アジア太平洋戦争で230万人の日本軍兵士が死んだ。驚くのはその90%が終戦までの1年間で死んだという事。終戦の前年、1944年には中西部太平洋の海戦で日本軍は敗走を重ね敗北は決定的になっていた。トラック諸島、サイパン、レイテ島とアメリカ軍の包囲網が日本に近づいた。インパール作戦にも無残に敗北した。これらの戦いのどこかで戦争指導者(軍部・政府・天皇)が終戦を決意していれば死者は限りなく1割以下で済んだのだ。インドネシア・フィリピン・インドシナ半島と日本本土を繋ぐ輸送ライン(制空制海権)を失った時に現地の日本軍兵士たちは食料も絶たれ置き去りにされた。それでも戦争指導者は終戦しなかった。その為に残された兵士たちは飢えと病気で死ぬしかなかった。
中国人の死者が1000万人、インドネシア人が400万人にも驚く。民間人の死者80万人を加えた310万人の日本人死者よりも多い。フィリピン人110万人、朝鮮人20万人などを加えアジア人の死者は2000万人近いという。言い方が違う。死者ではない。日本の起こした戦争で日本軍が殺したアジア人の人数という事だ。
この事に日本は見合うだけの責任(謝罪)を取ってはいない。
日米の経済力、兵器生産能力とその性能の差も歴然としていた。何より日本には戦争の遂行に必要な石油などの資源がない。「無謀な戦争」は明らかだった。
日本軍兵士に支給される衣服、軍靴、銃器も年々劣悪化した。軍靴などは最後は鮫革になり水が滲みて来たという。
徴兵も健康な男子だけだったのが「身体、精神にわずかに異常があっても」徴集されるようになり、戦闘する兵士の質も限り無く落ちた。つまり戦えない日本軍になっていった。それでも戦争を継続した。
太平洋戦争を日本軍兵士一人ひとりの戦場目線で、その現場から見たらどう映るだろうか。食料も無くジャングルに置き去りにされた兵士の目から見たら戦争はどう見えただろうか。戦争の大義は何だったろうか。
そして戦争指導者たちはどのような戦争の責任をその後取っただろうか。
吉田裕さんの「日本軍兵士」は私に戦争の真実を知らしめました。また戦争を兵士の目線から透視することも教えてくれました。私の戦争を見る目を大きく変える一冊でした。
*2018年6月23日・朝日新聞朝刊に書評されています。
6月21日現在。