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私は何故祈らずにはいられないのか。

私は神も仏も信じていない。しかし宗教の精神的効用は実感しているし認めている。神社、仏閣、教会を訪ねると必ず手を合わせる。「信じていない」という事は祈る事で願いが叶うとは思っていない。奇跡などは起こらないし、過去にも人為的な力で不思議な出来事など起きたことはない、というのが私の信条です。しかし宗教がこの世に不要とは思っていない。人間は大宇宙から見たら本当にちっぽけな存在に過ぎない。一人で生まれ一人で死ぬ。考えてみれば本当に孤独な存在ともいえる。
何かにすがりたいと思う時もあるし誰かに支えてほしいと思う時もある。だから祈らずにはいられない時はしょっちゅうある。

昨年末にピースボートで知り合ったキリスト者のFさんとお会いした時に、心に響いたのは「祈ると自分の心が安らぐ」という趣旨のお話しだった。「祈る=自分自身に言い聞かせる」と心が落ち着いていく。それは大いに納得するところがあった。

初日が昇る。見上げるような大樹に出会う。見慣れた故郷の山が雲間から頂上を見せる。私は手を合わせる。
仏像やキリスト像を見ても手を合わせる。モスクでも心に沁みる空間を感じた。信条に沿う感情や行為ではないがしないではいられない自分がいる。

キリスト者の彼との昨年末の出会い以来、私は朝晩仏壇に向かう事を日課にした。仏壇には私と妻の父母、それと兄弟の写真が飾られている。写真に向かい今日一日の自分のありたい有様を告げる。娘家族、そのいとこたち、甥姪の幸せなどを祈る。
祈ったところで何かが叶えられたり状況を変える力が働くなどとはもちろん思っていない。
しかし、自分自身の在り様、人との接し方に「朝晩の自分への言い聞かせ」は役立っている、心に余裕を持たせているように思う。

神や仏への信仰ではない。私の祈りは今のところ「自分自身の心を鎮める」ものである。