★「うらぼんえの帰還兵」聞き書き、以下記します。
★NHKFMシアター9月4日(土)午後10時~10時50分放送。
★患者・寺坂幸次郎28才の病床日誌。25年10月1日
帰還兵、寺坂幸次郎「感情とぼしく」。顔貌、目に生気なし。安眠を得ず。帰り際に悪魔の話しをす。
一日中、ぼうっとしていて働けなくて精神病院に入院させられた、可哀想。薮内里沙、小6。おばあさんに会いに来た。
帰還兵のお爺ちゃん38歳で死亡。心が傷ついて恢復できなくて精神病院 いるけどいない透明人間にされたひいおじいさん。
里沙のおばあちゃんは13年間一人暮らし。
心通わない里沙の母とその親(お婆ちゃん)。
里沙の「指のささくれ(連鎖の自傷行為)」。夫婦の離婚。すごい疲れた。
たくさん薬を飲んでいるおばあちゃん(おそらく余命少ない重病を患っているが家族にも話していない)。
離婚にもPTSDが関係しているかも。瞼の横の傷痕。こたつの角にぶつけてケガしたの➡こもりしていた。目じりの傷痕は父がこの世にいたあかし。父は花火を怖がって大声を出したという。
ひいじいさんのこと、精神病院に行っていたことを話してはいけない。それは時代遅れだよ。ひいおじいさん可哀想じゃない。
伝えないまま死んだらもう誰も父を思い出さない。
悪夢。玄関にカギをかけられて立腹、徘徊を止めるためだった。
里沙の独り言。私いやな奴だなあ。これからどうなるのか不安。世界で独りぼっち。
蔵の整理。カゴ、つづらが見つかる。ひい爺さんが作った。職人だった。分厚い画用紙が何枚も出てくる。宇宙を旅するしろ。昭和16年の紙芝居。シロが主人公きれいなままに残っていた。作・寺坂幸次郎。絵が上手だった。しろに司令官は言う。宇宙に行くには貴様の大事な物をどこかに預けないといけない。お婆ちゃんは上の空。
おばあちゃんの教員時代の教え子、持丸君、和菓子屋の三代目が訪ねてくる。おじいさんはさん戦争から帰ったら絵は描かなくなった。「人に言っちゃだめよ」と孫に行ったら「時代遅れでだめよ」と言われた。お婆ちゃん、持丸君、父の精神病のことを持丸君に話し始める。どうして心の病気なったのかあ。軍隊のなにもかもが辛かった。理由もなく上官に殴られた。人を殺したかもしれない。「殺してないよきっと」と里沙ちゃん。私たち教師が戦争の話ししないで誰がやる。対馬丸沈没事件。戦争先生と言われた。戦争を自分の頭で考えて欲しかった。先生が真剣だったので忘れられない。持丸君、同窓会にはいきたくない。小学校の頃のことを引きずって、いじめられて。同窓会はあの頃が楽しかった人や成功した人が行くところ。先生気付かなかった、「ごめん」。
寺坂幸次郎、自分を閉じ込めたカギを壊す。
「お父さんといつ会うの」お婆ちゃん、薬たくさん飲んでいる。10種類も飲んでいる。
「お父さんと話すことない。お母さんがいればそれでいい」疲れる。
里沙の指のささくれ、ひどくなっている。「お父さんとしばらく会っていない、寂しくない?」「人生何が起きるか分からない。将来、一人で生きて行けるように受験も頑張る」
「理沙の今の状態は父がいなくなった後の私(おばあちゃん)と同じだ」「世界で独りぼっち。何でやめられないんだろう」
夢にひいじいさんと犬が出てくる。『ひいおじいさんが「その指、痛そうだね」』「指の皮をめくる癖。お爺ちゃんが私の指を両手で包んでくれた。暖かい。」
ひいおじいさんの写真。家族写真の後ろの方でぼんやり立っている。
紙芝居、描いたの知ったのは死んだ後だ。
しろは脱走したの。ずうっと鳴くようになって、ある時いなくなった。ひいおじいちゃんの所に行ったんだじゃない。
寺坂幸次郎、独り言を言いながら徘徊し怒鳴る事あり。兄、怒り父を投打する。
里沙の母、私だって指ボロボロだったよ。母から里沙に指の皮をめくる自傷行為が連鎖している。見たくないから覚えていないんじゃない。お母さんて弱い者に対してやさしくない。今更、何の言い訳もできない。
訪問介護のお医者さん来る。おばあちゃんの同級生、遠山宗平先生。お前のは怠け病だと幸次郎さんに弟が怒鳴った。(心を壊すことが)一番良い選択だった。
最初は頭痛と倦怠感で病院に来た。戦地で見たものを帰還してからも見たんだ。
どうして精神病院に連れていかれたのか知りたい。しろの絵を自分のノートに書き写したい。優しい目は難しい。そばにいる人に気づかない。自業自得よ。いい母親じゃなかった。子どもたちはまだまだ生きる。カッコつけだから、気持ちとか、自分を見せられない。自分の病気のこともきちんと話すと言い。父親の日誌。
仏壇の前のおじいちゃんの日誌を見た。寺坂幸次郎日誌。顔貌、表情にとぼしく目に生気なし。独り言。死んだ人が見ている。毎日やって来る。死んだ人が見ている。毎日やって来る。大変だったねお父さん。辛かったね。幼い私は父がいなくなってほっとしていた。私たちが父としろを追いやったのだ。夢の中で紙芝居。司令官はしろに命じました。一番大事な物を預けなくてはいけない。一番大事な物は友達でした。しろは猫のたまと雀のぴよちゃんにさよならの挨拶をしました。預けるのは野球ボールにしました。友だちは預けられません。
父の夢を見た。父が病院に行くとき、見送らなかった。自分だけ正義みたいな顔をして、私は誰にもやさしくできなかった。「ごめんねお父さん」。おばあちゃんの寝顔に涙の後があった。
ひいおじいさんが花火を怖がって大声をだした事いつも城をかわいがっていたことが混ざり合っている。
紙芝居が大事に残されたこと、忘れられない悲しいことは残される。おばあちゃんはきっと両方抱きしめた。
お爺さんは絵の学校に行きたかった。才能がないと反対された。
落ち着いたらお母さんとまたおいで。うまく話せないのはいろんな気持ちが詰まっているから。だからうまく話せなくても良い。
ずうっと昔、透明人間にされた私の父がいた。私のひいおじいさんがいた。
★友人からの感想。
・「あの帰還兵の絵が上手というのを聞いて、アッツ島で玉砕したおじもみごとな武者絵を残していた事を思い出しました!馬が素晴らしかった」
・それからNHK・FMの「うらぼんえの帰還兵」について私も拝聴しました。こちらの番組はまったく別のプロジェクトなのでしょうか。もし密接な関係があれば、それはそれで興味深いと思いました。
黒井の感想。
聴いていて時々胸が詰まった。父に重なった。遠山医師の「心を壊すことが一番良い選択だった」という言葉が特に心に残りました。私の父、黒井慶次郎もそうしてある種の安らかさを得たのでしょうか。だとしても、悲惨な選択としか言いようがありません。おばあちゃんと同じく、私もどこまでやさしくできたかと思わされました。
「PTSDの日本兵の存在」はマスコミでも取り上げられずに来ました。それが昨年来、少しずつ報道されるようになりました。そして今年は、文化放送ラジオの大竹まことのゴールデンラジオ、NHKの「目撃!にっぽん」、クローズアップ現代+、そしてFMシアターと立て続けに取り上げられました。
私は「PTSDの兵士と家族の戦後」が多くの人たちに知られることが「日本が二度と戦争をしない。誰もが安心して暮らせる社会」に繋がると信じて活動をしています。その意味で今年は更に前進しました。しかし、原爆被害や都市空襲被害、沖縄の戦後とは比較もできない程、まだまだ知られていません。
これからも、多くの人たちにこのことを知ってただく努力を続けて行きます。
これからもよろしくお願いいたします。