カテゴリ:父と暮らせば



父と暮らせば · 2018/08/15
NHK・ETV特集 「隠されたトラウマ~精神障害兵士8000人の記録」 8月25日(日)午後11時10分~午前0時10分(再放送 8月30日(木)午前0時0分~1時0分)29日水曜日深夜。 ■戦時中精神障害兵士が送られた国府台陸軍病院。約8000人のカルテから日本兵のトラウマが明らかになった。発病した中国の  戦場を取材。戦後の家族の姿を追う。...
父と暮らせば · 2018/08/14
■「父と暮らせば」を書き継ぐのは時に苦しい。私の知っている父は覇気に欠けた。困難に会うと立ち向かえなかった。私にはそう見えた。今は亡き父を一方的に断罪しているとも言える。既に父は反論できない。子が父の恥を晒していると非難されても仕方がないし同調できないという人もいるだろう。 ・それでも私は書き続ける覚悟だ。...
父と暮らせば · 2018/08/09
父の満州事変時代のアルバムは複数あるが「父と暮らせば(17)」で公開した戦闘記録以外にも同一時期の戦闘を記録した文章があるので記します。

父と暮らせば · 2018/08/08
父の満州事変時代のアルバムの中に「上官訓示及演習記録」のページがあり、父が書いた「参加セシ主ナル戦闘」(主ナル警備モフクム)という

父と暮らせば · 2018/08/07
父の従軍時代のアルバムを整理していたら「履歴申立書」という表題の茶色に変色した従軍記録が出てきた。 おそらく1953年に軍人恩給制度が復活した時に申請の為に書いたものと思われる。 多くの行に赤字で訂正や加筆されているので役所側が聞き取り申請書に書き入れた物で、その後に清書されたものが正式な申請書として提出されたのだろう。

父と暮らせば · 2018/07/24
1931年(昭和6年)9月18日、柳条湖の鉄道爆破で満州事変が起こる。 私の父は満州事変の翌年1932年に南満州鉄道独立守備隊として初めて従軍した。20才だった。 父が残した
父と暮らせば · 2018/07/10
 私の知る復員後の父は一つの仕事が続かなかった。主には土木工事現場を渡り歩く出稼ぎが仕事だったと思う。失業保険の給付対象になる期間が来ると仕事を辞め給付期間が終わると
父と暮らせば · 2018/04/19
私は父ときちんと向き合って話したという事がついに一度もなかったように思う。打ち解けて心が通いあうという経験もほとんどしたことがない。「戦争の事は話題にしてはならないという父が放つバリアー」が
父と暮らせば · 2018/04/19
父は戦争の話はしなかったと書いてきた。しかし「戦争の事は自分には聞くな」というそれとないバリアーを父は張っていたような気がする。つまりある種のタブーなのだと家族には思わせていたのではないか、
父と暮らせば · 2018/03/05
明治以来の日本が繰り広げたアジア諸国への戦争について終戦から70年を経た今も事あるごとに各国から謝罪要求がある。特に中国、韓国(北朝鮮)は明治以前は先進文化を日本にもたらした、

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