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「PTSDの日本兵」交流館・お茶飲み処(仮称) の四つの役割

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PTSDの日本兵」交流館・お茶飲み処(仮称) の四つの役割

 

★情報の発信の場、心の傷の安らぎの場、地域の子どもたちに戦争体験を語り継ぐ場、地域の人たちのお茶飲み場になります! 

 

武蔵村山館だけでなく、二つ目、三つ目、全国各地に「PTSDの日本兵」交流館・お茶飲み処を作りましょう!

 

「PTSDの復員日本兵と暮らした家族」たちの情報を発信します。

 

PTSDの日本兵と暮らした家族の体験談、手記が「おしゃべりカフェ」の場で、1000人アンケートで、お手紙、メールで寄せられています。これらは、PTSDに精神を侵された復員兵(父親、祖父)から受けた生々しい暴力などの体験が綴られています。そして、受けた体験により従軍兵の子ども、孫たちが精神的打撃・心に傷を受けているのです。PTSDの復員兵の心の傷の影響がその子ども、孫へと連鎖を続けているのです。

 

・戦争は戦闘の停止で全てが終わる訳ではありません。戦後75年を経てもそれらを体験した人たちの心の傷や困難な生活はいまだに尾を引いているのです。

 

□「PTSDの日本兵」交流館・お茶飲み処は、「PTSDの復員日本兵と暮らした家族」たちの様々な情報、声を展示、発信します。

 

□「PTSDの日本兵」に関する研究者の研究資料、書籍、映像、新聞報道などの資料を展示、放映します。

 

□二度と「PTSDの日本兵」を作らない日本(世界)をめざします。問題の解決を戦争や暴力ではなくあくまでも「話し合いで解決する社会」をめざす力になるよう力を尽くします。

 

 

 

②PTSDの復員日本兵と暮らした家族」の安らぎの場をめざします。

 

・「PTSDの復員日本兵と暮らした家族」はその体験から心に傷を負っています。黒井秋夫自身  

 

 が父親を尊敬できず、打ち解け、信頼し合う普通の親子関係を遂に作ることはできませんでした。その事は私の人生、生き方、家族関係などに大きな影響を与えました。しかし、父親のPTSDにより自分自身が精神に傷を負っている認識はありませんでした。自覚しないままに家族に、その周囲に様々な負の影響を与えてきたに違いありません。

 

・PTSDの負の連鎖は本人が気づいている、いないに関わらず連鎖しているから恐いと言えます。

 

・そのような心の傷と負の連鎖はどうしたら解消できるでしょうか。

 

 解決方法には既に多くの実例があります。それは体験者どうしが、お互いに経験を語り合うことです。口に出し、心の悩みを「話し合うことで心が軽くなる。傷が消えていく」という方法は種々の心に傷を持った病気を和らげる効果が確認されています。

 

・「PTSDの復員日本兵」交流館・お茶飲み場を「出会いの場、体験交流の場、おしゃべりの場、交流館の周りの人たちとのふれあいの場」として運営するのは「心の傷をおしゃべり・交流を通じて軽くする。解消する」ことをめざすということなのです。

 

地域の子供たちに戦争体験を語り継ぐ場にします。

 

・地域の児童館が隣接しています。子どもたちが毎日、ランドセルを背負って「交流館・お茶飲み処」の前を遊びながら通ります。この子どもたちに寄り道してもらい、地域の老人たちの戦争体験(PTSDの兵士の家族の体験談、従軍した父親から聞いた話しなど含む)を紙芝居など使用して、語り聞かせる場所を作ります。児童館と協力して進めます。

 

地域の人たちにも愛される「交流館・お茶飲み処」をめざします。

 

「PTSDの復員日本兵と暮らした家族」の心の傷はそういう経験を持つ家族だけではなく、周辺の人たちとの交流、ふれあい、お茶飲み話をすることでも改善に向かうことが期待されます。・また、周辺の住民たちの理解が深まり、交流が毎日実現すれば「交流館・お茶飲み処」は地域の人たちにとっても楽しい憩いの場所になるでしょう。

 

・建設する武蔵村山市を1館目に更に二つ目、三つ目の「PTSDの復員日本兵と暮らした家族」の交流館・お茶飲み処を作りたいと思います。「出会いの場、体験交流の場、おしゃべりの場、ふれあいの場」を全国各地に広げたいと思います。

 

・先の戦争では900万人の日本軍兵士が従軍しました。心に傷を負ったと推測される兵士は100万人以上存在したと思われます。「PTSDの復員日本兵と暮らした家族」の心の傷は現在進行形です。終結していません。

 

100万人単位で存在する「PTSDの復員日本兵と暮らした家族」の交流の場は武蔵村山館一つで足りる訳がありません。日本全国各地域に必要です。

 

・「PTSDの日本兵」交流館・お茶飲み処を日本全国各地に作りましょう!