軍人の後遺症・出口敬子さん(北九州市)毎日新聞より

軍人の後遺症

今年5月、父は97歳を目前に永眠した。葬儀で91歳の母が病を押して喪主のあいさつに立った。更に小さくなった母だったが張りのある声で話し始めた。

の夫は生涯、軍人でありました。夜中に満州(現中国東北部)の原野を駆け回って戦う夢を見ては、奇声を上げ苦しんでいました。戦いがいかに非情で恐ろしいものだったか。けれど、戦後の平和な時代を生きることができ、柔らかい布団の上で娘2人に手を取られて旅立つことができました。平和ほどありがたいものはありません。

最後に母は深くお辞儀した。

戦後父は製鉄マンとして平凡な日々を送ったが、母の言葉通り、2年半の戦地での記憶を引きずりながら生きた人生でもあった。食事に不平を言ったことはなく、ありふれた毎日をいとおしむかのように細かな文字で日記をつづり続けた。

36年も前のこと、父は自分の還暦祝いが終わった夜、深酔いして庭に下り「同期60人のうち村に帰ったのはたったの10人。俺は戦死したお前たちのことをずっと忘れんぞ」と天を仰いで叫んでいた。以後、父は軍歌を歌わなくなった。

しかし、80代で認知症が進行すると「自分は一選抜の上等兵、陸軍航空部隊、出口伍長だ」と名乗るようになった。軍人勅語を朗々と唱え、銃剣術の技までやってみせた。

戦地をくぐった軍人の後遺症は、74年の歳月を経ても消えることはなかった。家族として、その無念と平和を求めた父のことを伝え続けたい。

 

毎日新聞2019年9月22日・「女の気持ち」欄より。

北九州市八幡西区 出口敬子さん(68歳)元教諭

 

★転載したのは出口さんの思いが「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が語り継ぎたい思いと重なるからです。会は出口さんと繋がりを持ちたいと願っています。2019.9.25