「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を立ち上げようとしていた2017年末頃、日本軍兵士の戦争体験によるPTSDの研究者が日本に存在することを知りませんでした。この本(戦争とトラウマ)は2018年1月1日に発刊されました。発刊直後に本屋で目にし即座に買い求めました。著者・中村江里さんは1982年生まれでまだ30代、若い研究者でした。
読むうちにここに「仲間がいた。味方がいた!」という思いが沸き上がりました。日本軍兵士のPTSDを取り上げた研究の書籍も聞いたこともなく、孤立無援の「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の旗揚げという、やや悲壮な覚悟さえ当時の私にあったからです。 千葉県市川市に国府台病院という戦争神経症の病院があったこと、当時のカルテが残っていた事。その後の情報では終戦時に消却を命じられたがドラム缶に詰めて地中に埋め保管したものが時を経て研究資料として日の目を見る事になったという。
本のカバー裏にこうある。
「戦場」という空間から離れ、「戦時」という時間が終わってもなお残る傷を生み出す。「そして私たちもまた、その傷とともに生きている」ものとして戦争を捉え直すことが必要なのではないだろうか。
カバー裏の上記文章とこの本の副題 「不可視された日本兵の戦争神経症」と繋ぐとこの研究者の研究の狙い、歴史的価値が浮かび上がる。
日本軍兵士にも戦争(戦場)体験によるPTSDが存在した。戦前はその事実は隠された。
1939年・読売新聞には 大戦名物の砲弾病「皇軍には皆無」 とある。
日本軍に戦争によるPTSDは存在しない。「米英軍とは精神力が違う」という。
一方、1939年の読売新聞は
「ガ島(ガダルカナル島)の米兵殆んど神経衰弱・軍務復帰は不可能」と報じた。
しかし、事実が違った。日本兵の戦争神経症は存在した国府台病院は戦争神経症の為の病院だった。が、軍は隠した。
戦争(戦場)で神経症になることは「戦争に怖気ずいて発症した」のであり皇軍兵士にあってはならない精神の弱い兵士という事だからである。戦争で捕虜になることが恥でありタブーだったように「戦争神経症」も恥でありタブーだったから不可視にされ隠された。
中村江里さんは膨大なカルテを整理し読み解いた。
アジア太平洋戦争において「戦争神経症」をわずらう日本兵のための病院があり、患者カルテが発見され戦争神経症の日本兵の存在を明らかにした。
兵士の戦争神経症・PTSDはベトナム戦争での米兵の30%~50%が戦争体験のPTSDにより社会復帰できないということをきっかけに知られるようになり、イランイラク戦争、アフガン戦争でも戦争によるアメリカ社会の後遺症として社会問題になっている。
戦争による死者よりもその後にPTSDによる自殺者数の方が多くなるという信じられないような事態になっている。しかもその自殺者の推定10倍の元兵士がPTSDに苦しんでいる。つまり、PTSDの元兵士とその家族が「今も苦しんでいる」という進行形なのだ。
としたら、イランイラク戦争に派遣された自衛隊員はどうなのだろうか。朝日新聞の報道によれば29人の派遣された自衛隊員が帰国後に自殺したという。また、PTSDに苦しむ元自衛隊員の存在も明らかになっている。これも進行形だ。
そして「この国と自自衛隊員の未来形はどうなんだ?」と私は思う。
この本が更に脚光を浴びることを願いたい。
中村江里さんは「日本軍兵士」の著者・吉田裕さんと同じ一橋大学の研究者であるので詳しくは分からないが何らかの関係があるのかと思う。お二人の今後の活躍を期待してやまない。