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父と暮らせば(11)アジアからの謝罪要求。

明治以来の日本が繰り広げたアジア諸国への戦争について終戦から70年を経た今も事あるごとに各国から謝罪要求がある。特に中国、韓国(北朝鮮)は明治以前は先進文化を日本にもたらした、いわば恩恵があるにも拘らず明治以降の侵略・占領や直接支配を続けたのだから、恩をあだで返した日本への怒りは簡単にはぬぐえない。

この事を生前の父はどう聞いていただろうか。
父が亡くなって30年が経つ。生きていたころは韓国・中国からの謝罪要求はもっと強かった。8月15日の終戦の日の前後は毎年繰り返し報じられた。
私は理念的にそれら謝罪要求は理解できた。日本の謝罪も不十分で誠意ある姿勢とは言えないと私自身も思っていた。
しかし父はどう感じていただろうか。申し訳ないが「父はどう感じたのか」という視点はその当時持っていなかった。父の立場から考えたことは無かった。私は謝罪要求と怒りを理念で理解していた。しかし父はそうではなかっただろう。謝罪要求も怒りも自分自身に直接向けられていると感じていたはずだ。
だとしたら、それは当然の報いだとしてもニュースで報じられる度毎にうなだれて聞くしかなかったのではないだろうか。

父よ、その事に70才になろうという今になってあなたの息子はやった気付きました。
戦場に行ったのは父だ。謝罪したり怒りを買うようなことをしたのも父だ。しかし、それをさせたのは明治以来の富国強兵を国是とした150年の日本の歴代政権だ。権力の責任を父は自分で振り払う生き方はできなかったのだと思う。
正当化など勿論できはしない。表現する言葉を持てず只々口をつむぐしか術はなかったのだ。

父親たち日本軍兵士は続けられる謝罪要求に終生心が平穏ではいられなかったのではないだろうか。
しかし、時の政権がもっと真摯にアジアに向き合っていたならばどうだっただろうか。

父親たちはあの世に逝って初めて心の平穏と平衡を取り戻したのだろうか。
父は成仏してくれただろうか。成仏したと私は思う。
終生口をつぐんで生きたその事は仏になるための試練だったのではないだろうか。
父よ、あなたの息子は戦争を語らず無口で通したあなたを誇りに思っています。