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父と暮らせば(2)ベトナム帰還兵

2015年12月~2016年3月、妻とピースボートで南半球一周の旅に出た。
横浜からベトナム・ダナンまでの間でベトナム帰還米兵のDVDを見た。ベトナム戦争を扱った「プラトーン」の上映もあった。
ベトナムでは米兵とってはベトナム兵も住民も殺すか殺されるかの恐怖の対象でしかなかった。生き抜くには殺すしかなかった。
人間らしい感情は次第に無くなり殺人マシーンになっていく。自分では心の変化に気付いていない。ベトナム人の普通の農村も敵軍に情報提供する村としか見えなくなり民家も住民も殺害し燃やして尽くして移動するようになる。
繰り返していくうちに人間としての心が壊れていく。兵士としての精神も維持できなくなる。兵士としては使えないPTSDの兵士となる。

戦争が長引きアメリカ本国ではベトナム戦争への大義への疑問が広がる。1960年代末頃の状況である。世界的にベトナム戦争反対の「反戦運動」が広がった。私の学生時代の日本でも大きな広がりの運動になった。
兵役が明ければ帰還兵はベトナムからそういう状態の本国に戻る。
自分が命を懸けたベトナム戦争の大義が本国では崩壊していた。間違った戦争だとのデモの広がるアメリカに彼らは放り込まれる。同じ時間でベトナムでは同僚たちが命を懸けて戦っている。
自分が命を懸けたあの年月は一体どういう意味があったのか。社会に、家族にどう説明したらよいのか。何より先ず、自分自身でどう納得したら良いのか。総括したら良いのか。どう考えても説明できない。まとめられない。
社会の評価と自分の認識とのすさまじいギャップに打ちのめされる。心が維持できなくなる。崩壊していく。社会に復帰できる精神状態ではなくなる。PTSDの人間になる。

ひるがえって、第二次大戦に従軍した日本兵の状況はどうだっただろうか。
中国にしろ東南アジアにしろ、進軍した地は日本ではない。敵国の地である。米兵とベトナムと対比してその構図は変わらない。
日本軍の戦い方も「燃やし尽くし殺し尽くす」と言われた。それも米軍と変わらない。
ならば、戦った日本兵の精神状態はどうだっただろうか。意気軒高と戦い、意気揚々と帰還しただのだったか。戦争で自分のしてきた経験を感じたことを社会に、家族に正々堂々と話すようになっただろうか。
帰国した日本は「戦争はアジアへの侵略であり間違った戦争だった」と断じた戦後社会だった。あの戦争に大義はなかったとの評価が常識の社会になっていた。従軍時代とは余りの社会常識のギャップではないか。帰還兵は正常な精神状態を保持することができただろうか。スムースにそういう状況の日本社会に戻ることができただろうか。
私はベトナムからの米軍帰還兵同様に、同じような割合でPTSDの復員日本兵が30%前後は存在したと思う。
もしかしたら、私の父親もそういう復員日本兵の一人だったのではないのか。
私はピースボートの船上で、ある日、瞬間にそういう思いが沸き上がった。あの時から「父と語れば」が始まった。
この世を去ってから28年が経過して父と再会する。私は67才だった。