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Uさん死す・そして生き続ける。

 

Uさん死す・そして生き続ける。

 

201961日、かつて職場を共にした友人Uさんが亡くなった。69才、肺ガンの闘病中だった。死が近い事を覚悟した頃だろうが、彼は自分の妻に死亡の告知は「しばらく時をおいてからにして欲しい」と告げたという。40日以上が経過した713日に私は知らされた。

 

 死に伴う様々な儀式だの煩わしい手続きが一段落して、「家族が一応の自分を取り戻したころ」にという配慮だろうか。少しでも妻や家族の負担を軽くしてやりたいという彼の気遣いなのかなと思う。「そういう人間だったのか」と知らなかった彼の一面を知らされた。

 

 

 

私は50歳を越えた頃、出向・移籍したが同年代の同僚5人程と何かといっては職場近くの閑散とした中華料理屋で酒を飲んだ。Uさんはその仲間の一人だった。

 

5人の仲間たちはそれぞれが一癖も二癖もあったが仕事には誠実だった。懸命に向き合っていたと思う。まだ伸び盛りの会社を自分たちは牽引しているという自負がそれぞれのどこかにあったと思う。だからこそ馬が合い飲み会といえば同じ顔がいつも集まった。話しの内容はいつも同じでお互いをけなし合い弁解し笑いに興じた。職場旅行や退職後も何回か中国、韓国、ベトナムに一緒に出かけた。Uさんは貿易関係の仕事をした時期があって英語もできた。旅行の同伴に心強かった。

 

 

 

亡くなる50日前、4月24日にかつての飲み仲間の一人と闘病中のUさんのマンションを見舞った。彼の妻も同席したが、その時は血色も良好で良く話してくれた。ふるまいも前の彼と変わる様子はなかった。5月に新しい治療方法を医師と相談する予定だと話していた。その50日後に息を引き取ることなど思いもよらない「元気な」様子だった

 

 

 

 私たち夫婦は5月22日から6月2日にかけて欧州旅行をした。2日に戻ったらUさんから彼の地元の名品のセットが届いていた。差出日は5月27日だった。死の4日前ということになる。6月3日にお礼の電話をした。彼の妻とだけ話した。電話のとき、彼はもうこの世の人ではなかったのだが彼の妻はその事に触れなかった。だから私は彼の死を知らなかった。

 

 

 

 電話のときの彼の妻の応対は平坦で「私に伝える何物もない」という感じを記憶した。少し奇異な印象は残ったがそれは彼女のいつも通りなのだろうくらいにしか思わなかった。が、電話したのは3日でUさんが亡くなった2日後だった。彼女は必死に「死の事実を本来は告げなければならない相手と思いながらも夫の遺志通り伝えない決意」を貫いた苦渋の電話応対だったにちがいない。

 

 

 7月初め頃に4月に一緒に見舞った友人とそれぞれの畑で採れた野菜を持ってUさんを再訪問しようと話していた矢先の知らせだった。

 

 Uさんはいない。寂しさは言いようがない。やり残したことがたくさんあったと思う。多くのしたいことがあったと思う。彼はそれらのほとんどをこの世に残して旅立ったと想像する。最後に会った時の話しのどこにもあと50日の命と思い定めた様子はなかった。次の治療とその後に人生が続いていくという前提の会話だったと思う。これが最後という雰囲気はみじんもなかった。

 

 

 

 彼の死を知ってから1週間が経った。大きなショックを受けた。不意を打たれた。今もその渦中にいる。心の整理はまだつかない。ただ、彼の遺志を継いで行こうというような気持が湧いている。適切かどうか分からないが、彼が思い残した遺志のような物を私のこれからの人生に加えるというような気持、もちろん彼のやりたかったことを私は知らない。だから付け加えるのは彼の遺志そのものではない。それは「やろうとしていた彼の遺志のこころ」とでもいうようなものだ。私はそれを私の残りの人生に携えて行こうと思う。言葉を変えると「彼の遺影を抱きながら生きて行く決意」と言えるかもしれない。

 

 

 

 私の再発した前立腺ガン治療は1年後か、2年後かに始まるだろう。

 

その後何年の命なのかそれは知れない。私は自分の人生最後の意識的な意味での仕事を「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の輪を広げることに定めている。そしてこの活動を後継する人にバトンを渡すことが自分の使命と思っている。その私の人生の傍らにUさんが付き添っているのだ。そんな思いがしている。

 

 

 

 きっと私が気弱になった時にUさんは現れ「気強く前を見よ」と言ってくれるだろう。「お前には多くの味方・理解者がいる」と言ってくれるだろう。

 

 

 

 「自分が死んだら何も残らない」と多くの人は思うかもしれない。そんなことはない!と私は思う。人は多くの影響を周りの人の思いの中に生きて、気づかないとしてもその人の人生を変える力を持っていると私は思っている。そのようにして、言うならば永遠の命が記憶を通じて、DNAに作用して生きて行くと私は考えている。

 

 

 

Uさんは私の心の中に既に根を張っている。私の範囲で言っても、私がいつかこの世から旅立ったとしても私の周りの人へ私が影響を与える度合いを通じてUさんも生きて、次世代に継がれていくのだと思う。

 

そういう意味ならUさんも私も生命の歴史に永遠に生き続けると言える。

 

Uさんまた酒を飲もう。もうすぐ私も行く。待っていてくれ。それまで見守っていてくれ。

 

お前は私の心の中に生きているぞ。

 

2019.7.18 黒井秋夫。