NHK 「目撃!にっぽん」寄せられた感想②

 

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*今でこそPTSDは知られているが、先の大戦時は、過酷な体験をすると心が傷を負い、それが心身に影響を与え続けるなんて思わなかっただろう。盛大に送り出された兵士が帰還した時の彼らを見る社会の目には一種の蔑みもあったのではないか。だから心を病んでる人が戦争ボケで片付けられた。

 

*父親は体は丈夫なのに定職につかず、そのおかげで貧しく苦しい生活を強いられた男性は、抜け殻のような父親を蔑んでいた。ああはなるまいと。しかし父がPTSDだったのではと思いが至った時に、自分の態度が、言葉が更に父親の心を傷つけいたのではと考え、激しく後悔する。辛い話だった。

 

*終戦で命拾いした特攻隊帰りが暴れる話とかしばしば聞くよね。

 

*太陽の子(灰谷健次郎)を思い出す

 

*うちの爺さま(もう亡くなりました)もこうだったのかもしれない。そんな話をちらっと聞いた。 

 

*海外だと帰還兵のPTSD治療プログラムなんかはメジャーで、ネトフリにサーフィンで深刻な症状を改善するってドキュメンタリーあるよ。

 

*ベルセルクのジルの父ちゃんの話を思い出した。 日本だけでなくどの国でも異世界でも起こる話だろうなあ

 

*現代を生きる私たちも、知っておかないといけない話だね

 

*うちの祖父は元から地元京大に入れる成績で北大に入った偏屈だったからなぁ。 .

 

*歴史を振り返ってみると、出家する武士とその精神を支えた宗教の存在意義も考えてみたりして。

 

*先の戦争でPTSDやトラウマに悩まされてる方はいただろうと想像はついていたけど、番組で実際の戦争神経症の資料や証言を見ると、時代と制度に苦しめられ取り残された人々に胸が痛む。 この資料を詳しく読みたいですね(個人情報はもちろん伏せて) 

 

*見て見ぬふりをしたりなかったことにしようとしたせいでボロボロになった心がたくさんあった。それを拾い上げた息子さん。自らの心もいくぶんか癒されたことだろう。戦争の爪痕はずーっとは引っ掻き続けられてる。今も。 

 

*帰還兵のPTSDが戦争ボケって揶揄されてたのひどいなって思った 死線をくぐって色々なものを失った兵隊さんたちが戦後掌返しされて それはそれは辛かったでしょう 

 

*この息子さんが、ずっと軽蔑してきた父の背景に初めて思い至ったのは、ベトナム帰還兵の証言を聞いたことだそうです。 あまり語られないけど、日本の自衛隊でも、中東や南スーダンで心に傷を負った方は少なくないはず。きちんとケアされているのだろうか

 

*戦後、集団的自衛権、テロ等準備法、特定秘密保護法審議を尽くさないで戦争法を強行採決してきた自民公明維新。それでも支持する人たちの認知は大丈夫か?国民民主立憲民主も危ういけど。

 

*見て見ぬふりをしたりなかったことにしようとしたせいでボロボロになった心がたくさんあった。それを拾い上げた息子さん。自らの心もいくぶんか癒されたことだろう。戦争の爪痕はずーっとは引っ掻き続けられてる。今も。 

 

*帰還兵のPTSDが戦争ボケって揶揄されてたのひどいなって思った 死線をくぐって色々なものを失った兵隊さんたちが戦後掌返しされて それはそれは辛かったでしょう 

 

*この息子さんが、ずっと軽蔑してきた父の背景に初めて思い至ったのは、ベトナム帰還兵の証言を聞いたことだそうです。 あまり語られないけど、日本の自衛隊でも、中東や南スーダンで心に傷を負った方は少なくないはず。きちんとケアされているのだろうか 

 

*戦後、集団的自衛権、テロ等準備法、特定秘密保護法審議を尽くさないで戦争法を強行採決してきた自民公明維新。それでも支持する人たちの認知は大丈夫か?国民民主立憲民主も危ういけど。 

 

*戦地での過酷な体験に加え、帰還後の日本社会の 「手のひら返し」が、さらに傷を深くした.. みんな自分の食べ物を確保するので精一杯だったもんね...

 

 ずっと定職にもつかず抜け殻の様だった父が、従軍中は賞を取るほど勤勉で優秀だった。調べると、中国戦線でゲリラへの討伐にも参加し、漢口で大規模空襲に遭っていた。 戦後、手の平返しの価値観の中、戦争ボケとか兵隊ボケとか呼ばれた別の元軍人もいた。

 

*自分をかたちづくる価値観、それこそアマデウスがマシュに言ったみたいな「世界が君を作るんだ」君と世界の間にできる出来るすきまを可視化される番組、というかなー。これ取材してる人は、それを埋めるために苦悩できる人だろうなって。 

 

*終盤にホームビデオ観るシーンでもう駄目だった泣いた 

 

*寝起きから泣かされたんだが 

 

*帰還して廃人のようになった父と親子らしい関係を結べないまま戦後を生き、死別した家族の苦悩.. 

 

 悲惨な戦争の心の被害 ギャラクシー賞 当確 間違いなし

 

*戦後社会や子どもである自分が、更に父の「戦争ボケ」として世間から取り残したことに今気づく

 

*毎週あの手この手で心をゴリゴリえぐられて、それでも目を背けちゃダメな現実ばかり見せられるヤバイ番組ですよね(誉めてる) 

 

*中国に爆弾を落としたのは日本軍だけではなかったんだね。漢口は日本軍の拠点だったので米軍が爆弾落としたと。 

 

*戦争の心の傷は複雑で、周りも理解しがたく混乱したのだろうけど ただ「戦争ボケ」と言われていたのか?残酷だ

 

従軍前は物静かで穏和だった人が、戦後はいつもイライラしてすぐ大声を上げたり手が出るようになったとか聞く。/軍隊文化が教育現場に与えた影響も大きいというよね。体罰しかり。

 

戦争って全方位に悲惨だねえ、勝ち組でもエリートでも現場に出たらPTSD起こして半ば廃人として一生を終える。戦争はやっちゃいけませんわ。

 

この男性、本当に可愛そうでした。お父さんを怠け者のように思っていた事をお父さんも気付いていただろうと。戦後の精神疾患に詳しい人が「あなたのせいじゃない」と言ってくれたのが心に沁みました。

 

(前にも書いたけど)シベリア抑留体験者の祖父が、夜中日本刀振り回して祖母が命からがら逃げ出した話を聞いて気が狂った人だと思ってた時期はあった。酒浸りで早くにボケてしまった話も。今ならPTSDだと思うが……

 

あんなに悲惨な戦争を経験したのに、それを乗り越えて戦後も逞しく生きてきた先人たちの精神力ほんとすごい……と昔から漠然と捉えてきてたけど、やっぱりそうじゃなかったんだよね。ただ語られてこなかっただけ

 

 改憲勢力は気楽に軍事を語るが、PTSDというか傷痍軍人の保障を正面から考えているようには見えず、その為には社会に障碍者ケアだとか社会保障体制のバッファが不可欠なのに、そこには冷徹で常に削減方向という 

 

*戦争とは比べ物にならないけど、東日本大震災は自分にとってそれまでのあらゆる価値観が変化、喪失した出来事だった。それが無ければ今の「コロナ禍」もナメてる側だったかもしれない。

                                     

 つい先日ブコメで「旧日本軍人のほうが米軍なんぞより遙かに悲惨なのにPTSDとか聞かないね」と書いた気がする。「どういう文化・教育の違いがこの差を生んだのか?」と不思議だったが差なんか無かったってことか。

 

 元兵士の暴力教師の話はよく聞く。その影響は今も残っている。 

 

 米軍関係者というか海兵向けのバーで働いていた頃、イラクから帰ってきて人が変わったようになった人を何人も見たよ。自衛隊も1000人程派遣したけど、帰国後50人以上が自殺したなんて報道もあったしね。


たくさんの投稿ありがとうございました!