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今日のひとこと5月13日〜5月19日まで

 

519()午後になりました。

 

 今日、清水寛さんからはがきが届きました。雨の中の配達でにじんで読みにくい所があります。ほぼ正確に記載したつもりです。

 

 清水寛さんは教育関係の方であれば障害児教育の研究者として誰もがご存知の埼玉大学名誉教授です。私の一回り年上で84歳です。同時に国府台陸軍病院の精神障害兵士の8002人のカルテをもとにした「日本帝国陸軍と精神障害兵士  不二出版 2006年初版」の著者でもあり、PTSDの日本軍兵士研究の第一人者です。

 

 昨年「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が新聞に紹介された記事を見た清水さんから連絡をいただき交流させていただいています。128日の「おしゃべりカフェ」には大量の資料を送っていただきました。また、今回の交流館の開館に際してもご自分の書籍を寄贈いただきました。

 

 清水さんはご自身の父親もまた従軍した体験からPTSDを発症したことをNHKのBSプレミアム「隠されたトラウマ・精神障害兵士8002人の記録」の中でお話しされています。帰還間もなくは自分の氏名を忘れていたこと、治療の末にいったんは回復したが晩年に再度発症、「ソ連軍が攻めて来るから逃げろー」と叫びソ連と戦闘状態の恐怖を抱えて亡くなった!と振り返っています。

 

 清水さんは何の実績もない、遥かに年下の私を「黒井さん」と電話でもFAXでもいつも丁寧に呼んでくださいました。著名な研究者・学者であっても対等に接してこられる姿勢に私自身が心を洗われてきました。本当に尊敬できる人に巡り合ったと感謝しています。まだ短い期間でしかありませんがずっと私を励ましていただきました。

 

 今日17日に先生の(清水さんとしてきましたが、やはり先生と素直に呼びます)ハガキを受け取り目を通し、母屋の妻さち子に走って見せに行きました。余りの嬉しさに!読みながら涙がこみ上げてきました。

 

ありがとうございます先生!勇気百倍です!頑張ります先生!

 

519日(火)昨日からの雨が小降りになってきた。室温は21℃。やや寒い。

 

 17日(日)に約200人の皆さんと組織に(報道各社にも)情報をメール送信しました。510日の開館日の様子、毎日新聞、朝日新聞に報道されたこと、反響があり「従軍した父親のPTSDに苦しんだのは私だけではないと分かった。コロナが収まったら交流館にぜひ伺いたい」という電話連絡が二組から届いたことなどをニュースにしたものである(これを読む方でご希望の方は今後随時情報提供いたしますのでメールアドレスをご連絡ください)。

 

 この活動はただただ多くの人たちに情報提供することでしか広がらない!と考えています。19日までの30日間のHP閲覧者は405人です。1か月で400人を越えたことは無いのでずいぶん増えました。しかし、日本社会から見たら微々たる広がりで、物の数の範疇ではありません。

 

 ひと月ほど前に偶然にフェイスブックに突き当たりました。それからフェイスブックでも情報を発信するようになりました。しかし、71才の私はSNSには疎いので、おっかなびっくり状態です。友達リクエストとか、画像や文章の作り方とか良く分かっていません。それでも情報を広げる新しい情報提供方法なので、慣れて有効に使いこなしたい思っています。ただただ多くの人たちに情報提供することでしか広がらない!と思っているからです。みなさんにもお願いいたします。ぜひお友だちに「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」のHPをご紹介ください。

 

 写真は交流館の寄贈コーナーです。これまで11人の研究者や個人の方から書籍や資料を寄贈いただきました。心から感謝しています。清水寛さん、北村毅さん、中村江里さんの書籍、研究資料をまとめて手近に閲覧できるのは当館だけだと思います。また、知人友人からは貴重なDVD、資料をお送りいただいています。皆さんのお力添えが館の魅力を増しているとありがたく思っています。

 

 皆さんのご支援を力にして焦らず、あきらめず、少しずつ前進する方法を考え進んで行くつもりです。これからもよろしくお願いいたします。

 

517日(日)晴れ、蒸し暑い一日でした。

 

アドレスの分かる皆さんに下記のような前書きを付けてメールを発信いたしました。

 

これを読まれる皆さん。アドレスをお教えください。今後随時、情報をお送り致します!

 

 

 

510()に「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」は開館いたしました。

 

 

 

緊急事態宣言で「ステイホーム」の呼びかけの最中に「何人でも良い、来てくれる人がいたらうれしい!」と思っていましたが、開館10時前からどんどん狭い我が家のガレージ(待機場所)に集まり、10㎡の交流館に一度に入館いただけない状態になりました。びっくりしました。

 

 

 

 

 

 

 

新潟県阿賀野市の山田さんが用意してくれた紅白饅頭(30組も届いた)は処理に困るどころか渡し切りました!

 

 

 

感謝で一杯です。15人が武蔵村山市民。町内の(谷津自治会)元自治会長さん2名、地元基盤の武蔵村山市議会議員さん(新政会)も駆けつけていただきました。「開館がうれしくてどうしても来たかった」と埼玉県川越市の女性会員さん、妻の甥と姪とその子どもたちにも来館いただきました。心から感謝申し上げます。小心者の私は戸惑い、応対ですっかり舞い上がってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

毎日新聞、朝日新聞に開館が報じられましたが、今までの報道では経験のない電話連絡が直後からありました。

 

 

 

その中で2組の女性からの電話は「PTSDの会」の立ち上げと「交流館」建設の目的が前進していると私に実感と確信を持たせてくれました。

 

 

 

「従軍した父親のPTSDに苦しんだのは私だけではないと分かりました」「コロナ感染が落ち着いたら交流館にぜひ行きたい」という内容でした。一組の方は姉妹だと言い、電話の向こうで泣いていました。私も一緒に泣きました。

 

従軍した父親のPTSDに苦しんだ家族を掘り起こしたい!繋がりたい!PTSDの連鎖をみんなで断ち切りたい!その思いが少しづつでも実を結びつつある!と実感しています。

 

 

 

 

 

 

 

この活動をあきらめずに、地道に続ける覚悟です。

 

 

 

私一人では何もできません。多くの皆さんの支えだけが頼りです。

 

 

 

これからも皆さんのお力添えを心からお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

以下は、地域周辺700世帯に戸配するチラシの原稿です。来週かけて撒きます。

 

 

 

武蔵村山市長、副市長さん、20人の市議会議員さん、市の観光課にもお届けします。

 

 

 

今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

皆さんがお元気で毎日を過ごされるよう心から願っております。

 

 

 

 

 

 

 

2020.5.17  黒井秋夫。

 

 

 

5月16日(土)

 

 10時頃から雨降り。室温22.4

 

 5月11日(月)に新聞報道を見ての電話が数本あり、その中で従軍兵だった父親のPTSDに苦しんだ女性からの物が2本だったと13日書いた。この事は「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」にとっても、「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」にとっても大きな一歩だとの思いを日々強く感じています。

 

 先の大戦に徴兵された日本兵は総数900万人いる。ベトナム、アフガン・イラクの米軍帰還兵の30%前後にPTSD現れているのと同比率で、日本兵にも存在したとすれば200万人以上いた事になる。兵士の多くは既に亡くなった。しかし、家族、子供、孫たちは生きているし、多くは11日の電話と同じような苦しみを体験してきたに違いない。その人数、家族数も又200万人とか、200万家族とか存在していると類推することができる。

 

 しかし、これだけ多くの人たちが抱える課題を解決しようとする組織が「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が2018年1月17日に立ち上がるまで、PTSDの日本兵の組織はもちろん、家族の組織さえなかった。どう考えたらいいのだろう。

 

 日本遺族会、シベリア抑留者が補償を求める団体(その支援団体)、傷痍軍人の団体などは戦後まもなく作られ今も存在している組織もある。しかし、PTSDの復員兵、及びその家族の組織は遂に2018年までできなかった。「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の会員数はいまだに20人という少数で本当に小さい組織でしかない。200万人前後の復員兵とその家族が戦争による後遺症に苦しんだし、現在でも尾を引いている事象であるにもかかわらず、社会はその存在を知らず、苦しんでいる当事者も父親(祖父)の異常な行動、暴力の原因が戦争体験による後遺症であることに、今でもほとんど気付いていない。

 

 2018年1月に「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」ができなかったら日本兵のPTSDは永遠に世に出ることはなかったのだろうか!日本という国が自ら起こした戦争をどう総括したのか。日本国民はどれだけ戦争の全体像が見えていたのか、いるのか?戦争体験が兵士の心を傷つけないではおかないという事象まで考えや想像が及ばないとしたら、それでは戦争を知っているとは言えない私は思う。数年前まで私もそうだったが。

 

 横道にそれてしまった。

 

 PTSD従軍した兵士(父親・祖父)と共に暮らした家族が100万人単位で、その原因が戦争体験のPTSDと気づかず今現在も苦しんでいる国や社会がPTSDの兵士の存在を大々的に社会問題化する時が近い将来に来るとは考えられない。いわば殆んど今のまま、放って置かれる状態が続くだろう。父親や祖父の後遺症(暴力、虐待)は連鎖して続いて行くだろう。誰が止めるのか。

 

 本人たちが気づき立ち上がるしかない。今のところ「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」と「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」が仲間を掘り起し、繋がりを作り、連鎖を止める活動の輪を広げていくことが唯一の道だと自覚している。

 

 話しが長くなってしまった。新聞報道の後に「父親のPTSDに苦しんだのは私だけではなかったと分かった」という電話は正に、気づき輪が広がる現在進行形の現場と言えると私は思う。近道はない、ただただこの活動を地道に諦めずに続けることだ。この先5年、そして10年、私が生きているかどうかは分からない。その時までに会員が100人以上、1000人以上になった時、全国に活動する支部のような物ができた時、発信力は今の何倍、何十倍にもなるだろう。私はその時まで頑張るつもりだ。

 

 そうなれば、もっと多くのメディアが日本軍兵士のPTSDとその後遺症に苦しむ家族の存在を報道するだろう。戦争には必然的にそういう問題が起きると社会が認識することになるだろう。解決すべき社会問題と認識される時代が来るだろう。私はそのような未来を引き寄せたい。

 

 そこへ至る道のりを少しづつでも確実に前進していると、私は今、実感している。

 

 これを読んで貰えている皆さんに繰り返しお願いする。これまでもそうだったし、これからもそうだ。私一人では何もできない。多くの皆さんがこの問題を社会に広げていただきたい。拡散をお願いしたい。非力な私のエネルギーは皆さんのお力添え以外にはありません。私にエネルギーを注ぎ込み助けていただきたい。これからもよろしくお願いいたします。