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「ぽんさん」賛歌。

 

ぽんさん賛歌

 

彼は北関東の地域生協・コープの職員時代、婦人理事さんから「ぽんさん」と呼ばれていた。

 

それは好かれている証拠なのだが「ちゃんと名前で呼べ!」と私は聞いたとき反発した。

 

彼は「めちゃくちゃ人が良い」。物事を頼まれるとほとんど引き受ける。断れない(と、私には見えた)。「大丈夫?本当にできるの?」と、こちらが心配するほど多くの頼まれごとを抱え込む。

 

案の定、頼まれごとの幾つかは果たせないことがある。

 

頼んだ方は初めからある程度織り込み済みで「やっぱり無理だったか。仕方ないなあ」なのだが、本人はそうはいかない。落ち込む。

 

このサイクルを性懲りもなく繰り返す。

 

 

 

彼と私は30年ほど前に、同じ職場で数年一緒に働いた。その時に、職員ごと、職場ごとの獲得目標(いわばノルマ)を掲げて、職員学習会を何度となく繰り返し実施して、学習会と激励(はっぱかけ)の為に、その年の6月から目標達成した10月まで(当初は8月が達成目標だったのを延長した)4カ月も一緒に県内5箇所の職場回りをしたことがある。

 

しまいには職員もさすがに嫌気がさし、職場回りに行っても、私たち二人は日を追って歓迎されなくなった。「俺たち二人が頭を下げて回れば職員も分かってくれる」と、お互いに言い聞かせあったが、現実はそんなに甘くはなく「何しに来たんだ!」と怒鳴られるほど険悪な職場さえあったのだ。そういう訳で、私と彼とはわずか4カ月だが苦楽を共にした仲なのだ。同士なのだ。

 

 

 

お互いに職場は変わり、行き来は減ったが毎年恒例の山形県の月山登拝で時々顔を合わせた。元気な顔を見るのが楽しみだった。近年は彼が主宰する一泊二日の温泉旅行に私が参加したりした。

 

私が「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を立ち上げたら、ここ2回は自宅から4時間もかけて手伝いに来てくれた。とっさの判断が必要な会場運営でも、受付でも彼はピカいちで欠かせない戦力なのだ。8月の「おしゃべりカフェ」では我が家に1泊、12月では2泊もして、煩雑な仕事をこなして帰って行った。本当に頼りがいのある「ぽんさん」なのだ。

 

 

 

その彼が横紋筋肉腫というガンで入院している。抗菌病棟ということで家族以外の面会は許可されない。面会できるのは彼の場合は妹夫婦だけということになる。飛んで行きたいがだめなのだ。

 

今日は(121日)2回目の抗がん剤投与を受けている。14日の投与では数日を経た20日になっても副作用で食欲が戻らず体調不良を伝えて来た。

 

しかし、彼には多くの友人がいる。入院以来「ぽんさん通信」と称して、毎日私はニュースを彼の知り合いに向けてメール発信しているが、彼の元にはコープ職員時代の組合員理事さん、職場を共にした人、出身大学の友人などから毎日、励ましのメールが届くという。

 

「ぽんさん」と呼ばれ、みんなに好かれていた彼は今も健在なのだ。嬉しいことだ。

 

 

 

がんばれポンさん!必ず全治するとみんなが信じている。

 

これからもひと花もふた花も咲かせようよ「ぽんさん」!

 

皆が応援しているよ!

 

2020.1.21  黒井秋夫。