「PTSDの日本兵家族会
・寄り添う市民の会」の
ホームページです。
白旗を世界中で掲げましょう!は
戦争のない世界を引き寄せる
積極的な非暴力行動です。
★白旗を掲げ意思表示する人たちが10%になれば支
持が得られないと判断し政権は戦争をすることは不
可能になるでしょう。
★「戦争のない世界を作りましょう」のシンボル白旗を作り掲げましょう。本のしおりの大きさから始めて、ハンカチの大きさに。そしていつか大きな白旗に。
日本中に、世界中に広げましょう!
★私たちは世界に平和憲法の約束を守ります。
二度と戦争は起こしません。加わりません。
私たちはいかなる戦争にも反対します。
私たちは銃を取りません。
紛争は話し合いで解決します。
侵略されたら直ちに白旗を掲げ降伏します。
日本が戦地になったら避難民になり生き延びます。
世界に日本への支援と平和的解決を訴えます。
日本が二度と戦争を起こさない!
誰もが安心して暮らせる平和な社会をめざします!
中国、朝鮮半島、アジア、世界に平和と友好の虹の橋を渡します!
★家族会・寄り添う市民の会は
・自分と違う意見やお話しでも最後まで聞く。
・人の話を途中でさえぎらない。
・大きな声を出さない(威嚇するような言い方はしな
い)。
・誰にも何も強制されない。
★以上の簡単なルールで個人を尊重する運営を心がけてい
ます。今後の定例関参加も無理をせず都合良い時にお出
で下さい。
・それでも、いざという時には大きな力を発揮する温かく
頼りになる「家族会・寄り添う市民の会」をめざしま
す!
★先着300名まで入場できます。
★開場は9:45です。
★オンラインは申し込みが定員の100名になり
締め切りました。
*ユープランさんが後日、YouTubeに証言集会をアップ予定です。
★PTSDの日本兵の家族の思いと願い東京証言集会
・日時 9月8日(日)10:00~15:15
(開場9:45)・資料代 500円
・会場 国立オリンピック記念青少年総合センター
(センター棟417セミナーホール)
・東京都渋谷区代々木神園町3-1 小田急線参宮橋駅徒歩7分
*主催:PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会
・連絡先 黒井 秋夫 ☎08011213888
・メールqqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp
・ホームページ http://www.ptsd-nihonhei.com
来館者
3000人突破!
PTSDの日本兵と家族の交流館の来館者が9月5日(木)に来館者13人を迎えて3008人となり2020年5月10日の開館以来の来館者が3000人を突破しました。
皆さんに支えていただいたおかげです。
これからもよろしくお願いいたします。
2024年8月9日(金)東京都西東京市の小学校の学童クラブで「平和のお話し」をしました。ここでお話しするのは3年連続です。
約1時間、1年生から4年生の80人の子どもたちが聞いてくれました。5年生になるとクラブを卒業するので1年生の子どもは来年は4年間私の話しを聞くことになります。
3年目の昨日のメインは「戦争をやめた人たち」という絵本の読み聞かせです。
第一次世界大戦さ中の1914年、ドイツ軍とイギリス軍の兵士たちが12月24日のクリスマスイブの夜、戦場の塹壕を挟んで対峙していましたが、「清しこの夜」を歌い合い、やがて互いが塹壕を出て交流し、戦争の代わりにサッカーをしたそうです。
その後に戦争は再開されたが、戦闘開始命令が出ても互いに相手に当たらないように銃をわざとそらせて打ったという実話をもとにしたお話しです。
子どもたちはしっかり聞いてくれました。
なお、この本は横須賀でタクシードライバーをしている市原和彦さんからいただいた絵本の中の一冊です。市原さんは2022年夏から毎月毎月、交流館の子どもたちに読んでほしいと絵本をお送りいただいています。本が名ぶ一角に「市原和彦文庫コーナー」を作るまでになりました。本当に感謝しています。
絵本の読み聞かせの他、ガザで始まった戦争や、日本から始めた明治維新以来の日本の戦争の歴史の振り返り、黒井秋夫の父・慶次郎がなぜPTSDを発症したのかなどお話ししました。
また、交流館で展示している日本軍が使用した銃弾や陶製の手榴弾、軍服なども子どもたちが触ったり、着て見たりしてもらいました。
「戦争をしても何も良いことは何もないのにどうして戦争をするのか分からない」という声がたくさん上がりました。
毎年、何をお話ししようか頭を悩ませていますが、子どもたちの素直な反応にはいつも驚かされます。元気をもらいます。
とても楽しい1時間でした。
「戦争と性35号」をお薦めします。
*1600円(+送料180円)でお送りできます。
藤岡美千代さん(1959年生まれ)の「砂の家族・生きる希望
を奪われた父の戦争とは」に、戦争の恐ろしさ、底知れない暗
闇、人の思いも人生も破壊し、家族に連鎖する帰還兵の
PTSDの凄まじさを突き付ける藤岡さんの手記に黒井は衝撃
を受けています。皆さんの戦争観、人生観もきっと変わるでし
ょう。
*藤岡さんの父親はシベリア抑留後帰還した日本軍兵士です。
子どもたちへの暴力、酩酊しては藤岡さんの小学校に押し掛け
る、ガス栓を開ける度重なる心中未遂、幼い藤岡さんへの性的
虐待、そして47歳で首をくくり自殺する。
・藤岡さんは母のくびきから逃れ、アルバイトをしながら短大を
卒業保育士になる。ある日、結婚して生まれた幼い娘が自分を
求める声に「うるさい!」とドアまで突き飛ばしてしまう。リストカットも繰り返す。藤岡さん
は気付きます「父親と同じことをしている!」、、、、、、、。
・そしてたどり着いた思いと景色、思いとは、、、、。
★藤岡さんの手記の見出しは以下の通り。
・父のちゃぶ台返し
・心中ごっこ
・花房先生との出会い
・学校ヘ行っても
・新しい家の引っ越しと妹が消えた
・父の姿のギャップ
・錯乱の父
・誰もちゃんと教えてくれなかった
・父を拒む
・家庭裁判所へ
・もう一人のみちよちゃん
・性虐待の連鎖
・読書は明日への希望
・父の死の真相
・気づき
・多くの学びのなかで
・やっと繋がった父と戦争と私
・1枚のチラシと黒井さんとの出会い
・父の軍歴から戦争を読み取る
・父が見た風景は
・終戦後の捕虜、シベリア抑留
・戦争を許さないことが父娘の悲願
★PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会のリーフレットお送りします!
★配布いただければ1枚でも10枚でも100枚でも何枚でもお送りいたします。
★お届け先住所、電話番号などお知らせください。
*申し込み先qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp(黒井秋夫)
■行事予定 1回だけの参加もWelcome、大歓迎いたします!どなたでも参加できます。発言を保障します。
7月20日(土)平和のための京都戦争展 藤岡美千代さん講演 中村江里さん講演
7月21日(日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会東京例会 遺族霊苑
・白崎朝子さん講演 現代の理論編集者 オンラインOK
7月23日(火)ジーンシャープオンライン読書会 19:00~21:00
8月9日(金)西東京市学童クラブで子どもたちに黒井秋夫がお話しします。
8月13日(火)NHKラジオ深夜便 黒井秋夫がお話しします。
8月18日(日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会関西例会 生野区民センター206
8月20日(火)ジーンシャープオンライン読書会 19:00~21:00
8月21日(水)東京代々木病院で黒井秋夫がお話しします。
8月22日(木)船橋市勤労市民センターで黒井秋夫講演
8月23日(火)ジーンシャープオンライン読書会 19:00~21:00
8月25日(日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会東京例会 オリンピック記念センター
8月31日(土)わかやま市民生協で黒井秋夫がお話しします。
9月1日(日)流山市平和のための戦争展、吉沢智子さん講演
9月8日(日)PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会東京
・オリンピック記念センター 10:00~16:00 オンラインOK
9月12日(木)~17日(火)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会中国訪問。
・長春師範大学、黒井慶次郎初任地・公主嶺などを訪問。黒井秋夫がスピーチを予定。
・9月19日(木)ジーンシャープオンライン読書会 19:00~21:00
・9月21日(土)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会東京例会 東京都遺族霊苑。
・9月23日(勤労感謝の日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会関西例会 国労会館
・9月28日(土)松戸市小金原9条の会で黒井秋夫がお話しします
・10月 4日(金)埼玉県の大学の授業で黒井秋夫が授業を受け持ちます
・10月14日(体育の日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会東京 オリンピックセンター
中国帰国者支援・交流センター(中国残留孤児)語り部のお話し会 オンラインOK
・10月19日(土)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会関西例会 国労会館
・10月22日(火)ジーンシャープオンライン読書会 19:00~21:00
・11月10日(日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会東京例会 東京都遺族霊苑。
平和遺族会会員の講演 オンラインOK
・11月16日(土)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会関西例会 国労会館中会議室
・11月19日(火)ジーンシャープオンライン読書会 19:00~21:00
PTSDの日本兵と家族の思いと願い関西証言集会・基調報告
2024年6月30日
PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会・代表 黒井秋夫
1.2023年~大きく前進しました。メディアの報道広がる
・朝日新聞、2023年8月15日(敗戦の日)以来「戦争トラウマ」現在も連載中。
・YBC山形放送「でくのぼう~戦争とPTSD」ギャラクシー賞選奨受賞
・NNNドキュメント「でくのぼう~戦争とPTSD」全国放送
・ビックイシュー2023年8月号「知らなかった戦争PTSD」特集
・現代の理論2024年春号「戦争トラウマの封印を解く」特集
・診療研究(東京保険医協会)2024年1月号「戦争とPTSD」特集
精神科医が戦争が原因の神経症に初めて気づく。
2.2023年~大きく前進しました
関西と千葉県で「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」が発足し
ました。証言集会を開催(ちばは11月に予定)。
・全国に「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会*以下「家族会・市民の会」と記します」、PTSD
の日本兵と家族の思いと願い証言集会を広げます。
3.2023年~大きく前進しました。2023年3月、PTSDの日本兵と家族の問題が国会(衆議院社会労働委員会)で取り上げられ、厚労大臣は実態調査を約束。「家族会・市民の会」は厚労省との初めての会合の席で「PTSDの兵士の存在と連鎖し苦しんでいる家族の調査」を要望。しょうけい館で戦争神経症の兵士の展示を開始しました。
・YBC山形放送が2023年3月、2024年6月に放送。朝日新聞、赤旗が報道しました。
・日本兵のPTSDの問題は過去のできごとではありません。暴力の連鎖は家族間の虐待として連鎖
して今でも多くの人たちが苦しんでいます。
日本軍兵士のPTSD含めその原因は日本が始めた明治維新以来の侵略戦争が原因です。一切の責任は国家にあります。国は実態をただちに調査し「日本兵のPTSDと連鎖して苦しむ兵士の家族の問題」の解決に当たるべきです。
4.2023年~大きく前進しました。活動の輪が広がりました。
・「平和遺族会」会員の講演をきっかけに平和遺族会と「家族会・市民の会」の交流会を開催、遺族会ニュース発送のお手伝いをしています。東京都遺族霊苑で定例会を隔月で開催しています。
・「戦争と性」谷口和憲さん講演をオンライン含めて2回開催。継続して学習会を予定しています。
・中国帰国者支援・交流センター(中国残留孤児)の語り部の方が「家族会・市民の会」定例会に継続して参加。中国帰国者支援・交流センター職員を講師に学習会を開催。語り部のお話しを聞く会を10月に予定しています。
5.日中口述歴史・文化研究会(李素楨常務副会長)の橋渡しで長春師範
大学日中口述歴史文化研究院訪問団と国際民間交流会を開催しました。
・中国、朝鮮半島、アジアにはPTSDを発症した日本兵とその家族の10
倍以上の1千万人以上の人たちが、PTSDを発症し、今なお苦しんでいて連鎖し続いているのは確実です。
・2023年11月19日、日中国際民間交流会ではオンライン含めて30人を越える皆さんが集いま
した。黒井秋夫が、父親たちの戦争責任と正面から向き合い、戦争をしない社会をめざす会の活
動目的をお話しし、中国の人たちの命を奪い、財産を奪い、生活を破壊した父や祖父の所業を子
孫として謝罪しました。「家族会・市民の会」の仲間6人も謝罪と各人の思いをお話ししました。
・「家族会・市民の会」は5人が2024年9月12日~17日中国(長春師
範大学と黒井秋夫の父慶次郎の兵士としての初任地、公主嶺)を訪問し市民交流を深めます。祖父、父親たち日本軍兵士の殺人、財産収奪などの蛮行を中国の人たちに謝罪します。
・日本が始めた戦争は2千万人と言われるアジアの人たち、そして連合国の兵士国民の命を日本
兵は奪いました。そのため、特に主な戦場となったアジアで、日本軍に襲われた人たちの子孫の多くが今現在もPTSDに苦しんでいることは確実です。PTSDを発症した日本兵と私たち家族の10倍以上の1千万人以上の人たちが、今もなお苦しんでいる、連鎖して続いていることも確実だと私たちは推測します。
・「戦争はしません 白旗を掲げましょう 話しあい和解しましょう」の白旗を日本と対岸の中国で、アジア各地で、世界中の市民が掲げましょう!と呼びかけてきます。戦争をしない世界の市民の輪を作り広げる活動を呼びかけてきます。
6.「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」として組織改編し2023年10月29日立上げました。「PTSDの日本兵家族会」と「寄り添う市民の会」それぞれの役割と関係を明確にしました。
・「家族会・市民の会」のような平和運動体は日本の平和運動でかつて例を見ません。
私たちは前例のない、お手本のない新しい形と理念の活動を作り出しつつあります。
だから、間違うことも当然だし、右往左往し迷うことも仕方ない事です。
「家族会・市民の会」がそのことを理解して一喜一憂せずに粘り強く議論し、一致点を見いだし、諦めず活動を積み重ねて進めていくことが重要です。
・「家族会・市民の会」の中心は「PTSDの日本兵家族会」です。
PTSDの兵士だった祖父や父親の影響を受けて未だにほとんどのメンバーは心の傷の苦しみを抱えて生きています。長い間、祖父や父親の行動を戦争が原因のPTSDと気づくことができず、家族の恥、家族の問題として口外できず社会に隠してきました。精神の病気に偏見が存在する現在の社会では声を上げることは簡単ではありません。
・「家族会・市民の会」の活動が広がり、PTSDの兵士と家族の問題への理解と認識が社会に浸透していけば「家族の会」の潜在する該当者が声を上げやすい雰囲気が作られます。メディアの報道の広がりも声を上げやすい社会の雰囲気づくりを促進しています。
・「市民の会」は「家族の会」の潜在する該当者が声を上げやすい社会づくりを進める活動家集団であることが望まれます。
・「市民の会」はともすれば不安定な精神状態を抱える「家族会」に寄り添い、包んで支える「市民の会」をめざすことがその存在意義と言えます。
・「家族会」と「市民の会」が互いを理解し合い、寄り添い、協力しあい進むことが重要です。
7.「家族会・市民の会」は個人を尊重した運営をめざします。
定例会、オンライン読書会、証言集会はどの会も誰でもWelcome、一回だけの参加もWelcomeです。スケジュールを紹介します。
・家族会・寄り添う市民の会は一人ひとりを尊重した優しい運営をいたします。
・自分と違う意見やお話しでも最後まで聞く。人の話を途中でさえぎらない。大きな声を出さない
(威嚇するような言い方はしない)。誰にも何も強制されない、という簡単なルールで個人を尊重する運営を心がけています。定例会など一回限りの参加も歓迎します。その後も無理をせず都合良い時にお出で下さい。
それでも、いざという時には大きな力を発揮する温かく頼りになる「家族会・寄り添う市民の会」をめざします!
8.戦争のない世界をめざしましょう。「戦争はしません 白旗を掲げま
しょう 話しあい和解しましょう」の白旗をアジア、オセアニア、世界に広げましょう。
*黒井秋夫の訴えとして2024年6月30日
・戦争が世界を席巻しています。
戦争を仕掛ける集団(国家)と対抗する集団がこの瞬間も殺し合いを続けています。
戦争することを決めた集団の意思と集団に属する個人の意思の尊重はどうでしょうか。
そもそも戦争することは誰がどこで決めているのでしょうか。国会で決まるのでしょうか。あるいは首長や集団の長の意思で、あるいは集団の多数の意見で戦争開始が決まるのでしょうか。
戦場の兵士は志願兵でしょうか。強制されていないでしょうか。本人の自由意志でしょうか。
私たちは個人が兵士になり戦場で殺し合いを選択することに賛成しませんが、本人の自由意思で
兵士の道を選ぶことは尊重します。
・しかし、ある個人が戦争をしたくないのに、集団の決定に強制されて兵士にされることは絶対に受け入れられません。真っ向から反対します。支持できません。
個人の自由意思はどんな場合でも尊重されるべきだし、民主主義の根本条件と思います。
戦争のない世界を戦争で作り出すことはできません。戦争は正義や道理の側が勝つわけではありません。負けたに側にも掲げた正義や道理が必ずあります。
負けてその時は服従しても時が経てば引き下げた正義や道理は息を吹き返すでしょう。
戦争では問題を解決できないのです。
・「戦争のない世界」はどのように実現するでしょうか。
それは「戦争のない世界」をめざす人々が多数になって初めて実現するでしょう。
「戦争のない世界」をめざす道筋に戦争は必要ありません。暴力は不必要です。
「戦争のない世界」をめざす行動は初めから最後まで戦争や暴力と無縁でなければなりません。
戦争や暴力を少しでも肯定すること、つまり、戦争をするどちらかに肩入れがあってはなりません。
・「戦争のない世界」をめざす人たちが、白旗を掲げる人たちが世界の多数になる時、「戦争のない世界」が実現するでしょう。それは遠い夢物語でしょうか。ありえない事でしょうか。
戦争や暴力に優れた者たちの正義や道理がこの先100年も続いたら人類は核戦争を回避し生き残れるでしょうか。
・戦争のない世界をめざしましょう!
・2020年から私たちは「戦争をしない意思として白旗を掲げましょう」とHPなどで呼びかけています。2024年初めからは白旗を作成し普及を始めています。2024年5月3日の憲法集会では東京と大阪会場で白旗を掲げたら、多くの共感が寄せられて、いま白旗は全国に広がっています。
・白旗は日本にとどまらず「戦争をしない市民の旗印」としてアジアから世界中に広げましょうという声が、在日アジア人の人たちから上がっています。
近い将来に、国境の向こうに白旗が掲げられる日が来るでしょう。
それを見て日本に住む人たちはどうするでしょうか。
戦争は私もするつもりはない、急いで白旗を準備するでしょうか。
自衛権は放棄しない。だから白旗は掲げない、そうするでしょうか。
「戦争はしません 白旗を掲げましょう 話し合い和解しましょう」とする「家族会・市民の会」の月刊ニュースは中国に韓国にアメリカの読者にも届いています。
日本で白旗を掲げる人たちがいるというニュースは更にその友人たちを介して拡散しているかもしれません。
いつか国境の向こうでも私たちに呼応して「私たちも戦争はしない」という意思表示に白旗を掲げる人たちが必ず現れるでしょう。
そのようにして戦争をしない世界に近づいて行く。私たちはそう確信しています。
■行事予定
*1回だけの参加もWelcome、大歓迎いたします!
・どなたでも参加できます。発言を保障します。
7月5日(金)立川市の総合病院の職員研修で黒井秋夫が講演
7月7日(日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会関西例会 生野区民センター
7月21日(日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会東京例会 遺族霊苑
・白崎朝子さん講演 現代の理論編集者 オンラインOK
7月23日(火)ジーンシャープオンライン読書会 19:00~21:00
8月18日(日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会関西例会 生野区民センター206
8月20日(火)ジーンシャープオンライン読書会 19:00~21:00
8月22日(木)船橋市勤労市民センターで黒井秋夫講演
8月23日(火)ジーンシャープオンライン読書会 19:00~21:00
8月25日(日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会東京例会 オリンピック記念センター
9月1日(日)流山市平和のための戦争展、吉沢智子さん講演
9月8日(日)PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会東京
・オリンピック記念センター 10:00~16:00 オンラインOK
9月12日(木)~17日(火)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会中国訪問。
・長春師範大学、黒井慶次郎初任地・公主嶺などを訪問。黒井秋夫がスピーチを予定。
・9月19日(木)ジーンシャープオンライン読書会 19:00~21:00
・9月21日(土)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会東京例会 東京都遺族霊苑。
・9月23日(勤労感謝の日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会関西例会 国労会館
・10月 4日(金)埼玉県の大学の授業で黒井秋夫が講演
・10月14日(体育の日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会東京 オリンピックセンター
中国帰国者支援・交流センター(中国残留孤児)語り部のお話し会 オンラインOK
・10月19日(土)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会関西例会 国労会館
・10月22日(火)ジーンシャープオンライン読書会 19:00~21:00
・11月10日(日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会東京例会 東京都遺族霊苑。
平和遺族会会員の講演 オンラインOK
・11月16日(土)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会関西例会 国労会館中会議室
・11月19日(火)ジーンシャープオンライン読書会 19:00~21:00
9.「家族会・市民の会」がお薦めしている書籍を紹介します。
*PTSDの日本兵の家族の思いと願い 1200円
(PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会編・あけび書房)
*戦争とトラウマ(中村江里・吉川弘文館) 4600円
*現代の理論(現代の理論・社会フォーラム発行 同時代社) 1200円
*いま語るべき日中戦争(日中口述歴史・文化研究会編 同時代社) 3000円
*日中戦争への旅、加害の歴史・被害の歴史(宮内陽子・合同出版) 1600円
*悼むひと(遠藤美幸・生きのびるブックス) 2300円
10.朝日新聞「戦争トラウマ」紹介
全21回戦争トラウマ 連鎖する心の傷
悪夢、酒浸り、家族への暴力――。過酷な戦争体験からトラウマを抱え、後遺症に悩む旧日本兵たちの存在は置き去りにされてきました。ようやく語れるようになった子や孫の証言から、連鎖する心の傷の問題を考えます。
6月2日、PTSDの日本兵家族会・
寄り添うちば市民の会 結成!!
東京、関西に次いで3か所目!38名が参加して結成!11月上旬に証言集会の開催(松戸市を予定)を準備します!
■ゲスト:中村江里さん(上智大学教員)
「元日本兵の PTSD と国府台陸軍病院の歴史」
■PTSDの日本兵の家族、二組が証言。約15人の懇親会で体験を
語りあいました 。
*PTSD の日本兵家族会・寄り添ちば市民の会
・連絡先:小薬祐子(090-1650-2653)
吉野信次(090-4606-9634)
太平洋戦争の戦地から戻った後、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんだ元兵士の家族らを支援しようと、「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会ちば」が設立された。
「父は19歳でシベリア抑留を経験しました」
2日、松戸市の稔台市民センターであった会の立ち上げ集会。戦地から復員した父親からの暴力について語る家族の話に、集まった約40人が耳を傾けた。
アルコール依存や無気力、家族への暴力――。戦争で心に傷を負った元日本兵たちの姿を語り合う活動が近年、広がっている。2018年に東京都武蔵村山市の黒井秋夫さんが「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を立ち上げたことに始まり、関西に次いで千葉は全国3番目になるという。
この日の集会で講演した上智大の中村江里准教授によると、国内では1938年、国府台陸軍病院(市川市)が精神神経疾患の治療のための特殊病院になり、終戦までに約1万人が入院。40年に傷痍軍人武蔵療養所(東京都小平市)が開所し、約950人が入所した。このほか、一般陸軍病院や民間精神科病院に入る人、自宅療養する人たちがいたという。
中略(お買い求めいただきお読みください)
おのを持った父親に追いかけられ、窓から飛び降りて逃げたこともあるという。そうした体験から、社会に出てからも「いつかこの人も豹変(ひょうへん)するのでは」と対人関係が困難に。そのうちほとんど起き上がることもできなくなり精神科に通った。
女性は昨年、家族らの集会に参加。「ほかの家族の話を聞き、自分の父も戦争の犠牲者だと思えて、憎しみは消えた。私のように苦しんでいる人がいるなら、私も話そうと決めた」
★千葉の会は今秋、家族らの証言集会を開く予定。会への問い合わせは吉野信次さん(090・4606・9634)へ。
「戦争PTSD」18回目~21回目・連載されます!
朝日新聞デジタル版2024年6月13日(木)~16日(日)
わたしの布団に入ってきた父 暴力だけじゃない、復員兵の性虐待:朝日新聞デジタル (asahi.com)
4歳くらいの頃、よくおねしょをした。 怒った母に服をはぎ取られ、部屋の隅に放り出された。素っ裸で震えていると、布団に招き入れてくれるのは、いつも父だった。 布団の中は暖かかった。「お父ちゃんは救世主に見えた」と、藤岡美千代さん(65)は振り返る。全身をなで回されるのは、「温めてくれているんだ」と思っていた。 父は時に、娘の性器にも触れた。言葉にできない違和感だけが残った。
YBC山形放送「山形ZIP」で
「でくのぼう日本軍兵士・PTSDの実像」放送!
2024年6月15日(土)9:40~
でくのぼう 日本軍兵士・PTSDの実像<2024年6月15日放送> - YBC 山形放送
虚ろで無気力な、“でくのぼう”と呼ばれた父。その心の傷を、理解してあげられなかった後悔に、苦しみ続けている息子。戦争は兵士の心を壊し、家族との絆をも傷つけました。 兵士の心の傷について証言をはじめた子どもたち。その活動は、国の実態調査へと結びつきました。見捨てられてきた戦争の傷跡に、光は当たるのか―。 優秀な兵士だった父はなぜ、“でくのぼう”に? 戦後社会に見捨てられてきた、兵士の心の傷に迫ります。
2024年6月14日 戦争トラウマNO18
母に「汚い」と吐き捨てられ 暴力、虐待、全て戦争とつながった:朝日新聞デジタル (asahi.com)
母は、藤岡美千代さん(65)を、こう呼んだ。「汚いやつ」という意味だ。名前で呼んでくれたことはなかった。ひどい時は「畜生」と吐き捨てられた。復員兵だった父は酒におぼれ、戦場の幻覚を見て家族に暴力をふるい、幼い藤岡さんの体をまさぐった。 母は、父の性加害を、おそらく知っていた。 父が布団に招き入れていたのは、家族4人が雑魚寝する狭い4畳半。隣で父が何をしているか、母が気づかぬはずはない。
2024年6月15日 NO19戦争トラウマ
傷ついた兵士は、なぜ我が子を殴るのか トラウマ学の第一人者に聞く:朝日新聞デジタル (asahi.com)
戦争が日本社会に残したトラウマの総量は膨大でしょう。しかし、社会の対処能力を超える傷は、個人の記憶の中に障壁が生まれて乖離(かいり)されるのと似たような状態で、社会の中に隔離されて残ってしまいます。 戦争の記憶は、日本人全体が共有できる一つの物語として整理されないままになっています。忘却され、子供たちはそれを知らずに育つ。記憶の統合はますます難しくなり、分断は進みます。――元兵士もほとんどが世を去りました。戦争トラウマの実態を後世に伝えるのは難しいのでしょうか。悲観的にならず、体験を共有していく営みは重要です。トラウマを受けた元兵士の家族が連帯する動きもあります。大きな意味があります。「PTSDの日本兵家族・寄り添う市民の会」の活動を契機に、メディアも報じ始めています。国会でも昨年3月、この問題が取り上げられました。
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蛮行を中国の人たちに謝罪します。
「戦争はしません、白旗を掲げましょう、話しあい和解しましょう」の白旗を日本と中国の市民どうしが
アジアの市民、世界中の市民どうしが掲げ、
戦争をしない世界を市民の意思表示で作りましょう!
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白旗が国を越えて掲げられる!
「戦争はしません 話し合いで解決しましょう」の旗印、白旗が政権どうしは対立しているとしても、それぞれぞれの市民どうしは「私たちは戦わない」との意思表示を白旗を掲げて意思表示をする。白旗を掲げて非戦の意思を相互確認する。
日本列島に「戦争はしません 白旗を掲げましょう 話しあい和解しましょう」の白旗が掲げられる。
日本海、東シナ海、オホーツク海、太平洋の対岸の朝鮮半島で掲げられる、中国で、香港、台湾で、シンガポールで、フィリピン、インドネシア、インドシナ、インドで掲げられる。
オーストラリア、ニュージーランド、太平洋諸島の諸国で、北アメリカ、南アメリカで白旗が掲げられる。世界中で掲げられる。
日本では5月3日の憲法集会ではあちこちの集会で白旗が掲げられた。それ以降も、個人の家で、どこかの集会や行動で白旗が掲げられている。戦争はしない意思表示をする人たちが可視化され増えている。
その白旗が昨年2023年11月19日の日中市民国際交流会で長春師範大学口述歴史文化研究院の皆さんに渡され海を越えた。
今現在、日本の東西南北の海を越えた対岸の市民に白旗の意味が伝わり、賛同を呼び「私たちも戦争はしないの意思表示の白旗を掲げましょう」という動きが広がろうとする確かな動きと気配がある。
夢ではない。夢では終わらない。私は大いなる希望を持つ。
多くの地域で市民たちが「戦争はしません」の白旗を掲げ始めたらどういう世界に変わっていくだろうか。
「万国の労働者団結せよ」が希望の象徴だった時代がある。
今、「世界の市民は戦争をしない白旗を掲げましょう」という時代が現実味を帯びる時が来ようとしているのだ。
私はそう感じ始めている。
2024年5月25日 黒井秋夫
朝日新聞2024年3月26日朝刊
太平洋戦争で心に傷を負った元兵士の実態について、国が調査に乗り出すことが決まった。戦傷病者の援護の一環として国が開設した「しょうけい館」の運営有識者会議が13日に開かれ、精神疾患に苦しんだ戦傷病者についての資料などを集める方針が了承された。国による調査は初めて。
戦争体験でトラウマを受け、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などに苦しんだ元兵士については近年、家族が証言集会を開くなどして実態調査を求めていた。昨年3月には加藤勝信厚生労働相(当時)が国会で答弁し、しょうけい館で調査する方針を示していた。
有識者会議では厚労省側が「心の傷に苦しんだ戦傷病者についての展示に取り組むため、資料や研究者の研究成果を中心とした調査を想定している」と説明。日本赤十字社参与の堀野政則氏は「事例を掘り起こすのは難しいが、拾い出せるものは残していくことが大切だ」とした。
会議を受けて、「PTSDの日本兵家族会」の黒井秋夫代表らが15日、厚労省の担当者らと面会した。黒井代表は厚労省側に「実態調査をして全体像を明らかにしてほしい」などと要望した。厚労省の担当者は「(調査は)しょうけい館の機能の範疇(はんちゅう)に限られる」と述べるにとどめた。
*2024年3月13日にしょうけい館有識者会議で承認された『心の傷を負われた兵士の実態の展示について』の厚生労働省案について衆議院議員会館で厚生労働省と懇談、申し入れを行いました。
*出席
PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会6人、厚生労働省3人、宮本徹衆議院議員
朝日新聞、しんぶん赤旗の記者さん、川野純平(宮本徹)秘書が同席しました。
*日時
2024年3月15日(金)15:00~16:00
★出席したPTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会の3名の懇談終了後の感想を紹介します。
★Aさん。
厚労省側から3人いらっしゃり、宮本徹議員、川野秘書、赤旗の芦川記者、朝日新聞(国会担当)後藤記者と私達6人の顔合せができ、厚労省側は、責任ある回答から逃げ気味ではあっても、とても貴重なお話合いの第一歩の一日だったと思います。
正規のお話合い後の、川野秘書を交えての五時までの懇談が、さらに素晴しかったと思います。
川野秘書が仰っていましたが、何しろ一年前の加藤勝信・当時厚労大臣答弁に沿った内容を、厚労省側は実行する事になっているので、大臣答弁をうまくいかして、話し合いを有効に進めていきましょう、との力強いサポートを頂ける事は有難いですし、家族会を代表しての黒井さん、黒川さん、吉沢さんのお話、とても良い内容でしたし、保浦さんも小泉も発言できて、それを宮本議員がバックアップ下さったのも良かったです。 やはり、昨年6月と9月に私達自身がしょうけいかんに伺ったこと、さらに昨日、宮本議員がしょうけい館の学芸員さんと面談された事もお話の裏付けとして有効になった事も、とても嬉しかったです。
★Bさん。
皆様の熱意は伝わっと思います。
あとは、識者の方々や、手持ちの資料、会員の方々をどう動員出来るか機会を議員さんや秘書さんも工夫して頂けるものと思います。
報道も黒井さんの大きな力なのがわかりました。
★Cさん。
去年のちょうど1年前の3/15宮本議員のPTSDの兵士についての、戦後初の国会質問から9月のしょうけい館訪問、それから半年の今日に繋がったことを心から喜んでいます。
しょうけい館の戦争トラウマによる兵士の実態や、戦後、その暴力性がそれぞれの家庭で激しいDVとして吹き荒れた事実をより多くの人々に知らせ、まだ戦争は終わってないのだ、ということに気づいてもらうきっかけの一つとして機能してほしいです。
谷口和徳さん講演(戦争と性)
の感想を紹介いたします。
大きな反響が続いています!
★2024年3月10日(日)東京都戦没者霊苑 平和遺族会と共催で開催
★続編を5月12日(日)
東京都戦没者霊苑で平和遺族会との共催で開催いたします。
*今日の谷口さんのお話に引き込まれました。皆さんがおっしゃっていましたが、谷口さんが30年以上前から、男性側から性暴力を考え、行動に示した事実に驚き、敬服しました最後に谷口さんは性の問題も突き詰めれば国家の責任を問うことに行きつくと言われました。日本の皇軍兵士は性まで軍に管理支配されていたわけです。
フィリピンの山奥で玉砕しかない状況で、国家と個人を考え抜いた海軍将校がいました。
彼は命令を下す者は餓死したり戦闘で死に直面することはないことに気づき、フィリピンのジャングルで自分は誰のために戦って死ぬのかを考え抜いて、最後に白旗投降します。
国家権力に命をかけて抵抗したのだと思いました。
参加者の皆さんの発言にもいろいろ学ばせていただきました。久しぶりの参加でしたが、また参加したいと思いました。
*講演会は本当にたいへん勉強になりました。ありがとうございます。
今日も友人と電話でいろいろとお話をしていましたが、慰安婦問題はまだ終わってなく、海外慰安観光・国内慰安観光はもとより、一部の国際結婚も買春・売春の性質を持っているのではないか、と考えると、性的侵略戦争もまだ終わってないと考えさせられました。
参加された方がおっしゃった通りに、性的侵略は男性が加害者、女性が被害者だとか、男性対女性の侵略問題だけではありません。
あまりメディアに取り上げられてないと思いますが、占領時に慰安夫も存在していましたし、あまり問題視されていない理由は人数が少ないからだ、と言えるかというと、そう簡単ではないような気がします。性を商品とされる社会、それを認める社会には、もっと深い理由が存在するはずだと思います。谷口様の政府にもっと怒っていいというコメントにも感銘を受けました。
戦争と性についてもっと深く考えさせられるきっかけとなったご講演でした。男性の視点から男性の性犯罪問題を取り上げている谷口様に感服しております。
平和を願い、「内部告発」をし続けている皆さんに非常に敬意を表したいと思います。不戦宣言のシンボルの白旗を広げて行こうという黒井様の理念に賛同して白旗を一枚買いました。
*皆様のご議論、私にとっては大変勉強になります。昨日参加された方と二人で会の続きの話をしました。①再度谷口さんと交流,ミニ交流でもいい②侵略戰争の慰安婦のことはなぜ未だ存在③男性慰安夫のことについてまだ聞かせて④慰安婦と民族性⑤戦後の東京裁判には慰安婦の問題をふれなかったので、東京裁判は未完と思います!
http://japanese.china.org.cn/life/txt/2012-07/19/content_25954850.htm
東京多摩地域の中学校の1,2年生の平和授業の生徒感想文を紹介いたします。
2024年2月16日、50分の授業を受け持ちました。
・戦争が終わった後も兵士は感情が崩れていたり、戦争がトラウマになっている人が多いと知った。その子ども
の子どもの人生もむしばまれるのも悪いと感じた。戦争がなかったら兵士の心をこわれずぼうりょくをふるったり、ずっとふるえることも、その子どもが男へのきょうふなどはなかったと思った。校外学習で学んだけど平和とは戦争がただ終わることじゃないとあらためて感じた。現在もロシア・ウクライナ・カザで戦争から帰ってきた人も戦争のトラウマがあると思うとかわいそう。私たちがそうならないために戦争をやらないことが大事、やった方、やられた方どちらも。未来は自分たちでつくる!
・戦争は兵士の家族にも影響を及ぼすことを知った。戦争はたくさんの被害があるとは知っていたが、そのトラ
ウマは子どもたちにも受け継がれていたことが驚きだった。これは昔のことではない。今の悲惨な現状。黒井さんが伝えたかったことは「戦争をしない、させない」「命を大切にする、させる」こと。世代を超えてそんな世界をつくること。
・人を殺めること求められた時代を生きることは、今の自分にはとてもではないが、考えられないと思った。今
回、一番印象に残った言葉は黒井さんの言った「未来は自分たちで作るもの」という言葉です。何十年前の人たちが戦場でつらい思いをして銃の下をくぐりぬけてきたから今がある。それを忘れず、自分の考えで戦争のない日本、世界を作るべきだと思った。
・黒井さんが常にみんなに強く訴えかけるようにして話していたから心にめっちゃ響いた。現代でも戦争(元兵
士)によって苦しんでいる人、PTSDだった人はこんなにいるんだと思った。「みなさんのおじいちゃんおばあちゃん、ひいおじいちゃんひいおばあちゃんが戦争を経験し生き残ったからあなた方がいるんですよ」。あたりまえのことだと思ったけど、改めて聞くと全然あたりまえじゃないと思った。
・戦争が原因で起きる家庭内暴力について初めて触れたが、ただのDVとは違い、憎むものがない分、よけいに
辛いのではないかと思った。同時に自分がされたことを次の世代に、次の世代にと受け継がれてしまうのはただのDVと一緒なんだなと思った。子どもが苦しむのもそうだが、夫を送り出し、無事に帰ったきたと思ったら抜け殻と化し暴力をふるい、酒やギャンブルに依存する変りはてた愛する人を見てどう思ったのだろうか。それを相談することもできず世にも認められない苦しさを想像すらしたくないと思った。
・PTSDについて以前に学習したことがあったが改めて恐ろしいものであると思った。PTSDによって激しいけ
いれんをともない、精神病がエスカレートすることにより殺人、自殺などになってしまい自分自身を苦しめ、家族を苦しめてしまうのが本当に恐ろしいなと思う。
・戦争に行った結果、うけた心の傷は私たちのような未来を作り上げていく世代がしっかりと受けとめて向き合
っていくべき問題だと感じました。望んだわけではないのに、戦争へ行かされ、その結果、廃人になる。国は当時この事実をかくして、それを知らない子どもにもトラウマが移る、このれんさは私たちがそれぞれわすれることなく、つないでいき平和を実現することでたち切るべきだと思った。
・今日講話をしていただいて、今までには知らなかった、また違った面から戦争について知ることができました。
戦争によって苦しむのは兵士だけではなく、その家族も現在まで苦しんでいることが分かりました。今日、改めて戦争は絶対にしてはいけないと感じたし、これからもっと戦争とその事実と向き合って生きていこうと思います。
・私は何の不自由もなく生活していることにとても感謝しようと思いました。戦争はもう70年前に終わったも
のだと思ったけど、苦しみ、悲しみは今もずっと続いていてそれを聞いてとても悔しい、戦争を恨むような気持になりました。当時の戦争ではもちろん兵士の心と身体をを傷つけ、その家族も苦しかったと思います。ただ、今もその兵士の親せきなども苦しんでいる人がいたり、心が壊れてしまった精神が病んでしまった人がいることを良く知って、戦争は他人事ではないということを身に染みて感じることができました。
・PTSDはその人だけでなく子供にまで害があると聞いて驚いた。また黒井さんが自分の人生は自分の力で切り
開いて欲しいという言葉におっしゃる通りだと思った。日本人は責任が強く同調圧力や断われない性格だったりして人と合わせたり、任せたりしがちになってしまう。それを少しの勇気を持って自分の言葉や意見を出して生活すれば平和な世界が作られると思った。
・戦争が終わったのにPTSDになって家族をきずつける兵士がたくさんいたんだと思った。兵士はPTSDにな
りたくてなってるわけじゃないとことが分かった。兵士はPTSDになっちゃうから戦争で本当につらいことがあったんだと分かった。戦争は自分を傷つけるし相手も傷つける、始まってからも終わってからも何も変わらない、本当にむだなことこと、ひどいめにあうことが分かった。ぼくは人を傷つけたくないし死にたくないから本当に戦争をしたくない。
・戦争は終わっても永遠に人の心を傷つけ、苦しめることを今回さらに実感した。PTSDという病気は初めて聞
いたが、話を聞いているうちにとても辛い病気だと知り、もう忘れることがないぐらい怖い症状で、私たち、戦争を経験していない世代も無関係ではない病気だと知った。症状の家族との関係も狂ってしまうほど精神的なダメージを負うと言うことがとても印象に残った。今でも続いている辛い連鎖を断ち切るために、私たちは暴力を振るうなど怖い大人にならず、戦争がもう怒らない世の中にしなければならない。
東京多摩地域の病院の2年目職員研修でお話しした際の感想文の一部を紹介いたします。
・戦争は良くないです。隠されていた真実があった。戦争が現代まで影響していると知った。生きることに意味
がある。現代にまで影響を与えてしまうほど、戦争は恐ろしい事だと感じました。(看護師)
・戦後PTSDがあると初めて知った。終戦で戦争が終わる訳ではない。無事に帰ってきたから良いのではなく、
ずっと心の傷とともに生きていると学んだ。その傷は世代を越えて引き継がれている可能性があると知り、戦争は絶対にあってはならないと考える。自身にも2人子どもがいる。殺さない、殺させない、どんなことがあっても逃げて生きて欲しいと切実に願う(助産師)。
・「戦争は追う言うものだった」をベースに今までは話しを聞いていたけど、戦争に出向いて生きて帰ってこら
れた方のその後をテーマに話しを聞けて良かった。PTSDのある日本兵もこれまで隠されて来て被害者でもあり、知ることが必要だと改めて感じた。伝えていく人、経験した人が少なくなる中、こういった貴重な体験を続けて欲しいと思った(看護師)。
・戦争の話しというと、帰ってこれなかった人や、家族の話しが多かったが、帰ってこれたとしても、身体的精
神的に元気という訳ではなかったり、家族がさらに被害を受けているのだと知れる機会になった。色々な面に影響があるので「戦争には反対」という声をあげることが大切だと思った。
・戦争という行動そのものが終わっても、戦争がもたらした数々の影響は今も多くの問題を残していることを改
めて知りました。目を覆いたくなる映像、耳をふさぎたくなる話もありましたが現実を受け止めて前に進んでいかなければならないのだと思いました(看護師)。
・終戦後生きて戻ってくることができた人は幸せに暮らしていると思っていたが、PTSDを発症する方が多いな
ど苦しんでいたことを初めて知った(看護師)
・人を殺さない、殺されない人間になる。どんなことがあっても戦争はダメ。憎しみは連鎖する。生み出さない
ことが大切。戦時中に兵士のPTSDを隠していたことを知って、兵士やご家族の方はやりきれない思いを抱えることになったのだろうと感じた。今でも虐待のニュースを良く耳にしますが、元をたどっていくと戦争によるPTSDに行きつくケースもあるのかなと感じた(看護師)。
・今回の話しを聞き、どんなことがあっても戦争は良くないと改めて感じた。人を殺さない、殺されない人間に
なることが大切。戦争に参加していた兵士が、加害者として被害にあった国の人へ謝っているのには驚きもあった。戦争で残された家族の話を今まで聞く機会はあったが、実際に戦争に行っていた兵士にフォーカスされた話は初めて聞いたので勉強になった(看護師)。
・戦争中の話しを聞いたことはありましたが、戦争後の家族の話しを聞いたことは初めてだったので、お話しを
聞けて良かったです。戦争体験者だけでなく、その家族にも苦しみが連鎖するということ、PTSD問題があったということ、たくさん学ぶことができました。戦争をしてはいけない、戦争のない世界をめざすことの大切さを実感しました(看護師)。
・戦争で生き残った方々がPTSDになり、家族へ虐待をしたり、無口無感情になったりと、改めて戦争の恐ろし
さを感じた。戦争に行った兵士が被害者であり、加害者にもなるという言葉が印象的で、戦争後も死ぬまで付き合っていかなければいけない苦しさを感じた。悲しみや苦しみは連鎖しているため、兵士だけでなく家族へもケアが必要であると事を学んだ。戦争による日本の被害は大きいものだったが、日本も多くの被害を他の国へやっていたと思うと恐ろしいと感じた。戦争はその時だけの苦しさではなく、現在も続いているため、継続したケアが必要であると学んだ。今回学んだことを語り継いでいくことも大切であると思った(保健師)。
・衝撃的だった。「戦争はいけないもの」と漠然と分かっているつもりだったし、自分も絶対にしないと思って
いました。しかし、今日の話を聞いて、戦争を直接体験した人だけではなく、その人の子ども、またその子どもと連鎖的に続いて行くのだと初めて知りました。自分の中だけで「戦争はしてはいけないもの」にとどめておくのではなく、身近な人にでも話して広めていくことも必要だと思いました。
・今までに戦争を体験した方のお話しは効いたことがあったが、黒井さんのお父様のような戦後の変化した姿の
お話しを聞くのは初めてだった。戦争がもたらす影響の大きさは計り知れないと感じた。また、戦争後のけいれん、PTSDを政府は隠していたと言うことも初めて知った。グループトークの中で、訓練の一環として刺突が印象に残ったという声が多かった。殺害に慣れさせるためとはいえ、人間がすべきことではないと感じた。
・戦争で心に負った傷がなかった事にされ、帰国後にケアや治療がなにもなされず、生涯を終えた人がたくさん
いることに驚きました。大まかな歴史だけでなく、現実はどうだったのか、知って考える機会をいただけて良かったです。加害者にも被害者にもなりうるという言葉が印象的だった。日本は被害を受けているという印象だったが、外国にも多くの被害をもたらしていることに気が付いた(看護師)。
・医師として、心を見るためには社会や歴史の事を知らなければならないので日々勉強しているが、軍人とPTSD、
心の病に関してアメリカは研究が盛んなのかデータをいくつか見たことがあったが、日本兵の事は不覚にもちゃんと考えたことがなかった。大変ありがたい機会だった(医師)。
・戦争で行われた残虐な行為についてはこれまで度々学んできたが、日本兵がその後どのように過ごし、心の傷
と戦ってきたかについては考えたことがなく初めて知った。改めて戦争の悲惨さを知った(医師)
・正直に言えば、ひどく気分が悪くなりました。しかし、映像や写真、人の口伝えでここまでの気分の悪くなる
ような体験を、当事者は大変な苦痛と戦っているのだと分かりました。その苦痛がPTSDとして現われ、家族や他者にも影響を及ぼしたのだと初めて知りました。とても辛い出来事だからこそ、目をそむけず戦争が何を起こしているのかよく考える必要があると感じました(看護師)。
・PTSDになり人生が狂い家族まで不幸になってしまう戦争の被害者は、身体的外傷を負った人だけではない。
その時代を生きた人々、それにかかわる人びと全てなのだと感じた(薬剤師)
・PTSDを今まで隠してきたということもあり、私も気づかずこれまで過ごしてきましたが、戦争を体験した人
だけでなく、その子ども、また孫にまで影響が出ていることを知り、とても衝撃的な話しを聞くことができました。日本で戦争が(他の国でも)起きないようにしたい(薬剤師)。
PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会ニュース2024,2月号
「白旗を世界中で掲げましょう」は戦争のない世界を引き寄せる積極的な非暴力行動です。世界中に広げましょう!「家族会・市民の会」、2024年実現すること
★証言集会を各地で開催し「家族会・市民の会」を全国に広げます!
★中国を訪問し白旗を掲げ市民どうしの平和交流を進めます!
👆熊本日日新聞2月18日号で「PTSDの日本兵と家族の思いと願い」が紹介されました。
祝PTSDの日本兵と家族の交流館 2024年2月10日(土)
2020年月10日開館以来の来館者が2501人に!
★PTSDの日本兵と家族の交流館の来館者が2月9日に2500人を突破しました。
2020年5月10日の開館以来約4年間の快挙です!
昨年夏はコロナ流行によりほぼ二カ月閉館しました。にもかかわらず開館日が年間の半分ほどですがそれでも毎年600人の皆さんに来館いただいたことになります。感謝感謝しかありません!
時の政権が「PTSDの日本兵の存在」を戦争中も戦後も隠し続けたために埋もれていた「PTSDの日本兵の存在」が交流館を起点として少しずつ少しずつですがPTSDの兵士の家族が声をあげるようになっています。その人たちの多くは今も父親から受けた暴力などのトラウマに苦しんでいます。
一度は声をあげて交流館と繋がった時があったのに、再び沈黙の世界に戻る人たちも多いのです。本当に家族が受けた心の傷は深いのです。この活動が時の経過とともに順調に拡大するというものではないのです。紆余曲折を経ながら、それでも少しずつ少しずつ輪が広がる、そういう活動なのです。だからこそ倦まずたゆまず「PTSDの日本兵の家族の集う起点」としての役割を果たしてまいります。
来館者の7割は地元武蔵村山市3小の子どもたちです。「気が休まる」「落ち着く」などと感想をノートに残して行きます。パンも大人気。「お腹が空いた」と飛び込んでくる子どももいます。週4回開いている「子ども食堂」の役割も果たしているようです。
開館時にはなかった子どもたち用の図書が増えました。横須賀の市原和彦さんをはじめ皆さんから「子どもたちへ」と絵本などが届きます。感謝でいっぱいです。
子どもたちに戦争を少しでも感じてほしいと皆さんに協力をいただいて、特に李素楨先生からは日本軍の軍服、三八式銃の銃弾や出征時の幟など日本軍の戦争遺品を寄贈いただき触れる展示をしています。展示してみて、子どもたちは軍服などよりも銃弾に一番反応することも知りました。戦争や軍隊は人を殺すのが仕事なのだと子どもたちは鋭く直感しています。
「戦争をしてはいけない」を地域の子どもたちに語り継ぐ場所としての役割も工夫していきたいと思います。
今は10㎡の「PTSDの日本兵と家族の交流館」はここの全国1か所です。
この活動の広がりの中でいつの日か、二つ目が、三つ目が、そして全国各地に「PTSDの日本兵と家族の交流館」が開館することをめざしたいと思います。
これからもよろしくお願いいたします。
★「汝殺すなかれ」は人間最初の道徳。人殺しが使命の軍隊とはどう理屈をつけても整合性は取れない。正当防衛、自衛権と言うだろうが、個人の正当防衛と国や集団の自衛権とは同じではない。
私は国や集団の自衛権の「意思決定の過程」に疑義を呈する。自衛権の発動の意思決定は誰が、どの機関が最終判断するのか。発動に賛成しない少数意見はどうなるのか。発動されたら発動者や軍隊の指示命令に国民や集団は決定の判断が決まったら、以降は強制的に従わなければならないのか。自衛権の発動に同意しない個人の存在は認められているのか。自衛権の発動、戦争開始に加わらない個人の行動は尊重されるのか。加わった自衛軍の個々の戦術、戦闘現場で行き過ぎや、民間人への暴力行為などを個々の兵士が拒否することは許されるのか。
自衛権と言う時に、個人の意思・意見と集団や国のそれとどちらに重きが置かれるのか問いたい。このことは個人の考えや生き方が尊重される社会なのかどうかの決定的な分岐点と思う。
私は個人の尊重、個人の意見考え判断の尊重を第一義のモラルとする社会をめざしたい。個人個人や自由にものを言えて、誰からも抑止されない社会をめざしたい。
そう言った時、殺人が目的であり、軍として一体になって戦闘行為することが当然で、いちいち個人の思いや考えを考慮などしていては戦闘作戦が成立しない軍隊のモラルと人間個人個人の尊重とはそもそも相容れない。
軍隊も戦争も個人を尊重する物ではないのだ。軍隊や戦争と個人が自分の考えで生きることとは相いれないのだ。
PTSDの日本兵と家族の交流館代表 黒井秋夫 2024年2月8日
★PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(東京)日程
・どなたでも、1回だけでも参加できます。参加歓迎します!
オンライン参加希望の方はメールでお申し込みください(2月と3月以降も同様です)
☆3月10日(日)東京都戦没者慰霊苑2階(後楽園)
10:00~12:00 PTSDの日本兵家族会交流会 ・13:00~16:00
谷口和憲さん講演(戦争と性・発行者)
☆4月14日(日)オリンピック記念センター・セ106号室
10:00~12:00 PTSDの日本兵家族会交流会 ・13:00~16:00 寄り添う市民の会
・講演者調整中。
☆5月12日(日)東京都戦没者慰霊苑2階(後楽園)
10:00~12:00 PTSDの日本兵家族会交流会 ・13:00~16:00 寄り添う市民の会
・講演者調整中。
☆6月9日(日)会場未定
10:00~12:00 PTSDの日本兵家族会交流会 ・13:00~16:00 寄り添う市民の会
☆7月15日(日)会場未定
10:00~12:00 PTSDの日本兵家族会交流会 ・13:00~16:00 寄り添う市民の会
★9月8日(日)
・第3回PTSDの日本兵の家族の思いと願い東京証言集会 オリンピック記念センター
★PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(関西)日程
・どなたでも、1回だけでも参加できます。歓迎します!
☆2月25日(日)生野区区民センター 13:30~16:00
*13:30~16:00宋実成さん講演会 ★タイトル・在日朝鮮人から見た「中国脅威論」
オンライン中継いたします。ご希望の方は qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp
*16:00~16:30寄り添う市民の会を行います。
☆3月20日(水、祝日)福島区区民センター 13:30~16:00 *講演者調整中。
☆4月29日(月、祝日)国労会館 13:30~16:00
☆5月19日(日)国労会館 13:30~16:00
☆6月16日(日)会場未定13:30~16:00
★6月30日(日)PLP会館 10:00~16:00
・PTSDの日本兵の家族の思いと願い大阪証言集会
☆7月14日(日)会場未定13:30~16:00 *証言集会の振り返り
☆8月18日(日)会場未定13:30~16:00 *講演者調整中。
★講演・授業の予定
*3月22日(金)全印総連 *4月25日(木)竹田良美通作品展示会
■講演開催の希望など連絡問い合わせ先
黒井秋夫 電話08011213888 ★メールアドレス qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp
★2023年、活動のまとめと成果
1,PTSDの日本兵の家族の思いと願い証言集会を東京、大阪の2か所で開催、裾野を広げました。
2,日中国際民間交流会を11月に開催し、「家族会・市民の会」は先の戦争を中国の皆さんに
謝罪しました。契機となり日中の民間人どうしの友好交流が動き出しました。
3,国会・衆議院社会厚生労働委員会で「日本兵のPTSDの問題」が初めて議論され、厚労大臣が
取組を約束しました。
4,朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日経新聞、NNN日本テレビ、YBC山形放送が報道しました。
・朝日新聞は8月と10月、12月の3期間に特集報道しました。
・ビックイシュー、週刊金曜日、労働教育センター「女も男も」が戦争とPTSDを特集しました
5,PTSDの原因として戦争が精神科医の皆さんの視野に入りました。
・東京保険医協会「診療研究」2024年1月号で「戦争とPTSDの特集」が組まれました。
・戦争体験が兵士だけでなく戦後を生きた人たちの精神にどういう影響があったのか、あるのかが
現在を含めて遡って検証されるきっかけになることを期待します。
6,活動組織を「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」と整理再編し10月に出発しました。
7,「戦争をしない、させない・いのちを大事にする、させる」を次世代に語り継いでいます。
・小学生、中学生、高校生、大学生や若い社会人対象の講演会、学習会が開かれています。
ご支援のカンパ振込先➡口座名義 PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会
★ゆうちょ銀行からの送金(郵便振替用)*ゆうちょ銀行口座。 記号 11390・番号 21576251
★ゆうちょ銀行以外からの送金 (内国為替用)*ゆうちょ銀行口座。
★店名 一三八(イチ サン ハチ)・店番138 ・普通預金(口座番号)2157625
★会計中間報告(2024年1月1日~1月31日)
2024年初の繰越金486.301円 2024年1月の収支 経費合計 233.819円(仕入れて払い済みの書籍在庫が105.600円分あります) 収入(カンパ、黒井講演料、集会収入など)合計86.732円
2024年1月31日現在の残高 339.214円
李素楨さんとの交流日誌 2月号
★初級者コースあります!ご一緒に中国語の達人になりましょう!李素楨さんのZOOM中国語講座を学んでいます。とても楽しい授業です!
★日中口述歴史文化研究会常務副会長 吉林長春師範大学 教 授 法政大学 講 師
★PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会
PTSDの日本兵と家族の交流館
黒井秋夫 電話08011213888 ホームページ https://www.ptsd-nihonhei.com
208-0001武蔵村山市中藤3-15-4 ★メールアドレス qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp
★「家族会・市民の会」通信は周辺600世帯と武蔵村山市の市長・副市長さん、市議会議員さん、教育委員会、市立3小に配布。報道各社に配信しています。
祝 PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(元・PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会)立ち上げ6周年
2018年1月17日の立ち上げ宣言・全文
父は戦争の事だけでなく他の事にも無口でした。
1948年生まれの私はそういう父を生来の父の姿と思ってきました。
しかしベトナム戦争で米兵の3割前後が悲惨な戦争体験で精神を崩し、元の社会に復帰できないという。
同じような日中戦争や太平洋戦争を体験した日本兵も、つまりは私の父たちも精神を侵されたとして不思議ではない。
本当は父は正常な精神に戻りたいと必死に戦後社会を生きていたのではないだろうか。
私は快活だったかも知れない出征前の父は知らない。復員した後の無口な父しか知らない。
私は「本当の父」を知らないままに父を亡くしたのではないだろうか。
2~3年前からそんな思いで父を振り返るようになりました。
だとしたら、父も私も不幸だった。本当の自分を見せることも心の内を語ることもできずに苦しんだかもしれない父。
そんな風には生前一度も思ったことの無い息子。
その無口の父に反発し続けた私。父を通じて私も又戦争の傷を心に負ったのかもしれない。
私たちの世代にも呼びかけたい。
父親たちを見直そう。父親たちの精神世界を想像してみよう。
語り合おうではないか。
若い人たち、我々の子供たち、孫たちにも戦争は兵士のみならずその家族をも。戦争が終わったその後も家族を通じて長い間影響を与え続けるのだと伝えたい。
この指にとまってほしい!
2018年1月17日 黒井秋夫。
PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会ニュース2024,1月号
迎春
白旗を高く掲げましょう!
世界中に広げましょう!
戦争をしない・させない
命を大事にする・させる
「家族会・市民の会」、2024年実現すること
★証言集会を各地で開催し
「家族会・市民の会」を全国に広げます!
★「家族会・市民の会」は白旗を掲げ、
中国を訪問し市民交流を深めます!
★2023年、活動のまとめと成果
1,PTSDの日本兵の家族の思いと願い証言集会を東京、大阪の2か所で開催。裾野を広げました。
2,日中国際民間交流会を11月に開催し、「家族の会・市民の会」は先の戦争を中国の皆さんに
謝罪しました。契機となり日中民間人どうしの友好交流が動き出しました。
3,国会・衆議院社会厚生労働委員会で「日本兵のPTSDの問題」が初めて議論され、厚労大臣が
取組を約束しました。
4,朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日経新聞、NNN日本テレビ、YBC山形放送が報道しました。
・朝日新聞は8月と10月、12月の3期間に特集報道しました。
・ビックイシュー、週刊金曜日、労働教育センター「女も男も」が戦争とPTSDを特集しました
5,PTSDの原因として戦争が精神科医の皆さんの視野に入りました。
・東京保険医協会「診療研究」2024年1月号で「戦争とPTSDの特集」が組まれました。
・戦争体験が兵士だけでなく戦後を生きた人たちの精神にどういう影響があったのか、あるのかが
現在を含めて遡って検証されるきっかけになることを期待します。
6,活動組織を「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」と整理再編し10月に出発しました。
7,「戦争をしない、させない・いのちを大事にする、させる」を次世代に語り継いでいます。
・小学生、中学生、高校生、大学生や若い社会人対象の講演会、学習会が開かれています。
★PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(東京)日程
・どなたでも、1回だけでも参加できます。歓迎します!
*2024年1月14日(日)武蔵村山市中藤地区会館(PTSDの日本兵と家族の交流館向かい)
・10:00~12:00 PTSDの日本兵家族会交流会
・13:00~16:00 宇野昌樹さん講演 「イスラエルとパレスチナ第2弾!」
オンラインでも参加できます。希望の方はメールでお申し込みください(2月、3月も同様です)。
*2月12日(月・祝日)オリンピック記念センター・セ414号室
・10:00~12:00 PTSDの日本兵家族会交流会
・13:00~16:00 倉橋綾子さん講演(憲兵だった父が遺したもの)
*3月10日(日)東京都戦没者慰霊苑
10:00~12:00 PTSDの日本兵家族会交流会 ・13:00~15:00 谷口和憲さん講演(戦争と性・発行者)
*4月14日(日)オリンピック記念センター・セ106号室
10:00~12:00 PTSDの日本兵家族会交流会 ・13:00~16:00
*5月12日(日)東京都戦没者慰霊苑
10:00~12:00 PTSDの日本兵家族会交流会 ・13:00~16:00
*9月8日(日)
・第3回PTSDの日本兵の家族の思いと願い東京証言集会 オリンピック記念センター
★PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(関西)日程
・どなたでも、1回だけでも参加できます。歓迎します!
★「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(関西)」でも講演を計画します。
・講演者やテーマの希望がありましたらお知らせください。
☆1月21日(日)国労会館 13:30~16:00
☆2月25日(月、祝日)生野区区民センター 13:30~16:00
☆3月20日(水、祝日)福島区区民センター 13:30~16:00
☆4月29日(月、祝日)国労会館 13:30~16:00
☆5月19日(日)国労会館 13:30~16:00
★講演などの予定
*1月8日(月・祝日)西東京市柳沢公民館 主催、平和のための戦争展(誰でも参加できます)
*2月16日(金)東村山市(中学生が対象)
*2月17日(土)尾張健友会(職員さん対象)
■講演開催の希望など連絡問い合わせ先
黒井秋夫 電話08011213888 208-0001武蔵村山市中藤3-15-4
★メールアドレス qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp ホームページ https://www.ptsd-nihonhei.com
★2024年の年頭のご挨拶申し上げます
PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会
PTSDの日本兵と家族の交流館 代表 黒井秋夫
★白旗を高く掲げましょう!世界中に広げましょう!
『戦争をしない・させない 命を大事にする・させる』
1,「戦争はしない、人殺しはしない、戦場から逃げる」
逃げきれなかったら「白旗を上げて命に従う」という選択をします。
交流館にはガンジーの肖像画を室内に掲げています。ガンジーは非暴力主義を唱えました。
黒井が青年時代に経験した内ゲバの応酬、25年後のニューヨーク貿易センタービルへの旅客機突入、アメリカのオサマビンラディン等への報復、イラクへの米軍の侵攻などなど、暴力が暴力を呼ぶ連鎖に、私は何かを暴力で解決することはできない、と悟りました。そして非暴力にたどり着きました。その時、私は50歳をわずかに超えた頃でした。
非暴力と言えばガンジー、ガンジーを読みました。しかし、ガンジーに私は「しっくり」きませんでした。
ガンジーの非暴力は非暴力抵抗です。「敵・暴漢の前に身を投げ出して抵抗する行動」をガンジーは要求します。敵・暴漢を前にして逃げ出す様な卑怯な非暴力ではない、とも言います。
敵・暴漢(イギリス帝国主義)は非暴力抵抗する100人200人のインド人を殺すことはできても100万人200万人と殺すことはできない、そしてインドは非暴力抵抗で勝利する、とも言います。
私は繰り返し読んでも「敵・暴漢に身を投げ出す、殺されることを覚悟した100人の勇気」を自分は持つことはできない、そんな強い人間ではない、と認めざるを得ないと思いました。
ガンジーの非暴力は誰でもできる行動ではない。自己犠牲を体現できる、本当に勇気ある人しか実行不可能な高尚な非暴力と思います。私は弱い人間だ。銃を向けてくる敵・暴漢に死を覚悟して身を投げ出す勇気などこれっぽっちも持ち合わせていない卑怯な人間だ、と思わされました。
67才の時、ピースボートで沖縄那覇に向かう船中で沖縄伊江島の阿波根唱鴻さんの非暴力に出会いました。
1959年、沖縄に来た世界人権連盟議長に「米軍に取り上げられた農地はどうしたら取り戻せるか?」との阿波根昌鴻さんに「みんなが反対すれば取り戻せる」と連盟議長は答えたと言います。阿波根さんは深く納得しました。
相手が敵と思える米軍でも「会談の時は必ず座る。耳より上に手は上げない。静かに話す。道理を通して訴える。破壊者軍人を教え導く心構え」を、すべての人たちに理解してもらい農地を取り返す戦いを阿波根さんは実践しました。たしかに、阿波根さんが生きて勝利の日を迎えることはできませんでした。今もなお、農地は返ってきていません。
それでも、その精神は伊江島の人たちに受け継がれています。
法然・親鸞は成仏することは誰でもできると説きました。修行などいらない。そのままの自分でいいのだと。人間誰もが悪人であり、善人しか成仏ができないならどんな人間も成仏できない、と言いました。
遠藤周作は沈黙の中で踏み絵を前に躊躇するロドリゴに「踏むが良い」とあの人・キリストは耳元でささやいたと綴ります。キチジローは「俺は弱い人間だ。何度もイエスを裏切った。自分をこんな弱い人間に生まれさせて、強い人だけが救われるのか」と叫びます。
私は悪人であり、ロドリゴであり、キチジローに違いありません。勇気など持ち合わせていない卑怯者の一人です。
私はそうして「戦争はしません。白旗を掲げましょう。話し合い和解しましょう」にたどり着きました。
戦争になったら、なりそうになったら、さっさと逃げよう。見つかったら白旗を見てもらおう。支配される覚悟を決めて、その屈辱にも耐えよう。生き延びよう。絶対に銃は取らない。それでも無力な私を殺すなら殺すが良い。殺して生き延びるより何ぼかましだ。
戦になったら逃げるのは遠い昔から遭遇したほとんどの先人が選んだ道です。戦国時代の農民も、明治維新の時にも兵士以外は皆逃げました。
ロシアに侵攻されたウクライナの母と子どもも老人も戦場から避難しています。
黒井は戦場から逃げる人たちを支持します。応援します。あえて言えば拍手を送ります。
逃げて逃げて生き延びて欲しい。いつか停戦の日が来る。そうしたら皆さんの出番です。母と子どもたちが手を繋いで次なる世界を作って欲しい。戦争のない平和な世界を作って欲しい。
逃げることなら誰でもできる、それも抵抗の一つだろう。戦争するより何ぼかましだ。
★Wさんから異論が届き、黒井は「私の考えとは少し違う」と以下返信しました。
『万が一、日本が他国から攻められ不測の事態が生じた時には、軍事力ではない非暴力の抵抗によって、人的物的被害を最小限に留めることが可能である。』
私は攻められても武力やガンジーの主張するような抵抗はしないし、私はできない、と述べました。私の活動は「日本が二度と戦争をしない。誰もが安心して暮らせる平和な社会」をめざしています。だから、一にも二にも戦争をさせない、しない国家をめざしています。そのことは大前提です。
私の主張はそれでも戦争は起きるかもしれない。
その時には、その情勢でも個人の選択、覚悟は当然問われます。
黒井個人は「戦争はしない、人殺しはしない」を取るべき選択と考えています。
だとしたら、「まず逃げる。戦場から逃げる」であり、逃げきれなかったら「白旗を上げて命に従う」という選択を致します。付け足せば、私は「戦争はしない、人殺しはしない」が戦後日本の憲法であり、世界への約束と考えています。しかし、日本の憲法がそうだからの白旗宣言ではありません。もっと普遍的、世界がめざすべきことと考えています。
私は「人類はいつの日か戦争をしない世界・地球を作る知恵がある」という希望を持っています。
それは希望であり、説得力ある根拠、理論ではありません。
それでも私は「戦争はしません。白旗を掲げましょう。話しあい和解しましょう」の白旗を掲げ続けます。
実際に白旗をおつくりなった女性が2名ですがいらっしゃいます。
白旗が多数にならない限り人類は戦争から逃れられないと私は考えています。
しかし、知恵ある人類はいつの日かそういう考えに進化してたどり着くと信じているのです。
そう主張し続けることが未来を開くし大事なのだと考えています。
2,「「人の命を奪ってはいけない、人を殺してはいけない」揺るがない土台・羅針盤でありリトマス試験紙とする」
「人の命を奪ってはいけない、人を殺してはいけない」を主張の初めに据える。揺るがない土台とする。このことを羅針盤にする。リトマス試験紙とする。
そんなことは当たり前のことで、議論の前提だろうと思う。
白旗を掲げることは当たり前のことを表現したに過ぎない。
人はたくさんの判断間違いをする。
真実に気付いてから取り返せる間違いもあるが、人を殺したことが間違いと気づいてもそれは取り返し効かない。失われた命は永遠に取り戻すことはできない。
判断間違いしない完全な人間は存在しない。存在したことはない。と思う。
だから、取り返しのつかないことをしてはならないのだと私は言いたい。
だから人の命を奪うこと、人殺しをしてはいけないと私は言いたいのだ。
事実だとする情報は錯綜する。全ての事実を把握することは誰にもできない。報じられる事実はそのほんの数%にすぎない。数%も私たちは知りえているだろうか。
そうだとしても次々と私たちは判断を迫られる。決断せねばならないことに包まれて生きている。
地球上のさまざまの地で砲弾、銃弾が飛び交っている。その時でも、いや、そういう時だからこそ、その時の土台や羅針盤、リトマス試験紙に「人の命を奪ってはいけない、人を殺してはいけない」を置きましょうと私は提案したい。
目の前で起きる圧倒的な状況でも、目を覆いたくなる、気がおかしくなるような修羅場に直面した時でも人でありたい。
知恵を駆使して話しあい、対話の道を選びたい。
どんなに不可能に思えても取り返せる判断を私たちはしたい。
近道と思える安易な暴力を選んではならない。
それは新しい諍いの種を蒔くだけだと歴史が教えている。
取り返せる間違いなら何とか許してもらおう。
起こりうる取り返せない間違いは選択しない事しか避ける手立てはない。私はそう思う。
白旗を掲げる。人は殺さない。暴力は決して振るわない。理解すれば簡単なことです。誰でもできます。
3,それは誰でもできることですか。
訓練したり学習しなくてもできることですか。それはむずかしくはないですか。簡単なことですか。
「何々をやりましょう」と言う時にそのことはとても大事なことだと思います。
訓練や学習が必要ではその時間がある人以外はできません。そもそも訓練や学習では、その段階に到達できない、理解できない人が必ずいます。その段階に到達できた人、理解できた人だけができることなら私はそのやり方をおすすめできません。そのような方法は選択しません。
「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」の活動においても、誰でもできる簡単なことであることが何より大事だと私は考えています。
今日、この会場に参加している人が「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」のメンバーです。と時々私は言います。来月は来月で同じように言います。
近い将来、会のメンバーは登録制となり年会費などあるかもしれません。それでも、メンバーだからといって何かを強制したりすることはしません。決まりに縛ることも考えていません。
人を縛ることなどそもそもできないのです。不可能なのです。人の気持ちは日々変化します。あるいは成長します。人を大事にしたいのです。その人の生き方や考えを尊重したいのです。
ある日のその時に、ある課題で一致する。そのことが全てだと私は考えています。もちろん、その一致する集団が、「家族会・市民の会」がどんどん膨らみ大きな集団になることを望んでいます。それでも何の強制も働かない集団でありたいのです。あくまでも誰にも束縛されない、本人の自由意思で集まっている、一緒に活動している集団であることをめざしたいと思います。
それは簡単ではないかもしれませんが「家族会・市民の会」はその道を模索していきたいのです。
「誰それさん、来月も必ず来てください」とは言わないようにしています。少しであっても「強制を感ずる」言葉や行動はしないようにしているつもりです。強制することはできないし、仮にできたとしても120%の力を発揮する生き生きした組織にはならないでしょう。
個人が尊重されて、自由な意思と判断で参加することも、不参加を選んでも誰からも非難されたりしない組織を私はめざしたいと考えています。 2024年1月1日 黒井秋夫
2024年は200万円のご助力を!
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2023年、年初の繰越金 169.539円 2023年1月~11月30日の収支
経費合計 1.261.336円 収入(カンパ、黒井講演料、集会収入など)合計1.505.098円
2023年9月30日現在の残高 413.301円
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最新ニュース
PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会
2023.12月号
★「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」設立呼びかけ集会開催しました。
10月29日(日)「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」設立提案集会をオリンピック記念青少年センター会場参加25人、オンライン参加15人の40人の参加で開催いたしました。今後は「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」と名乗り活動いたします。ユープランさんからYouTubeにアップしていただきました。https://www.youtube.com/watch?v=mFp7_Ibu9eQ
1,「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(家族会・市民の会)」活動の5本の柱
*第1の柱 「PTSDの日本兵家族会」を交流の場として全国各地域に働きかけて組織します。
・地域に2人以上で少人数から、毎月一回(以上)のPTSDの日本兵の家族の交流の場を作ります。
*第2の柱 証言集会と証言集会実行委員会を「家族会・市民の会」の主要な活動とします。
・証言集会を東京、大阪から全国に広げます。各地の市民運動に共同開催を働きかけます。2024年は千葉県松戸市で開催を目指します。新潟、福岡、広島、四国、名古屋、札幌、で開催をめざします。
*第3の柱 PTSDの日本兵の家族の体験を証言(家族の証言)として後世に語り継ぎます。
*第4の柱*「家族会・市民の会」の活動を活発に社会に広報します。
・機関紙を月刊で、時機に応じてメールで情報を発信します。
*第5の柱 厚生労働省に「PTSDの日本兵の家族の問題」の解決を要請します。
11月19日(日)日中国際民間交流会を開催し友好の虹の橋を架け渡しました!
(長春師範大学口述歴史文化院・日中口述歴史研究会・PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会)
★・私たちは訪問団を「PTSDの日本兵と家族の交流館」前でお出迎え歓迎いたしました。交流館開設の経緯や「戦争はしません」の白旗を掲げる思いを説明いたしました。国府台陸軍病院の戦争神経症の症例を扱った映像、「でくのぼう 戦争とPTSD」と中国語入り字幕で見ていただきました。
・2時間の昼食会は黒井自宅居間で20人以上の乾杯で始まり、和やかな交歓の時間になりました。赤飯や「家族会・市民の会」の自家製デザートが披露されました。
・午后2時からの日中国際民間交流会ではオンライン含めて30人を越える皆さんが集いました。
黒井秋夫が、父親たちの戦争責任と正面から向き合い、戦争をしない社会をめざす会の活動目的をお話しし、中国の人たちの命を奪い、財産を奪い、生活を破壊した父や祖父の所業を子孫として謝罪しました。「家族会・市民の会」の仲間6人も謝罪と各人の思いをお話ししました。
・「家族会・市民の会」から「戦争はしませんの白旗」や「千人針、檄文の入った日章旗」を戦争遺品として訪問団に寄贈されました。
★日中国際民間交流会はこのようにして準備され、交流が進みました。そして更に相互交流へとつながろうとしています。2023年11月19日、一滴の水のしずくが大地に放たれました。
共にしようとする何滴ものしずくが続きました。
今は細い流れではあっても、確かに大地を潤す流れになろうする歴史の一筋、一歩が踏み出されたと黒井は感じています。歴史は誰が作るのか。それは一人ひとりの思いから始まり作りだされるのだと私は思います。
一人一人は微力だが無力ではない。無限大の可能性がある。一滴の水がやがて大河にならないと誰が言えようか。今踏み出したこの一歩がいつの日か振り返ったとき歴史の出発点になる。
私はそう確信しています。日中の草の根市民交流万歳!万々歳!
当面の日程
1月8日(祝日) |
講演会(黒井)練馬区柳沢公民館 |
1月14日(日) |
「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会・東京」10:00~16:00 中藤地区会館 |
1月21日(日) |
「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会・関西」13:30~16:00 国労会館 |
2月12日(日) |
「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会・東京」10:00~16:00 オリンピックセンター |
2月16日(金) |
東村山市内中学校で講演会(黒井) |
「非暴力・白旗を高く掲げる」が未来を開く!
2023年12月15日
PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会、PTSDの日本兵と家族の交流館代表 黒井秋夫
「非暴力・白旗を高く掲げる」への賛同が確実に広がっていると私は感じています。そして、「非暴力・白旗を高く掲げる」の行動が世界を変えて行くと考えています。
・2023年の現代、暴力が世界を横行しています。力の多寡が価値あるように見えます。しかし、それは砂上の楼閣に過ぎないと私は思います。作り上げる片方からそれは崩れ続けているように私には見えます。
ヨーロッパが地球世界を席巻し支配した16世紀を端緒とする現代世界が21世紀の今、支配開始の起点からアフリカから南米からアジアからの波にヨーロッパが、北アメリカ世界が、日本の帝国主義世界の崩壊が始まり、止まらないように私には見えます。
・ガンジーが言う勇気ある人たちの非暴力の抵抗を私は実践できません。私は弱い人間であり、暴漢に身を投げ出す勇気はありません。察知したらきっと逃げる道を選ぶでしょう。逃げられないとしたら支配に従うでしょう。屈辱に耐えて時の来るのを待つでしょう。面従腹背の日々に耐え時を待つでしょう。
・沈黙に倣えば「白旗を高く掲げよ。生き延びよ」とあの方は言うに違いありません。「卑怯者のためにこそ私はいるのだ」と言うに違いありません。
勇気ある者は勇気を信じ貫けばよい。勇気ないものは屈辱に耐え生き延びよ、それも又正しい生き方だ、何ら恥じることではないとあの方は言うに違いありません。
救いに修行など必要ない。誰でもできる経文、南無阿弥陀仏と唱えるだけで人間は救われるとあの人は言いました。そうだそうだと私は思います。
勇気ある人や強い人、修行ができる人が人間の全てではない。いやむしろそういう人たちはほんの少数なのではないか。
私のように、勇気を持ち合わせない、暴力に立ち向かえない人の方が多いのではないだろうか。
そう言う人たちでも、誰にでも、どんな人にでもできて自分らしく生きていけるやり方や救いが大事なのではないでしょうか。
戦争には理屈が伴う。プーチン大統領にも、ゼレンスキー大統領にも、ネタニヤフ首相にもハマスにも。
彼らは戦争を推進しています。他国民を殺すために自国民の命を犠牲にする戦争を続けています。
私はどんな理由があっても殺人に違いない戦争は支持しません。
そうして築かれる平和も社会も支持しません。
私は人殺しは絶対悪だという立場を支持します。
たとえ一人であろうと誰かの命を犠牲にして築かれる世界を支持しません。暴力で築かれる世界を支持しません。それは必ず反撃を生みます。決して安定した世界を作ることはありません。
私は戦争のない世界をめざします。
戦争のない世界を戦争で作ることはできません。
暴力で作ることはできません。
戦争のない世界は「いかなる戦争にも組しない人たちが多数になって初めて実現する」と私は考えています。
「PTSDの日本兵と家族の交流館」に掲げた初代の白旗は「日本人は二度と戦争をしない証し」として長春師範大学の皆さんに寄贈され海を渡り、今は中国の人たちの手にあります。
2代目が私の妻、さち子さんの手で製造中です。クリスマスの頃には出来上がり、交流館玄関に高く掲げられるでしょう。
「弱い人たちよ、白旗を高く掲げて生きよ」とあの方やあの人がおっしゃっている声が私には聞こえます。
戦争のない世界をめざす旗印として白旗を高く掲げましょう!
2024年は200万円のご助力を!
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2023年、年初の繰越金 169.539円 2023年1月~11月30日の収支
経費合計 1.261.336円 収入(カンパ、黒井講演料、集会収入など)合計1.505.098円
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1人1人は微力だが無力ではない。
無限大の可能性がある。
一滴の水がやがて大河になる。
今、踏み出したこの一歩がいつの日か振り返ったときに歴史の出発点になる。
11月24日(金)中国訪問団の皆さんは無事に帰国されました。
11月19日の国際民間交流会の共催者「日中口述文化研究会」のお話しによれば、日本が起こした戦争に正面から向き合う「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」の平和活動を目の当たりにした強い印象を再三お話しされたという。
日本で温かいもてなしを受けたとお話しされたという。
また「家族会・市民の会」は中国訪問したいという希望を訪問団の皆さんにお伝えしました。
私たちは訪問団を「PTSDの日本兵と家族の交流館」前で勢ぞろいしてお出迎えし歓迎いたしました。交流館開設の経緯や「戦争はしません」の白旗を掲げる思いを説明いたしました。
交流館では国府台陸軍病院の戦争神経症の症例を扱った映像、「でくのぼう 戦争とPTSD」と中国語入り字幕で見ていただきました。
2時間の昼食会は黒井自宅居間と和室で20人以上が立ち上がり、乾杯の音頭で始まり、和気あいあい和やかな交歓の時間になりました。赤飯がお膳を飾り、「家族会・市民の会」の皆さんそれぞれが自宅で作成したデザートが披露されました。また、会員の庭に咲く菊の花が室内に深秋の芳香を放ちました。
午后2時からの日中国際民間交流会ではオンライン含めて30人を越える皆さんが集いました。
「家族会・市民の会」を代表して黒井秋夫が、父親たちの戦争責任と正面から向き合い、戦争をしない社会をめざす会の活動目的をお話ししました。その中で多くの中国の人たちの命を奪い、財産を奪い、生活を破壊した父や祖父、日本軍兵士の所業を子孫として謝罪しました。
「家族会・市民の会」の仲間6人が侵略戦争への謝罪を含めて各人の思いをお話ししました。
日中口述文化研究会からのご挨拶、中国訪問団のご挨拶を受けて、「家族会・市民の会」から「戦争はしませんの白旗」や「千人針、檄文の入った日章旗」を戦争遺品として訪問団に寄贈されました。
日中国際民間交流会の席上で、来年2024年に黒井秋夫は父の初任地公主嶺を含む中国を訪問したいと訪問団の皆さんに宣言いたしました。何人かの「家族会・市民の会」のメンバーからも「訪問したい!」との希望がその場で表明されました。
日中国際民間交流会はこのようにして準備され、交流が進みました。
そして更に相互交流へとつながろうとしています。
2023年11月19日、一滴の水のしずくが大地に放たれました。
共にしようとする何滴ものしずくが続きました。
今は細い流れではあっても、確かに大地を潤す流れになろうする歴史の一筋、一歩が踏み出されたと黒井は感じています。
歴史は誰が作るのか。
それは一人ひとりの思いから始まり作りだされるのだと私は思います。
一人一人は微力だが無力ではない。
無限大の可能性がある。
一滴の水がやがて大河にならないと誰が言えようか。
今踏み出したこの一歩がいつの日か振り返ったとき歴史の出発点になる。
私はそう確信しています。
日中の草の根市民交流万歳!万々歳!
長春師範大学日本訪問団の皆さんを迎えて
「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」代表・黒井秋夫ご挨拶
2023年11月19日
(当日の挨拶資料では段落ごとにパワーポイントが入っていますが、ここでは表示できないので省いています。パワーポイント含め全文必要な方はメールでお送りいたします)
欢迎长春师范大学访问日本代表团
“PTSD日本兵家属会/市民共情会”代表黑井秋夫致辞
2023年11月19日
私は「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」の代表黒井秋夫と申します。
長春師範大学の皆さんを心から熱烈に歓迎申し上げます。
皆さんと「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」との国際民間交流会が実現したことを心から嬉しく
思います。
この交流会を提案いただいて準備いただいた日中口述歴史研究会の李素楨先生に心から感謝申し
上げます。本当にありがとうございます。
我叫黑井秋夫,是“PTSD(创伤后应激障碍)日本兵家属会/市民共情会”的代表。
谨向从长春师范大学远道而来的朋友们表示衷心的热烈欢迎。
贵学院与“PTSD日本兵家属会/市民共情会”之间的国际民间交流活动能够成为现实,我深感欣慰。在此由衷地感谢日中口述史研究组李素桢教授提议并帮助安排本次交流会。
非常感谢。
「PTSDの日本兵家族会」のメンバーは父親が日本軍兵士として中国を始め東南アジア戦線に従軍侵略
し、その地の多くの人たちの命を奪い、財産を奪い、生活を破壊した兵士の子ども、孫です。
日本軍兵士として従軍した戦争加害者の父親の所業を長春師範大学の皆さんに国際民間交流会の場で
心からの謝罪をしたいと思います。本当に申し訳ありませんでした。お許しください。
今はあの世に逝きましたが、自分たちの犯した罪を心から悔いているであろう父親たち、祖父たちを、いつ
の日かお許しいただきたいと子どもとして孫として切に請いお願い申し上げます。
“PTSD日本兵家属会”的成员是由,和我父亲一样曾在中国和其他东南亚前线服役并实施侵略,在那里杀害了许多人,窃取了当地的财产并摧毁了他们的生计的,日本士兵的子女,孙子孙女组成。
在这次国际民间交流活动上,在长春师范大学的各位面前,对于我的父亲,一个在日军服役的战争加害者的所作所为。我想从心底里道歉。真的非常抱歉。请求大家的宽恕。
虽然现在他们已经去世了,但是作为他们的后代,想起父辈和祖辈也曾发自内心地忏悔自己的罪行,在这里真诚的请求大家的宽恕。
「PTSDの日本兵家族会」の父や祖父たち日本軍兵士が侵略者・加害者としての戦争体験を原因として
PTSDを発症し、共に暮らした家族もそのことにより苦しんでいる現状があります。
この事実は日本では軍や時の政権により国民に隠され、未だにこの事実を知る人はまだまだ多くありませ
ん。
この歴史的事実を広く知っていただくために「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」を設立して私
たちは活動しています。
“PTSD日本兵家属会”成员的父辈和祖辈的日本军人都是因为他们作为侵略者和加害者的战争经历,患上了有创伤后应激障碍(PTSD)综合征,同时由于他们的患病,住在一起的家庭成员也同样饱受痛苦。
军方和当时的政府向人们隐瞒了这一事实,至今知道这个事情的人还不多。
为了让这个历史事实广为人知,我成立了“PTSD日本兵家属会/市民共情会”并开展活动。
「PTSDの日本兵家族会」の父親や祖父たちは戦争体験が原因で精神が破壊されトラウマ・PTSDに終生苦
しみ、自殺したり、家族に暴力を振るったり、アルコール依存症になったり、無気力症状で労働ができません
でした。そのため「PTSDの日本兵家族会」のメンバーもまた、成長段階から父親から受けた暴力などの影
響を精神的に強く受けて今も苦しんでいるのが現状です。
「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」は日本がニ度と戦争をしないこと、世界から戦争がなくなる社
会をめざして活動をしています。訪問団の皆さんに私たちの思いを以下の資料を使いお伝えしたいと思いま
す。
“PTSD日本兵家属会”成员的父辈和祖辈们因战争经历而遭受精神摧残,并在余生中饱受创伤和创伤后应激障碍的折磨。
他们自杀、对家人施暴、酗酒或因昏昏欲睡而无法工作。因此,“PTSD日本兵家属会”的成员也从小就受到父辈暴力的影响,很多人至今还承受着痛苦。
“PTSD日本兵家属会/市民共情会”是一个致力于确保日本不再陷入战争、为了在世界范围内实现没有战争的社会而活动的团体。
我们想通过以下资料信息向来访团传达我们的想法。
なお、「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」の代表の黒井秋夫は来年、2024年に父親・黒井慶次
郎の初任地、吉林省公主嶺を含む中国を訪問したいと考えていることをお伝えいたします。
此外,“PTSD日本兵家属会/市民共情会”代表黑井秋夫计划于明年2024年访问中国,此行将包括父亲黑井庆次郎初次服兵役的地点吉林省公主岭地区。
黒井秋夫の父、黒井慶次郎は1912年3月9日に小作農民の9人兄弟の9番目に生まれました。
1932年20歳で招集され吉林省公主嶺が初任地で独立守備隊歩兵第一大隊第3中隊に配属されまし
た。
父が残した軍隊時代のアルバムのメモによれば、日本軍は、当時日本が「匪賊」と呼びましたが中国の農
民兵やそこに居住する人たちを襲い、命を奪い、財産を奪い、生活を破壊する残虐な作戦に従事したと思
われます。その後2年間、父は黒竜江省に転戦して1934年に上等兵に昇進して一旦帰国しました。
黑井秋夫的父亲黑井庆次郎出生于1912年3月9日,是佃农家庭的九个孩子中的第九个。
1932年20岁时参军,后隶属独立守备队步兵第一大队第3中队,被分配到吉林省公主岭。
据我父亲当年当兵时留下的相册里的笔记记载,日本军队袭击当时被日本称为“匪贼”的中国民兵和当地居民,夺走生命,窃取财产,破坏生计。
接下来的两年里,我父亲被调到黑龙江省,并于1934年晋升为上等兵并一度返回日本。
1941年に私の父は再度召集されて黒竜江省、吉林省、山西省、揚子江沿岸を転戦して1945年、宜昌
付近で敗戦となり捕虜になりましたが1945年には軍曹になり15人前後の部下を持ち戦争を指揮してい
たと思われます。そして父は1946年34才で日本に帰国しました。その2年後に私は黒井慶次郎の次男
として生まれました。
1941年,父亲再次应征入伍,先后在黑龙江、吉林、山西、长江沿岸作战,1945年在宜昌附近战败并被俘,但在1945年,他成为一名中士,指挥着大约15名部下。
1946年,34岁的父亲回到日本。两年后,我作为黑井庆次郎的第二个儿子出生。
軍隊時代の父のアルバムのメモには「昭和維新をかざる導士たらねばならない」といった勇ましい文言が並び、数多くの戦闘に参加したことが読み取れます。しかし、私が知る戦地から帰国後の父・慶次郎は、アルバムから連想されるような活動的な人物では全くありませんでした。
父は、私が幼い頃から一度も定職に就くことなく、周囲との付き合いもなく、言葉を発することさえほとんどない暗い笑顔のない人間でした。父が定職に就かないため、一家は貧しい暮らしを強いられました。さらに、父は1人で何かを行うことを極端に怖がり、病院に行ったりするにも母を伴わないと行くことができませんでした。
父亲的军旅笔记中,有“一定要成为领导昭和维新的领袖”等大义凛然的话语,可见他参加过许多战斗。然而,我所认识的从战争归来后的父亲庆次郎,根本不是像能与这些笔记联系在一起的人物。
从小到大,父亲从来没有正式的工作,从不与周围的人交往,性格阴郁,不苟言笑,很少说话。由于父亲没有固定工作,一家人的生活陷入贫困。而且父亲非常害怕自己做事,连去医院都必须有母亲陪同。
なぜこんな状態なのか この親のせいで貧乏なくらしをさせられていると、理由も分からないまま、ただただ働かない無気力な父親の姿を見て、私は次第に反感を募らせていきました。
一家の主としても失格だし、父親としても失格だし、尊敬とは真逆でこういう男には絶対になるまい、家族に貧乏を強いるような人間には絶対なるまいと思い大人になりました。
そして父親や家族の貧しい生活の事は周りの人には言えませんでした。隠していました。
为什么会变成这样,我觉得因为父亲的缘故让我过着贫困的生活,当我看到他是一个昏昏欲睡、不知为何不工作的父亲时,我渐渐开始怨恨他。
我认为他没有资格做一家之主,没有资格做一个父亲。在长大承认的过程中,时刻想着不能成为他那种,与我所尊敬的人完全相反的,迫使家人陷入贫困的人。
我也从未把父亲的事,和家庭贫困的事向周围诉说。一直有所隐瞒。
2015年12月、ベトナム戦争に従軍したアメリカの海兵隊員アレンネルソンさんのDVD講演を視聴しました。彼は、帰国後戦場で受けた精神的なストレスからPTSDを発症し、家族へ暴力を振るい一緒に暮らせなくなってホームレスになり家族は崩壊しました。涙ながらに経験を語る海兵隊員の姿と、家で言葉も発さずただただ無気力だった父、慶次郎の姿が重なって見えました。そして私は一瞬にして理解しました。父も又、このアメリカ海兵隊員のように戦争体験で心を壊しPTSDを発症したに違いないと思いました。父、慶次郎は戦地での体験を人知れず抱え、苦しんでいたのだと思い当たりました。
これがきっかけになり2018年「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を1人で設立し2020年に「PTSDの日本兵と家族の交流館」を開館しました。
2015年12月,我观看了参加过越战的美国海军陆战队员艾伦·尼尔森的DVD讲座。由于在战场上受到的精神压力,他患上了创伤后应激障碍(PTSD),并且由于他对家人的暴力行为,他无法与家人住在一起,变得无家可归,家庭破裂。当我看到这位海军陆战队员泪流满面地谈论他的经历,我联想到了父亲庆二郎的形象,他也只是昏昏欲睡,在家里不说话。我立刻明白了。我想我的父亲一定因为战争经历而患上了创伤后应激障碍(PTSD),就像这位美国海军陆战队员一样。我意识到我的父亲庆二郎正在暗中承受着战场上的经历。
这促使我在2018年成立了一个小组,供患有 PTSD 的日本复员士兵及其家人进行讨论,并于2020年开设了“患有PTSD的日本士兵及家属交流馆”。
アジア・太平洋戦争中の1938年に国府台陸軍病院が戦争神経症の専門病院として秘密裏に作られました。最後の病院長諏訪敬三郎は関係者に「陸軍病院の目的や研究実態を50年間は口外してはならない」とかん口令を敷きました。関係者が口をつぐんだために国府台陸軍病院の実態は未だに不明確なままです。
国と日本軍は「軍隊の士気退廃、国民精神の堕落である心因性の神経症は皇軍には存在しない」と
軍医たちに噓を言わせ、「戦争神経症日本兵(PTSDの日本兵)の存在」を社会に隠しました。
1938年亚州/太平洋战争期间,日本秘密成立了国府台陆军医院,作为战争神经症专科医院。该医院的最后一任院长诹访敬三郎向相关人员发出了禁言令:“50年内不得泄露军队医院的目的或其研究状况。”由于相关人员保持沉默,国府台陆军医院的实际情况尚不清楚。
政府和日本军方表示,“皇军中不存在精神性神经症,即军心下降和民族精神下降。”他们强迫军医撒谎,并向社会隐瞒了患有战争神经症的日本士兵(即患有创伤后应激障碍(PTSD)的日本士兵)的存在。
米軍の統計によればベトナム戦争、アフガン・イラク戦争などに従軍した米兵の20%~50%が
戦争神経症(PTSD)を発症すると言います。この数値をアジア太平洋戦争に従軍した日本兵に換
算すると200万人から400万人に該当します。これは戦死した日本兵230万人と同程度になり
ます。
据美国军方统计,参加过越南战争、阿富汗战争、伊拉克战争等的美军士兵中,有20%至50%患有战争神经症(PTSD)。将此数字换算为参加亚太战争的日本士兵。这相当于200万到400万人。这相当于日本阵亡的230万士兵的数目。
上記のように「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」、「PTSDの日本兵と家族の交流館」の活動が数多くのメディアに紹介されるようになりました。
日本の国営放送NHKや朝日新聞など日本の3大全国紙はじめ地方新聞含めて40紙以上、またビックイシューなどの冊子でも報じられています。
幅広く報道されて「日本兵の戦争神経症(PTSD)と連鎖して苦しむ兵士の家族の問題」が段々と日本の人たちに認識されるようになっています。多くの人たちの共感の輪が広がっています。
如上所述,“与患有创伤后应激障碍的日本复员军人家属座谈会”和“患有PTSD的日本士兵及家属交流馆”的活动已被多家媒体介绍。
包括日本国家广播公司NHK、朝日新闻等日本三大全国性报纸、地方报纸以及《Big Issue》等小册子在内的40多家报纸对此进行了报道。
经过广泛报道,日本民众逐渐意识到“日本士兵及其家属的战争神经症(PTSD)问题”。许多人的同感正在扩大。
日本兵の戦争神経症(PTSD)の問題は過去のできごとではありません。暴力の連鎖は家族間の虐待として連鎖して今でも多くの人たちが苦しんでいます。
日本軍兵士の戦争神経症(PTSD)含めその原因は日本が始めた明治維新以来の侵略戦争が原因です。一切の責任は国家にあります。国は実態をただちに調査し「日本兵の戦争神経症(PTSD)と連鎖して苦しむ兵士の家族の問題」の解決に当たるべきです。
日本士兵的战争神经症(PTSD)问题并非过去的事件。暴力循环随着家庭成员之间的虐待而继续,许多人仍然遭受痛苦。
日本士兵的战争神经症(PTSD)的根源是日本明治维新后开始的侵略战争的结果。所有责任均由国家承担。政府应立即调查实际情况,并尽力解决“日本士兵患有战争神经症(PTSD)的士兵家属问题”。
2020年8月23日、日中口述歴史研究会の李素楨さんが「PTSDの日本兵と家族の交流館」に研究のお仕事で来館されました。
出身地が吉林省公主嶺と聞いて黒井は本当に驚きました。公主嶺は20才で招集された父、黒井慶
次郎の初任地だからです。従軍侵略し、その地の多くの人たちの命を奪い、財産を奪い、生活を破壊した
ことを、死んだ父黒井慶次郎が自分に代わって「中国人にひどいことをしたから謝罪してほしい」と、公主嶺
出身の李素楨さんを呼んだと直感しました。
黒井はその場で「公主嶺の人たちに残虐な事をした父の罪を許して欲しい」と謝罪しました。そうしたら李素
楨さんは寛容なお心を示され黒井の肩を抱いて手を握って「日中友好、日中友好」との言葉をかけていただ
きました。黒井は感動して泣きました。このことは佐賀新聞、南日本新聞、山形新聞などで「溝埋める交流」
とのタイトルで報道されました。
2020年8月23日,中日口述历史研究组李素楨来到“患有PTSD的日本士兵及家属交流馆”进行研究工作。
黑井一听说李素楨出生在吉林省公主岭,感到非常惊讶。因为已故的父亲黑井庆次郎,初次服役的地点就在公主岭地区。我感觉到冥冥之中,是我的父亲黑井庆次郎想要为他所犯下的掠夺生命财产,破坏生计的侵略行为赎罪,我仿佛听见他在说:“我对中国人民做了很可怕的事情,所以我希望你代替我向他们道歉。”并请公主岭出身的李素桢教授过来接受道歉。
黑井当场道歉说:“我的父亲对公主岭的人民犯下残酷的罪行,非常抱歉。”然后李素楨伸出手臂搂住黑井的肩膀,握住他的手,说道:“中日友好,中日友好。”黑井感情激昂得流下了眼泪。佐贺新闻、南日本新闻、山形新闻等对此进行了题为《弥合鸿沟的交流》的报道。
日本が始めた戦争は2千万人と言われるアジアの人たち、そして連合国の兵士国民の命を私たちの父親・日本兵は奪いました。特に主な戦場となったアジアで、日本軍に襲われた人たちの子孫の多くが今現在もPTSDに苦しんでいることは確実です。中国、朝鮮半島、アジアにはPTSDを発症した日本兵と私たち家族の10倍以上の1千万人以上の人たちが、今もなお苦しんでいる、連鎖して続いていることも確実だと私は推測いたします。
日本が起こした戦争、父親たちがなした所業は本当に罪深いと言わねばなりません。
日本发动的战争夺去了2000余万亚洲人民以及同盟国士兵和公民的生命,可以肯定的是,许多遭受日军袭击的人的后代,尤其是在亚洲这个主战场,仍然患有创伤后应激障碍。中国、朝鲜半岛和亚洲有超过1000万人患有创伤后应激障碍,是日本士兵和我们家人人数的10倍以上,而且连锁反应肯定会持续下去。我猜是这样的。
我必须说,日本发动的战争和我们的父辈的所作所为确实是罪孽深重。
日本が明治維新以来70年以上も自ら起こした中国、朝鮮、アジアへの侵略戦争は日本はもとより、アジア諸国民に今もなおPTSDの発症と連鎖など取り返しつかない甚大な被害を作り出しています。
戦争や武力、暴力では諸問題を何一つ解決できないことは日本の戦争の歴史から明らかです。
日本自明治维新以来对中国、韩国和其他亚洲国家发动的侵略战争已经持续了70多年,至今仍在造成巨大的、不可逆转的损害,包括创伤后应激障碍(PTSD)的发展和连锁反应,不仅对日本,而且对全世界都造成了巨大的、不可逆转的损害。其他亚洲国家的人民。
日本的战争历史清楚地表明,战争、武力、暴力解决不了任何问题。
私たちは次の世代の子どもたち、若い人たちに「戦争のない世界をめざしましょう」と伝える活動を続けています。そして私たちの訴えは子どもたち、若い人たちに確実に伝わっています。
「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」は訴えます。
日本人である私たちは二度と戦争はいたしません。二度と銃を人間に向けません。
もしも戦争という事態になったら誇りを持って白旗を掲げます。
「戦争のない世界をめざしましょう!」
我们将继续开展活动,向下一代儿童和青少年传达“让我们建立一个没有战争的世界。”我们的呼吁肯定会传达给儿童和年轻人。
“PTSD日本兵家属会/市民共情会”发出呼吁。
作为日本人民,我们永远不会再次陷入战争。我再也不会用枪指着任何人了。
如果发生战争,我会自豪地举起白旗。
“让我们建立一个没有战争的世界!”
毎日新聞2023年11月12日(日)9面「語る」でPTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会の設立が報じられました!お買い求めになりぜひお読みください。
腑に落ちた土井敏邦さんの「ハマス・イスラエル軍戦争」の論説を紹介します(黒井秋夫)
なぜもう一つの“テロ”を無視するのか―ガザ情勢への私見―土井敏邦ジャーナリスト
ハマス・イスラエル軍戦争の
即時中止を呼びかけます!
戦争は人殺しです!
殺人を重ねてより良い世界が
作れるわけがありません。
軍事力では何も解決できません!
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」は
全ての戦争に賛成しません!
話し合いで解決を!
PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会23.10月号
1,10.29に「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」設立呼びかけ集会を開催します。
「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」設立総会は2024年中に開催いたします。
2,「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」設立呼びかけ集会
★日時10月29日(日)14:00~16:30 オリンピック記念センター(セ510)
*オンラインで参加できます。事前申し込みが必要です(10月27日締め切り)。
・申し込みメールアドレスは qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp
★「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(家族会・市民の会)」設立呼びかけ集会
・当日プログラム(予定)
① 各地域の活動を交流します
・PTSD日本兵家族交流会(関西支部)の活動経過・内容とめざすこと(家族交流会関西支部)
・松戸「沖縄とつながろう!」実行委員会の活動経過とめざすこと(依頼中)
・PTSD日本兵家族交流会(東京)の活動経過・内容とめざすこと(東京家族交流会)
・「家族会・市民の会」組織と活動イメージ(作成者)
②「家族会・市民の会」設立の課題の提案(黒井秋夫)
③参加者どうしの意見交流
3,「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」設立の意義目的(案)
★「PTSDの日本兵と家族の問題」は「日本の戦争を振り返り平和をめざす活動であり、与野党を問わない国民的な課題」を担うにふさわしい「自由で民主的で力強い活動組織」に成長したい。
(参考)東京証言集会、冒頭ご挨拶➡現状の私たちは取り上げていただくほどの組織力もない未熟
な発展途上の未だ弱小な活動組織と自覚しています。それでも、背負っている課題は原爆被爆者の問題や戦没者などと同列の重要な戦争と平和のテーマと考えています。「PTSDの日本兵と家族の問題」はそれらと同様に与野党を問わない国民的なテーマとも考えています。
(1)「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(家族会・市民の会)」活動の5本の柱
①の柱「PTSDの日本兵家族会」をPTSDの日本兵の家族の交流の場として全国各地域に誕生させる。
・地域に2人以上で少人数から、毎月一回(以上)のPTSDの日本兵の家族の交流の場を作る。
・「PTSDの日本兵家族会」は相互に交流し、運営の手法など学び合えるようにする。
「PTSDの日本兵家族会」の全国連合も展望します。
②の柱* 証言集会と証言集会実行委員会を「家族会・市民の会」の主要な活動とする。
・証言集会を「私の父親もPTSDの日本兵だったのではないか」という当事者の気づきと掘り起しの場として地域ごとに開催する。
・証言集会を東京、大阪から全国に広げましょう。各地の市民運動に共同開催を働きかけましょう。
2024年は千葉県松戸市で開催を目指す。黒井の自宅がある新潟と福岡、広島、四国、名古屋、札幌、には語り合う会ニュースの読者がいますので働きかけましょう。その他の候補地は!
・数年後に全国証言集会を東京で開催しましょう。
③の柱*PTSDの日本兵の家族の体験を証言(家族の証言)として後世に語り継ぐ
・家族の証言を映像、文章で保存し「家族会・市民の会」のホームページ(現・語り合う会HP)
に保存する。
・家族の証言の公開は、その方法、基準を定めておく。
④の柱*「家族会・市民の会」の活動を活発に社会に広報する。
・機関紙を月刊で発信する。
・時機に応じてメールでニュースを発信する。
・「家族会・市民の会」の主張の発信方法・ルール、HP管理、月例ニュース発行、講演活動
⑤の柱*厚生労働省に「PTSDの日本兵の家族の問題」の解決を要請します。
・厚生労働省、しょうけい館に「家族会・市民の会」の要求を定め提出し話し合いを続けます。
(2)「家族会・市民の会」設立に必要な事柄
① 「家族会・市民の会」の活動の目的、目指すことを明記する。
「(例)日本が二度と戦争をしない。誰もが安心して暮らせる平和な社会」をめざす。
② 規約を制定する。
・会員の資格、権利と義務、役員体制、総会など。
③ 民主的組織運営と体制
・運営をリードする事務局体制の整備。
*中央事務局を作る。東京と大阪に(松戸市にも)地域事務局を置く。
・中央事務局として世話人会(仮称)、世話人会会長、副会長、会計、その他を定める。
・中央事務局と地域事務局との関係。
④ 「家族会・市民の会」の財政の整備
5.2023年の日程
・10月8日(日)PTSD家族交流会、東京証言集会実行委員会
(オリンピック青年センター)10時~
・10月20日(金)戦争と平和のお話し会(武蔵村山市さくらホール)武蔵村山市生涯学習係主催
・10月29日(日)「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」設立呼びかけ集会
(オリンピック青年センター会場参加とオンライン参加)14時~
・11月12日(日)東京証言集会実行委員会・PTSDの日本兵家族会交流会
(中藤地区会館)10時~
・11月26日(日)大阪証言集会実行委員会(国労会館)13:30~
・12月10日(日)東京証言集会実行委員会・PTSDの日本兵家族会交流会
(オリンピックセンターか中藤地区会館)10時~
★9.3東京証言集会振り返り
*参加者 1部、2部の参加者は155人でした。
・参加地域の広がり、高知や京都、山形の女子短大生の参加などありました。
・第3部の家族交流会参加者は70人程で昨年を上回りました。
・証言集会の収支。
収入155.227円 支出 327.678円 172.451円の赤字になりました。
・9.3PTSDの日本兵と家族の思いと願い東京証言集会参加者アンケート
□熱を込めた黒井さんの言葉、北村先生の具体例の数々の紹介、とても涙なしには聞けませんでした。わずかですがカンパさせていただきます。
□私の父も元日本兵でした。講演を聞いて、ふと「あれは父の心の負傷だったのか」疑ったのは勤めが長く続かなかったことです。転職をくり返し、はなはだしい時は数週間で辞めました。腹が立って殴ってきたことも。徴兵される前の父の姿を知らないのでそれが従軍体験にどう結びつくのだろうか?とは思いますが。
□貴重なお話しありがとうございました。近年ようやく戦争PTSDのことが(アメリカでは70年代すでに)日本社会が今も抱えている重要な問題であり、世代間に引き継がれるトラウマの文脈でいうとかなり「身近な問題」であることが示されるようになってきたと感じています。その点、黒井さんを中心とした方々の活動は大きな貢献をされていると思います。
□今日は貴重なお話しをありがとうございました。私は1970年生まれの女性です。10~20代の子ども3人、夫の5人家族です。母方の祖父はインパールで戦死、母は終戦時4才でした。晩年“鬱と躁”のバランスを崩し、10年程前に自死。私は子どもの頃からは母はどこか心に穴があると感じていました。母が自死を選んだのは(私たち家族がいながら)姉たちが結婚や華やかで豊かな生活を得たのを見ながら常に孤独だったのだと思います。
□戦争の被害を目の当たりにしました。戦争は絶対にいけないと、再度確信しました。皆さんの活動がますます広がることを期待しております。
□今日参加して私の父がまさにそうだったんだと思いました。父はインパール作戦の生き残り兵でした。出征する時、私は母のお腹の中で、父が返ってきた時は5才になっていました。私は父に可愛がられた経験がなく、父が亡くなるまで(65才)育ての親のような気がしていました。父は毎日酒を飲んでは戦争の話しをして、戦友のことを話す時は男泣きする始末、私はいつもそんな父が嫌いで酒代で貧乏暮らしは父のせいだと思っていました。結婚して夫から父の苦しみを理解するよう言われて図書館などでインパール作戦のことを知り、父を見る目が変わったと同時に父の私に対する態度も変わったように思います。それでも80才になった今でも子ども時代、父に差別されて育ったころを思い出すと今でも涙が出ます。
2023年は100万円のご助力を!
ご支援のカンパ振込先➡口座名義 PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会
★ゆうちょ銀行からの送金(郵便振替用)*ゆうちょ銀行口座。 記号 11390・番号 21576251
★ゆうちょ銀行以外からの送金 (内国為替用)*ゆうちょ銀行口座。
★店名 一三八(イチ サン ハチ)・店番138 ・普通預金(口座番号)2157625
★会計中間報告(2022年1月1日~9月30日)
2023年、年初の繰越金 169.539円
2023年1月~9月30日の収支
経費合計 1.088.642円 収入(カンパ、黒井講演料、集会収入など)合計1.260.978円
2023年9月30日現在の残高 341.875円
*大阪証言集会実行委員会の交通費は「語り合う会」が半額を負担、黒井が半額を負担しています。
・関東の講演の交通費は黒井が負担しています。
李素楨さんとの交流日誌 10月号
★初級者コースあります!ご一緒に中国語の達人になりましょう!
李素楨さんのZOOM中国語講座を学んでいます。とても楽しい授業です!
★日中口述歴史文化研究会常務副会長 吉林長春師範大学 教 授 法政大学 講 師
多くの皆さんにこのニュースをお届けしています!
★ニュースは武蔵村山市長、副市長、市議会議員、教育委員会、市立3小教職員に配布しています。
・52か所のマスメディアに送信しています。250人に郵送で、600か所にメール送信。
・交流館周辺600戸に黒井が手配り配布しています。
NNNドキュメント・でくのぼう~戦争とPTSD~
8月度ギャラクシー賞(放送批評懇談会)受賞!
NNNドキュメント|日本テレビ 8月14日、20日に放送
定職に就かず家に引きこもり、虚ろな目をした“父”。黒井秋夫さんは、父・慶次郎さんをずっと尊敬できずにいた。戦争が、父の心を壊したのだと知るまでは―。数少ない遺品のアルバムを開いた息子は、そのとき初めて〝兵士〟の父と出会った。
精悍な表情の、勇敢な兵士だった慶次郎さん。戦地から生きて帰った父はなぜ、別人に変わってしまったのか。兵士の心を壊し、生還後の家族との時間までも奪った過酷な戦場の真実に迫る。
ナレーション/二又一成 制作/山形放送 放送枠/30分
★他のギャラクシー賞受賞作品 ①ファミリーヒストリー 「草刈正雄〜初めて知る米兵の父 97歳伯母が語る真実とは〜」8月14日放送 日本放送協会 NHKエンタープライズなど他2作品
2023.9.3PTSDの日本兵と家族の思いと願い東京証言集会参加者アンケートを(抜粋し)公開します。
□熱を込めた黒井さんの言葉、北村先生の具体例の数々の紹介、とても涙なしには聞けませんでした。幸いにも、私の育った環境はひどいものではありませんでしたが若い頃から戦争に対する反感のような物は持っていたと思います。私の子どもたちにも「戦争はダメ」という内容の映画(アニメなど)を良く見せてきましたが、現在40歳代の娘と息子は今の社会をどのようにとらえているか気になるところです。わずかですがカンパさせていただきます。
□私の父も元日本兵でした。講演を聞いて、ふと「あれは父の心の負傷だったのか」疑ったのは勤めが長く続かなかったことです。転職をくり返し、はなはだしい時は数週間で辞めました。母が尋ねると「上司への不満」が多かった覚えがあります。腹が立って殴ってきたこともありました。
徴兵される前の父の姿を知らないのでそれが従軍体験にどう結びつくのだろうか?とは思いますが。
□貴重なお話しありがとうございました。近年ようやく戦争PTSDのことが(アメリカでは70年代すでに)日本社会が今も抱えている重要な問題であり、世代間に引き継がれるトラウマの文脈でいうとかなり「身近な問題」であることが示されるようになってきたと感じています。その点、黒井さんを中心とした方々の活動は大きな貢献をされていると思います。
□今日は貴重なお話しをありがとうございました。私は1970年生まれの女性です。10~20代の子ども3人、夫の5人家族です。母方の祖父はインパールで戦死、母は終戦時4才でした。晩年“鬱と躁”のバランスを崩し、10年程前に自死。私は子どもの頃からは母はどこか心に穴があると感じていました。母は3人の姉がいるのですが、母にとって姉たちは守ってくれる存在であると同時にいじめられる(逆らえない)存在だったと思います。母は私たち家族よりもいつも姉たち実家の関係に重きを置いていました。
母が自死を選んだのは(私たち家族がいながら)姉たちが結婚や華やかで豊かな生活を得たのを見ながら常に孤独だったのだと思います。
□戦争の被害を目の当たりにしました。戦争は絶対にいけないと、再度確信しました。皆さんの活動がますます広がることを期待しております。
□今日参加して私の父がまさにそうだったんだと思いました。父はインパール作戦の生き残り兵でした。出征する時、私は母のお腹の中で、父が返ってきた時は5才になっていました。母は父が帰るまで実家の(叔父)家族と一緒に暮らしたので叔父のことを「父ちゃん」と呼んでいたそうです。なので、イギリスの捕虜となり遅れて帰国した時は「父ちゃんよ」とまわりの人たちに言われても母の背中に隠れてどこかのおじちゃんのように見ていたそうです。1年後、2年後と妹、弟と生まれてからはそちらの方が可愛くて、私は父に可愛がられた経験がなく、父が亡くなるまで(65才)育ての親のような気がしていました。父は毎日酒を飲んでは戦争の話しをして、助けられず連れて歩けなかった戦友のことを話す時は男泣きする始末、私はいつもそんな父が嫌いで大手企業の従業員でありながら酒代で貧乏暮らしは父のせいだと思っていました。
結婚して夫から父の苦しみを理解するよう言われて図書館などでインパール作戦のことを知り、父を見る目が変わったと同時に父の私に対する態度も変わったように思います。それでも80才になった今でも子ども時代、父に差別されて育ったころを思い出すと今でも涙が出ます。
□「戦争前夜、新しい戦前」と言われる中で、復員日本兵のトラウマ、PTSDを広く伝えていくことは重要だと思います。これを全国化するために、どうすれば良いのか知恵を出していければと思います。
□証言が悲惨でこんなにも大きなPTSDがあるのを知り戦争の悪がより分かった。ネルソンさんの「あなたは人を殺しましたか?」の本を中学校の読み語りでも読み、子どもたちにも戦争の悪、軍隊の悪さも知らせたいと思った。
□大変複雑な問題をスライドやレジュメで分かりやすくお話しくださりありがとうございました。北村さんにご紹介いただいた関係者の作品も読み、考え続けていきたいです。
私がこの会に関わりたいと思ったのは何より次の世代以降に決して戦争を体験させたくないからです。正直、学校教育には期待していません。自分(1970年生まれ)も含め、日本が戦後行なってきた教育は(私たちが受けた)再び戦争を是とするものだったと思います。
自身の子どもたちを見ても学校でまともな歴史教育を受けてきたとは思えません。先生方は委縮して自由にものを言える学校ではなくなっていると感じます。保護者も同じです。北村先生や中村先生のような研究者の方のますますの活躍を願っています。同時に、社会で発言することなど持ちえない自分のような人間にも平和を創る力があると信じたいです。その方法を模索しています。
辛い体験を口にしていただき本当に感謝申し上げます。ここまで生きて伝えてくださること、勇気づけられます。お身体をお大事に、これからもこの世の中を共に良い方向になるよう導いてください。私も非力ながらがんばります。
ご挨拶
本日はたくさんの皆さんにご参加いただきました。心から感謝申し上げます。
先月の8月15日前後には多くのメディアの皆さんから「PTSDの日本兵と家族の問題」を報道いただきました。
戦前戦後、政権と軍が国民に隠してきた「PTSDの日本兵と家族の問題」がメディアの皆さんの報道によって、日本社会に明らかになりつつあります。年を追うごとに社会の注目度も高まっていると感じています。
本日の証言集会のチラシ一つとってみても今年は多くの個人、団体の皆さんに配布していただきました。支援してくださる輪がどんどんと確実に広がっています。力づけられ励まされています。本当にありがとうございます。心から感謝申し上げます。
社会に語られず家族内の恥とされてきた「PTSDの日本兵と家族の問題」が、家族内に留め置く問題ではなく戦争を始めた国家にこそ責任があるのであって、家族たちは社会に向けて話して良い事なのだ、堂々と話すべきだとPTSDの日本兵の家族たちは気付きつつあります。時代は大きく変わろうとしています。今日の証言集会も時代が変わっていく現場になるでしょう。参加された皆さんにはその立会人になっていただき、今日聞いたこと、見たこと、実感したことをご自分の家族に、友人たちにお話しし伝えていただきたいと思います。
日本兵がPTSDを発症した原因は日本が起こした明治以来の中国、朝鮮半島、アジアへの戦争と戦場体験に起因することは言うまでもない事です。家族である私たちの苦しみも元は同じです。
日本が始めた中国、朝鮮半島、アジアへの戦争にあります。
しかし皆さん、PTSDを発症して人生を台無しにし、家族生活をも破壊した日本兵・父親たちは戦争のただの被害者でしょうか。そうではないと私は思います。
日本が始めた戦争は2千万人と言われるアジアの人たち、そして連合国の兵士国民の命を(私たちの父親・日本兵は)奪いました。特に主な戦場となったアジアで、日本軍に襲われた人たちの子孫の多くが今現在もPTSDに苦しんでいることは確実です。PTSDの日本兵は100万人単位で存在したと推定していますが、中国、朝鮮半島、アジアにはPTSDの日本兵とその家族の10倍以上にもなる人たちが、今もなお苦しんでいる、連鎖しして続いていることも確実だと私は推測いたします。
私は日本が始めた戦争がもたらしたこと、日本兵の父親たちが作り、今もアジアの多くの人たちが苦しんでいるであろう負の遺産に正面から向き合いたいと思います。
私、黒井秋夫は日本軍兵士、軍曹、黒井慶次郎の息子として、戦争を始めた日本に今を生きる子孫として、中国の人たち、朝鮮半島の人たち、アジアの人たちに、そして連合国の皆さんに対しても父親がなした所業について深く深く謝罪いたします。本当に申し訳ありませんでした。お許しください。
PTSDの兵士や国民を生む戦争に良いことなど一つもありません。
私・黒井秋夫は「戦争のない世界を作りましょう」と皆さんに呼び掛けます。「どのような活動を積み上げたら戦争のない世界を作ることができるか考えましょう」と世界の人たちに呼びかけます。
私は残された生涯を戦争のない世界を作り上げることに尽くします。
アジアの人たちに約束します。世界の人たちに約束します。
何があろうと私は銃を人間に向けることはいたしません。銃を向けられたとしても、そう言う事態には誇りを持って白旗を掲げます。そして白旗を掲げる人が、賛同する人たちが日本国中に広げる努力を続けますと約束いたします。
私たちが、PTSDの日本兵の家族がその声を上げれば上げるほど、国民がこのことを知れば知るほど「日本が二度と戦争をしてはいけない、誰もが安心して暮らせる平和な社会」に近づくと信じています。
多くのメディアの皆さんに報道していただき心から感謝申し上げます。
しかし現状の私たちは取り上げていただくほどの組織力もない未熟な発展途上の未だ弱小な活動組織と自覚しています。
それでも、背負っている課題は原爆被爆者の問題や戦没者などと同列の重要な戦争と平和のテーマと考えています。「PTSDの日本兵と家族の問題」はそれらと同様に与野党を問わない国民的なテーマとも考えています。皆さんのお力添えが頼りです。引き続きのご支援を心からお願い申し上げます。
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」は2022年は1年間で709.324円の収入で運営いたしました。
2023年は8月までで昨年1年間の収入を超えて832.601円の皆さんのカンパ(黒井の講演料も含みますが)で運営しています。しかし、今日の東京証言集会だけでも概算で370.000円の費用が掛かります。10月29日はオリンピック記念青少年センターで「PTSDの日本兵の家族会・寄り添う市民の会」の設立総会を開催いたします(注・創立大会は2024年に延期しました)。
皆さんの力強い支援が今後も必要です。あたたかいご支援を心からお願い申し上げます。
また、今年6月9日に「PTSDの日本兵の家族の思いと願い」を出版いたしました。PTSDの日本兵が存在した事、苦しんでいる家族がいること。このことを知ることは日本と日本人の歴史とアイデンティティにとっても重要で欠かすことのできない事ではないでしょうか。
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」はこの本は日本人の必読書と考えています。アジアの人たち、世界の人たちにもいつか翻訳されて読んでいただきたいと思っています。
私たちの活動をささえる資金にもなることができます。どうぞお買い求めください。
再度訴えます。皆さんの力強い支援が今後も必要です。あたたかいご支援を心からお願い申し上げます。
皆さん、一緒に手を繋ぎ、戦争のない世界、平和な社会をめざす活動が、もっともっと大きな輪になるように広げながら歩いて行きましょう!
ありがとうございました。
2023年9月3日(後日加筆含む)
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会・PTSDの日本兵と家族の交流館」
代表 黒井秋夫
PTSDの日本兵と家族の思いと願い大阪証言集会参加者感想文
2023.6.25
・旧日本兵のPTSDの問題を直接聞いたのは初めてです。ベトナム帰還兵、イラク戦(自衛隊含む)、アフガン帰りのソ連兵などの話しは聞いていましたが、旧日本兵にもありうると漠然と思っていましたが、このことが明らかになったのが2018年、5年前とは驚きました。ヒロシマナガサキの被爆者やハンセン病の家族の証言も(明らかになるまで)時間がかかりましたが、やはり「加害のこと」を語るにはより口が重くなると思いました。PTSDの概念が理解され広まることも今集会の成立にプラスしたと思う。PS 私自身も、父の母へのDVがトラウマになってACになったと思います。
・アイルランド、スコットランド(アイルランド紛争)和平合意直後、イタリア、豪州、ワシントンなどの戦争PTSD療養施設の豪華さ、手厚い治療病院をめぐり感動したのは30年前のリサーチでした。日本兵に対する軍や政治は人命を軽んじていると感じました。ゼロ戦はパイロットを守る装備を削って性能追及。米軍機は幾重にも命を守る工夫。豪、ニュージーランド、アメリカの戦死資料館や公文書館をめぐりました。日本の復員兵は放置されている姿は「皇軍」として派兵され棄民された半島出身兵、傷痍軍人、在日コリアンを描いた「血と骨」も想起されます。義祖母は南陽戦線、中国南京で医師として731部隊に関与、登戸には終生足が向けられず、慰霊の旅、中国、パプアニューギニアを終え、自死いたしました。戦後日本映画に現れた戦争トラウマ表現を調べています。
・非常に苦しい内容ですが知らねばならない、伝えねばならないと感じます。私のは母方の祖父は山形県酒田市出身で戦争に行きました。左肩に銃弾が貫通した痕がありました。祖父は知る限り家族にも親戚にも戦争のことを言わずに死にました。今でも祖父が何を言いたかったのか?言えなかったのか?と思います。祖父は幸い家族に暴力を振るうことはありませんでしたが、大変恐い人でした。私は祖父をかわいそうに思います。本当はもっともっと話したかったのではないかと申し訳なく思います。
・まず知ること、気づくこと、考える事、語ること、出会うこと。黒井さんの熱い熱い思いをいただきました。参加して良かったです。大阪で来年“会”を催されるとか。基調講演は関西の名物アナウンサー桑原征平さん(79才)を推薦します。彼自身が父からのPTSD被害者とラジオ番組で度々語られておりました。
・アジア太平洋戦争での具体的な侵略加害行為に対して法的な責任が問われたりしたことがない日本に果たして「戦後」を名乗る資格があるのだろうかと思います。戦争責任者が国民の象徴として不気味に国民の空気感を支配し常に軍備拡充に明け暮れ、マイノリティーを差別し、沖縄など地方を犠牲にしてきた現在の日本という国家にとって、戦争トラウマに苦しむ家族は当然の帰結なのではないでしょうか。しかし、勿論、私たちはこの情況に沈黙していていいはずがありません。日本政府が戦前戦後を通じていかに凶器の政策や教育を続けてきたかを明らかにし、自らの経験を語る口をも奪う悲惨な戦争トラウマ被害に対する加害責任を余すところなく国に追及すべきだと思います。
・戦後80年近くを経て、今、日本兵のPTSDに光が当てられたのかという驚きと、今は亡き傷痍軍人だった父と自分との関係を思い出し、ぜひ聞いてみたいと思いました。反戦の集会や加害の歴史本など、今でも参加したり、読んだりして忘れないようにしてきましたが、この度は当事者としての自分に出会うきっかけになりました。
父のみになってみる?ブタれることはありませんでしたが、毎夜飲酒は欠かせませんでした。セクハラ的行為から逃げ回った日々。小2の時、家出を思いつきました。国の責任を問うておられます。確かにそう思いますが、具体的にその責任を取る国とは何でしょう?
・国のために戦った帰還兵が軍隊生活の思いは口に出さないで家庭は安心安全であるはずが思いもよらない事が世代を越えて300万人もいたという言う現実から今!!全国広がっていくことを確信持ちました。
・今日は3世として、戦争体験を語り継ぎの場を作る者として、特攻警察官の祖父から愛を受けずに育った父から暴力を受けた者として皆様のお話しを伺っておりました。復員兵のPTSDは声なき戦争の負の現実であり、その声を多くの人々と共有認知することが、負の歴史の繰り返しを止める行為になるような気がしています。
かつての戦争の総括がされないままのこの国に住む者として非常に示唆に富む内容でした。次回もぜひ参加させていただきたいと思います。ありがとうございました。
・すばらしい集会でした。全てよかった。
・午前の部で問題提起や方向性を中村さんや北村さんの話を聞いて目が開かれる思いでした。私たちの世代は日本兵士の子どもたちで様々な影響を受けています。自分は分からないが社会病理となって無意識なレベルで日本社会を苦しめています。PTSD分析では心理学の知識も必要です。これからもっともっと考え続けたいです。
午後の部で日本兵の家族に証言を聞いて。
太平洋戦争の兵士のPTSDが問題となるまで80年近くも経っている。その間、多くの人が苦しみ続けてきた。この事実に何とも言えない3人の発言はとても重みがある。病気のため父はたまたま兵士として出征しなかった。それをどんなふうに考えていたのだろう。負い目がありながら戦後を生きてきたのだろう。
・戦争被害者とは誰だろう、と良く考えます。私は普段は広島長崎の原爆被害者を取材していますが、医療保険の対象である「被爆者(1世)」の範囲を巡る議論はなお続いていることに加え、2世3世も子や孫の立場からその「被害」を訴えています。被爆者の2世3世も原爆の後遺症を訴える親の介護に明け暮れ、貧困で苦しむなどしてきました。2世3世の問題については放射線の遺伝的影響という観点にフォーカスして語られることが多く、第一世代の“家族”として被った苦しみに光を当てられてこられませんでした。今日、北村教授の言葉にありましたが「戦後の後遺症」との言葉が印象に残っています。「日本兵」と「被爆者」という違いはありますが、戦争で深い傷を負い、その苦しみを次世代家族にも負わされたという点では共通していると思いました。第1世代と共に暮らした家族の苦しみは「戦争被害」ではないのか、ということを思うこの頃です。
・敗戦後のドイツと日本の国と人びとのあり方があまりに違うことの根底にこの復員兵の問題があったのか!と目が啓かれる思いです。ドイツは戦争責任を言葉や形だけでなく行動として表し続けていると思います。ところが、日本は自らがその一員であるべき東アジア諸国を帝国時代の植民地と変わらぬまなざしで見下し続け、昨今ではそう考える必要のない仮想敵国と見なし軍備拡張に邁進しているようです。この反省のなさと、無自覚、その根底にあるのは一人ひとりの兵士の苦しみを「私たち」の「群れとしての」記憶として向き合うことのなかった国と、国民にあるのでは。色々と考える良い機会になりました。お話しくださった方に感謝します。
・加害体験を告白する元日本兵が少ない理由が分かった。PTSDで飲まないと語れない、しらふでは黙るしかなかったのか。撫順の戦犯収容所では一種のPTSD患者対策となって日本兵の告白ができたのではないか。という感想を本日の講演を聞きながら感じました。下級の日本兵は「自分が被害者」なので、植民地国民への反省・謝罪をする気持ちの余裕がないのでしょうか?この辺りが課題と考えます。とにかく加害者日本兵のトラウマの現実が良く理解できました。
・罪悪感を解放するために酒を飲む人もいれば、”力”を行使した満足感、それを現在も行使したい欲求が酒を理由に実行できた(ひどい行いとして表現できずため込んでいた)人、いろんなタイプがいたのだろう。民族・地方・貧困差別を行使する政治権力者にも脈々と受け継がれ、影響を受けているのが私たち日本人を含めた、在日外国人、被差別部落者、沖縄、アイヌ、性的マイノリティーなど、日本の全住民だと考えられ慄然とした。
・ありがとうございました。勉強の途上です。PTSD日本兵の問題、とても重要だと思います。この問題に永らく日本人は気付いて来なかった、覆い隠されてきたことが又大きな問題だと思います。
戦争責任という言葉が出されたと思います。正に戦争責任(天皇や政府の)隠ぺい問題と、日本兵のPTSDの隠蔽が繋がったように思います。埋もれたPTSD日本兵の家族の問題を掘り起して行く活動に大変期待しており、可能な限りの協力をさせていただきたいと思います。
・今日のテーマ「トラウマ」の問題を黒井氏のおっしゃるように、前面に、全国的に取り上げ整理しなければ本当の戦争の本質に迫れないと思います。戦争を始めたり引っ張って行った指導者、また何よりも天皇からまだ日本の人民は謝罪されていない。それがない限り戦後は終わらないし、まして東南アジアや中国・朝鮮に本気で謝罪する気持ちになれない日本人が多いのはある意味当然だろうと思う。
やっと国会の一隅で取り上げられたのが大きなきっかけになればと願う。人間の事、人間の心理学の研究をしなければならないと思う。
・昨日の講演・映画会でもらったチラシを見て参加しました。
私の父親も学徒動員で中国に従軍したそうです。帰国後、いいなずけの母と結婚して私が生まれたのですが、平和的な父だったので5人に1人の従軍兵士が何らかのPTSDになったのは知りませんでした。もうびっくりしました。大人になってから父に「戦争でどこへ行ったの?」と聞くと、南京と教えてくれましたが、それ以上は聞かず残念なことをしました。ただ「戦争は絶対するな!」が口癖でした。戦後は戦友会の幹事もしていたようです。会うのを楽しみにしていました。証言者の方のような家庭がなくなるように、戦争を許さないために努力していきたいです。
・繰り返し繰り返し、中身の濃い話しに圧倒されました。
・私は20代ということもあって、直接、日本兵のの戦争体験を聞く機会はありませんでした。沖縄で住民の戦争トラウマの聞き取りを5年くらい続けていますが、断片的に戦争が戦後の家庭環境について話を聞く機会がありました。3月に沖縄で開かれたイベントで私がお話をしたときに、ある女性が「私の父は戦争体験を話すことが少なかったですが、酒を飲むと罵声を浴びせられたり、強い口調で戦争の話しをしたりしていたのを思い出していた」という方がいました。「トラウマ、PTSDという言葉を当時は知らなかったので、父を全く理解できなくて父を軽蔑していたんですが、父を受け入れることも大切ですよね」と感想をくださった方