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南京大虐殺81年集会報告

 

南京大虐殺81カ年2018年東京証言集会・報告

 

2018.12.12 全水道会館にて 主催 東京証言集会実行委員会

 

□証言:「私の父は南京大虐殺の幸存者」常小梅

 

 私は南京大虐殺幸存者、常志強の娘(1960年生まれ)です。父(現在91才)は南京で雑貨屋を営む10人家族で6人兄弟の長男でした。

 

1937815日。南京に日本軍の爆撃機が大挙襲来し無差別爆撃を加えました。

 

1213日早朝に南京は陥落しました。城内に侵入した日本軍は誰彼構わず市民に向かい射撃し、逃げ惑う難民たちを銃剣で突き刺しました。

 

父(当時9歳)の母(当時30才)も銃剣で突き殺されました。父の弟3人(8歳、6歳、4歳)も刺殺されました。父の2才の弟は母の乳首に吸い付いた状態で殺されました。

 

侵華日軍南京大虐殺遭遇同胞記念館の彫像広場に「最後の一滴の乳」という像があります。母親が血だまりの地面に倒れ、泣き叫ぶ子供に乳を与えようともがいていますが、流血が止まらず死に至ります。子度もそれと知らずに母の乳を吸おうとしますが、12月の寒さに凍死してしまいます。それは私(常小梅)の父・常志強の母と弟のがモデルです。その母子の傍らに泣いている子供は父・常志強です。

 

父の姉は当時11歳でしたが日本兵に強姦されました。10人家族で私の父とその姉だけ生き残りましたが、1944年に日本軍が飛行機からばら撒いたペスト菌に感染して亡くなり、結局戦後まで生き延びたのは私の父だけでした。

 

結びのことば

 

私・常小梅は南京大虐殺事件での幸存者の子女で、初めて日本の証言集会に参加します。父はすでに高齢ですが私たちに彼の歴史の記憶を伝えてくれました。幸存者の子女として、私はこの史実を伝え、日本の人たちに真相を訴える責任と義務があると思っています。

 

南京大虐殺幸存者による侵華日軍に対する訴えは、幸存者が高齢になったり亡くなったりすることで終わらせることはできません。それは私たち―南京大虐殺幸存者の子孫に受け継がれます。南京大虐殺の惨劇は中国人民にとって心を切り裂くような歴史の1ページです。この事は私たちの努力によって、世の中の人たちに警示しなければなりません。

 

歴史を教訓として、今日の平和を尊び、悪魔のような戦争から遠ざからないといけません。中日両国人民の友好が、何代も続きますように。

 

□講演「日本軍による南京大虐殺の暴行に対する戦時国際社会の反応」

 

□張連紅(1966年生まれ)南京師範大学教授

 

張教授は当時南京に駐在した欧米の報道記者が日本軍の大虐殺を写真や記事で、日本軍の監察をかいくぐって自国国民に報道されて南京大虐殺の惨劇が広く世界に知れ渡ったことが話されました。

 

 

 

会場で質問の時間に黒井秋夫は証言者・常小梅さん、講演者の張連紅さん、中国の人たちに「父親たちの所業」について以下のように中国語と日本語で謝罪の発言をしました。また中国語で書き記した発言文と「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」1014日学習交流会報告書をお二人にお渡ししました。

  

 *以前我父親是日本兵。他在中国東北・満州5年、武漢1年、然后他当了俘虜1年。

 

 対干我父親参加戦争用銃打中国人、巨大痛苦、我表示深切的道歎、謝罪。真対不起。

 

因為父親参加了戦争、后来他精神失常了、患了PTSD。

 

19466月我父親復員了、可是他没有正式工作、所以我生長干貧苦家庭之中。

 

我父親没説過自己的戦争体験、他就逝去了。

 

為了日本不再発生戦争、世界也不要発生戦争、我努力参加各種活動維持平和的。謝謝。

 

 

 

*私の父親は元日本兵です。父は中国東北地方・満州に5年、武漢に1年、その後1年間捕虜になりました。父親が従軍し中国の人たちに銃を撃ったこと、大変な苦しみをもたらした事に対して、私は心からのお詫びを申し上げます。誠に申し訳ありません。

 

 父は従軍したために精神に異常をきたしPTSDになりました。19466月に父は復員しましたが、ちゃんとした仕事に就けずその為、貧乏な家庭で私は成長しました。

 

 父は戦争の事には口を閉ざしたまま亡くなりました。日本が二度と戦争をしないよう、世界で戦争が起きないよう私は平和を守る様々な活動に努力いたします。ありがとうございました。

 

■写真説明

 

*集会終了後に私と常小梅さんは約10分間言葉を交わしました。常小梅さんから「あなたの責任ではない」ということばをいただきました。  張教授からは「戦争には勝者も敗者もない」というコメントがありました。

 

*「真対不起。本当に申し訳ない」との私の呼びかけに、常小梅さんからは多くの言葉をいただきましたが感情が高ぶり殆んど

  記憶していません。最後は和やかな会話になりました。「再見!さようなら」でお別れしました。 

  居合わせた人たちとカメラに囲まれた状態での会話のやり取りでした。南京TVも取材に来ていました。

  最後に一緒にカメラに収まってくれました。笑っているように見えますが私は殆んど泣いていました。

 

 *右側 常小梅さん  左側 黒井秋夫。