「命こそ宝・ヌチドウタカラ」 阿波根昌鴻 岩波新書
「汝の敵を愛しなさい」
2015年のピースボートで沖縄に向かう途中で阿波根昌鴻さんを初めて知った。
戦いに勝つ方法は「勝つまで続けること」だと阿波根さんは言ったらしい。
アイルランド人のジャーナリスト、ジョン・ミッチェルさんの沖縄の米軍基地を取り戻す運動の紹介で彼は阿波根さんをそう紹介した。また、農地を取り上げた米軍の兵士たちをも「ことばで道理を説得し味方にする」のだと阿波根さんは話していたらしい。彼は「非暴力で自分たちの土地を取り返す」のだと「本気で考えていた」とミッチェルさんは教えてくれた。そんな人が日本に存在したということが私には衝撃だった。「日本にもガンジーがいた」そういう驚きだった。
私は1967年に大学に入学し学生運動と出会った。東大・日大を頂点とする全共闘運動である。実力闘争を標榜し権力の暴力には暴力で対峙し打倒するという論理だった。それはロシアの革命家レーニンの「国家と革命」の国家とは暴力装置であり暴力(武力革命)で国家を打ち壊し再生する方法しか資本主義国家から労働者国家に変革する方法はない、とする理論に基づいていた。それは自明の理で議論の余地のない「真理」というのが当時の私たちのレーニン主義の理解であり常識であった。非暴力による変革など戦いをあらかじめ放棄した敗北主義と私たちはバカにしていた。相手にもしなかった。しかし、私たちはあえなく敗北した。国家に対峙したとも言えない水準だった。全共闘運動は巨大な国家権力に木っ端みじんにされ放り投げられた。社会の表面からはうたかたの泡と消えた。いわば、私たちの運動は挫折した。明確な活路も見いだせなかった。
それより以前に私自身は「何が、どこから間違っていたのか」さえ分からなかった。つまり、総括できなかった。同世代の中には米軍基地など地域の課題に取り組んだり、環境問題、貧困や性差別の問題など地道な新しい活動を目指す人たちがいたし今も続けているグループがある。しかし、日本の政治状況に議会や既存の政党に決定的な影響力を与えたあの時代のような存在にはなりえていない。
一方、1980年ポーランドでは自主管理労組連帯が生まれ、1989年には「連帯」が非暴力で労働者の権力を樹立する。同じ1989年に東西ベルリンの壁が圧倒的な市民の決起で破壊され東ドイツ政権は崩壊する。それにアラブの春が続く。それらは銃剣をかざした暴力革命ではなく非暴力で成し遂げられる。眼前で壮大なスペクタクルが展開された。街頭を埋める圧倒的な人々の力、勢いは暴力装置・軍や警察力を持つ国家権力を無力にできるのだ。暴力革命だけが道ではない。事実が示していた。
1991年に湾岸戦争が始まり2002年にアメリカがイラクに多国籍軍として武力介入する。この時から、湾岸世界は時に小康状態、平穏になるが火種は消えない。毎日どこかで戦闘が生じ、報復が報復を呼んで怨嗟は深まり、何が真実で正義なのか誰にも説明できない状況が繰り返されている。分かるのは「暴力では最終の解決はできない」ということのように見える。関係者の納得が得られてこそ最終的解決になる。暴力は強制であり納得には繋がらない。強制された側はその時は抑えられたとしても問題はぶり返される。どんなに遠く見えようとも非暴力・話し合いで合意を得る道だけが安定の土台だと教えているのではないのか。
2015年、自民党安倍政権の「戦争法」に反対して国会を包囲する数万人の人々の熱気に触れて私は何時の日か大多数の人々が立ち上がり街頭に繰り出せば日本でも国家権力を非暴力で覆せるのではないかという思いを抱いた。そんな時、阿波根さんの「非暴力」と「勝つまで続ける」、「米軍も味方にする」に出会った。
私が現在「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の活動で標榜している「話し合いによる解決・勝つまで続ける(諦めない)」のほとんどは阿波根さんの「受け売り、教え」にならった物である。「非暴力」も阿波根さんの生き方(闘い方)で確信を得たと言える。これらの方法以外に社会を確実に変えていくやり方はないという考えに私は到った。
私はポーランド、東ドイツ、東欧の「革命」、アラブの春の民衆の力、湾岸諸国の連鎖する暴力を見て、その頃から「非暴力こそ最終解決への道筋」と考えるようになった。
ガンジーの著作を繰り返し読んだ。ガンジーの非暴力は徹底していて暴漢に立ち向かうにも暴力ではなく「身を投げ出す勇気で対抗する」のだと言う。そして彼はそれを実行した、と言うか実行できた。
理屈ではわかっても身を投げ出す勇気が私には無い。できそうにもない。ほとんど聖人の修行者の「非暴力」のように私には思えた。ガンジーの信念は心から尊敬するがしっくりこなかった。
そんな時に阿波根さんが現に実践していた「非暴力」は私にもやれそうな「非暴力」のように見えた。ガンジーが修行者の「非暴力」なら阿波根さんのそれは踊り念仏の「非暴力」、民衆の「非暴力」のように見えた。だれでもできる「非暴力」と思えた。
学生時代の全共闘の活動から50年になろうとする今頃になって、やっと「何がどこから間違っていたのか」分かったような気がした。カギの一つは「非暴力の力の信頼」だった。もう一つは「敵をも味方にする」、「説得・話し合いに持ち込む」、そして「勝つまで続ける」だった。
ようやく総括の視点を私は得たのだった。
ここまでは岩波新書「命こそ宝・ヌチドウタカラ」を買い求めるに至る前史である。
読後感想はこれから。
阿波根昌鴻は裏表紙に以下のように紹介されている。
阿波根昌鴻(あわごん しょうこう)(1903~2002)
沖縄本島の上本部村に生まれる。敗戦後、米軍占領下の伊江島の土地闘争では常に先頭に立ち、復帰後も、一貫して軍用地契約に応じない反戦地主として闘った。84年に反戦平和資料館「ヌチドウタカラの家」を建設。
「みんなが反対すればやめさせられる」
1959年・世界人権連盟議長 ロジャー・ボールドウィンが沖縄に人権侵害の調査に来た際、阿波根さんが「日米に土地闘争で勝利するにはどうしたらいいか?」とたずねたら「みんなが反対したらやめさせられる」と話したという。その言葉に阿波根さんは心から納得したという。私は衝撃を受ける。
ボールドウィンさんの答えは当たり前すぎて何も言っていないように思える。しかし、何かを社会に訴える、実現したい、とする時に「反対派より多数になって実現する」と「反対派の人たちにも納得してもらい実現する」では社会への働きかけの一歩から違うだろう。すべての人が支持をする。すべての人が納得する。ある面ではそれはあり得ないように見える。多分近い未来ではあり得ないと思う。少し宗教的にも思える。しかし、その事を最終目的にして諦めずに追求しづける、納得してもらうまで話し合いを続ける、その心が活動する者たちに必要なのではないのか。それは言うまでもなく暴力では実現できない事なのだ。
「会談のときは必ず座ること」「耳より上に手をあげないこと」「大きな声を出さず、静かに話すこと」「ウソ偽りを絶対に語らないこと」「道理を通して訴えること」「人間性においては、生産者であるわれわれ農民の方が軍人に優っている自覚を堅持し、破壊者である軍人を教え導く心構えが大切であること」
続く。「わしらには米軍に悪口を言う権利はないし、資格もない米軍が沖縄に来たのは戦争があったからですよ。その戦争はだれが起こしたか。日本が起こした。戦争がなければ米軍は沖縄に来ていない」「原爆を落とした国より、落とさせた国の罪は重い」「原爆は悲惨であって、二度とあってはならないが、そのためにこそ、誰が戦争を起こしたのかという根本のことを忘れてはいけない」
阿波根さんの言葉は「非暴力と今は敵対者であっても話し合いで賛成してもらう」に貫かれる。悲惨な原爆被害も、沖縄の基地問題もすべての始まりは「日本が戦争を起こしたこと」に起因するのだ。日本が戦争を起こしていなければ原爆被害も沖縄の基地問題もなかった。だからは戦争はいけない、に貫かれている。単なる「戦争反対」ではない。戦争の発生原因をぼやかさない。そこを押さえないことには原爆被害も沖縄の基地問題も解決には向かわない、とする土台に立っている。私も深く同意する。
日本の平和運動はそのことに触れていないことが多い。戦争は自然災害ではない。人間が始めるのだ。過去のどんな戦争も誰かが起こしたものだ。太平洋戦争も日中戦争も日本が起こした戦争であり、天皇の命令で始めた戦争なのだ。その事を直視できない平和運動は糸のない凧のようなものである。力になるにはあまりに弱い。それでは意志はどうあれ戦争は阻止できない、と私は思う。
「日本軍兵士のPTSD問題も日本が戦争を起こしたから生まれたこと」に他ならない。他人の責任ではない。日本人(自分自身)の責任に他ならない。ここをあいまいにしたら解決の道は見えない。
「相手のことを考える闘い」「すべて剣をとるものは剣にて滅ぶ」
「基地を持つ国は基地で滅び、核を持つ国は核で滅ぶ」阿波根さんはこう言う「基地は自分の国にもってかえりなさい、他人の国に基地をおいて戦争の準備をしていると、戦前の日本みたいに滅んでしまうよ、やめなさい」わしらの闘いの基本は、何より相手のことを考える闘いであります、と続ける。
キリストも釈迦もマルクスもみな一つ
阿波根さんはこういう「キリストや釈迦や孔子はどういう生きかたをしていたのか。何を願っておったのか、そこを学ぶという風に考える。その実行方法をかんがえたのがマルクスだとわしは見ています」
私はキリストにしろ、釈迦にしろ、宗教者にしろ、思想家にしろ、何を悩み、どう苦しみ、どう生きたのか、が大事だと思っています。その人間が自身の苦しみの中から見出したものは全て傾聴に値する、そう考えています。自分自身が苦しむこと、悩むこと、その事を語ること、その揺らめきが他人に伝わり、苦しみの鼓動が聞こえてこそ聞く者の信頼につながると思います。
宗教の解説本に私はあまり興味がない。宗教の知識は人を救わない。苦しみや悩みからの活路を求めるときに知識など何の役にも立たない。悩み苦しむ先人の葛藤に触れた時、あの人さえ、私と同じように、言わばつまらない煩悩に悩み苦しんだのだと知った時、そこから渾身の力で抜け出そうとあの人でさえもがき苦しんだのだと実感した時に私の琴線に触れてくるような気がする。何かに同感する、共感する瞬間が持てることが宗教の力ではないかと私は思う。
もっと言うとキリストも釈迦も親鸞も元々は凡人なのだ。初めから神や仏ではなかった、と私は思いたいのだ。私と同じ普通の人間が煩悩に悩み苦しむ中から共に救われる道を探したのだと思いたいのだ。彼らは超人ではあった。しかし、万能の神ではなかった。悩める弱い人間であったと私は思いたいのだ。そうでないとそれらの教えや救いは私の心を打つことはないからだ。私が万能の神の教えを実践することができる強い人間ではないからだ。私は弱い人間だ。弱い人間こそ実行できる易しい教えであってほしいと思うのだ。
汝の敵を愛しなさい
「汝の敵を愛しなさい」イエスキリストはこう言った。すなわち、「本質的には敵などいないのだ。いかなる人にも気持ちは通ずるのだ。未来を見つめ、実現するまで諦めず、話し合いを続け、いつかお互いが握手できるのだ」と言っていると私は理解したい。阿波根さんの言いたいことの最大のポイントはこう言えるかもしれない。
半解だが時宗の一遍上人なら「敵味方と区別する」こと自体が心得違いというかもしれない。
戦いによる解決などそもそもありえない、敵と見える人にも理解してもらう、納得してもらう、支持してもらう、ことが運動する者の心構えの基本だと私は理解する。そうでなければ無限に敵を作る。底なし地獄に迷い、抜け道も見えないにつながる。
すべての人に理解してもらう。平和的に、話し合いで、どれだけ遠い道であったとしても。それ以外に近道はないとしたらそこに徹する方法しかないのだ。だとしたら、様々な課題が私の生きている時代に解決できないのは確実だ。私が生きている間に、戦争や、貧困や、公平な社会は実現できないだろう。それは子供の時代も、孫の時代になっても無理かもしれない。だとしても一歩でも前に進んで、後に託していくしか道はないのだ。人類社会が最終的に安定するにはそれしかない。徹底して「汝の敵を愛しなさい」なのだと私は思う。本気で「汝の敵を愛しなさい」ということだと思う。阿波根さんが終生貫いたこともそういう事だと私は思う。それは私が今、ようやくたどり着いた地平に繋がっている。
2019.5.30 黒井秋夫。