北海道新聞に報道されました。

北海道新聞で当会の活動が紹介されました!

6月18日(木)北海道新聞 

各自核論のコーナー 「戦後75年」で

大阪大学大学院准教授 北村毅さん

「家族にも苦しみの連鎖 帰還兵のPTSD問題」の寄稿文の中で

「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」と

「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」について

紹介いただきました。全文は以下の通りです。

 

戦後75

家族にも苦しみの連鎖

帰還兵のPTSD問題

大阪大学大学院准教授 北村毅

この数年、アジア太平洋戦争の帰還兵の心的外傷後ストレス障害(PTSD)について、中村江里著『戦争とトラウマ』の刊行やNHKのETV特集『隠されたトラウマ』の放映などにより社会的関心が喚起されるようになった。そもそもPTSDという概念自体、ベトナム戦争の帰還兵の研究から始まった通り、トラウマ研究は戦争と密接な関係にある。

一方で、近年の海外のトラウマ研究では、帰還兵の家族に特徴的にみられる派生的なトラウマにも注目が向けられ、帰還兵のPTSDが家族に対する暴力(ドメスティック・バイオレンスや虐待)を増大させ、子どもの心理的発達を損ない、後続世代に連鎖する可能性が指摘されている。戦争は、不適切な養育を増加させ、コミュニティや家族の機能に深刻かつ長期的なダメージを与えるのである。「二次トラウマ」という言葉で家族に対する影響を捉える研究者もいる。

ピュリツァー賞作家のデール・マハリッジさんは、それを「戦争の二次被害」と呼ぶ。グアム戦や沖縄戦に従軍した海兵隊員の子どもである彼は、『日本兵を殺した父』と題する本の中で、自らの成育環境について「どこか異常だった」と振り返っている。

彼の父親は、復員後、別人のように「無口で陰気」な性格へと激変し、4年間も「飲んだくれの廃人」になってしまった。その後結婚し、マハリッジさんなどが生まれたが、常に「底しれぬ怒りを抱えていた」という。「怒りの悪魔」に取りつかれ、暴力衝動が湧き起こると手がつけられなくなったというが、家族はその矢面に立たされ続けた。

父親の死後、マハリッジさんは、「父の怒りの正体」を解き明かそうと、父親が所属した中隊の戦友などへの聞き取りを始めたが、その過程で「怒りの悪魔」に取りつかれたのは彼の父親だけではなかったことを知る。ある父親の戦友は、「殺しても殺しても死なないモンスターがいる」「そいつが毎日現れるから、壁を殴りたくなる」と語った。結婚後も生活を立て直すことができなかった彼は、妻や子を自殺で失ったという。

父親の戦友の多くが、復員後、悪夢、フラッシュバック、パニック障害、アルコール依存症などに苦しみ、怒りや暴力を自制できず、家族関係にトラブルを抱えていた。家族にも話を聞く中で、「涙をこぼす未亡人、いまは亡き父親の戦争体験に私以上に苦しむ子どもたちもいた」という。マハリッジさんの言葉を借りれば、「銃声や砲声がやんでも、従軍兵士とその家族にとって戦争は決して終わらない」のである。

ひるがえって、同じ戦争の一方の当事者である日本では、このような「戦争の二次被害」はなかったのだろうか。私はこれまで、戦争体験者やその家族から生活史や家族史を聞いてきたが、その経験からいえることは、日本の帰還兵家族の戦後もまた、同じような苦しみに満ちていたということである。

沖縄戦から復員後、何年間も「頭が完全に空っぽ」で、何もする気が起こらなかったと語ったのは、三重県出身のKさんだった。戦後長い間、仕事にも身が入らず、何をどうしたらいいのか先が全くみえない「虚脱状態」の中で、何度も自殺を考えたという。

結婚して、3人の子どもに恵まれたKさんだったが、「自分はひどい親父だった」と繰り返していたのが印象的だった。「軍隊意識」が抜けずに、幼い息子を柱に縛り付けたり、殴ったりしたことを後悔し、子どもに謝りたいと語っていた。今のKさんの落ち着いた語り口と温厚な風貌からは思いもよらない話だったが、Kさんの暴力で耳を悪くした息子さんは、今なお父親に心を閉ざしているという。

数百万の帰還兵家庭のほんの一例であるが、このように原因不明の心身不調やPTSD症状に苦しんだり、家族に暴力を振るう元兵士は少なくなかった。昭和の日常風景として描かれる頑固親父の「ちゃぶ台返し」も、そのような観点から見てみると、また違った風景として見えてくる。

最後に、一昨年「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が結成され、当事者のためのネットワークが形成されつつあることについて触れておきたい。同会代表の黒井秋夫さんもまた、帰還兵である父親との関係に悩まされた当事者の一人であるが、その経験をホームページや講演会で伝える活動を始めたところ、同会には帰還兵の子どもや孫から相次いで体験談が寄せられるようになった。

この問題の根深さに気づかされた黒井さんは、東京都内の自宅敷地に、帰還兵家族が体験を共有し、情報交換する拠点となる交流スペースを建設し、先月開設した。父や祖父が体験した戦争から75年以上が経過した今、戦場から帰ってきた父や祖父について知り、自身の家族関係の根源を探り当てようとする当事者の運動は始まったばかりである。

 

★きたむら・つよし 1973年旭川市生まれ。早大大学院博士後期課程修了。専門は文化人類学。主著に「死者たちの戦後誌」(お茶の水書房)。同書で沖縄タイムス出版文化賞。沖縄文化協会賞、渋沢賞を受賞。