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退役軍人が語る「戦場のリアル」

 

1025日中野産業振興センター、26日高円寺グレイン、27日横浜シネマリン、専修大学と3日間ベテランズ・フォー・ピース(VFP)の日本ツアーを追っかけた。

 

ベトナム戦争帰還元米兵のマイク・ヘイスティーさん(74才)、イランイラク戦争帰還元米兵のネイサン・ルイスさん(34才)そして通訳のレイチェル・クラークさんの3人の講演・交流会を4か所で追っかけた。

 

 

 

25日中野の集会は93人、27日の専修大学では150人が参加した集会の冒頭、帰還兵二人は広島・長崎の原爆投下のスクリーン映像の前に立ち「この行為は人間として最低で許されない」と私たち日本人に謝罪した。「東京などの無差別爆撃・空襲も同じように最低の行為で許されない」と私たちに頭を垂れた。

 

私は加害者(アメリカ人として)として日本人の前に立つ二人に驚き、その勇気、思いに心から感銘を受けた。

 

しかも原爆投下も無差別空襲も彼ら二人の行為ではない。父親世代のやったことではないか。その責めを子供たちが負おうとしている。70年の私の生涯でこれほど心を揺さぶれた覚えがない。心動かされ深く感動した。

 

 

 

次いで「自分自身の足元を見よ。中国、韓国、アジアの人達の視線に耐えうる「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の活動なのか?」と私に問いかけていると思わされた。

 

 そうなのだ。私の父親たちがまさに残虐非道に中国、韓国、アジアの国々の人たちの命を奪ったことへの謝罪の心が、父親たちの行為を子供である自分たちが、アジアの人達の前に立ち頭を垂れる気持ちがあるのか。「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の活動の根底にそういう思いがあるのか、と問われているのだと思わされた。

 

 

 

 二人の米兵は従軍時代の戦争のトラウマ(PTS)に今も苦しんでいるという。ベトナム帰還兵・74才で私よりも年長のヘイスティーさんは直接の加害者としてベトナムの人達の前にも立っている。

 

 今からでも遅くはない。私も中国・韓国・アジアの人達の前に立ち謝罪する機会を実現したいし、せねばならないのだと思わされた。

 

 3日間の追っかけは私の人生の舵を何度か角度を切り替えるきっかけになるようだ。「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の目指す方向が分かったような気がする。中国、韓国、アジアの人達に理解してもらえる、共感してもらえるような活動でなければならない。そうでなければ意味がない。アジアの人達と手を取り合えるような活動でなければ前進することもできないし、勝利の日も来ないだろう。

 

 

 

 このVFPのツアー企画を私に教えてくれたレイチェル・クラークさんに感謝する。レイチェル・クラークさんは2015年にピースボートでベトナム戦争によるアメリカ兵のPTSDの存在を教えてくれて「日本軍兵士のPTSDの存在」の啓示を与えてくれた「活動開始の恩人」である。今回、彼女にVFPへの加入を強く勧められ26日に私も加入手続きを取りその一員になった。

 

 

 

 レイチェル・クラークさんは活動の本拠のアメリカに帰国した。来年の来日ツアーの時には「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」はどんな活動体になっているだろうか。私自身はどんな姿を彼女に見せることができるだろうか。 ゆっくりと焦らず、周りの人達の協力を得て少しでも前進していたい。

 

                       (黒井秋夫)