第19回日本トラウマティック・ストレス学会
戦争における加害のトラウマについて考える
(シンポジウムS-14)
上記シンポジウムに黒井秋夫はシンポジストとして約20分間お話しし、討論に参加しました。お話しの要旨は下記の通りです。
黒井秋夫の発言要旨
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」代表
「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」館主
(1)「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の立ち上げと「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」の建設開館の経過。
★今から5年前67歳の時に、ベトナム戦争でアメリカ兵の3割以上が戦争体験の後遺症・PTSDに苛まれ社会復帰にできない状態で帰還すると知り、一日中ほとんど口を開かず、定職に就くこともなく、仕事のない時、60歳以降働くことを止めた後も家に籠り外出することもなく、一家の大事な判断が求められる時には、その責任を私の母や7歳年長の長男に押し付けた無責任な父親が戦争体験による戦争神経症により人間が変わった戦後の父親だと確信しました。
2018年1月17日、「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を立ち上げる。武蔵村山市内の公共施設でこれまで5回の交流会、学習会を開催した。
★昨年8月以降5年前の前立腺ガンの再発、放射線治療、心臓頻拍のカテーテル手術が続き、元気な内に活動を形の見えるに残したいとの考えから2020年5月10日に「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」を建設開館した。8月24日現在今日現
★交流館を映像で紹介します。
日本最初・唯一の
「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」
5月10日(開館日)~8月23日
134名の皆さんに
ご来館いただいています!!
武蔵村山市66名 東大和市13名、立川市10名 瑞穂町など多摩地域12名
都区内25名 埼玉県 5名 神奈川県 3名
ご来館ありがとうございました!
どなたでもお気軽にお立ち寄りください!
★日本最初・唯一の「PTSDの日本兵と家族の
交流館・村山お茶飲み処」はめざします!
①「PTSDの復員日本兵と家族」の声、情報を展示、発信します。
②「PTSDの日本兵と家族」の心の傷が癒される交流を続けます。
③子供たちに地域の高齢者が戦争体験を語り継ぐ場にします。
④みんなの食堂・サークル活動で笑顔溢れる交流を作ります。
⑤日本最初で唯一の交流館を武蔵村山市の名所にします!
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」と
「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」が
この1年間で
18の新聞社に22回紹介されました。
社会の関心が増していると感じています。HPの訪問者が月に700人を越えています。
★PTSDに苦しんだ日本兵と巻き込まれた家族のことが社会に知らせることが「二度と戦争を起こさない、PTSDの兵士を作らない」に繋がるなら何でもやろうと思っていますので、マスコミに更の取り上げられることを願っています。
2020年7月30日(木)~
共同通信配信で全国15の新聞社
合計632万世帯にお知らせされました。
2020年7月30日から★信濃毎日新聞(発行部数・46万部) 沖縄タイムス(16万部) 北海道新聞(95万部) 青森県の東奥日報(21万部) 山梨日日新聞(19万部) 岩手日報(19万部)
高知新聞(16万部) 東京新聞(45万部) 山形新聞(20万部)で紹介されました!
更に8月20日までに 中日新聞(213万部) 京都新聞(35万部) 山陰中央新報(18万部)
徳島新聞(20万部) 宮崎日日新聞(20万部) 南日本新聞(28万部)で紹介されました!
★日本の世帯総数は5410万世帯
(配布された632万は11.6%に当たります)
「PTSDの日本兵と家族」の存在を多くの皆さんに知っていただくことが「二度と戦争を起こさない」ことに繋がると信じて活動を続けます。皆さんのお力添えを宜しくお願いいたします! PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処通信」を2020年4月以来4号まで発行している。武蔵村山市役所(市長・副市長。市議会議員・観光課)に毎回渡している。交流館周辺900戸に戸別配布をしている。
・「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」通信をメール160人の支援者、団体に送信(複数のメーリングリスト)。同じく郵送。主要新聞に毎回送信している。
・大きな集会、地元の集会でお知らせチラシを配布、発言。
★「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」ホームぺージの役割、目的。
・2020年7月の訪問者数 632人。 訪問者数632×12カ月=7000人の訪問者。
(2)加害について。
★兵士のPTSDの発生原因は戦争の加害行為が根底にあるが、加害の事実を否認する(加害行為はなかったと主張する勢力)政権者、マスコミ、論壇の戦後の日本社会の経過と現状が種々の困難をうんでいる。
★2018年までPTSDの日本兵(と、その家族)の「活動組織ができなかった」こと。声を上げられなかったのはなぜか。何が問題なのか。
★戦争のトラウマから加害者・日本兵(2次被害者の家族)が抜け出す、心が解放される道筋。
加害者が自分の加害行為に気づき(気づかされ)、その精神的苦しみから抜け出す道は被害者への謝罪から始まるでしょう。加害者の謝罪に被害者が赦しで返してもらえたなら、加害者の精神の苦しみは和らいでいくのではないでしょうか。
★国(政府)が日本の戦争加害をきちんと認めていない。
★今年の8月15日、安倍首相は式辞で「今年も加害に触れず」「歴史の教訓消える」と報じられた。アジア諸国に先の戦争で被害を与えたことに一切言及しなかった。
★「日本を取り巻く世界情勢から日本が戦争を選択したのはやむおえない情勢だった」とする保守政権の認識がある。日本の加害を主張する日本政府の方針に反対している雰囲気がある。
★今の政治情勢も日本の戦争加害の声を上げにくくしている。PTSDの日本兵の問題が社会に受け入れられる空気を阻害している。
★声を上げられなかった事、活動組織ができなかったことは戦後日本社会の加害の否定の流れが主流だったことが大きな原因だ。
★平和、戦争反対の運動も「PTSDの兵士の存在と問題」を取り上げる問題意識、必要性を認識していない。
★4人の閣僚が靖国参拝。
・戦後73年を経て初めて組織が誕生し、活動が開始された(余りの遅さ)ことに問題点の核心がが現れている。
★日本には「PTSDの日本兵とその家族」の活動組織は会員20名の「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」ただ一つしかない。
★日本には「PTSDの日本兵とその家族」の記念館・資料館も「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」一つしか存在しない。
★原爆や空襲など「戦争被害」の活動・組織は数多く存在するし被害の実態も知られている。沢山の記念館・資料館が存在する。余りの落差ではないか。日本の平和運動はPTSDの兵士の存在やPTSDが連鎖し今も続いている家族の苦しみを知らないできた。置き去りにしてきた。
★日本遺族会は存続しているが、現在は抑留者の会と傷痍軍人の組織は会員の高齢化が原因で解散している。
(3)戦争神経症の父親が自分の精神形成にどういう影響を与えたか考察する作業に終わりはこない。活動を続けると、新しい気付きが毎日ある。自分自身の精神に常にはね返ってくる。(黒井秋夫の事例)
・父親が亡くなった(1989年)あと、26年後の2015年に戦後の私の知っている父親が戦争による精神障害状態だったことに気付いた。その時は母親も亡くなっていた(2000年)。
・戦後、きちんと働かず、一日中口を開かず、無責任で、どこにも出かけない父親を、黒井秋夫はただただ駄目な人間だとレッテルを貼り、終生一人前の人間としての口をきかない子供で終わった。情愛が通い合う親子の関係はなかった。そういう親子の情愛を感じた経験もない。もちろん父親を尊敬したことなど一度もない。
・そういう風に育った子どもの精神が月に例えると満月の精神が持てたとは思えない。どこか歪(いびつ)で欠けているような気がする。でも自分では分からない。今の自分とどこが違うのか想像できない。それを考えると、つらい苦しい感情が湧いてくる。
・旧満州、華中へと1932年、20歳で徴集されてから34才で帰国するまでの軍歴、1944年当時は国民党政府との最前線の宜昌(イイチャン)の戦場でおそらく10人~20人程度の部下を闘いに指揮できた軍曹時代があったことは、戦後の無責任で、黒井家の問題解決を母や長男に投げて、自分では何の判断もせず、問題から逃げて無責任だった戦後の父親の姿からは想像できない。
・復員してからの父親は無責任で無気力の別人になったと理解するしかない。
(4)活動の目的
・戦争被害者を将来に作らない。PTSDの兵士、家族を作らない。そういう考えの人たちが多くなることで戦争がおこらない社会を作る。
・PTSDの兵士の存在、家族への2次被害、連鎖、孫世代へ。
・日本は二度と戦争を起こさない。PTSDの連鎖が現在も続いている。従軍兵の孫世代に連鎖している。更に連鎖して続いて行く可能性がある。
・兵士のPTSDの存在は知られていない。戦争でPTSDの兵士が3割~5割の割合で現れる、生涯付きまとう、家族への実力行使の暴力、言葉の暴力、種々のネグレクト、無気力になり働かない、家族の生活、精神がゆがめられる。
・戦死、身体障碍は広く知られる。その事の家族への影響は、国のケア、生活保障は?