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主催者挨拶を公開します(8月25日おしゃべりカフェ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主催者挨拶(黒井秋夫)

 

17カ月で4回目の「おしゃべりカフェ」です。多くの皆さんにご参加いただき心からお礼申し上げます。

 

       全体として「従軍兵士の気持ちになって戦争を追体験する」ことが目的です。

 

       すべての参加者の「思い、経験、伝えたいこと」相互に知り共有することが目的です。

 

       「参加の動機、従軍者の思い出メモ」には従軍者がいたら向き合っていただきます。どんな思いだったろうかと。その従軍者の心の内や思い出をお書きください。

 

       身近に従軍者がいない場合は、今日の参加の動機、あるいは他の参加者に伝えたいこと。子供や孫、甥や姪がいらっしゃったら話せるものなら話したいこと。話していること、そういうことをお書きください。

 

       事務局がドキュメント、報告書として皆さんにお送りします。ホームページにも掲載して次回の「おしゃべりカフェ」に引き継ぎます。

 

       テーブルが違う人の発言や体験を知り、新たな気づきがあると思います。

 

       皆さんが報告書を読んで初めて「一区切りがつく」というのが今日の「おしゃべりカフェ」の性格です。皆さんに書いていただき、事務局が交流と共有の橋渡しをいたします。

 

・また今日、お話しいただく講師の皆さん、発言くださる皆さん合計6人の方々は本日の「おしゃべりカフェ」に参加のご連絡をいただき主催者がぜひともお話しいただきたいとお願いした皆さんです。当会はお礼をできるような団体ではありません。自費でご参加いただきました。北村先生は大阪からご参加いただきました。皆さんには心から感謝申し上げます。

 

・昨年117日、ブログを開設しこの会を立ち上げた時は孤立無援を覚悟したのですが

 

1年半で日本軍兵士のPTSDの存在とこの問題はNHKの「隠されたトラウマ〜精神障害兵士8002人の記録」が昨年7月以来5回も放映されたこと、このドキュメンタリーの制作にかかわった中村江里さんの著作「戦争とトラウマ」が研究書としては異例の反響と増刷を続けるなど「兵士のPTSD」をめぐる環境は大きく開けて来たと感じております。

 

NHKの作品は2019年度の日本記者クラブ賞特別賞を受賞し、今年7月に記念放送され日本軍兵士のPTSDの存在と問題点が過去の事ではなく現在と未来の日本社会でも押さえておくべき課題だとの認識が広がっていると感じています。

 

・この事が8月に入って立て続けに朝日新聞、毎日新聞という大手の新聞に本日の「おしゃべりカフェ」と「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の紹介記事が掲載されたことと無関係ではないと思っています。一連の流れと感じています。この流れを日本社会の抱える課題としてさらに広げていく力に「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」は果たしていきたいと思っております。

 

従軍兵士ほとんどが亡くなってしまった今、生の声を聴くには遅すぎましたが、語り継ぐ重要さを考えると今からでも遅くはない、遅くても語り継ぐという思いでこの会の活動を続ける所存であります。皆さんのお力添えを心からお願いいたします。

 

「立ち上げ宣言」を読み上げる。

 

立ち上げ宣言「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」

 

 

 

父は戦争の事だけでなく他の事にも無口でした。
1948年生まれの私はそういう父を生来の父の姿と思ってきました。
しかしベトナム戦争で米兵の3割前後が悲惨な戦争体験で精神を崩し

 

元の社会に復帰できないという。
同じような日中戦争や太平洋戦争を体験した日本兵も、つまりは私の父たちも

 

精神を侵されたとして不思議ではない。
本当は父は正常な精神に戻りたいと必死に戦後社会を生きていたのではないだろうか。
私は快活だったかも知れない出征前の父は知らない。

 

復員した後の無口な父しか知らない。

 

私は「本当の父」を知らないままに父を亡くしたのではないだろうか。
2~3年前からそんな思いで父を振り返るようになりました。
だとしたら、父も私も不幸だった。

 

本当の自分を見せることも心の内を語ることもできずに苦しんだかもしれない父。
そんな風には生前一度も思ったことの無い息子。

 


その無口の父に反発し続けた私。

 

父を通じて私も又戦争の傷を心に負ったのかもしれない。

 

私たちの世代にも呼びかけたい。
父親たちを見直そう。

 

父親たちの精神世界を想像してみよう。
語り合おうではないか。
若い人たち、我々の子供たち、孫たちにも戦争は兵士のみならずその家族をも

 

戦争が終わったその後も家族を通じて長い間影響を与え続けるのだと伝えたい。

この指にとまってほしい!

 

 

 

2018117日  黒井秋夫。

 

 

 

・この気持ちは今も変わりません。私は父を誤解していました。表面的な父の日常に目を取られ、彼の青春時代の恐らく泥沼のような戦争体験をくぐり抜けた一人の人間の心の内を思いやる心、真実の姿を想像する父への優しさを持つことができませんでした。本当に申し訳ないと思っております。

 

私が父親に持てなかったということは父親だけでなく家族を含めて職場や地域の人たちにも本当に優しさや思いやりの心があっただろうかと問うているところであります。

 

作家「井上ひさし」の芝居「父と暮らせば」の父と子のように今、私は天国の父と向き合い会話をして人間らしい優しい心を持ちなさいと父親から毎日諭されています。

 

いわば私の人生は「父に始まり父に終わる」そして父の元へ旅たつ運命なのだと思うようになりました。PTSDの仮面ができの悪い息子を作り、反発した人生を送り、その終盤になってやっと己の浅はかさに気づくと言う道筋かなと思います。いわばPTSDの連鎖の中の人生だったということでしょう。私も又戦争が産んだ子供の仲間だった言えるのではないでしょうか。

 

皆さんにお話ししたいことは山ほどありますが、本日の「1年半の活動の到達点とこれからの活動・課題」のメイン文書をぜひお読みいただきたいと思います。またHPに詳しく書いてあります。ぜひ読んでいただきたいと思います。

 

次いで本日の2つのスローガンについて説明いたします。

 

★今月810日津田塾大学で今日の講師と発言をお願いしている室田元美さん北川直実さんも出版に関わった、1945←2015「若者から若者への手紙」翻訳記念シンポジュームで手紙の翻訳にあたった20代の大学院生の言葉に深い感銘と示唆をいただきました。

 

☆3.11の大津波で彼女の岩手県大船渡の故郷では住宅は流されなかった。つまり命は救われた。それは近世2度の大津波(明治28年と昭和8年)から「かつての津波の到達地点より標高が下の土地に家を建ててはならない」が親から子へと語り継がれているから。つまり語り継ぐことが子孫(未来の命)を救ったのだとお話ししました。同じようにかつての戦争を語り継ぐことが子孫(子や孫たち=未来の命)を救うことになると話しました。

 

☆「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が父親や祖父の戦争体験を子や孫たちに語り継ぐ(戦争をしてはならないと伝える)ことは子孫(未来の命)を救う重要な役割がある。と教えられました。

 

1人の百歩よりもみんなで一歩を踏み出しましょう!

 

 ★日本が二度と戦争をしないということ。つまり「憲法9条を守る」のも国民一人一人が「憲法を守る候補者・政党」に一票を投じて実現します。今は「憲法改正に賛成の候補者・政党に票を入れている人」をも敵に括らず、心開き意見を交流し話し合いを続けましょう。ひとり、又ひとりと仲間を増やしましょう。みんなが反対すれば「憲法9条」を守る事ができます。

 

目立つパフォーマンスは必要ありません。こつこつと地道に少しずつでも諦めず仲間を増やしましょう。「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の語り継ぐ活動もその役割を担いたいと思います。

 

最後に

 

PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の会員になってくださることを心からお願いいたします。この会はいつか私があの世に逝ったとしても無くなるのではなく存続する価値があると思います。

 

今日の「おしゃべりカフェ」は今日825日の昼まですべての段取りと準備を私と私の妻さち子で用意しました。この会はいわば零細企業、個人企業の段階でしかありません。

 

今日は加えてお手伝いに駆けつけてくれた3人を紹介いたします。受付係に30年来の友人本間一路さんが群馬県渋川から来てくれました。ありがとうございます。またもう1人の受付、本の販売は私の甥、兄の次男、黒井尚さんが担当いたします。音響、パソコン、プロジェクターは娘の夫、内山大樹さんが、やってくれています。感謝で一杯です。

 

言いましたように「PTSDの会」の現状を申しますと、未だ会としての収入はありません。ただ嬉しかったことがあります。2か月前の6月に私が40代に働いていた「市民生協にいがた」の役員さんから手紙と共に5千円が切手代という名目で送られてきました。できて間もないので収入がないのは織り込み済みで、それも当然のことで覚悟の範疇ではあります。

 

ホームページでは「ガンと生きる」というテーマで公開してご存知の方も多いと思いますが★前立腺ガンが再発し9月からはおそらく放射線治療が8週間連続して、週5日続く予定です。私はしぶといので簡単には死にません。あと10年は生きていようと希望を持っていますがこればかりは分かりません。

 

私が元気な間にこの会を次世代に渡したいのです。例えば広島・長崎が語り継がれているように。一番近い候補者は私の娘夫婦や3歳の孫娘。甥や姪たちです。今日も来てくれていますが大いに期待しています。宜しくお願いいたします。

 

しかしこの会が今後の日本の歴史に必要であり存在意義があると皆さんがお思いになるとしたらぜひ会員になっていただきたい。そして、非力な創立者を助けていただきたい。

 

来年、2020年には20名以上の会員で初回の総会を開きたいと思っています。皆さんが歴史的な第1回総会に出席して意見を述べ賛否に参加していただきたいのです。

 

この事を心から訴えて主催者からの挨拶、お願いといたします。

 

ありがとうございました。

 

 

★前立腺ガン・921日現在。

 

 前立腺ガンは911日から放射線治療が始まりました。

 

平日毎日で35日間続いて117日頃に終了予定です。

 

照射は毎回6回くらい、正味10分程度。簡単に終わります。

 

今のところ身体に変調は感じません。何の障害もありません。

 

シルバー人材センターから請け負っている月6回、半日の公園の掃除も続けています。

 

821日、PSA値0.476でしたが治療終了時点には完治して0.0になることをめざしています。