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「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」通信20.8.1号

PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処通信20.8.1

みんなの食堂を823日(日)開催します!!

村山うどんを食べる会

★会場 PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」と周辺!

★受付・食事 11:00~~~13:30 終了

★楽しい踊りも予定!お楽しみください!

★参加費 大人200円 幼児小中高生 無料

★9:00 お手伝いできる皆さん!ご集合ください★

「村山うどんを食べる会」会場で

コロナに感染しない!感染させない!

★主催者は 

遮断ビニール幕、フェイスガード、

消毒液、手洗い場を用意します。

★参加者の皆さんへお願いいたします! 

検温、手洗い、手指消毒、マスク着用しご参加を!

★お手伝いの仕事内容。

 調理準備・配膳・参加者受付など。9時に集合いただき仕事内容を説明し、作業分担を行います。

★コロナ感染しないよう、主催者は参加される皆さんと協力して運営いたします。安全で楽しく笑顔あふれる「村山うどんを食べる会」にしましょう!

参加申込みは8月20日(木)までに!

08011213888 黒井まで・お手伝いも大募集!

 

日本最初・唯一の

PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」

510日(開館日)~731日

80名の皆さんに

ご来館いただいています!!

 武蔵村山市42名 東大和市12名、立川市8名

東久留米市・瑞穂町など多摩地域3

都区内2 埼玉県 3名

ご来館ありがとうございました!

どなたでもお気軽にお立ち寄りください!

★日本最初・唯一の「PTSDの日本兵と家族の

交流館・村山お茶飲み処」はめざします!

①「PTSDの復員日本兵と家族」の声、情報を展示、発信します。

PTSDの日本兵と家族」の心の傷が癒される交流を続けます。

子供たちに地域の高齢者が戦争体験を語り継ぐ場にします。

みんなの食堂・サークル活動で笑顔溢れる交流を作ります。

日本最初で唯一の交流館を武蔵村山市の名所にします!

★「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」を月曜日・金曜日に使いませんか!

*サークル、会議など8名までなら可能です。写真などの展示も歓迎します!無料です!

★使用の相談申し込みは 08011213888(黒井)までお願いします。

「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」前史①

1970年、私は22才だったが、当時は港区田町駅東側にあった芝浦工業大学生協で社会人になった。たまたま空きが出た食堂の調理人の職についた。食堂は地下1階にあり、休日明けで出勤すると排水ポンプの故障で、時々くるぶしまで床一面に水が溢れているような環境だった。そこで同年代の若い職員、近所のパートの女性たちと懸命に働いた。

包丁の使い方、研ぎ方、使用した器具の洗い片付け、調理で終わりではなく、掃除してきれいにするまでが調理人の仕事と教えられた。初任給は確か3万円だった。鯨カツとハンバーグ作りは忘れられない。50年前クジラ肉は豚肉よりも安かった。学生食堂で鯨カツのカレーはボリュームがあり、男子の多い芝浦工大では人気メニューだった。刻んだ玉ねぎ、挽肉、パン粉を大きな回転鍋に入れて、全身を使ってこねるハンバーグ作りは汗だくになった。3年間いた。

 

 1973年の春と思う。新潟大学生協に退職者が出て「行くか?」という打診があり、故郷・山形の隣りであり即座に行くと決めた。上野駅から夜行列車で鶴岡に向かう時に、新潟県北部の中条駅に差し掛かると、左手の工場の煙突からいつも炎が出ていた。それを見るたびに「もうすぐ鶴岡だ。故郷だ」とこみ上げるものがあった。

 新潟大学第一食堂で15年間働いた。13千人の利用者があった。食堂職員30人程のうち、男は2人だけで、私より10歳以上年上の女性たちに囲まれ、24歳の私は最初は戸惑い、精神的に疲れ、ひと月もしないうちに「歯が痛い」と言って仕事を休んだことがある。しかし、社会人としての常識や、人間として大事なことは全て彼女たちに教えられ仕込まれた。

 私は24歳のその年に、兄夫婦と暮らしていた実家の両親を新潟の借家に引き取り3人暮らしを始めた。明治45年生まれの父は60才、母は59才だった。私は2018年に「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を立ち上げたが、「PTSDの復員日本兵」とは自分の父のことである。1948年(昭和23年)生まれの私は戦前の兵士の頃の父を知らない。

 

私の知る父は物覚えが付いた頃、県内の建設工事の現場作業員の仕事をしていた。雪が降り仕事がなくなると失業保険で食いつなぐ生活で貧乏だった。欲しいものがあってもねだることをしない(買ってもらえないと分かっているから)子供だった。父は近所では「6尺親父」と呼ばれ、がっしりした180㎝近い身長で、部落でも抜きん出た体格で遠目にもすぐ分かった。立派な身体を持ちながら、雪のある冬は仕事に行かない。無口で、戦争体験もほとんど話したことはない。どこかに出かけるということもない。家で起こる難しい問題の解決でも父は黙り込み、判断や差配は全て母や、私より7歳年長の兄にその役目を押し付けた。何もしなかった。子ども心にも無責任で、情けないダメな人間に思えた。家が貧乏なのも父親が他の家の男たちと違い、ちゃんと働かないからだと思うようになった。父を尊敬できなかった。

 

2015127日、私たち夫婦は横浜からピースボートに乗船して105日間の船旅に出た。毎日、100以上の催しが船内で開かれた。ベトナム・ダナンに向かう途中であるDVDを見た。ベトナム戦争に従軍した米兵が「ベトナム戦争で俺の心はめちゃめちゃに壊れた。殺したベトナム人が今も時々夢に出てくる。昔の自分とは違う人間になってしまった」と彼はカメラに向かって叫んだ。苦しそうな彼の顔と、中国で約10年間、従軍して最後は軍曹まで務めた父の顔と重なった。父は私に叫んだ「中国戦線で俺の心はめちゃめちゃに壊れた。殺した中国人が今も時々夢に出てくる。昔の自分とは違う人間になってしまった」。父が死んで25年後だった。

学習会を開きましょう!

★テーマ /「PTSDの復員日本兵の問題について」「平和な社会をめざすには」・その他。

★黒井秋夫が語り部(話し手)を務めます。

(「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」代表)

(「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」館主)

★全国どこでもOKです。交通費・宿泊費含め費用はかかりません。

★参加者が2人以上なら、どんなに少人数でも喜んで出かけます。

★申し込み・黒井秋夫☎08011213888 qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp

 

★ご支援の振込先口座名義 PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会

★ゆうちょ銀行からの送金(郵便振替用)ゆうちょ銀行口座。

・記号    11390・番号 21576251

★ゆうちょ銀行以外からの送金 (内国為替用)ゆうちょ銀行口座

・店名 一三八(イチ サン ハチ)・店番138 ・普通預金(口座番号)2157625

★「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」案内。

*西武バス・都バスの「三ツ橋」バス停で下車、徒歩1分。中藤地区会館の西隣り。

・三ツ橋バス停の道路向かいに白い3階建て・中藤地区会館が見えます。中藤地区会館方向に 歩行者用信号を使い横断し、中藤地区会館前を通り過ぎると四つ角です。 四つ角で左を見ると空き地の向こうに見える銀色の平屋の建物が「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」です。行き方の詳細はHPをご覧ください!

 

★当分の間、6人まで一度に入館可能です。7人目からはお待ちいただきます。

連絡先 黒井秋夫 08011213888 ホームページ https://www.ptsd-nihonhei.com

208-0001武蔵村山市中藤3-15-4 ★メールアドレス qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp

コロナに負けずに頑張りましょう!

このお知らせは「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」周辺900世帯に配布しています。

武蔵村山市の市長さん、副市長さん、20人の市議会議員さん、観光課にもお届けしています。

このお知らせは報道各社にもメール配信しています。