーだけで決めてしまったその場に 民主主義ってあったのか? もし野党が直接質問できたなら どんな投げかけをしてたんだろう。 この前の選挙で 過去に「八紘一宇」発言をした方が 80万を超える票をとって 神奈川でトップ当選しました。 国が一丸となることの怖さ。 平和と戦争は地続き。 常に考えたい。
お話し会がユープランさんの映像でYouTubeでご覧いただけます。
8人、室内の画像のようです
髙橋 正博、中村 平、他1人

 

★7月21日(木)アサココ(朝日新聞多摩版ミニコミ紙)に8.7証言集会が「兵士の心と身体から見たアジア・太平洋戦争 吉田裕さん」、「PTSD家族の証言も」として紹介されました!          ★21日(木)しんぶん赤旗に8.7証言集会のちらしが折り込み配布されました! 感謝感謝です!皆さんに支えられて活動を続けています!!

民医連月刊誌「いつでも元気 8月号」の巻頭で「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会・PTSDの日本兵と家族の交流館」が紹介されました!
8.7証言集会も掲載されました!
★黒井は民医連の健生会立川相互病院が組織する「健康友の会武蔵村山支部」の役員をしています。
皆さんのご協力に心から感謝申し上げます。
皆さんに支えられて活動を続けています。
ありがたい事と思っています。
これからもよろしくお願いいたします。
2022年7月20日(水)
救援新聞(国民救援会武蔵村山支部)に8.7証言集会が紹介されました。感謝感謝です。ありがたいことです!!
*7月19日に発行された「定年時代」読者の参加申し込みが2人来ています。まだあるかもしれません。これも嬉しいことです!

竹内良男さん発行の日刊紙<ヒロシマへ ヒロシマから>2022.7.18(1567号)にお知らせいただきました!
竹内さんはほぼ毎日、2号(2枚)の日刊紙<ヒロシマへ ヒロシマから>を発行してます。黒井は「超人」と呼んでいる人です。
多くの読者が日本だけでなく世界にいらっしゃいます(*語り合う会ニュースは韓国と米国にも送信しています)。
ここで掲載されることは喜びです。
この通信の配信を希望される方は下記にお申し込みください。
「黒井のFacebookで知った」と添えればOkと思います。
qq2g2vdd@vanilla.ocn.ne.jp
全日本年金者組合武蔵村山支部が「年金者しんぶん・7月15日号」に折り込み「豆の木通信」で8.7証言集会を広報していただきました!!
また、7月30日の武蔵村山支部の総会で証言集会のアピールの時間をいただきました!!
感謝感謝でいっぱいです!ありがたい事と思っています!

朝日新聞ミニコミ紙・「定年時代」7月19日号に証言集会が広報されます!