「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が運営する・PTSDの日本兵と家族の交流館(村山お茶飲み処・子ども図書室)のホームページです。
★私たちは世界に平和憲法の約束を守ります。
二度と戦争は起こしません。加わりません。
私たちはいかなる戦争にも反対します。
私たちは銃を取りません。
紛争は話し合いで解決します。
侵略されたら直ちに白旗を掲げ降伏します。
日本が戦地になったら避難民になり生き延びます。
世界に日本への支援と平和的解決を訴えます。
日本が二度と戦争を起こさない!
誰もが安心して暮らせる平和な社会をめざします!
中国、朝鮮半島、アジア、世界に平和と友好の虹の橋を渡します!
三多摩平和交流会で講演します!
「PTSDの日本兵の家族、その思いと願い」
10月1日(日)9:30~11:00 武蔵野芸能劇場
★「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」は展示物も掲示しています(9月30日~10月1日)
9月15日(金)
アレンネルソンさんの
墓参をいたしました。
石川県加賀市西山田町の浄土真宗光闡坊(こうせんぼう)に眠っています。
本堂の阿弥陀仏の真下に墓石がありました。
阿弥陀仏に手を合わせると、同時にアレンネルソンさんにも手を合わせることになるのでした。「何百人ものベトナム人を殺した」というネルソンさんですが、阿弥陀仏の真下に葬られ墓石にあるように「釈阿蓮」となり成仏したと黒井は解釈し感動しました。
9月15日(金)
真宗福井東別院で講演しました。
★参加者感想
・白旗のお話し、とても感銘を受けました。白旗を掲げる世の中に住みたいです。
「(戦争は)仕方ない時もあるよね」と言うと戦争しても良いことになる。戦争を無くせないそういう議論(論法)はやりたくないという黒井さんのお話しにそうだと思いました。
・なぜ戦争が起きたのか。そこでどんなことをしたのか。戦後どんなことがあったのか。若い人たち、戦争を知らない日本人に伝える努力は私にもできると思います。
・戦争経験者2世として反戦平和の心をまず自分の子どもたちから広げていきたいと思います。
・遅すぎた。もっと早く知っていれば。父と私の人生を返してくれ!という言葉が耳から離れません。
2023.9.3PTSDの日本兵と家族の思いと願い東京証言集会参加者アンケートを(抜粋し)公開します。
□熱を込めた黒井さんの言葉、北村先生の具体例の数々の紹介、とても涙なしには聞けませんでした。幸いにも、私の育った環境はひどいものではありませんでしたが若い頃から戦争に対する反感のような物は持っていたと思います。私の子どもたちにも「戦争はダメ」という内容の映画(アニメなど)を良く見せてきましたが、現在40歳代の娘と息子は今の社会をどのようにとらえているか気になるところです。わずかですがカンパさせていただきます。
□私の父も元日本兵でした。講演を聞いて、ふと「あれは父の心の負傷だったのか」疑ったのは勤めが長く続かなかったことです。転職をくり返し、はなはだしい時は数週間で辞めました。母が尋ねると「上司への不満」が多かった覚えがあります。腹が立って殴ってきたこともありました。
徴兵される前の父の姿を知らないのでそれが従軍体験にどう結びつくのだろうか?とは思いますが。
□貴重なお話しありがとうございました。近年ようやく戦争PTSDのことが(アメリカでは70年代すでに)日本社会が今も抱えている重要な問題であり、世代間に引き継がれるトラウマの文脈でいうとかなり「身近な問題」であることが示されるようになってきたと感じています。その点、黒井さんを中心とした方々の活動は大きな貢献をされていると思います。
□今日は貴重なお話しをありがとうございました。私は1970年生まれの女性です。10~20代の子ども3人、夫の5人家族です。母方の祖父はインパールで戦死、母は終戦時4才でした。晩年“鬱と躁”のバランスを崩し、10年程前に自死。私は子どもの頃からは母はどこか心に穴があると感じていました。母は3人の姉がいるのですが、母にとって姉たちは守ってくれる存在であると同時にいじめられる(逆らえない)存在だったと思います。母は私たち家族よりもいつも姉たち実家の関係に重きを置いていました。
母が自死を選んだのは(私たち家族がいながら)姉たちが結婚や華やかで豊かな生活を得たのを見ながら常に孤独だったのだと思います。
□戦争の被害を目の当たりにしました。戦争は絶対にいけないと、再度確信しました。皆さんの活動がますます広がることを期待しております。
□今日参加して私の父がまさにそうだったんだと思いました。父はインパール作戦の生き残り兵でした。出征する時、私は母のお腹の中で、父が返ってきた時は5才になっていました。母は父が帰るまで実家の(叔父)家族と一緒に暮らしたので叔父のことを「父ちゃん」と呼んでいたそうです。なので、イギリスの捕虜となり遅れて帰国した時は「父ちゃんよ」とまわりの人たちに言われても母の背中に隠れてどこかのおじちゃんのように見ていたそうです。1年後、2年後と妹、弟と生まれてからはそちらの方が可愛くて、私は父に可愛がられた経験がなく、父が亡くなるまで(65才)育ての親のような気がしていました。父は毎日酒を飲んでは戦争の話しをして、助けられず連れて歩けなかった戦友のことを話す時は男泣きする始末、私はいつもそんな父が嫌いで大手企業の従業員でありながら酒代で貧乏暮らしは父のせいだと思っていました。
結婚して夫から父の苦しみを理解するよう言われて図書館などでインパール作戦のことを知り、父を見る目が変わったと同時に父の私に対する態度も変わったように思います。それでも80才になった今でも子ども時代、父に差別されて育ったころを思い出すと今でも涙が出ます。
□「戦争前夜、新しい戦前」と言われる中で、復員日本兵のトラウマ、PTSDを広く伝えていくことは重要だと思います。これを全国化するために、どうすれば良いのか知恵を出していければと思います。
□証言が悲惨でこんなにも大きなPTSDがあるのを知り戦争の悪がより分かった。ネルソンさんの「あなたは人を殺しましたか?」の本を中学校の読み語りでも読み、子どもたちにも戦争の悪、軍隊の悪さも知らせたいと思った。
□大変複雑な問題をスライドやレジュメで分かりやすくお話しくださりありがとうございました。北村さんにご紹介いただいた関係者の作品も読み、考え続けていきたいです。
私がこの会に関わりたいと思ったのは何より次の世代以降に決して戦争を体験させたくないからです。正直、学校教育には期待していません。自分(1970年生まれ)も含め、日本が戦後行なってきた教育は(私たちが受けた)再び戦争を是とするものだったと思います。
自身の子どもたちを見ても学校でまともな歴史教育を受けてきたとは思えません。先生方は委縮して自由にものを言える学校ではなくなっていると感じます。保護者も同じです。北村先生や中村先生のような研究者の方のますますの活躍を願っています。同時に、社会で発言することなど持ちえない自分のような人間にも平和を創る力があると信じたいです。その方法を模索しています。
辛い体験を口にしていただき本当に感謝申し上げます。ここまで生きて伝えてくださること、勇気づけられます。お身体をお大事に、これからもこの世の中を共に良い方向になるよう導いてください。私も非力ながらがんばります。
ご挨拶
本日はたくさんの皆さんにご参加いただきました。心から感謝申し上げます。
先月の8月15日前後には多くのメディアの皆さんから「PTSDの日本兵と家族の問題」を報道いただきました。
戦前戦後、政権と軍が国民に隠してきた「PTSDの日本兵と家族の問題」がメディアの皆さんの報道によって、日本社会に明らかになりつつあります。年を追うごとに社会の注目度も高まっていると感じています。
本日の証言集会のチラシ一つとってみても今年は多くの個人、団体の皆さんに配布していただきました。支援してくださる輪がどんどんと確実に広がっています。力づけられ励まされています。本当にありがとうございます。心から感謝申し上げます。
社会に語られず家族内の恥とされてきた「PTSDの日本兵と家族の問題」が、家族内に留め置く問題ではなく戦争を始めた国家にこそ責任があるのであって、家族たちは社会に向けて話して良い事なのだ、堂々と話すべきだとPTSDの日本兵の家族たちは気付きつつあります。時代は大きく変わろうとしています。今日の証言集会も時代が変わっていく現場になるでしょう。参加された皆さんにはその立会人になっていただき、今日聞いたこと、見たこと、実感したことをご自分の家族に、友人たちにお話しし伝えていただきたいと思います。
日本兵がPTSDを発症した原因は日本が起こした明治以来の中国、朝鮮半島、アジアへの戦争と戦場体験に起因することは言うまでもない事です。家族である私たちの苦しみも元は同じです。
日本が始めた中国、朝鮮半島、アジアへの戦争にあります。
しかし皆さん、PTSDを発症して人生を台無しにし、家族生活をも破壊した日本兵・父親たちは戦争のただの被害者でしょうか。そうではないと私は思います。
日本が始めた戦争は2千万人と言われるアジアの人たち、そして連合国の兵士国民の命を(私たちの父親・日本兵は)奪いました。特に主な戦場となったアジアで、日本軍に襲われた人たちの子孫の多くが今現在もPTSDに苦しんでいることは確実です。PTSDの日本兵は100万人単位で存在したと推定していますが、中国、朝鮮半島、アジアにはPTSDの日本兵とその家族の10倍以上にもなる人たちが、今もなお苦しんでいる、連鎖しして続いていることも確実だと私は推測いたします。
私は日本が始めた戦争がもたらしたこと、日本兵の父親たちが作り、今もアジアの多くの人たちが苦しんでいるであろう負の遺産に正面から向き合いたいと思います。
私、黒井秋夫は日本軍兵士、軍曹、黒井慶次郎の息子として、戦争を始めた日本に今を生きる子孫として、中国の人たち、朝鮮半島の人たち、アジアの人たちに、そして連合国の皆さんに対しても父親がなした所業について深く深く謝罪いたします。本当に申し訳ありませんでした。お許しください。
PTSDの兵士や国民を生む戦争に良いことなど一つもありません。
私・黒井秋夫は「戦争のない世界を作りましょう」と皆さんに呼び掛けます。「どのような活動を積み上げたら戦争のない世界を作ることができるか考えましょう」と世界の人たちに呼びかけます。
私は残された生涯を戦争のない世界を作り上げることに尽くします。
アジアの人たちに約束します。世界の人たちに約束します。
何があろうと私は銃を人間に向けることはいたしません。銃を向けられたとしても、そう言う事態には誇りを持って白旗を掲げます。そして白旗を掲げる人が、賛同する人たちが日本国中に広げる努力を続けますと約束いたします。
私たちが、PTSDの日本兵の家族がその声を上げれば上げるほど、国民がこのことを知れば知るほど「日本が二度と戦争をしてはいけない、誰もが安心して暮らせる平和な社会」に近づくと信じています。
多くのメディアの皆さんに報道していただき心から感謝申し上げます。
しかし現状の私たちは取り上げていただくほどの組織力もない未熟な発展途上の未だ弱小な活動組織と自覚しています。
それでも、背負っている課題は原爆被爆者の問題や戦没者などと同列の重要な戦争と平和のテーマと考えています。「PTSDの日本兵と家族の問題」はそれらと同様に与野党を問わない国民的なテーマとも考えています。皆さんのお力添えが頼りです。引き続きのご支援を心からお願い申し上げます。
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」は2022年は1年間で709.324円の収入で運営いたしました。
2023年は8月までで昨年1年間の収入を超えて832.601円の皆さんのカンパ(黒井の講演料も含みますが)で運営しています。しかし、今日の東京証言集会だけでも概算で370.000円の費用が掛かります。10月29日はオリンピック記念青少年センターで「PTSDの日本兵の家族会・寄り添う市民の会」の設立総会を開催いたします(注・創立大会は2024年に延期しました)。
皆さんの力強い支援が今後も必要です。あたたかいご支援を心からお願い申し上げます。
また、今年6月9日に「PTSDの日本兵の家族の思いと願い」を出版いたしました。PTSDの日本兵が存在した事、苦しんでいる家族がいること。このことを知ることは日本と日本人の歴史とアイデンティティにとっても重要で欠かすことのできない事ではないでしょうか。
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」はこの本は日本人の必読書と考えています。アジアの人たち、世界の人たちにもいつか翻訳されて読んでいただきたいと思っています。
私たちの活動をささえる資金にもなることができます。どうぞお買い求めください。
再度訴えます。皆さんの力強い支援が今後も必要です。あたたかいご支援を心からお願い申し上げます。
皆さん、一緒に手を繋ぎ、戦争のない世界、平和な社会をめざす活動が、もっともっと大きな輪になるように広げながら歩いて行きましょう!
ありがとうございました。
2023年9月3日(後日加筆含む)
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会・PTSDの日本兵と家族の交流館」
代表 黒井秋夫
父ちゃんが死んだ日バンザイした 元日本兵の家族、受け継がれる虐待:朝日新聞デジタル (asahi.com)
2023年8月12日
朝日新聞デジタル版で「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の活動がが報道されました。今日から数回連載が続く予定です。ぜひご覧ください。
歴戦の兵士は「抜け殻」になった 戦場で父に何が…解かれ始めた封印:朝日新聞デジタル (asahi.com)
8月10日
yahooニュース(毎日新聞提供記事)で
「PTSDの日本兵と家族の問題」が報道されています!
アジア・太平洋戦争で出征した多くの日本兵が、戦争神経症と呼ばれた戦争トラウマに苦しんだ。だが元兵士が心の傷を明かすことは少なかった。「無口で笑わない」。東京都武蔵村山市の黒井秋夫さん(74)の父の思い出だ。だが、使命感に燃えた兵士だったことを死後に知り、「戦争で心を壊したのでは」と疑い始めた。(取材・文:毎日新聞 下桐実雅子)
https://wararchive.yahoo.co.jp/wararchive/mai5.html
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/650225
麻生太郎自民党副総裁の台湾有事の際の「闘う覚悟」発言に賛成できません。
PTSDの日本兵と家族の交流館が掲げている白旗は銃を向けられても「戦わない覚悟」をしている宣言です。
証言集会実行委員会など、当面の日程
9月3日(日) |
第2回東京証言集会 |
武蔵村山市市民会館 |
10時~12時 |
9月18日(月・祝) |
PTSDの日本兵家族交流会 |
中藤地区会館 |
10時~12時 |
|
同上昼食会 |
中藤地区会館 |
12時~13時 |
|
東京証言集会実行委員会 |
中藤地区会館 |
14時~16時 |
9月23日(土) |
大阪証言集会実行委員会 |
福島区民センター |
13時半~16時 |
10月8日(日) |
PTSDの日本兵家族交流会 |
オリンピック記念青少年総合センター |
10時~12時 |
|
東京証言集会実行委員会 |
オリンピック記念青少年総合センター |
13時~16時 |
10月21日(土) |
大阪証言集会実行委員会 |
未定 |
13時半~16時 |
10月29日(日) |
PTSDの日本兵の家族会・寄り添う市民の会設立総会 |
オリンピック記念青少年総合センター |
|
11月12日(日) |
PTSDの日本兵家族交流会 |
中藤地区会館 |
10時~12時 |
|
同昼食会 |
中藤地区会館 |
12時~13時 |
|
東京証言集会実行委員会 |
中藤地区会館 |
14時~16時 |
11月25日(土) |
PTSDの日本兵家族交流会・大阪 |
未定 |
10時~12時 |
|
大阪証言集会実行委員会 |
未定 |
13時~16時 |
講演・授業など
9月2日(土) |
芋窪・蔵敷・奈良橋憲法9条の会 |
蔵敷公民館 |
13時~14時10分 |
9月15日(水) |
真宗大谷派福井教区社会共生小委員会 |
福井東別院 |
19時~21時 |
10月1日(日) |
三多摩平和交流 |
武蔵野芸能劇場 |
9時半~11時 |
知らなかった戦争PTSD
ビッグイシュー8月1日号で特集
中村江里さん(広島大学准教授)、北村毅さん(大阪大学大学院教授)、見市知さん(ドイツのレポート)、黒井秋夫の活動が紹介されています。ぜひお買い求めになりお読みください! ★ビッグイシュー連絡先 https://www.bigissue.jp/backnumber/460/
PTSDの日本兵と家族の思いと願い大阪証言集会参加者感想文
2023.6.25
・旧日本兵のPTSDの問題を直接聞いたのは初めてです。ベトナム帰還兵、イラク戦(自衛隊含む)、アフガン帰りのソ連兵などの話しは聞いていましたが、旧日本兵にもありうると漠然と思っていましたが、このことが明らかになったのが2018年、5年前とは驚きました。ヒロシマナガサキの被爆者やハンセン病の家族の証言も(明らかになるまで)時間がかかりましたが、やはり「加害のこと」を語るにはより口が重くなると思いました。PTSDの概念が理解され広まることも今集会の成立にプラスしたと思う。PS 私自身も、父の母へのDVがトラウマになってACになったと思います。
・アイルランド、スコットランド(アイルランド紛争)和平合意直後、イタリア、豪州、ワシントンなどの戦争PTSD療養施設の豪華さ、手厚い治療病院をめぐり感動したのは30年前のリサーチでした。日本兵に対する軍や政治は人命を軽んじていると感じました。ゼロ戦はパイロットを守る装備を削って性能追及。米軍機は幾重にも命を守る工夫。豪、ニュージーランド、アメリカの戦死資料館や公文書館をめぐりました。日本の復員兵は放置されている姿は「皇軍」として派兵され棄民された半島出身兵、傷痍軍人、在日コリアンを描いた「血と骨」も想起されます。義祖母は南陽戦線、中国南京で医師として731部隊に関与、登戸には終生足が向けられず、慰霊の旅、中国、パプアニューギニアを終え、自死いたしました。戦後日本映画に現れた戦争トラウマ表現を調べています。
・非常に苦しい内容ですが知らねばならない、伝えねばならないと感じます。私のは母方の祖父は山形県酒田市出身で戦争に行きました。左肩に銃弾が貫通した痕がありました。祖父は知る限り家族にも親戚にも戦争のことを言わずに死にました。今でも祖父が何を言いたかったのか?言えなかったのか?と思います。祖父は幸い家族に暴力を振るうことはありませんでしたが、大変恐い人でした。私は祖父をかわいそうに思います。本当はもっともっと話したかったのではないかと申し訳なく思います。
・まず知ること、気づくこと、考える事、語ること、出会うこと。黒井さんの熱い熱い思いをいただきました。参加して良かったです。大阪で来年“会”を催されるとか。基調講演は関西の名物アナウンサー桑原征平さん(79才)を推薦します。彼自身が父からのPTSD被害者とラジオ番組で度々語られておりました。
・アジア太平洋戦争での具体的な侵略加害行為に対して法的な責任が問われたりしたことがない日本に果たして「戦後」を名乗る資格があるのだろうかと思います。戦争責任者が国民の象徴として不気味に国民の空気感を支配し常に軍備拡充に明け暮れ、マイノリティーを差別し、沖縄など地方を犠牲にしてきた現在の日本という国家にとって、戦争トラウマに苦しむ家族は当然の帰結なのではないでしょうか。しかし、勿論、私たちはこの情況に沈黙していていいはずがありません。日本政府が戦前戦後を通じていかに凶器の政策や教育を続けてきたかを明らかにし、自らの経験を語る口をも奪う悲惨な戦争トラウマ被害に対する加害責任を余すところなく国に追及すべきだと思います。
・戦後80年近くを経て、今、日本兵のPTSDに光が当てられたのかという驚きと、今は亡き傷痍軍人だった父と自分との関係を思い出し、ぜひ聞いてみたいと思いました。反戦の集会や加害の歴史本など、今でも参加したり、読んだりして忘れないようにしてきましたが、この度は当事者としての自分に出会うきっかけになりました。
父のみになってみる?ブタれることはありませんでしたが、毎夜飲酒は欠かせませんでした。セクハラ的行為から逃げ回った日々。小2の時、家出を思いつきました。国の責任を問うておられます。確かにそう思いますが、具体的にその責任を取る国とは何でしょう?
・国のために戦った帰還兵が軍隊生活の思いは口に出さないで家庭は安心安全であるはずが思いもよらない事が世代を越えて300万人もいたという言う現実から今!!全国広がっていくことを確信持ちました。
・今日は3世として、戦争体験を語り継ぎの場を作る者として、特攻警察官の祖父から愛を受けずに育った父から暴力を受けた者として皆様のお話しを伺っておりました。復員兵のPTSDは声なき戦争の負の現実であり、その声を多くの人々と共有認知することが、負の歴史の繰り返しを止める行為になるような気がしています。
かつての戦争の総括がされないままのこの国に住む者として非常に示唆に富む内容でした。次回もぜひ参加させていただきたいと思います。ありがとうございました。
・すばらしい集会でした。全てよかった。
・午前の部で問題提起や方向性を中村さんや北村さんの話を聞いて目が開かれる思いでした。私たちの世代は日本兵士の子どもたちで様々な影響を受けています。自分は分からないが社会病理となって無意識なレベルで日本社会を苦しめています。PTSD分析では心理学の知識も必要です。これからもっともっと考え続けたいです。
午後の部で日本兵の家族に証言を聞いて。
太平洋戦争の兵士のPTSDが問題となるまで80年近くも経っている。その間、多くの人が苦しみ続けてきた。この事実に何とも言えない3人の発言はとても重みがある。病気のため父はたまたま兵士として出征しなかった。それをどんなふうに考えていたのだろう。負い目がありながら戦後を生きてきたのだろう。
・戦争被害者とは誰だろう、と良く考えます。私は普段は広島長崎の原爆被害者を取材していますが、医療保険の対象である「被爆者(1世)」の範囲を巡る議論はなお続いていることに加え、2世3世も子や孫の立場からその「被害」を訴えています。被爆者の2世3世も原爆の後遺症を訴える親の介護に明け暮れ、貧困で苦しむなどしてきました。2世3世の問題については放射線の遺伝的影響という観点にフォーカスして語られることが多く、第一世代の“家族”として被った苦しみに光を当てられてこられませんでした。今日、北村教授の言葉にありましたが「戦後の後遺症」との言葉が印象に残っています。「日本兵」と「被爆者」という違いはありますが、戦争で深い傷を負い、その苦しみを次世代家族にも負わされたという点では共通していると思いました。第1世代と共に暮らした家族の苦しみは「戦争被害」ではないのか、ということを思うこの頃です。
・敗戦後のドイツと日本の国と人びとのあり方があまりに違うことの根底にこの復員兵の問題があったのか!と目が啓かれる思いです。ドイツは戦争責任を言葉や形だけでなく行動として表し続けていると思います。ところが、日本は自らがその一員であるべき東アジア諸国を帝国時代の植民地と変わらぬまなざしで見下し続け、昨今ではそう考える必要のない仮想敵国と見なし軍備拡張に邁進しているようです。この反省のなさと、無自覚、その根底にあるのは一人ひとりの兵士の苦しみを「私たち」の「群れとしての」記憶として向き合うことのなかった国と、国民にあるのでは。色々と考える良い機会になりました。お話しくださった方に感謝します。
・加害体験を告白する元日本兵が少ない理由が分かった。PTSDで飲まないと語れない、しらふでは黙るしかなかったのか。撫順の戦犯収容所では一種のPTSD患者対策となって日本兵の告白ができたのではないか。という感想を本日の講演を聞きながら感じました。下級の日本兵は「自分が被害者」なので、植民地国民への反省・謝罪をする気持ちの余裕がないのでしょうか?この辺りが課題と考えます。とにかく加害者日本兵のトラウマの現実が良く理解できました。
・罪悪感を解放するために酒を飲む人もいれば、”力”を行使した満足感、それを現在も行使したい欲求が酒を理由に実行できた(ひどい行いとして表現できずため込んでいた)人、いろんなタイプがいたのだろう。民族・地方・貧困差別を行使する政治権力者にも脈々と受け継がれ、影響を受けているのが私たち日本人を含めた、在日外国人、被差別部落者、沖縄、アイヌ、性的マイノリティーなど、日本の全住民だと考えられ慄然とした。
・ありがとうございました。勉強の途上です。PTSD日本兵の問題、とても重要だと思います。この問題に永らく日本人は気付いて来なかった、覆い隠されてきたことが又大きな問題だと思います。
戦争責任という言葉が出されたと思います。正に戦争責任(天皇や政府の)隠ぺい問題と、日本兵のPTSDの隠蔽が繋がったように思います。埋もれたPTSD日本兵の家族の問題を掘り起して行く活動に大変期待しており、可能な限りの協力をさせていただきたいと思います。
・今日のテーマ「トラウマ」の問題を黒井氏のおっしゃるように、前面に、全国的に取り上げ整理しなければ本当の戦争の本質に迫れないと思います。戦争を始めたり引っ張って行った指導者、また何よりも天皇からまだ日本の人民は謝罪されていない。それがない限り戦後は終わらないし、まして東南アジアや中国・朝鮮に本気で謝罪する気持ちになれない日本人が多いのはある意味当然だろうと思う。
やっと国会の一隅で取り上げられたのが大きなきっかけになればと願う。人間の事、人間の心理学の研究をしなければならないと思う。
・昨日の講演・映画会でもらったチラシを見て参加しました。
私の父親も学徒動員で中国に従軍したそうです。帰国後、いいなずけの母と結婚して私が生まれたのですが、平和的な父だったので5人に1人の従軍兵士が何らかのPTSDになったのは知りませんでした。もうびっくりしました。大人になってから父に「戦争でどこへ行ったの?」と聞くと、南京と教えてくれましたが、それ以上は聞かず残念なことをしました。ただ「戦争は絶対するな!」が口癖でした。戦後は戦友会の幹事もしていたようです。会うのを楽しみにしていました。証言者の方のような家庭がなくなるように、戦争を許さないために努力していきたいです。
・繰り返し繰り返し、中身の濃い話しに圧倒されました。
・私は20代ということもあって、直接、日本兵のの戦争体験を聞く機会はありませんでした。沖縄で住民の戦争トラウマの聞き取りを5年くらい続けていますが、断片的に戦争が戦後の家庭環境について話を聞く機会がありました。3月に沖縄で開かれたイベントで私がお話をしたときに、ある女性が「私の父は戦争体験を話すことが少なかったですが、酒を飲むと罵声を浴びせられたり、強い口調で戦争の話しをしたりしていたのを思い出していた」という方がいました。「トラウマ、PTSDという言葉を当時は知らなかったので、父を全く理解できなくて父を軽蔑していたんですが、父を受け入れることも大切ですよね」と感想をくださった方がいました。今日のお話を聞き、PTSDの日本兵の家族の話を通じて等閑視されてきた兵士の姿を考え続けたいと思います。
・ベトナム帰還兵のPTSDについては知っていたのですが、当然そのことと関連付けて想像できたはずの日本兵として従軍した人たちのこととしては思い至りませんでした。午前午後とお話を伺うことができ、日本兵とその家族に起きていた事について知ることができました。ありがとうございました。交流会にも参加させていただき、より理解を深めることができました。
・初めて参加させていただきました。PLP会館にも初めてきました。戦争を始めた政府が兵士たちに傷を負わせたにもかかわらず、戦後まったく面倒を見ず、家族と地域に全てを丸投げしてしまったことを知りました。その被害者が家族であったことが良く分かりました。愛する家族であるが故に余計に苦しく悲しかったと事と思います。私の父も時々暴力を振るいましたが、それも関係があったように思いました。色々と勉強させていただきました。大変ありがとうございました。
・個別に断片的に聞き知っていたが加害者側兵士の体験とOTSDがこのような形で社会に広く共有されることはとても重要な試みだと思い、取り組みを高く評価します。アジアの被害者が受けたPTSDとどう結び付けられるのか、大切な課題(大きな歴史)に結びついていくことを期待します。
・圧倒されました。貴重な企画をありがとうございました。特にご家族の方、お話しいただいてありがとうございました。
・戦時下の性暴力、復員兵士のPTSDについては国際関係学を学ぶ中でふれ、考えてきましたが、改めて日本兵の家族の視点に立ったこの問題は知らずにいました。“家族・国民”を守る戦いと言いながら、一体何を守って来たのか、むしろ“家族”の人間関係を壊してきたんじゃないかと、当時の、そして現在に繋がる国家権力、戦争指導者に怒りを覚えます。お話を聞かせてくれた家族のみなさん、話しにくいだろうことを、お話しして下さりありがとうございました。トラウマ・PTSDの影響を受ける家族のお話しは虐待はじめ様ざまな暴力を受ける子どもたちの反応と同じように重なり、全く戦後は終わっていないと痛感しました。
・貴重なお話を聞くことができ、参加させていただきありがとうございました。忘れられないように、この輪がドンドン広がりますように祈っています。戦争は終わっていないと!!突き刺さりました。
・私の父も、祖父もアジア侵略者でした。が、表立った暴力はありませんでした。しかし、志願して陸軍に行った父の頭が戦争体験でいっぱいだったことは分かっています。その父は娘に酒がなくとも体験を語りました。私はインタビューもできました。それが反戦平和への教えとなっております。実被害を受けたスピーカーの皆さんの記憶をなくすほどの解離(麻痺か)ご体験苦しくお聞きしました。本当に痛みなしには聞けませんでした。父上らの暴力、PTSDが戦争体験であることは間違いないのですが、今な男から女へのDVやテロともいえる行為(放火銃撃殺戮)が止まないことは原因に「戦争だけではない」と、戦争トラウマとそっくりだと感じたことです。戦争に行かずとも男性がそうなっていく、この世界は透明な戦場だと改めて実感。密室である家庭内での妻、子どもへの殺すほどの暴行が現在続いています。戦争をしないだけでは不十分だと、この国は亡びると信じます。このストーリー、テーマは普遍的ですので、別なストーリーと思わず繋いでからめ「男を競争、抑圧に追い詰めない社会」へと変える努力をしていきたいです。ありがとうございました。
・世代を貫いてゆく現状に驚きます。国(支配する、してきた人々)、社会、文化の責任の視点、特に文化における市民運動への指摘(戦後の政党、特に革新、労働運動、研究者を含めて)、重要だと思います。戦争責任を巡っても同様の見直し、とらえ直しが必要だとも思います。記録の保存も大事。
・戦争が本当に家族を破壊し、傷つけ、戦後生まれの世代までも苦しめるのだと心に響きました。これは個人の問題ではなく、社会の問題であり、文化であり、歴史の話しなのだ気づかされました。衝撃が大きく受け止めきれません。メディアの人間です。テレビや放送番組を作っています。戦後70年以上経ってようやく認識されるようになったこの問題、私も追いかけたいし何かお手伝いできればと思います。
・本日の集会に大勢の方に参加してもらいたかったのに、毎月の例会に出席できず、とうとう本日を迎えました。この人、」あの人と声をかけなかった人の顔が浮かび反省しています。二人の元司書にチラシを渡して「このような集まりは初めて。ありがとう」と言ってもらえたのが良かった。うれしかったです。常日頃の人との繋がりを大切にして来年の集会に心を向けて行きます。平和はこのような形で「戦争は絶対ダメ!」という強い心を創っていく努力が大切ですね。黒井さん、ご自分の病気を持ちながら一生懸命な姿に私も仲間にこの活動を広く伝える努力を楽しくしようと!!
・戦後がまだ終わっていないのだと分かりました。愚かな戦争のことをもっと人々が知り、起こさないないように終えるように祈っています。
松戸集会(6月2日)の最後の主催者挨拶で話された「戦争をしてはならない。復員日本兵のPTSD問題を今問うことの意味」を写真ですが皆さんに紹介いたします。
証言集会が東京(武蔵村山)、大阪に次いで千葉県松戸市に広がりそうです。松戸の皆さんと協力し合い、更に全国に広げます!
「PTSDの日本兵の家族の思いと願い」2刷りいたします!
2000冊の在庫が150冊になったと出版元あけび書房さんからありました。
お買い求めいただいた皆さん、お友だちに勧めていただいた皆さんに心から感謝申し上げます。
これからさらに力を入れてこの本の普及に努めます。1万冊、10万冊、100万冊をめざします。
この本が多くの日本人に読んでいただくことが「日本が二度と戦争をしない、誰もが安心して暮らせる平和な社会」に繋がると信じています。これからもよろしくお願いいたします。
あけび書房さんから1000冊増刷するか2000冊にするかと問い合わせがあり黒井は下記のようにお答えいたしましたので公開いたします。
★私はこの本は活動の原点として今後も力を入れて普及しようと考えています。
気持ちとしては1万冊でも10万冊でも日本人にお買いいただくよう活動していきます。
2刷りも意気込みとしてはその通過点と思っています。
2000冊増刷しても今年中には3刷りを望めると考えています。
大阪証言集会の取材記事が夏場にかけて全国紙、ビックイシューなどに掲載予定です。
映像のメディアでも紹介される可能性があります。
印税は実売部数の8%を選択します。
青毛尾書房さんが販売にお出でになれない少人数でも黒井の講演の日程が間断なくありますので、私の在庫がなくなったら、今までのように100冊ずつ引き受けて講演会と来館者に販売する在庫といたします。
2023年7月4日
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」
「PTSDの日本兵と家族の交流館」
代表 黒井秋夫
https://www.youtube.com/watch?v=ULAowKMpOL0
https://l.facebook.com/l.php?u=https%3A%2F%2Fyoutu.be%2Fc4-4V6UEc-o%3Ffbclid%3DIwAR0ZFOW06Q8qbr7jeOzZVCyy2KUSXnVzQx9otYImbbMQqBvsvHv4WeVkHp4&h=AT1aQ8DSvNF0T-bf_FujdVs7rg_T_xwF89CYVUNAjRX8j2qETmgNVm7sJkMXKurUN-BdaGIH3nd5ySX2cteXrAVqukAXg3Jz1wIpHilEt60QmC-_fMo76rx97H1qdJoOT2WMhRlVVPp1PafXgaWZMQ
2023年は
100万円のご助力を!
東京・大阪証言集会成功は
皆さんのお力添えが頼り、支えるお金が十分ではありません!
ご支援のカンパ振込先
➡口座名義
PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会
★ゆうちょ銀行からの送金(郵便振替用)
➡ゆうちょ銀行口座。
・記号 11390
・番号 21576251
★ゆうちょ銀行以外からの送金 (内国為替用)
➡ゆうちょ銀行口座。
・店名 一三八(イチ サン ハチ)
・店番138
・普通預金(口座番号)2157625
みなさま
いつもPOW研究会のオンライン講演会に
参加していただきましてありがとうございます。
以下の要項で「日本兵のPTSD」について
黒井秋夫さんに講演をしていただきます。
ご存じの方もいらっしゃると思いますが、
黒井秋夫さんは太平洋戦争に出征した父親の
復員後に生まれた方ですが、父親との生活の中で
復員した日本兵の多くがPTSDを持っていたのでは
ないかと考え、同じ思いを持つお仲間と活動してきました。
講演会ではこうした活動の来し方行く末と、最近の日本の近隣諸国との
きな臭い情勢から、私たちはどう考えればいいのかを語ってもらいます。
以下本人の呼びかけ文です。
また、この講演を皆様のお知り合いに拡散して結構ですので、
多くの方の参加をお願いします。
POW研究会 高田 ミネ
***************
オンライン講演会のお知らせ
日時 5月20日(土)PM6時~8時30分
講演者 黒井秋夫さん (PTSDの日本兵と家族の交流館(写真) 館長 )
演題 日本兵士のPTSDと家族
~兵士から子ども、そして孫世代へ、PTSDは連鎖し精神破壊は終わらない。
暴力、戦争では何も解決できない。解決不能の困難を作るだけ。~
黒井さんからの呼び掛け文
米軍資料によれば帰還兵の2割~5割がPTSDを発症する。アジア太平洋戦争の日本軍兵士に換算すると300万人前後の兵士が発症したとみられる。妻や子どもへの暴力、兵士のアルコール依存症や無気力の精神破壊などにより、兵士の家族の人生も生活も狂わされた。PTSDは現在、子どもから孫世代(今40代~50代)に連鎖し家族の苦しみは今も続いているし終わらない。
深刻なのは戦争中は元より現在に至るまで、戦争に行けば兵士はPTSDを発症するという欧米では常識なのに、日本では国(軍=自衛隊)は事実を隠したために、教科書にも書かれず、報道も少なく、国民ほとんどはこの歴史的事実を知らない。
2018年、「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が発足し、2020年、「PTSDの日本兵と家族の交流館」が設立され、その活動によりNHKやメディアがこの問題を取り上げるようになってきました。こうした活動について報告しながら捕虜問題と関わる皆さんと交流を図りたいと思います。
********************
5月14日(日)ごろまでに参加の連絡を頂けるとありがたいです。
2,3日前にレジメとURLをお知らせします。
お知り合いに拡散して構いませんのでよろしくお願いします。
申し込み先
高田 ミネ mime388@nifty.com
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」代表、黒井秋夫の見解 2023年3月18日
「PTSDの日本兵の存在と暮らした家族に続いている苦しみの連鎖」が戦後日本の国会で初めて明らかにされ、国の適切な対応の必要性が指摘され、大臣は語り継ぐこととその調査を答弁で約束した。
2023年3月15日は「PTSDの復員日本兵と暮らした家族」にとってもその活動にとっても歴史的な日となった。
「PTSDの日本兵」は国が起こした戦争によって生じたのであり、一切の責任は国にある。そのことは明白だが「PTSDの日本兵」の存在がほとんどの国民が知らない。戦争によりPTSDの兵士が必ず生ずることが戦争被害として知らされていない。教えられていない、いや国が率先して分からないよう隠してきたことが問題の核心の一つなのだ。
国府台陸軍病院は戦争神経症の専門病院として1万人以上の兵士の研究治療に当たったのに「皇軍には一人もいない」としてその存在を隠した。戦後は残したカルテを民間には1995年ごろまで公にしなかった。戦争神経症の兵士の映像は2018年ごろまで公開しなかった。
いわば「PTSDの日本兵の存在」を分かっていながら今の今まで隠して何の対処もしなかったというのが問題の核心ではないか。
それが、3月15日、宮本とおる議員の質問で満天下に明らかにされたというのが今日の地平と言えるのだ。
その日は突然来た。
まさかこんなに早く国と直接向き合う日が来るとは思っていなかった。
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の活動が多数の日本国民が知ることになった時に初めて、いやいやながら国が重い腰を上げざるを得ない情勢になったときに、国と向き合う時が来ると考えていた。
まだまだ活動が端緒に着いたばかりという黒井の認識なのに、突然その日がやってきた。
しかし、この急展開は喜ぶべきことなのだ。思ってもみない早い段階で国と対峙できる地平に立ったのだ。
状況は主体の備えなど待ってはいない。
「語り合う会」を早急に状況に対応できる民主的で広範な人たちで支えられる組織と体制を作る必要がある。
6月大阪証言集会、9月東京証言集会の中身もそれに備えたものになるだろう。それらを経て「語り合う会」のめざすこと、国への要求・スローガン、組織体制、運営体制、HPや定期ニュースの運営など今年11月ごろに開催を予定する「語り合う会総会」を準備することになる。
多くの皆さんに支持される、広範な日本国民に支えられる「語り合う会」を皆さんの力を頼りに何とか作り上げたいと思います。
引き続きの皆さんのご支援を切にお願いいたします。
2023年3月16日(木)の「しんぶん赤旗」で昨日の衆議院厚生労働委員会での宮本とおる議員の質問と大臣答弁が掲載されました。
![]() (写真)質問する宮本徹議員=15日、衆院厚労委 |
アジア・太平洋戦争によってPTSD(心的外傷後ストレス障害)を負った旧日本兵の実態について、日本共産党の宮本徹議員は15日の衆院厚生労働委員会で、国による調査を求めました。日本兵のPTSDが国会で取り上げられたのは初めて。加藤勝信厚労相は、国として調査する考えを示しました。
宮本議員は、「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を2018年に立ち上げた東京都の黒井秋夫さんらの証言、研究者の資料などを紹介。千葉県の国府台陸軍病院には、1万人以上の日本兵が精神障害を発症し入院していたが、治療が受けられず亡くなった人も多くいたと指摘。「戦争で心を傷つけられながら、理解されずに亡くなっていった。暴力が子や孫に連鎖していく。こんな悲惨なことがあるだろうか」と話しました。
加藤厚労相は「心に傷を負われた元兵士や家族の実態を語り継ぐということは、戦傷病者や家族が戦中戦後に体験した労苦を次の世代につないでいくためにも大事なことだ」と答弁。政府が06年に開館した戦傷病者史料館「しょうけい館」において「兵士や家族による体験、専門家による研究の成果などを調査し、運営有識者会議の議論を行っていく」と答えました。
https://l.facebook.com/l.php?u=https%3A%2F%2Fwww.jcp.or.jp%2Fakahata%2Faik22%2F2023-03-16%2F2023031612_03_0.html%3Ffbclid%3DIwAR1Tj2wu5tEp2J0SqK6OUdVoBokJS4tlYHLpxrc-fdwZ8cZpv-3p_EI8l9c&h=AT1CbkgqdoFE5xNZfmKRZboFarduiMY23vV-wqrmAlqXl_Awo0iDcsFjyrV5HfFEUijv8ZlBK0hSGi-DICpgXTG0KkQ2vmyjXnIb5gX6k-TPhMCxOwkSAN4I7pnNj29GkBX0rPb5RwMXlugPAW8G
宮本とおる議員の委員会質問を涙ながらお聞きしました。
今は天国にいるPTSDの復員日本兵も同じ思いで聞いたのではないでしょうか。
自らはPTSDの症状により言葉を発することができないまま、無念の思いであの世に逝った元日本兵は
やっと、自分たちのことを国が議論を始めたことを喜んでいるに違いないと思います。
戦後77年を経てようやくPTSDの復員日本兵が存在したこと、
その事により共に暮らした家族が悲惨な生活を送らざる得なかったこと、
復員日本兵の子ども世代にとどまらず、孫世代、更にその下の世代にもPTSDの後遺症が連鎖していることが、
宮本議員から国会の場で明らかにされました。
この事実を日本国民に知っていただくことが「日本が二度と戦争をしない。誰もが安心して暮らせる平和な社会」に繋がると信じています。
宮本議員は国が調査を含め何らかの対処をするべきだとの国への提案がありました。
加藤大臣からは、しょうけい館(戦傷病者資料館)で調査や語り継ぐ方法など対応する旨の答弁がありました。
宮本議員の質問により、ようやく「PTSDの日本兵と家族の問題」が国自身も動き出すという約束をしたと理解しました。
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」は国からの要請があれば、調査や語り継ぐ方法など全面的に協力いたします。
2023年3月15日、とうとう動き出したかという思いです。
第一歩を踏み出せたこと、宮本とおる議員のご質問に言葉にならないほどの感謝の意をお伝えいたします。
本当に今日を初日にして、国に言葉だけに終わらせることなく、しっかりと施策を進めていただくことが大事だと思います。
これからも多くの皆さんのお力をいただいて、二度とPTSDの兵士や、連鎖に苦しむ家族が出る事のないよう力を尽くしていきます。
宮本とおるさんには国の施策の進捗を監視し、事態が進展するようお力を発揮していただくことを希望します。
今日、質問していただいたこと、再度こころから感謝申し上げます。
これからもよろしくお願いいたします。
2023年3月15日
〒208-0001
武蔵村山市中藤3-15-4 黒井 秋夫
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」代表
2020年月10日開館以来
祝・来館者
2000人
突破しました!
いつもの5年生仲良し5人組が2000人~2004人目でした!何でも最初の一歩から何ですね。
これからも小学生に親しまれ、地域に支えられ、PTSDの日本兵と家族の交流館として成長していきたいと思います!
皆さん
これからもよろしくお願いいたします。
PLP会館アクセスマップ
· PLP会館 5階大会議室(定員204人)
· 一般社団法人平和と自由と繁栄の会館(PLP会館) : トップページ (plp-kaikan.net)
· 〒530-0041 大阪市北区天神橋3-9-7 ☎06―6351―5860
· 大阪市営地下鉄堺筋線 扇町駅4番出口より徒歩3分
· JR大阪環状線 天満駅改札口より南側へ徒歩5分
· 当館には駐車場はございません。ご来館の際は公共交通機関をご利用ください。
PTSDの日本兵と家族の思い証言集会大阪実行委員会 (第1回)
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会・PTSDの日本兵と家族の交流館」
代表 黒井秋夫 2023.1.28
★テーブル前の各人の氏名立ては匿名でも結構です。
★お渡しした「参加者名簿」の書き方説明とお願い。NHK放送のギガファイル便、DVDについて。
1.「PTSDの日本兵と家族の思い証言集会」開催の意義と目的を黒井秋夫が提案します。
➡NHK首都圏情報ネタドリ12月9日放送を視聴します。パワーポイントで説明いたします。
2.参加者自己紹介、実行委員会に参加した思いなどお話しください。また、証言集会開催意義の提案に対するご意見質問などもお話しください。お互いを理解し合いながら、思いを束ねて6月証言集会成功への道筋の第一歩にしましょう。
➡「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」発言いただきます。
➡北村毅さん(東京証言集会発言者・大阪大学大学院准教授)、発言いただきます。
➡北川れん子さん(証言集会のチラシを作製配布いただきました)発言いただきます。
3.開催意義・目的を意見交換します。一致点を確認します。
4.「PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会・実行委員会」と「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の関係について黒井が説明いたします。
➡「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」
・「PTSDの復員日本兵の家族」で構成します。その活動を支援する人、研究者の方も会員になることができます。「PTSDの復員日本兵の家族」どうしの体験をお話しする機会や場作りが活動の柱です、大事にします。自分たちの体験を研究者の皆さんの助けを得て社会に発信します。
・2023年11月頃をめどに第1回大会・発足会を開きます。
➡「PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会実行委員会」
・「PTSDの日本兵の存在と暮らした家族」に連鎖して連綿と続いている戦争被害・後遺症の実態を社会に知らせる証言集会を開催します。証言集会でまだ気づいていない、潜在している、戦争被害・後遺症に苦しむ人たちが気づくきっかけを作り、掘り起こします。
・実行委員会はオープンな組織にします。皆さんそれぞれが様々な活動やお仕事を抱えながら参加しています。実行委員会は毎月開きますが、都合に合わせて参加してください。その時に集まった人たちが実行委員会です。6月の証言集会本番にはお友だち含めて30人の当日スタッフが目標です。
5.2月~6月証言集会までの日程を提案いたします。
6.会議場、証言集会会場借用できるためにも証言集会実行委員会を発足させます。
実行委員会、証言集会の会場を実行委員会の名前で借用します。
・3月以降の証言集会実行委員会、50人程度が参加できる会場の確保。
・6月25日大阪証言集会の開催会場の確保、200人~300人程度が参加できる会場を確保します。
午前9時~17時まで借用します。予算は10万円程度を考えています。
7.6月25日(日)証言集会までの日程を提案いたします。
8.次回2月25日(土)及び以降の証言集会実行委員会の運営について相談いたします。
➡大阪証言集会実行委員会代表は黒井秋夫が務めます。黒井は大阪実行委員会に毎回参加いたします。
➡実行委員会の議長(複数でも良い)、会場確保、証言集会運営など事務局スタッフ5名を募ります。
9.大阪証言集会の認知度を高めましょう。
➡“NHKのネタドリ”の映像を多くの人たちに見てもらいましょう。“ギガファイル便”で希望す
る皆さんにお送りします。DVDもお貸しします。ダビングして(6月まで互いに連絡し合い回覧して下さい)その後、返却お願いします。
➡お知り合いに広げましょう。市民運動、労働組合などに働きかけましょう。
ご紹介いただければ黒井が直接連絡して支援のお願いをいたします。
➡メディアへの働きかけ。地元マスコミへの情報提供。記者クラブへの情報提供。
➡「PTSDの日本兵の存在と連鎖し続いている家族の苦しみ」を伝え、理解してもらいましょう。
➡北川れん子さん、チラシ配布ありがとうございます。
★主要日程
開催日 |
事項 |
場所など |
1月15日 |
手りゅう弾塚見学会 |
川越市、ウニクス南小谷・10:45集合 |
1月28日 |
大阪証言集会実行委員会 |
エル大阪南館713 13:30~17時 |
2月12日 |
東京証言集会実行委員会 |
武蔵村山市中藤地区会館14時~ |
2月12日 |
PTSDの日本兵の家族交流会 |
PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10時~12時 |
2月25日 |
大阪証言集会実行委員会 |
(福島区民センター301) |
3月12日 |
東京証言集会実行委員会 |
武蔵村山市中藤地区会館14時~ |
3月12日 |
PTSDの日本兵の家族交流会 |
PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10時~12時 |
3月25日 |
大阪証言集会実行委員会 |
未定 |
4月16日 |
東京証言集会実行委員会 |
武蔵村山市中藤地区会館14時~ |
4月16日 |
PTSDの日本兵の家族交流会 |
PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10時~12時 |
4月22日 |
大阪証言集会実行委員会 |
未定 |
5月21日 |
東京証言集会実行委員会 |
武蔵村山市中藤地区会館14時~ |
5月21日 |
PTSDの日本兵の家族交流会 |
PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10時~12時 |
5月27日 |
大阪証言集会実行委員会 |
未定 |
6月18日 |
東京証言集会実行委員会 |
武蔵村山市中藤地区会館14時~ |
6月18日 |
PTSDの日本兵の家族交流会 |
PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10時~12時 |
6月25日 |
第1回大阪証言集会 |
未定 |
7月9日 |
大阪証言集会実行委員会 |
未定 |
7月23日 |
東京証言集会実行委員会 |
武蔵村山市中藤地区会館14時~ |
7月23日 |
PTSDの日本兵の家族交流会 |
PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10時~12時 |
8月27日 |
大阪証言集会実行委員会 |
未定 |
9月3日 |
第2回東京証言集会 |
武蔵村山市市民会館 |
9月17日 |
東京証言集会実行委員会 |
武蔵村山市中藤地区会館14時~ |
9月17日 |
PTSDの日本兵の家族交流会 |
PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10時~12時 |
手榴弾塚見学会❣小5年生の男の子,新聞2社が加わり
16人で楽しい時間でした!
新年あけましておめでとうございます❣
2022年は本当に多くの皆さんに支えられ助けていただき飛躍の一年となりました。
心から感謝申し上げます。
しかし、既に高齢になった私たちに長い時間は残されていません。
2023年は更にワンステップ、ツーステップ、スリーステップの大躍進をめざしたいと思います。それは父親たちの願いにも通ずる道と思います。
「PTSDの日本兵の存在と、今も続いている家族・子どもたちの苦労の体験」を多くの人たちに知っていただくことが「日本が2度と戦争をしない、誰もが安心して暮らせる平和な社会」に繋がると信じています。
この活動の広がりが庶民の暮らしと平和外交を置き去りして、軍事大国を作り、戦争のできる国に進みかねない国の方向に待ったをかける道に通ずる活動でもあると信じています。
2023年も皆さんのご支援とお力添えをよろしくお願いいたします。
皆さんと手を携え、倦まずたゆまず諦めず、前進する覚悟です。
2023年1月1日(日)
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」
「PTSDの日本兵と家族の交流館」 代表 黒井秋夫
PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会
2023年は東京と
大阪2会場で開催します!
★東京は2023年9月3日(日)
★大阪は6月25日(日)に予定します!
★証言集会実行委員会も東京と大阪で
毎月開催です!
★東京、大阪どちらも実行委員会参加はオープンです!
東京地区・2月12日(日)14:00~16:00武蔵村山市中藤地区会館
大阪地区・1月28日(土)13:30~17時エル大阪南館713号室
大阪証言集会実行委員会の参加表明が既に10人超の皆さんから届いています!
(1月9日現在)
一部紹介いたします!
①1月28日、大阪でお待ちします。僅かでも役に立てれば幸いです。
②微力ですが、ご協力させていただきます。拡散できればと思います。
1/28参加できそうなので、よろしくおねがいします。
③通信の12月号に大阪での実行委員会の予定が書いてあり、行く気満々です。
6月25日に大阪で証言集会がある!うれしい。
④新年快楽。新しい年のご挨拶を申し上げます。1月28日の実行委員会に参加いたします。何ほどの働きもできませんがお手伝いしたく存じます。
よろしくお願いします。
■北川れん子さんはチラシを作成し参加呼びかけされています!
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が
語り合う会」交流会・お話し会のお誘い
12月9日にNHKの“首都圏情報ネタドリ”を視聴した皆さんから「私の父(祖父)も、私自身も放送された人と同じです。PTSDの日本兵と家族の交流館を訪問したい。お話ししたい」という電話やメールが届いています。この状況を受けて、毎月「PTSDの日本兵と家族の交流館」を会場に「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」交流会・お話し会を開催しますのでお気軽にお出で下さい。
お互いの父や母、祖父や祖母との家族生活の体験などをお話し交流しましょう。
★当面の会員交流会・お話し会の開催日程。
*2月12日(日)3月12日(日)4月16日(日)
*いずれも10:00~12:00会場・PTSDの日本兵と家族の交流館&中藤地区会館
★2月12日初回のお話し会参加予定の方への返信を公開いたします。
『お便りありがとうございます。
「PTSDの日本兵と共に暮らした家族が語り合う会」会員申し込みありがとうございます。
「家族が語り合う会・お話し会」は2月12日(日)に開催します。
2月以降は毎月の第2日曜日か第3日曜日に開催する予定です。
会場は「PTSD日本兵と家族の交流館」と、交流館の向かいにある武蔵村山市立中藤地区会館です。
2月12日は研究者含めて約10名の皆さんから参加希望が届いています。その中には12月9日の「首都圏情報」放映を見て参加する方が1月9日現在3名いらっしゃいます。
当日は研究者の中村江里さんも来られる予定です。
形式は全員参加のお話し会と、中村江里さんとの個別のお話し会の2部構成も考えています。
いずれにしても2月12日まで、皆さんとお話し合いを続けながら良いやり方を模索して、参加して良かったと思っていただける心温かい場にしたいと思っています。
これからもよろしくお願いいたします。お元気でお過ごしください。2023年1月9日 黒井秋夫』
証言集会実行委員会とPTSDの日本兵の家族のお話し会予定日
開催日 |
事項 |
場所など |
1月15日 |
手りゅう弾塚見学会 |
川越市、ウニクス南小谷・10:45集合 |
1月28日 |
大阪証言集会実行委員会 |
エル大阪南館713 13:30~17時 |
2月12日 |
東京証言集会実行委員会 |
武蔵村山市中藤地区会館14時~ |
2月12日 |
PTSDの日本兵の家族お話し会 |
PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10時~12時 |
2月25日 |
大阪証言集会実行委員会 |
(福島区民センター301) |
3月12日 |
東京証言集会実行委員会 |
武蔵村山市中藤地区会館14時~ |
3月12日 |
PTSDの日本兵の家族お話し会 |
PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10時~12時 |
3月25日 |
大阪証言集会実行委員会 |
未定 |
4月16日 |
東京証言集会実行委員会 |
武蔵村山市中藤地区会館14時~ |
4月16日 |
PTSDの日本兵の家族お話し会 |
PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10時~12時 |
4月22日 |
大阪証言集会実行委員会 |
未定 |
5月21日 |
東京証言集会実行委員会 |
武蔵村山市中藤地区会館14時~ |
5月21日 |
PTSDの日本兵の家族お話し会 |
PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10時~12時 |
5月27日 |
大阪証言集会実行委員会 |
未定 |
6月18日 |
東京証言集会実行委員会 |
武蔵村山市中藤地区会館14時~ |
6月18日 |
PTSDの日本兵の家族お話し会 |
PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10時~12時 |
6月25日 |
第1回大阪証言集会 |
未定 |
7月9日 |
大阪証言集会実行委員会 |
未定 |
7月23日 |
東京証言集会実行委員会 |
武蔵村山市中藤地区会館14時~ |
7月23日 |
PTSDの日本兵の家族お話し会 |
PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10時~12時 |
8月27日 |
大阪証言集会実行委員会 |
未定 |
9月3日 |
第2回東京証言集会 |
武蔵村山市市民会館大ホール |
9月17日 |
東京証言集会実行委員会 |
武蔵村山市中藤地区会館14時~ |
9月17日 |
PTSDの日本兵の家族お話し会 |
PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10時~12時 |
PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会
2023年は東京と大阪
2会場で開催します!
★第2回東京証言集会は2023年9月3日(日)
★大阪は6月25日(日)に予定します!
★PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会の
実行委員会も東京と大阪で毎月開催します!
★東京、大阪どちらも
実行委員会参加はオープンです!
毎回どなたでも参加できます!
東京地区・2月12日(日)14:00~16:00武蔵村山市中藤地区会館
大阪地区・1月28日(土)13:30~17時エル大阪南館713号室
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」
交流会・お話し会のお誘い
12月9日にNHKの“首都圏情報ネタドリ”を視聴した皆さんから「私の父(祖父)も、私自身も放送された人と同じです。PTSDの日本兵と家族の交流館を訪問したい。お話ししたい」という電話やメールが届いています。この状況を受けて、毎月「PTSDの日本兵と家族の交流館」を会場に「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」交流会を開催します。まだ会員登録していない方も大歓迎します。お気軽にお出で下さい。お互いの父や母、祖父や祖母との家族生活の体験などをお話し交流しましょう。大阪地区の「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」交流会・お話し会の開催も進めます。
★当面の会員交流会・お話し会の開催日程。
*2023年2月12日(日)10:00~12:00
*3月12日(日)10:00~12:00
*4月16日(日)10:00~12:00
会場・PTSDの日本兵と家族の交流館&中藤地区会館
★会員交流会開催日の午後14時から証言集会実行委員会を交流館東隣の武蔵村山市中藤地区会館で開催します。証言集会実行委員会はオープン参加です。
誰でも参加できますので会員交流会に引き継いで午後の実行委員会への参加も歓迎します。
★証言集会実行委員会開催予定(大阪の3月以降の日程と場所は皆さんと相談させていただきます)
開催日 |
事項 |
場所など |
1月15日 |
手りゅう弾塚見学会 |
川越市、ウニクス南小谷・10:45集合 |
1月28日 |
大阪証言集会実行委員会 |
エル大阪南館713 13:30~17時 |
2月12日 |
東京証言集会実行委員会 |
武蔵村山市中藤地区会館14時~ |
2月12日 |
PTSDの日本兵の家族交流会 |
PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10時~12時 |
2月25日 |
大阪証言集会実行委員会 |
(福島区民センター301) |
3月12日 |
東京証言集会実行委員会 |
武蔵村山市中藤地区会館14時~ |
3月12日 |
PTSDの日本兵の家族交流会 |
PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10時~12時 |
3月25日 |
大阪証言集会実行委員会 |
未定 |
4月16日 |
東京証言集会実行委員会 |
武蔵村山市中藤地区会館14時~ |
4月16日 |
PTSDの日本兵の家族交流会 |
PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10時~12時 |
4月22日 |
大阪証言集会実行委員会 |
未定 |
5月21日 |
東京証言集会実行委員会 |
武蔵村山市中藤地区会館14時~ |
5月21日 |
PTSDの日本兵の家族交流会 |
PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10時~12時 |
5月27日 |
大阪証言集会実行委員会 |
未定 |
6月18日 |
東京証言集会実行委員会 |
武蔵村山市中藤地区会館14時~ |
6月18日 |
PTSDの日本兵の家族交流会 |
PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10時~12時 |
6月25日 |
第1回大阪証言集会 |
未定 |
7月9日 |
大阪証言集会実行委員会 |
未定 |
7月22日 |
東京証言集会実行委員会 |
武蔵村山市中藤地区会館14時~ |
7月22日 |
PTSDの日本兵の家族交流会 |
PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10時~12時 |
8月27日 |
大阪証言集会実行委員会 |
未定 |
9月3日 |
第2回東京証言集会 |
武蔵村山市市民会館 |
9月17日 |
東京証言集会実行委員会 |
武蔵村山市中藤地区会館14時~ |
9月17日 |
PTSDの日本兵の家族交流会 |
PTSDの日本兵と家族の交流館&地区会館10時~12時 |
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」
交流会・お話し会のお誘い
12月9日にNHKの“首都圏情報ネタドリ”を視聴した皆さんから「私の父(祖父)も、私自身も放送された人と同じです。PTSDの日本兵と家族の交流館を訪問したい。お話ししたい」という電話やメールが届いています。
この状況を受けて、毎月「PTSDの日本兵と家族の交流館」を会場に「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」交流会を開催します。まだ会員登録していない方も大歓迎します。お気軽にお出で下さい。
お互いの父や母、祖父や祖母との家族生活の体験などをお話し交流しましょう。
大阪地区の「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」交流会・お話し会の開催も進めます。
★当面の会員交流会の開催日程。
*2023年2月12日(日)10:00~12:00
会場・PTSDの日本兵と家族の交流館
*3月12日(日)10:00~12:00
会場・PTSDの日本兵と家族の交流館
★会員交流会開催日の午後14時から証言集会実行委員会を交流館東隣の武蔵村山市中藤地区会館で開催します。
証言集会実行委員会はオープン参加です。
誰でも参加できますので会員交流会に引き継いで午後の実行委員会への参加も歓迎します。
首都圏情報ネタドリ!(2022年12月9日放送)
視聴者から「語り合う会」HPに届いたお便り
A
①従軍したのは母方 祖父
②帰国後どんな仕事でしたか?: 本の出版?→ 養豚 農家 など
③家族に暴力や暴言などふるうことは?: あったらしい。(祖母と母)
④精神科の医療機関に通院、入院はありましたか?:
ありません。
⑤(母から聞いた話し)祖父は、満州鉄道で働いており、終戦後そのままシベリア抑留され昭和25年に復員したそ うです。シベリアでは、木の伐採をしていて食料がなく、若い人は何でも食べたため、亡くなる人が多かったと話していたそうです。
・(母から50年間)祖父のDVの話しを聞かされて続けています。※
母ー83才 私-56才です。
〈内容〉
・殴る、蹴る、引きずり回す
・ノコギリの刃で叩かれる
・(母)髪の毛を剃られる
・(母)長男の失敗を母の責任にされ、殴る、蹴るをされたなど。
⑥戦争によるPTSDではないかと思うようなことはありませんでしたか?:
・祖父に関しては、復員してからDVが酷くなったらしいと母から聞いています。母は祖母からそのように聞いているようです。
・負の連鎖なのか、今、考えれば私自身が母が怖くて何も自分の意見が言えませんでした。
⑦従軍したその方の思い出などお話しください。:
・祖父母は00県、私は00育ちのため、たまにしか会う事が出来ませんでした。会った時は、私達、孫に対してやお嫁さん達には優しいおじいちゃんでした。
・(母)大人になり、お産で実家に帰っても祖父の気配を感じただけで身体がブルブル震えていたそうです。
:
はじめまして。偶然テレビで特集を組まれた番組を拝聴し共感いたしました。
過去のトラウマから抜け出せない母を一度は、同じ境遇の話し相手と話す事で母が楽になれればいいと思いました。しかしながら、高齢になってしまった母が00県からそちらに向かうのは困難の可能性があります。
母の参加が困難であれば孫である私だけでも参加し、何がお役に立ちたいと思いメールいたしました。よろしくお願い申し上げます。
この訪問者はプライバシーポリシーに同意しました。メッセージ送信日時: 2022-12-10 12:09:19 JST
B
匿名を希望
しない
メッセージ:
野崎忠郎氏の「私の背負った昭和の業」をじっくり読みました。命令でしたことを、自慢げに語っていた、とありますが、命令とはそういうものなのでしょう。
断れば死ぬわけですから。ウクライナの戦争が長期化する今、反戦運動の末端に関わっている私自身がどうあるべきか、野崎さんの文から、真剣に考えたいと思った次第です。北海道の00なので、なかなか東京にはいけませんが、機会があれば、館内に足を運びたいと思っています。
この訪問者はプライバシーポリシーに同意しました。メッセージ送信日時: 2022-12-04 10:19:22 JST
C
*PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会会員希望:
する
メッセージ:
樺太からの引き上げ家族の子供として育ちました。極貧の中、両親から虐待され4歳の時、入水自殺を図りましたが助かりました。それが原因で小児結核を発症し一時は危篤となりましたが再度たすかりました。
現在は良き妻と子供、そして最愛の孫がいます。しかしいまさらながら幸せそうな孫を見ていると子供時代のトラウマが強く出てくるようになり苦しんでいます。
私の妻、子供には言っても理解できないと思い、一人でその孤独に耐えています。
両親はもう他界しましたが私の世話になっていても、子供時代と同様に私を罵りバカしながら亡くなっていきました。私が葬儀とお墓も建てましたが自分の人生には苦労しかなかったと思っています。、、、、誰も理解はできないでしょうね、同様な苦労をしている方がいるならぜひともお会いしたいです。
この訪問者はプライバシーポリシーに同意しました。メッセージ送信日時: 2022-12-09 20:47:47 JST
D
① 従軍したのは?: 父親および母方の伯父
②
帰国後どんな仕事でしたか?:
いくつかの仕事をしたが長続きしなかった。何度も職を変えた。
③家族に暴力や暴言?:
暴力は無かったが暴言や非常識なふるまいが多く、金銭に執着が強い。家族にお金を使わせないことが多かった。
④精神科の医療機関に通院、入院はありましたか?:
それは無かった。
⑤戦争体験を家族に話しましたか?どんな内容でしたか?:
父はよく「国に裏切られた」と言っていた。満州に開拓団の一人として入植したがその時の条件が戦争で徴兵されることは無い、とのことだったがは負け戦が見えて来たときに外務省職員や軍属はいち早く情報を得て日本に逃げていたが、開拓団の人たちは何も情報を貰えず、残された私の母方の家族(母の両親と弟三人)は満州の奥地で飢えと寒さのため死亡した。また私の兄と姉は母親が逃げる途中で餓死した。そのことが両親の不仲の原因となり戦後30年ほど経過してから両親は離婚した。また私のすぐ上の兄が父親の子供への無関心が原因で病気になり、34歳の若さで死亡した。私とすぐ上の兄は戦後に生まれた人です。
⑥いま思い出して、普通ではない、戦争によるPTSDではないかと思うようなこと?:
国に裏切られたことが父のトラウマとなり、抑留されたロシアから帰国しても他人だけでなく家族も信じられない人になってしまった。お金だけが信じられる全てで、家族に渡す生活費も最低限のものだった。しかし自分の道楽品には惜しみなくお金を使っていた。母の兄にお金を貸したが商売が倒産してお金の返済が出来なくなったときに母との兄弟の縁を切らせたので、母は子供である私を頼るようになり(親族が全員戦争で死亡したので)、私は今で言うヤングケアラー状態になりました。いつ母親が自殺するか分からない状態なので学校の勉強に身が入らなくなりました。ここで私の人生が少し狂ったように思います。父はどんな悲惨なことがあったか決して他言しませんでした。彼は衛生兵だったので自分が銃を取って人を殺した訳ではなかったのですが、あまりに悲惨な現場を目撃してしまい、気の小さい人だったので耐えられなかったようです。最後は結局母と離婚して孤独死してしまいました。もっと父親に寄り添ってあげたかったのですが、父は素直になれなかったようです。
⑦従軍したその方の思い出などお話しください。:
全く子供に対して愛情を示さなかったので、まるで思い出はありません。母方の伯父は私が生まれる前に戦争で(場所も分からない)亡くなったので、母から話しを聞くだけで記憶にはありません。戦争は実際に戦場に赴いた人ばかりではなく、その妻や子供にまで暗い影を長年落とし続けるのだと改めて思い知らされます。
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」に関するお問い合わせがありましたらお書きください:
同じような思いをされた家族の方々と話をしてみたいと思います。いつか記念館を訪れたいと考えています。
この訪問者はプライバシーポリシーに同意しました。メッセージ送信日時: 2022-12-09 21:53:05 JST
E
*PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会会員希望:
する
★メッセージ:
はじめまして。
昨夜のNHKのTV放送を拝見しまして是非会員にさせて頂きたく申し込みしました。このような会をされている場所がある事に感動いたしました。
私は亡き父が50才の時にできた子供です(現在57才)母と姉と4人暮らしでしたが兵士(衛生兵)だった父親からのPDSDについて周囲や同年代の友人には理解が難しく、長い間他人には告げられない苦しい時代を過ごしました。その後、心理などを自己で学び客観的に父親を見られるようになってからは楽になりましたが母と姉も其々に苦しい人生を送りました。コロナ禍で隠された家庭内での苦しみがある青少年もいると聞き、現在はカウンセラーの学びをしているところでございます。
どうぞ宜しくお願いいたします。
この訪問者はプライバシーポリシーに同意しました。
以下は2022年、ネタドリ放映以前に届いたメールです。
F
① 従軍したのはどなたですか?: 父親
②帰国後に仕事はなさいましたか。どんな仕事でしたか?: 00県、警察官
③家族に暴力や暴言などふるうことはありませんでしたか?: 夜中に奇声
④精神科の医療機関に通院、入院はありましたか?: なし
⑤戦争体験を家族に話しましたか?どんな内容でしたか?: 母にー戦争から帰ってきて人を殺したくてしかたなかったーと言ってたと。
⑥いま思い出して、普通ではないと思うようなこと、戦争によるPTSDではないかと思うようなことはありませんでしたか?: 父は南京戦復員後、結婚。私は昭和21年生まれだが父は殆ど酒浸りの公務員。母と私たち兄弟3人は貧しい生活。戦後、父の仕事は警察から警察予備隊、防衛庁へ。下級官吏で借金生活だった。不安定な生活から逃げるように私は地方の大学へ。戦争についてお互い話することは避けていた。酒を飲むと人が変わると母が言ってたが私が小学生の頃、夜中、母が近所に逃げたらしく朝起きると母がいなかったこと。秋祭りの次の朝、父の給料袋探しに母とゴミの山をかきわけた。
⑦従軍したその方の思い出などお話しください。: 昨年、父の軍隊手帳のコピーが実兄から届き、初めてみる履歴に驚愕。南京攻略戦に参加したことがわかり、初めて父の実像に触れ、頭を勝ち割られる衝撃を受けた。父の酒焼けの首を恥ずかしいと思い、父から逃げていた自分の思い上がりが吹き飛ばされた。昨年12月、週刊金曜日声の広場に私の投稿が載りました。同じ時期東京新聞で同会の記事を拝見しました。大変興味深い記事でした。
: 同会の簡単なチラシがありましたらお送りくだされば有難いです。
この訪問者はプライバシーポリシーに同意しました。メッセージ送信日時:
2022-01-22 10:04:57 JST
G
*PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会会員希望:
する
メッセージ:
敗戦まで亡父は00の朝鮮人造石油会社に勤めていました。命からがら引き揚げてきて就職口を求めやっと入れた炭鉱では、叩き上げの上司にパワハラを受け、いつしかアルコール依存症になっていました。私が物心ついたときには夜パラって母を折檻し、暴れまわって家の中をぐちゃぐちゃにしていました。父を憎み離婚できない母も憎む捻じくれた成長をしました。黒井さんの記事が赤旗のひと欄に載ったとき、うちの父は戦場でではないけれど同じように戦争の犠牲者だったのだと思いました。00に住んでいるので会に参加は出来ませんが黒いさんの活動を支援したいと思いました。
メッセージ送信日時: 2022-01-11 14:33:23 JST
中国戦線で戦闘に参加し、シベリアに抑留された父。戦争のトラウマなどから戦後は酒を大量に飲むようになりました。母が動けなくなるほど殴ったり蹴ったりするところを一度見たことも。娘の私は、父の言動の影響で男性に恐怖心を抱くようになるなど、ずっと生きづらさを抱えてきました。
何が父の心をむしばんだのか。父の軍歴をたどると、壮絶な戦場の一端が見えてきました。
(聞き手 首都圏局/ディレクター 梅本肇)
12月9日放送 首都圏情報ネタドリ!
「家の中に封じられた“戦争の傷痕” 〜親から子に連鎖した苦しみ〜」
私、鈴木頼子(仮名・73歳)は終戦の4年後に生まれました。子どものころはよく、父から戦地の話を聞かされました。「ほらここ、ヒューンって弾がかすめたから、傷ができているやろ」と父が体の弾痕を指さすのを見て、戦争ってなんて恐ろしいんだろうと思ったのを覚えています。
父は戦時中、中国大陸に出征し、終戦後は旧ソ連のシベリアに抑留されたと聞いています。復員後は、戦争のトラウマからアルコールに依存するようになりました。
酒を飲むと声が大きくなり、どなり声のようになることもあって、家の中には常にぴりぴりとした緊張感のある空気が漂っていました。
子どものころ、一度見た忘れられない光景があります。父が母を動かなくなるまで殴ったり蹴ったりして、私をガッとにらみつけてきたんです。あのときはとても恐ろしく、寝るときに毎晩、夢に出てきました。
父の言動の影響で、私は引き戸を乱暴に閉める音などを聞くと、恐怖心がわくようになりました。他の人がなんとも思わない音でもだめなんです。男性への恐怖心も持つようになり、家に引きこもりがちの生活を送っていました。
「私は子どもを持たない」とはっきりと感じたのは、高校生か大学生のころです。私自身、誰かを愛することを学ぶ機会がなかった。ものすごく生きづらさを抱えてきました。
何が父をあんなにも苦しめてきたのか。私は、父の戦争体験をたどることにしました。
軍歴証明書を調べると、父は終戦の6日後、ソ連軍などに抑留され「生死不明」とされていたことがわかりました。その2年後の11月に日本に帰還したと、あとから記されています。
父は本当に兵隊さんだったんだ。どれだけつらく大変だったか、その「生死不明」という文字を目の前にすると、“戦地にいた”父のことがリアルに感じられて胸が痛くなりました。
さらに記録には、父がこれまで語らなかったことも記されていました。
「昭和12年 南京攻略戦に参加」
旧日本軍が多くの市民を殺害したなどとされる「南京事件」。その時期、父は南京での戦闘に参加していたと記されていたのです。
これを見たときは思わず涙が出て、それ以上記録を読み進めることができませんでした。
父は私に言えることしか言わなかった。こうした体験は言いたくもないことで、心の中にガッと押し込めてかぎをかけていたのでしょう。本当にしんどい思いをしてきたことが、よく分かりました。
体験を語ってくれたのは、73歳の女性です。
長年、自身の苦しみを周囲に明かすことはほとんどありませんでした。しかし最近、自分と同じような境遇の人たちが経験を語るのを見て、「戦争で苦しんでいるのは兵士だけではない。家族にも大きな影響を及ぼすことを知ってほしい」と、私たちの取材に応じてくれました。
女性のように、元兵士が負った心の傷や、それが家族に大きな影響を与えていたことについて、長年語れなかったという人は少なくありません。
戦争とトラウマの関係について研究する、広島大学大学院の中村江里准教授は、元兵士の心の傷を国が隠してきたことが、大きく影響しているのではないかと話します。
広島大学大学院 中村江里准教授
「戦時中の新聞を見ると、国は、戦争の恐怖による精神疾患が、敵軍の兵士には見られるが、日本軍には見られないとしていました。国民の士気を上げるためです。国家によってそうした病気の存在が否定されるということは、精神疾患を患った元兵士や家族にとっては、自己を否定されることに等しいわけですね。そうした父親の存在や、家庭のなかでの暴力というのは、周囲には話せないと感じた人も多かったと思います」
中村さんが話を聞いた元兵士の家族の中には、戦後も苦しみを語ることは難しかったと話す人も少なくありません。元兵士が復員しても、「戦争に行って大変だったね」と受け止める人はほとんどおらず、むしろ「なぜ帰ってきたのか」となじられるケースすらあったといいます。
「自分が傷ついたことを、安心して語れない社会だったわけですね。そのことが、その後もさまざまな歪みをもたらして、それが戦後世代にも引き継がれてしまっているのだと思います」
体験を周りに語りづらかったことが、元兵士や家族の苦しみをさらに深めたのではないかと話す専門家もいます。心理学が専門でトラウマについて研究している、甲南大学の森茂起教授です。
甲南大学 森茂起 教授
「トラウマを経験した時に、その体験を言葉にして語って、人に分かってもらうことが回復につながります。しかし家の中で戦争の話がタブーとされるような状態が続くと、元兵士やその家族の感情表現は制限されていきました。そのために影響が残ってしまった人も多いと思います。このことが、この問題を複雑にしています」
太平洋戦争開戦から81年が経った今もなお、世代を越えて続く苦しみの連鎖。戦争は歴史上の出来事ではなく、私たちの家族が関わった地続きの悲劇であるという事実が突きつけられています。
12月9日放送 首都圏情報ネタドリ!
「家の中に封じられた“戦争の傷痕” 〜親から子に連鎖した苦しみ〜」
元兵士の家族の体験談をさらに読む
戦争が父の心を壊した ~戦後75年 知られざる戦場のトラウマ~
戦争に心を壊された元兵士の父親をもう一度見つめ直す息子たち
雨天でも大丈夫!濡れません!
交流館の軒先と駐車場が繋がりました!
30人規模の集まりも開けるようになりました!
交流館を作ってくれた飯塚棟梁のお仕事です。
感謝、感謝です!ありがとうございます。
2022年11月24日!
これは「演技」ではない。
戦争を知った帰還兵たちのリアルな復活劇だったのだ。
ロシアによるウクライナ侵攻が始まって9カ月近く。
戦争はあらゆる心を破壊する。
だからどれだけ遠くても、どれだけ遠くても、どれだけ困難でも、やめさせなければいけない。
文化人類学 87.2に寄せて
2022.11.16
PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会
PTSDの日本兵と家族の交流館 代表 黒井秋夫
中村平さん、北村毅さんの「文化人類学87.2」オートエスノグラフィは歴史的な地平を切り開いたと思います。
日本兵のPTSDが日本兵(第1世代)、子どもたち(第2世代)、孫たち(第3世代)へと連鎖し今もなお継続中であることを、まざまざと人の心へ衝撃を伴って発信されました。
戦争が戦争期間中のみならず、戦後の落ち着いたと思われている家族生活、社会生活の深層で、ゴジラのうごめきのように吠えまわり、人の生き方を変え、関与し、抑圧し、捻じ曲げていることをお二人の論文は満天下に学問の成果として明らかにしました。
戦後日本人(家族)の精神史、あるいは人々はどのように考え生きたかを考える上で極めて重要な深層を説明解析する、時代を画する切り口を世に問うたと思います。
お二人の論文を読んで、黒井はまた父と母、兄や弟との葛藤、自身の心の有り様を反芻する作業が心の中で始まりました。
まだ、言えていないことがある。触れていないことがある。それは一体どういうことなのか。
やはり、黒井は自分と家族との一連のできごとを再度思い浮かべ、できる限り世の中に吐き出し、後世に生きる人たちに戦争の恐ろしさとして理解してもらう作業を続ける仕事があるのだ、とお二人に言われているように思います。
北村さんの祖父の方は「息子の新妻にチャンコロの首を切ったことをニタニタ笑いを浮かべながら自慢げに話した」とありますが、8.7集会の証言者の野崎忠郎さんの祖父も同じように息子の新妻に酒を飲みながら731部隊での人体実験を手柄話として話して息子の嫁を驚かせています。こういうことが日本中のあちこちで語られていたかもしれません。奥底にたまった心の重石を異常な表現でしか吐き出せなかった元兵士の心の闇もまた戦争の恐ろしさと思います。
これからもお二人との対話を続けながら、少しでも黒井も成長し、「二度と戦争をしてはいけない」を次代の人たちに伝えていきたいと思います。
来館者
2023年3月12日現在
2030人です!
小学生が8割です!
多くの皆さんのご来館を
お待ちしています!
「PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会」参加者感想文
1,
① 証言集会について(①は以下同じ)。父は何も語らず32年前に逝き、軍歴も分からないのでネットで色々探して見当をつけた。今年6月になって妹が詳細な軍歴を送ってくれた(全くその存在を知らなかった)地図をたどりながら見て、行動の広範囲と多忙さに驚いた。
父の戦争責任をここ30余年心に抱えて、人に話す折もなく苦しかった。昨年、吉田裕さんの「日本軍兵士」に出会い、兵士の具体的な肉体的苦痛(荷の重さ、靴、水虫、歯などなど)や私的制裁の精神的苦痛など、20代の全てを軍隊で過ごした父の苦痛のいくらかでも初めて自分の肌で感じた。
今回の皆さんの証言を通して、父の戦後、そして家族としての自分の人生を初めて考えた。これまでは自分の生きづらさと父との関係を考えてはきたが、戦争、軍隊と関連させては見ていなかった。吉沢さんの「引きこもり」という言葉が自分の内面に抱えている問題と同質に感じて強く共感した。
② 吉田裕さんの講演について(②は以下同じ)。吉田さんの著書を読んで参加したいと思いました。内容は基本的に読んでいた事でしたが直接お話をうかがえて良かった。
③ 家族の交流会について(④は以下同じ)。とても良かった。孫世代の大学の先生たちが、研究者としてではなく同じ立ち位置で話してくれて共感することが多く、自分にとって新しい角度であり、感慨が深くこれからの希望を感じた。初めに証言を聞いて、その後、参加者が平等の立場で自分の経験を分かち合うという方式はとてもいい。意見ではなく経験と感情を分かち合う、前の世代の侵略戦争の責任がずっと心に重かったが、今回参加した事で78歳の自分に内面化された戦争、自分の人生と戦争、という角度を得て、今何をするのか、どう生きるのか、思いめぐらせるようになった。何か新しいものが開けていく気がしている。
2, ①家族の証言
横浜市従労組機関紙の記者が「家族の恥」から「国家の責任」へのパラダイムの転換を
感じさせた証言とおっしゃったのが、実に腑におちました。
まさにその通りの、お三方の証言でした。
また、中村江里さんのことばの選び方の巧みさ「終わらない戦争」「語りはじめた兵士のこども
たち」「公的なスティグマ、セルフスティグマ」「個人や家族の中に隠されてきたトラウマを社会に開く」歴史が動き始めたという力づよい言葉に感銘を受けました。
②吉田さんの講演 著書『日本軍兵士』がそうであるように、アジらない、煽らない、関心があるのは事実だけ、事実を明らかにすれば本当のことはおのずと見えてくるという姿勢に感服しました。日本軍の戦争神経症対策は「詐病の摘発」であり「殴打、飢餓、首枷」で詐病を告白させたというおぞましい歴史の事実。
④ 記者会見。さすが記者さんという質問あり、メディアの奮起をうながす発言ありで楽しい記者会見でした。「パラダイムの転換」に触れて、中村平さんから「黒井さんの問題提起を初めて聞いたとき、日本兵の加害性を削減する役割を果たしてしまうのではないかという危惧をもった」という興味深い発言がされた。戦後の日本では、きちんとした教育がされないまま「悪の権化」としての日本兵像だけがあった。黒井さんの問題提起はそれを揺るがした。軍人のなかの加害性と被害性の両方を見る必要がある。ヒロシマにしても同様だ。ヒロシマにも「加害の責任」があるという発言が迫力でした。
⑤どの発言もすばらしかった。実行委員会で可能なかぎり文字おこしをし、公表可能なかたちにしてほしい。
⑥ 10時に集合した30名の実行委員のみなさん(自分もその一人ですが)に敬意を表します。
3,①一人30分必要だった。森倉さんが時間を気にして駆け足でお話しして下さったのが残念です。3人とも内容はどれも重要で貴重なものでした。この活動を形にして残すことと伝えていく必要があると思います。
②なかなか得られない情報ばかりでした。物質的に戦う前から負けることは明らかなのに、なぜ戦争に走ってしまったのか、日本人はバカだとつくづく思います。それを周りの人々が止められなかった点についても同様です。吉田先生の研究は貴重で素晴らしいと思います。
③掛け合い、興味深かったです。
4,③面前DVで育った孫世代への世代間連鎖の指摘は私自身に当てはまることと感じています。吉沢さんのお父さんのように、理屈で相手を打ちのめす様な物言いを私もしてしまいます。自分でも自制ができなくなる自分に後でおののくことがしばしばです。
この問題が過去のことではなく、亡くなった父や母だけの問題でもなく、私自身にも私の周囲にも(このあたり、判読不能=黒井)影響を与え続けている現在進行形の問題だと痛感させられています。
5,①生活の多くの時間を戦争体験のフラッシュバックとして支配している、繰り返しその生活が続いていくことが印象に残りました。
②日本兵の太平洋戦争中の生活環境の悪さも精神疾患に繋がったのだと言うことが分かりました。
6,①(元気のいずみで知ったので)このように大規模とは想定外でした。16時に終わると思い昼食抜きでした。途中で席を立てず、中村先生の本代で財布の中身が消えて(他の本の欲しかった)、それでもわずか数行のお知らせで参加決断したことをほめたいです。吉田先生のお話しに驚き、軍歴の調べ方があることも分かり、やってみたいと思います。
母の長兄が広島の被爆者だったので(晩年になって体験を語りました)原爆禁止は早くから身近にありました。
米国ではベトナム戦争経験者(VFP)の中のPTSD問題も注目されました。日本でもきっとあるはず、、、なのに調査からも取り残されるのでは(人権意識の低さ)と感じていました。2000年前後にはアレンネルソンさんの講演も各地であり、黒井さんも聞かれたのでしょう。日本政府の“棄民政策”でずっと省みられなかったことがやっと陽の目を見たことに席を立てませんでした。
メディアへの要望も語られ良かったと思います。
それらの全ては今後二度と同じ過ちを繰り返さないためです。世界で起きている暴力、争いを「止めることに繋がるように。
7,素晴らしい会でした。トラウマの研究は欧米では半世紀前からあるのです。日本では知られなさすぎます。
8,①皆さんのお話を直接お聞きするのは初めてでした。その言葉を聞きたくて、今日参りました。ありがとうございました。吉沢さんの「父は暴力は振るわないが家の中には見えないがピリピリしたものが家族のなかにありました」という言葉、同感です。あれはしんどかった。私もプチ隠れ引きこもりです。
②吉田さんのお話しは、さまざまな方々の著書など紹介下さり感銘を受けました。一つ一つよ無気力が足らず、黒井さんの会報で拝見するだけに終わっていました。しかし、戦前戦後にも「日本軍兵士を人を人として扱っていない」というきちんとした指摘をした方がいらしたのだと“灯”をいただいた思いです。
9,①お三方の貴重なお話しありがとうございました。短い時間でしたので、もっとじっくり聞きたかったです。
②データを基に兵士の状況を具体的に聞くことができてとても驚きを覚えました。日本人の良さが戦争中に失われて(秘匿され)権力者に都合の良いように操作されていたと改めて感じました。当時の日本の状況、日本人の思想がどんなものであったのか実感を持って想像しがたいのですが、自らの意思を表明することが“上手ではない”日本人が変わっていかなければ“付和雷同・同調圧力”が続くのだろうと思いました。
10,全体主義、統制主義、学校で左利きを右利きに、軍隊では銃を使う時に右利きに強制された。帰還兵の先生が軍隊体制教育をしていた。運動部では体罰が当たり前が近年まであった。今80歳代は精神的に残った考えをして、奥さんに暴言暴力をふるっている現在である。
11,①今まで封印されていた記憶を公衆の前で勇気を持って話していただき大変心に響きました。(特に吉沢さん)家族の問題は外部には語りづらく知られたくない思いもありますが、その問題に社会的意味(問題)があることに気づけることは人生を変えることになると思いました。
②吉田先生のご講演は兵士の体格(身体)や心という中々つかみとれない内容を資料と先生の膨大な知識に裏づけられていてわかりやすく興味深かったです。かつて初年兵が40㎏の弾薬箱をかついでビルマルートを歩いたと聞きました。かなりつらかったでしょう。良く分かりました。
④言葉では言い表せないです。とても心に響きました。どうもありがとうございます。私は戦友会研究をしています。元兵士がいなくなった後、女性たち(娘)が語り始めています。
12,日本の秘密主義もあり、PTSDで困っていることは中々広まっていません。戦争の悲惨さを再認識してもらうためにこの事実を広めていく必要があるでしょう。
13,貴重なお話しありがとうございました。PTSDの症状は人それぞれであると感じ、この存在をもっと世の中に広めるべきだと思いました。今日の証言、また交流会の中でしか話されないような内容を匿名でも良いので文字に起こして本にしていただければと思います。また交流館が大きな資料館として大きく後世に残すことができれば良いと考えました。
14,①衝撃的な家族の証言でありました。外国人に比べて日本兵のPTSDは極端に少ないと聞いていましたが、実際はPTSDが自分の父親にもあったし、もっと沢山いただろうという実話には涙と驚きなしには聞けませんでした。“PTSDの会”を立ち上げた黒井さんの行動力と戦争を絶対に起こしていけないという強い気持ちが心に響いてきました。
②吉田裕先生の「兵士の心と身体をめぐる諸問題」についての講演も素晴らしいものでした。先生は現在「東京大空襲戦災資料館」の館長であり尊敬しています。ぜひ研究者としてもこの家族会と連携して励ましていってもらいたいと思います。
15,まだまだ戦後は終わっていないと感じます。復員日本兵だけでなく、被爆した子どもたちが生き残り、その時の悲惨な体験が繰り返しよみがえってくるなど、PTSDはいろいろなところで起こってきたんだろうなとも思います。復員兵のPTSDでこれだけ多くの人たちが苦しんできたことを初めて知りました。空襲で負傷した人たちに対する賠償もしていない日本ですがPTSDで苦しんだ復員兵にも賠償すべきだとも思いました。
16,①歴史の授業で扱われて来なかった兵士とその家族の葛藤や苦悩を聞けるとても貴重なお話しでした。次回も参加したいと考えております。
②食料や物資による国力の差、日本人の戦争観と兵士の関わりを詳しくお話しくださり勉強になりました。戦争期における兵士の人権の軽視が問題であると思いました。
“質問”➡なぜ、軍首脳部は兵站や兵士の健康状態に気を配ることをしなかったのか?
戦後復員兵に対する保護は十分であったか。また、世間からはどう思われていたか?
17,⑤中村江里さんの「戦争とトラウマ」を読みました。「なんで今までなかった事にできたのか」も少しわかりました。一端は私たち市民の側にもあったこと。白衣の人が新宿に座っていたことを覚えています。が、あとで調べて何も出てこなかった覚えがあります。「公」の歴史で消してしまう。今も続いています。来年楽しみにしています。
18,非常に勉強になりました。
19,アメリカなどの従軍兵については報道などで知っていたが、アジア太平洋戦争時に日本兵の除隊後の実態としては黒井さんの三多摩健康友の会での訴えで知ることになりました。戦後、ご本人はじめ家族の苦労には大変心が痛む思いで拝聴いたしました。広く世界に知らせていく活動に敬意を表する次第です。1945年8月15日に終戦を迎えましたが、未だ終戦を迎えていないことを知りました。今後の奮闘、陰ながら応援したいと思いました。すばらしい勉強会になりお疲れ様でした。
20,⑤戦場のPTSDを知ったのは米兵の帰還兵のニュースからでした。ベトナム戦争後の映画にも帰還兵の自死が描かれていたと記憶します。今日の会でもお話のあったアレンネルソンさんの「あなたは人を殺しましたか」を読み、訪日中のネルソンさんの講演会にも参加して過酷な戦争体験が心と人格を破壊することを知り、反戦を訴えるのはもちろんのこと、兵士たちのケアを法的に制度的に整える必要を痛感しています。日本の場合、戦場のPTSDが明らかになったのは小泉政権の自衛隊イラク派遣でした。現在40人を超えていますよねPTSDにより自死した自衛官は。職場復帰できない方も相当に上ると聞きます。アジア太平洋戦争の被害者がいることを知ったのは2018年のNHKでした。あれは衝撃でした。黒井さんのカミングアウトで最初の一人が明らかになり、次々見つかり声を上げられることを期待しつつ、安保法制化で米軍と世界中どこへでも派兵されることになった自衛官への医療バックアップ体制を構築していかなくてはと思います。
こういうと自衛官が加わる戦争を前提にしているようで心苦しいです。基本は全ての戦争に反対し、この小さな島国家が生き残る戦略は平和外交しかないと確信しています。
PS北村先生のお話しで、、、戦争の子ども世代、孫世代の“戦争を語り合い継承する”自助グループがドイツに現れているとのこと、世界的なムーブメントにして行きたいです。
21,“歴史が動いた”という言葉がありましたが正にそれにふさわしい会になったと実感します。夫婦や親子の個人的問題と思われたものが歴史的社会的な問題であることに気づかされることは普遍的問題だと思います。
22,①本人、ご家族にとってどれだけ苦しくつらい戦後であったことか。振り返り語られる勇気に敬意を表します。
②一銭五厘、赤紙一枚と聞いたことがあります。人命、人権思想のなさ。戦後反省できなかった日本。人を人とも思わぬ戦前が始まっているように感じます。戦争を準備させぬ市民一人ひとりの戦いをこそと思います。
23,なかなか中身の濃い集会でした。勉強になりました。
① もう少しご家族のお話を直接お聞きしたかったと思います。父親の振る舞いが従軍体験に基づくものであると受けとめられた時、初めて父親を取り戻したと感じられるように思いました。たとえ、攻め込まれたとしても戦争はしないという決意があってこそ、外交努力によって他国との利害対立を解決する姿勢が確固となると考えます。
中村先生のご研究ももっと聞きたかったです。
② 吉田先生の資料を確認しながらのお話しは大変説得力がありました。「日本軍兵士」読ませていただきます。ありがとうございました。
*来年については感染状況が(2020年~2022年)ピークになる8月上旬を避けて下旬にしていただければと思います。
*李素楨さんのお話しに触れられたことで、日本軍の戦争犯罪が現地の被害者はもちろんのこと、加害の側にいた日本軍兵士の内面にも深刻な影響を与えた、その両面が見えて来たように思います。集会の成功おめでとうございます。
24,①理由が分からないまま、戦後「人が変わった」ようになられた家族を受け止めて来られた方
の人知れぬ苦しみを思いました。終戦、停戦で終わる戦争はないだろうなあ。
② 今回、兵士の身体性が戦争にどう壊されていくのかが良く分かりました。ありがとうございました。吉田先生の人間味も合わせて感じられる良い講演だったと思います。
③ メディアの役割をめぐってのやりとり、すごく良かったです。加害と被害の複層性?個人の問題に矮小化させるのではなく国家の責任を問うことが大事というのに共感です。
25,①貴重な会を企画下さりありがとうございます。戦争は参戦した当事者(兵士)だけでなく、家族や社会、何年にもわたって傷(PTSD)を被っていると思います。社会に向き合うにも時が必要だったのかもしれません。でも“無し”にはできないですね。
② 吉田先生のお話し➡「軍歴証明」について参考になりました。軍人遺族年金を最近他
界した母が受け取っていましたが、どういう条件や軍歴で対象になるのかと思っていました。
・会場での録画に関して、会の趣旨とは別に今、個人情報のこともありビデオ撮影への配慮が求められていると思います。
26,職業軍人だった祖父と私の父の不和について考え続けてきました。今回のお話しを聞いて新たな視点を持つことができました。すでに祖父は亡くなっていますが、幸い父は健在です。父の心の整理の為に父自身の話しを聞いてみようと思いました。ありがとうございました。
27,①戦争を体験した世代が少なくなるにつれて、戦争の勇ましさを声高に主張する人々が増えたと思います。PTSDに苦しんだ日本兵の声を(あるいはその家族の声)を丁寧に拾い上げることが戦争の実相を後世に残し平和の礎になることを本日の会に参加し確信しました。
・戦争はプロパガンダに彩られます。そして形のないイデオロギーに支配されます。しかし、身体こそ戦争の実態を理解する機能です。兵士の身体を通した吉田先生の戦争のとらえ方はとても大切であり、さまざまな社会的な事象を理解するための一つのツールになると思います。とても有意義でした。
28,黒井さんの活動が実ってこのようなPTSDの問題が世に出始めたことは大変意義深く、戦後の日本の歴史への再評価になると思います。声を上げた人々の勇気に感謝です。
29,レジュメの表紙にあった写真「戦争はしません。白旗を掲げましょう。話し合い和解しましょう」の言葉が心に残りました。ウクライナ戦争で軍備増強が叫ばれる中、上の言葉がまさに胸に突き刺さりました。9条を持つ日本こそ上の言葉の精神で進むべきです。
・黒井さんのお話しを聞くのは2度目ですが少なくとも300万近い家庭(兵士)がPTSDに悩まされ、放置され苦しんだ戦後を思い、ぞっとすると共に国家の無責任さに怒りが湧きました。軍隊自体、暴力が横行していたため復員兵士の家庭で父親が暴力をふるうことを時々耳にしました。
30,①黒井さんのお父様の晩年の映像は非常に衝撃を受けました。ご家族のことを語られるのは本当に心が痛むと思いますし、とても勇気がいることだと思います。ありがとうございました。
以前、西東京市の公民館で何人かの人と話をしていて、特攻に行く直前で終戦になったという体験を話された方がいたのですが、それに誘われるように別の方が「自分の父親は戦争体験して帰ってきたが、家では妙に恐かった。それは戦争体験したからなんだろうなあ」というような話をしていました。程度の差はあれ、おそらく帰還兵を迎え、生活した家族というのは何らかの傷を負っているのかもしれません。ちょっとした会話の中に見えることを落とさず聞いて行きたいなと思います。
③ 海軍の艦艇の環境が劣悪で精神神経症疲労が目立つという内容に吉沢さんのお父様が戦艦沈没で九死に一生を得たとおっしゃっていたことを思い出し、吉沢さんのお父様もそんな体験をされていたのだろうと思いました。また、先日NHKハートネットTVの「戦争が聞こえる」という番組で盲学校の生徒が戦争に協力せざるを得なかった内容が描かれ、それちょ関連することも語られていて、このことについても知っていきたいなと思いました。
31,私の父は南部戦線(タイ?)で補給部隊(トラック部隊)の士官として従軍した。戦後、会社員としては仕事を全うしたが、家では「アル中」で、休みの時は朝から飲んで母や兄を罵倒していた。父呉から聞いた唯一の戦争の話は、士官として捕虜の首をはねた時の話である。「首をはねたとたん、その捕虜は立ち上がった」との話しだった。父は家族に戦争の話はしなかったが後になり、小学校で戦争の悲惨さについて話していたらしい。多分晩年になってそれが父の贖罪だったのだと思う。小学校で話した内容がビデオに残っています(多分)。
32,私の父も南方から帰ってきましたが自分の記憶では父にPTSDの覚えはありません。ベトナム戦争当時のアメリカ兵のPTSDが一時期マスコミに話題になったことを覚えています。
33,戦争についてはできる限り知ろうとして歴史書や文学作品に触れてきましたが、一番知らなくてはいけないことは戦争が個々人の心身にもたらす影響だと思いました。今回はその核心的な内容について教えてもらいました。これからも考えていきたいと思います。
34,①つくづく戦争がなければご家族がこんなに苦しむ事はなかったし、元日本兵の方の受けた理不尽に対する怒りが家族の社会にしみ出していっているように感じます。(これを家庭の問題に押し込めたい人たちがたくさんいそうです)知らしめていかないといけないと感じました。
②吉田先生は映画などで良くお顔は拝見していましたが、初めて講演を聞けて嬉しかったです。「兵士個人が我慢すればなんとかなる」的な人命軽視、今の日本の自己責任論の根源を見るような思いです。日本の経済的な衰退も突き詰めるとここに収斂していくような気がします。現実から目をそらして正しい対策を取らない、今も同じだなと思いました。
35,黒井秋夫さんの今の活動を見ると、戦争にさえいかなければおとう様は今の黒井さんのように積極的に行動されていただろうと思います。30年以上経ってお父様の苦しみに気づいてあげられたことは何より供養になったと思います。PTSD復員日本兵に対して戦中の事ではなく戦後も隠し続けてきた日本政府は今と少しも変わっていないと思います。
36,証言がメインと思いましたが発表時間が短くなり、」急がされたものになったので残念です。じっくり時間を取り聞きたかったです。来年も参加しますので御藩士をじっくり聞かせてください。
37,本日はこのような貴重な機会を作ってくださりありがとうございました。お恥ずかしいですが戦争を知らない世代の私にとっては、復員日本兵の方やご家族が戦後もPTSDに苦しみに闘ってこられた事実を初めて知る機会になりました。そして大変衝撃的な事実で言葉が見つからない程の事実でした。戦争は人の身体を傷つけ、命を奪い生活を奪ったことはもちろん、心にも耐えられない傷をもたらすことを改めて認識しました。昨日も被爆者の方のお話も聞かせていただきましたが、今の戦争に苦しめられている方が大ぜいいらっしゃることを私たちは決して忘れてはいけないと思います。
また、今まさに戦火の中にいる人々や子どもたちがどれだけ心の傷や恐怖を背負っているのかと思うと胸が本当に痛いです。ウクライナへの軍地侵攻を一日も早く終わらせるとともに、日本も二度と戦争のできる国にしてはいけない!!と強く思います。
話はずれますが私の娘は精神障害者です。娘の場合は現在社会にうまく適応できずに発病してしまいました。暴力などふるうことはありませんが、娘が病気を抱えながら生きることを支える家族も時々心が折れそうになります。きっとPTSDの日本兵のご家族も私と同じように人には言えない他人には分かってもらえない、きっと私以上の辛い思いをしながら支えて来られたと思います。そういう意味でも共有できる思いをたくさんできた機会になりました。ありがとうございました。
38,証言集会に来るのはとてもしんどい事でした。家族の関係を否定することだと思われていたので口にするのがはばかられた。言ってみるとそれぞれがそれぞれの知っていることで
PTSDの日本兵と家族の思いと願い
証言集会・実行委員会開催案内!
PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会・実行委員会を9月11日(日)14:00~16:00で
武蔵村山市中藤地区会館で開催いたします。
今回は8月7日の第1回証言集会の感想振り返りを中心に交流いたします。
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の運営についても時間があれば論議したいと思っています。今回もどなたでも参加できます。多くの皆さんのご参加をお待ちしています!!
https://www.ptsd-nihonhei.com/
https://news.yahoo.co.jp/articles/d07f8b42aad787843addd622d9faa6dccce51d60
証言集会実行委員会・
語り合う会合同ニュース
2022.8.10 発行
PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会が開催されました!(2022.8.7)
★実行委員会の皆さんに心からお礼申し上げます。
武蔵村山市市民会館小ホールに午前10時に(武藤さんは8時前に交流館にお出でになりました。小ホール搬入口には9時前に内野さんなどお集まりいただきました。皆さん全て自主的に!)集まっていただいた34人の実行委員さんのテキパキとした臨機応変の対応で何の混乱も起きず、順調に運営できました。実行委員の皆さんに深くふかく心から感謝申し上げます。
「PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会」はPTSDの日本兵の家族が「家族の恥と思い隠してきた、言葉にできなかった」事実を社会に自ら発信するという歴史的な集会になりました。
参加者201人、報道は9社14人、研究者7人にお出でいただきました。
出征した父の初任地、吉林省公主嶺の出身、中国人歴史研究家・李素楨さんも駆けつけてくれました。2020年8月23日、日本兵の歴史研究の為に交流館に来館された李素楨さんに、出生地を聞き驚いて、父の引き合わせと直感して、日本兵父の蛮行を謝罪して以来、交流が続いています。黒井は証言の途中で紹介して最前列の李素楨さんと握手をしました!
最後のPTSDの日本兵の家族交流会では関西から来られた二人の女性の方がゆっくりゆっくり言葉を選び、長い間心に抑えていたご自分の体験をお話しされました。胸が詰まりました。
権力が隠してもかくしても決して痛みを抱えた庶民は黙って引き下がることなどないのだ!
これからも、次々と押さえられた声が地の底から湧き出て来るに違いない!
これからもPTSDの日本兵の家族たちがお話しできる場を作ります。
★証言集会のまとめの実行委員会を下記日程で開催します。
証言集会に携わった思い、良かったこと、改善点、感想などを出していただき交流いたします。
来年の証言集会をどういう目的、どういう内容で開催するか、どういう準備をするか、などの意見、
思いも出し合いたいと思います。ぜひご参加ください。
➡9月11日(日)14時~16時 武蔵村山市中藤地区会館
2,証言集会までの歩み
・3月14日 相談会(野崎、吉沢、森倉、黒井)於・交流館
・4月12日 相談会(野崎、吉沢、森倉、黒井)於・交流館
・5月15日 相談会(野崎、吉沢、森倉、黒井)於・交流館
・6月12日 オープン実行委員会 12人参加 於・中藤地区会館
・7月17日 オープン実行委員会 14人参加 於・中藤地区会館
・7月31日 オープン実行委員会 20人参加 於・中藤地区会館
・8月7日 証言集会当日、各部署でお手伝いいただいた皆さん 34人!
3,会計報告
*証言集会参加者 201名(報道関係、高校生など19名は無料)有料参加者182名
■収入合計 221.263円
・資料代182名×500円=91.000円
・会場カンパ 100.263円 特別カンパ 30・000円
■支出合計 142.676円
・小ホール会場費 67.495円 ・実行委員会会場費 4.247円
・研究者、映像協力者謝礼 40.000円 ・資料印刷代 2.680円 ・カラーチラシ印刷代 16.350円
■78.587円の黒字になりました!
4,2023年証言集会について
★来年2023年は武蔵村山市市民会館の小ホールから大ホールに場所を移します。
更にいつか、東京日比谷公園大音楽堂で開催する規模の「証言集会」を実現する覚悟です。
2023年の日程は8月20日(日)開催を予定いたします。
これからも皆さんのご支援をよろしくお願いいたします。
5.「戦争をしてはいけない」を子どもたちに伝える活動に力を入れたい!
★東伏見学童クラブ 「平和学習」
*8月5日10:30~11:40 1年生~4年生70人程と先生8人。
・ロシアのウクライナ侵攻、日本軍のアジア侵攻から始まった長い戦争の歴史、1894年日清戦争 1904年日露戦争 1910年日韓併合 1931年からの15年戦争 1941年太平洋戦争 そして1945年の敗戦、
沖縄が戦場となり、広島・長崎に核兵器が使用され、東京などの都市空襲で日本は焼野原になりました。日本の50年に及ぶ侵略戦争の結果、何を得たのか。子どもたちに質問しました。「無意味―むいみー」と子どもたちは一斉に答えました。
*武蔵村山市青少年教室 「戦争について考えてみよう」 8月30日(火)
・対象 小学生・中学生・保護者同伴可 主催 教育部文化振興課生涯学習係
・東伏見学童クラブと同様、日本が始めた戦争を写真を使用して質問形式で進めます。その後、ある日、外国軍が攻めてきてミサイルが今いる場所に打ち込まれたらどうするか、どうしたら生き残れるか?を、みんなで考え、出し合い、発表するやり方で進める予定です。必ず生き延びる方法はない、と言うこと、戦争をしないことだけが生き延びる道であると気付いてもらいたいと考えています。
6,8.7証言集会が報道されました!
★東京新聞夕刊」が2022年8月8日(月)報道しました!
共同通信配信で次の21社が記事を掲載しました!
北海道新聞 東奥日報 岩手日報 秋田魁web 福島民報 信濃毎日 下野新聞
千葉日報 東京新聞WEB 神奈川新聞 福井新聞 大阪日日 神戸新聞 中国新聞
徳島新聞 高知新聞 西日本新聞 熊本新聞 宮崎日日 沖縄タイムス
DAILYSUN・NEWYORK
戦争の心の傷、実態調査を 元兵士の家族ら証言集会
8/7(日) 19:45配信
東京都武蔵村山市で開かれた、PTSDを抱えていたとみられる元兵士の家族による証言会=7日午後 太平洋戦争の戦地から復員し、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を抱えていたとみられる元兵士の家族による証言会と交流会が7日、東京都武蔵村山市で開かれた。「戦争による心の傷に苦しんだ兵士と家族は長年、隠された存在だった」として、国などに実態調査をするよう訴えた。 同市の「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が主催し、約200人が参加。埼玉県川越市の吉沢智子さん(67)は、海軍将校だった父の暴言に苦しんだ体験を語り「父は戦後の社会に適応できなかった。わが家にはいつも恐れや怒りが渦巻いており、家族は引き裂かれた」と振り返った。
カンパ振込先➡口座名義 PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会
★ゆうちょ銀行からの送金(郵便振替用)➡ゆうちょ銀行口座。 記号 11390・番号 21576251
★ゆうちょ銀行以外からの送金 (内国為替用)➡ゆうちょ銀行口座
★店名 一三八(イチ サン ハチ)・店番138 ・普通預金(口座番号)2157625
「語り合う会」と「PTSDの兵士の交流館」連絡先
黒井秋夫 08011213888 ホームページ https://www.ptsd-nihonhei.com
208-0001武蔵村山市中藤3-15-4 ★メールアドレス qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp
「語り合う会」通信は周辺600世帯と武蔵村山市の市長・副市長さん、市議会議員さん、教育委員会、
市立3小に配布。報道各社に配信しています。
「しんぶん赤旗」が2022年8月9日(火)報道しました!
★呆け天残実録紹介
実行委員として参加した方の集会の紹介が早々とブログ紹介されましたのでお知らせいたします。
★UPRANさんがYouTubeに証言集会を動画配信しています!
(134) 20220807 UPLAN PTSDの日本兵の家族の思いと願い・証言集会 - YouTube
8.7PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会をYouTubeにUPRANさんが動画配信しました。
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