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父と暮らせば(10)追体験想像力②

父と語れば(9)で父の無念を晴らしたいと書いた。しかし、日本軍兵士としての父親は紛れもなく侵略軍の兵士であったと言う事は当然踏まえた上の事でなくてはならない。私の父親の戦場は中国だった。途中で朝鮮半島も通っている。言葉を変えれば罪は下されなかったが「戦犯」と違わない。
日本軍は中国や朝鮮韓国・アジアの人達を約1900万人を(連合軍戦没者含む・日本人戦没者は310万人)殺害したと言われる。子供世代である私達も中国、朝鮮韓国、アジアの人達に謝罪の心は持ち続けなくてはならないし、そういう姿勢でそれらの国々の人達と接していかなければならないと思う。

「不可逆的な合意」を盾に攻撃的でさえある現政権の姿勢は加害者の態度とは言えないと私は思う。
経過の中でどのような合意があったにせよ、被害者の心が溶けて溶解しほんとうの意味で被害者自らが「許しましょう」という気持ちになるまでは「行ったり来たりする」事は覚悟せねばならないと思う。ぎくしゃくしているのが現実で、それは理屈ではない。納得してもらえるまで誠心誠意の解決方法を努力する以外には無いように感ずる。
「いつまで謝罪すれば終わるのか」は相手が決めることで加害者が言い出す言葉ではないと思う。

戦争を仕掛けたという事はそれだけ取り返しがつかない事だと思う。
だからこそ二度と戦争などしてはならないのだ。
徹底して話し合いで物事は解決すること。世の中に一方的に有利な事や勝利などありえない。双方が譲り合い合意できる方策を探し出すことが国民の命を預かる政権の責任ある姿勢だと私は思う。

日本がかつて36年間支配した韓国は2~3年前に一人当たり所得で日本より上位になった。
日本に一時はその一部を切り取られた中国の躍進も目覚ましい。
明治維新から150年。富国強兵を国是として数々の戦争を仕掛けた日本が得たものは何だったのか。それは本当に栄光の誇るべき歴史と言えるのか。日本は何に勝ち何に負けたのか。

日本軍兵士の子供世代である私たちも70歳に達した。私達はもう永くはない。
しかし私たちの子供達、孫たちには最後の力を出してでも平和な世界を残してやりたい。
それは「語られなかった日本軍兵士としての父親たちの遺言」ではないだろうか。
あの世から父親たちは私たちを見つめている。
「二度と戦争をしてはならない。無口な父親を出してはならない」そう言っている。