「異論のすすめ(朝日新聞)」と私の異論2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「異論のすすめ」 への私の異論2

2019.10.2 朝日新聞「異論のすすめ」佐伯啓思

 

 

佐伯さんのこの日の「異論のすすめ」の主張の柱と思える幾つかの文章を書きだしてみよう。

 

江藤淳の主張の引用だが『日本は・・・米軍基地の返還を求め、自主防衛の方向に向かうだろう。その時に初めて、日本は自立した国家として「世界」というリアリティに直面するだろう。そして日本人は改めて、「あの戦争」における敗戦の意味と、300万に及ぶ死者たちを真に想起することになるだろう』

 

「憲法に関して言えば、護憲派も改憲派も、そもそも根本的な問題をいっさい問おうとはしない。それは、占領下にあって主権を持たない国家が憲法を制定しうるのか、また憲法とは何か、主権者とは何か国家の防衛と憲法と主権者(国民)の関係は、といった根本的な問題である』

 

「今日の世界は、それを導く確かな価値も方向感覚も見失い、また、人々の生存への必死のあがきや、あるいは、個人や国への尊厳へ向けた命がけの戦いともほとんど無縁になっているからである」などなど。

 

そこには米軍の核の傘と軍事力が日本をすっぽりと覆って,取り巻く国際情勢から日本を遮断している、あるいは日本を国際情勢から切り離された別世界にしている、という現状認識(感覚)がある。米軍の核や軍事力に打ち勝つ力(軍事力)を日本が身につけない限りアメリカの意向に左右されない「一身独立の精神や一国独立の気風」の発揮はできないと佐伯さんは思っている。

 

暴力、力の支配の信奉者のように映る。対抗する軍事力を持たない者、国家は世界にその意思を主張しても力や影響力を持ちえないと佐伯さんたちは考えているようだが、そうではない実例をたくさん見て来た。

 

 銃撃を受けながらも屈せず教育の大事さを訴え続けるパキスタン出身のマララ・ユスフザイさん、国連で温暖化対策を訴えたスウェーデンの少女グレタ・トウンベリさん、彼女らは武器を背景にして発言してはいない。それでも特に同世代の若い人たちの共感を呼び、影響力を広げ世界を動かしている。彼女らが対しているのはリアリティのない世界ですか?武力を持たなければリアルな現実と直面できないとするのは暴力でしか人間世界を変えられない、影響力を持てないと佐伯さんが考えているからに他ならない。それは幻想だ。確かに暴力も影響を与える要因であることは否定しないが

 

しかし、正しい言説、強い意志、未来への希望の提示も人の心をつかむときに、人間世界に影響力を行使するのだ。要は暴力で脅さない限り人間は動かない、という思い込みが佐伯さんにはあるのではないか。としたら佐伯さん自身が、心が動くのは暴力に屈する時だけだと宣言しているのと同じことではないか。

 

だが、人間は暴力以外でも、熱い心や、流される涙に触れた時、無謀に見えるような挑戦でも決然と踏み出すことがあるのは、誰もが生涯一度くらいは経験することではないか。それが人間というものではないか。見くびってはならない。暴力に屈しない人間はいくらでもいる。拷問に負けなかった幾多の隠れキリスタン、そして政治犯、宗教者たち。あえて言うなら人間世界を変えるのは暴力ではない。正しい言説、強い意志、未来の希望の提示などが市民の心を揺り動かし、圧倒的な市民で街頭が埋められ、人間の歴史が作られてきたのではないか。

 

 「あの戦争に負けた」のは日本という国家であって国民が敗北したと言っていいのだろうか?あの戦争は米英との力関係からして無謀な戦争だったと言われている。国民は必死に戦った。けなげなほど必死に。国の金属の放出の指示に従い私の母は鍋釜一切を国の為に出したと言っていた。戦勝と夫の無事な帰還を信じて。

 

「あの敗戦の意味」を佐伯さんたちは「アイデンティティを国が失ったこと」と考えているようだが、多くの国民はそうは思っていない、と私は思う。あの時から「新しい日本、新しい自分」に向かう出発開始だったと私は思う。「自分と日本のアイデンティティを造り出す」出発点に立てたのだと思う。少しも嘆くことなどではない。

 

102日放送のNHKラジオ・ラジオ深夜便で「遺族女性の手記をまとめて~終わらない心の戦争」山形県の戦争と暮らしを語り継ぐグループ「遥かな日のつどい」代表 今年89歳の八島信夫さんは『(憲法ができた時)「うれしかったですよう。戦争放棄。うれしかったですよう。あの感激。言葉に表せない。あの気持ちは忘れたくないと思う。(このことを)ひたすら若い世代に伝えたい」世界に「武器を手に取るな。争いごとはただちにやめろ。テーブルの席につけ。何でも話し合いで決めることだ。平和が大事なんだ」と叫びたい』この八島さんの気持ちの高ぶりは「日本人のアイデンティティの喪失」などではなく「アイデンティティの創出」の言葉として受け取るべきではないだろうか。

 

あの戦争で失ったのは「世界に冠たる神国日本の思想」であり「富国強兵、鬼畜米英、忠君愛国、天皇陛下の為に死ぬ」などという教育された実のないアイデンティティに過ぎない。その転換は佐伯さんの喪失感とは真逆に喜ぶべき喪失だったのではないだろうか。

 

想起するべきは塊りとしての「300万人の死者」ではない。死者一人ひとりだ。いつ、どこで死んだのか、死亡理由は何かさえ記録されずに亡くなった一人ひとりが死んだことのその意味だ。彼らを国は本当に大事にしたのか。そのように扱ったのか。憤りなしに私は想起できない。

 

同時に想起すべきは「300万人の死者」だけではない。300万人の死者の妻たち、残された家族、帰還した兵士、傷痍の兵士、PTSDを抱えて帰還した兵士たちにも思いをいたすべきなのだ。戦災孤児たち、思想犯でとらえられた人たちもいた。これらを想起するとき「敗戦で一身独立の精神や一国独立の気風が失った」などと慨嘆するのは何とも空虚に私には映る。「一身独立の精神や一国独立の気風」があったからこそ廃墟から日本人は立ち上がれたのではないのか。

 

一人ひとりの人間の姿に思いをやれば見えるものが「塊り」で見ては見えないものがあると私は思い知らされた。従軍兵の父親をただ「ふがいない情けない尊敬できない男」としてしか見えなかったのは、日本兵の「塊りの一部」としてしか父親を見ていなかったからだ。従軍体験のPTSDが父親をそうさせていると気付けなかった、父親を一人の青年として、家族を持った一人の男としての心の内、苦悩を思いやる目線を持っていなかったからだ。俯瞰することも大事だ。しかし、その足元を十分に見た上で全体を見ないと真実が見えないことがある。

 

「今日の世界は、それを導く確かな価値も方向感覚も見失い」までなら一度は頷いても良い。しかし、「人々の生存への必死のあがきや、あるいは、個人や国への尊厳へ向けた命がけの戦いともほとんど無縁になっている」などというのは「上から目線・塊りとして俯瞰」する全くの見当違いだと私は思う。見えるべき足元が佐伯さんには見えていない。300万人の死者の妻たち、残された家族、帰還した兵士、傷痍の兵士、PTSDを抱えて帰還した兵士、戦災孤児たち、思想犯でとらえられた人たち、のみならず多くの日本人は「生存への必死のあがきや、あるいは、個人や国への尊厳へ向けた命がけの戦い」と無縁などころか「必死にあがき、命がけの戦い」に敗戦後も邁進したのではないのか。

 

読み進むと佐伯さんたちが取り戻したいアイデンティティが教育で植えつけられた「大日本帝国のアイデンティティ」であることが分かる。そこに戻ればリアリティのある世界に直面できるという。私の考えは全く違う。そんな世界に戻る必要はさらさらないし、まさに今、この瞬間にひとり1人が直面しているのがリアルな世界なのだと思う。日本人が塊りとして「大日本帝国のアイデンティティ」に戻る方向への道なら断固として私は拒否します。むしろ立ちふさがります。多くの人たちと手を携えて立ちはだかります。

 

「今日の世界は、それを導く確かな価値も方向感覚も見失い」と私は見ていません。小さくても「確かな価値や方向感覚」はたくさん提示されています。マララさんもグレタさんもそうです。米国も、中国も、日本も決して一色ではありません。種々さまざまな、たくさんの意見が、考えが表出しています。

 

日本でも規模も地域的にも小さく狭いとしてもたくさんの「戦争の語り継ぎ」やさまざまな市民活動が全国各地に存在することを知っています。それらは大地に根差した将来の大木への希望をはらんだ木々たちです。俯瞰したら杉林でもその根元には次代を担う木々が成長しているのです。

 

PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」も次代を担う小木の一つです。立ち上げてまだ110カ月ですが会員がもうすぐ20名になります。4回目の「おしゃべりカフェ」には約50人の人たちが集まって語り合いました。「まっとうな思い」なら人が集まるのだと知りました。右往左往の毎日ですがその道筋で多くの人たちに助けられました。このような活動や生き方を「一身独立の精神や一国独立の気風」と呼ばないでどんな言葉があるだろうか

 

私は未来を悲観していない。いつの日か「何事も話し合いで解決する人間の未来社会」敵味方の区別などない意見や思いは違っても「お互いどうしを尊重する人間の未来の世界」が来ることを確信しています。

  

 

2019.10.15  黒井秋夫。