本の帯に「40数年間に延べ4000人から聞き取り調査を行ってきた」とあるが、膨大であろう作成資料をわずか252頁で読者に伝えようという事に驚く。証言を厳選したという事と思われる。
戦場体験は先ずその真偽が問題になる。そして取捨選択。有名な事例では「南京大虐殺は無かった」から「30万人が虐殺された」まであるが殺された人数は置くとしても事実は一つしかないはずなのにそれぞれに多数の支持者を持ち並立している。
保坂氏は戦場体験の聞き取りで一番大事なのが「その証言が真実か否かを判断する尺度を聞き取り者が持っていること」だという。保坂氏は40年の経験から「正直に体験を語る信頼のおける証言者が1割.初めから虚偽の言をなす人1割.自覚なしに記憶を操作する(都合悪いことは避けたりする)人が8割」という法則に辿り着いたという。彼は長年の経験からその証言が真実か否かはすぐに分かるという。つまり、本に紹介した証言は保坂氏の真偽を見抜く厳しいふるいを通った信頼できる証言が体系的に綴られ、何よりそれらの証言は真実なのだと。
「南京大虐殺」のように種々の事件の真偽を不明確にしている最大の原因は日本軍(政府機関)が自身の活動(仕事)を記した記録文書を敗戦の前後に焼却・証拠隠滅したことによる。公的記録がない故に個人の体験(文書や話し)を掘り起こして歴史の真実に迫るしか方法がないのだ。
しかし、そこに日本の戦争を肯定・美化したい人たちが「証拠を示せ」として日本軍による虐殺は無かったと言える隙間が生じているのだが保坂氏の証言者の真偽を見る目が先の大戦の真実の姿を浮かび上がらせている。一言で言えば日本軍(兵士)はアジア太平洋地域で相手兵士は元より土地の住民へも残虐で非人道的な殺害・行為を犯したのは事実だということである。しかもそれは軍の一部などではなく全体がそうだったという事なのだ。日本軍を武士の魂を持った英雄、正義の味方として思いたいのは日本人なら誰しもだ。それが自分の父親だったり、肉親だとしたらなおさらの感情だ。しかし、保坂氏はそうではなかったと体験者・沈黙の記録で示している。 保坂氏は自身が「マルクス主義者でも左翼的思想の持ち主でもない」と再三再四書いている。捏造する動機はないと主張したいのだと思う。そう言わねばならない程「正義の日本と主張したい」やみくもなグループが存在するのだ。
戦争をどう見るか。
継続中 2018.6.11