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2019年の活動でめざすこと。

 

PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」今年の活動・めざすこと。

 

1、2018年1月の設立から1年。想定を超える反響、共感の広がりを感じています!

 

NHK報道などにより「日本兵に戦争のPTSDが存在した」ことが明らかになりました。

 

・中村江里さんの「戦争のトラウマ」の発刊、研究書としては異例に売れ注目されています。

 

・NHKのETV特集、BS1スペシャルとして戦争が「日本兵のPTSD」を生み出していた事実が再放送含め50分版が2回、100分版が2回放映され従軍日本兵にPTSDが存在したことが社会に明らかになりました。

 

・BS1スペシャルが放映された2018年12月頃に「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」HPへの1か月の訪問者が350人に達した。2019年4月は100人程度になっているが一時期の注目に終わらせたくない。

 

戦争メモリアルデーの時期に「おしゃべりカフェ」を企画し関心を持続させたい。

 

・「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が3社のマスコミからから取材を受けました。従軍日本兵のPTSDへの関心が書籍や報道で喚起された反映と思われます。

 

・学習交流会(おしゃべりカフェ)を3回開催しました。9人、20人、23人と参加者は少しず

 

つ増えました。2回、3回と複数回参加している人もいます。これら関心を持ち続けている人た

 

ちを「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の会員に迎え入れたいと思います。

 

2、1000人アンケート、おしゃべりカフェで従軍兵士のPTSDの存在を掘り起こします。

 

・「おしゃべりカフェ」やホームページで1000人アンケートを募集してPTSDの復員日本兵と暮らした家族の体験を掘り起こします。家族の体験をホームページで公開し、読者の気づきの場を広げます。

 

3、政治的関心が高くない「今は普通の人たち」を迎え入れたい。新しい人たちと知り合いたい。

 

社会の意識を変える流れになりたい。どうしたらできるだろうか、模索を続ける!

 

・戦争に反対する催しの参加者の多くを高齢者世代が占めています。主催者が違っても参加者は重なっているように見えます。先細りではなく、広がる希望の流れを作りたい。

 

・新しい人たちを迎え入れたい。底辺を広げ全体を大きくしたい。

 

・原爆投下の日、終戦の日、太平洋戦争開戦日の前後、毎年マスコミで特集企画があり、社会の関心も高まります。PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」もこの時期に合わせて「おしゃべりカフェ・学習交流会」を開催を予定します。

 

・参加しやすい、話しやすい「おしゃべりカフェ」を工夫します。交流から友達の輪ができて広がるような場になるよう工夫します。

 

・新発見の場になる、勉強になった、知識が増えた、楽しかったを実感できる場を工夫します。

 

DVDの視聴。研究者の講演を企画します。

 

・誰でも安心して参加できる場であることをアピールします。

 

おしゃべりカフェ(学習交流会)で大事にしていること(以下の通り)。

 

・どのような意見でも発言の自由を保障します。

 

・個人個人がそれぞれお互いの考えを尊重します。

 

・自分と異なる意見でも頭から否定することはいたしません。

 

・他の人の発言を途中でさえぎるようなことはいたしません。

 

・相違点は話し合いを続けてお互いの共通点を探します。

 

・会の運営は参加者が平等に発言機会を得られるよう努めます。

 

・和やかで和気あいあいとした、また参加したくなるおしゃべりカフェ(学習交流会)をめざします

 

4、どうしたら若い人の心に響くのか、参加してもらえるのか、探し続けます。

 

  広がりの第一歩は子どもたち、孫たち、家族に「従軍した父親」を話すことから始めましょう!

 

・参加者が次回に子ども、孫に声掛けしたくなるような「おしゃべりカフェ(学習交流会)」を工夫します。

 

「おしゃべりカフェ」参加者に子供や孫に「従軍した父親」の話をしましょう!と提案します。

 

・(主宰者の場合。幸いにも娘夫婦が孫を連れて2回目、3回目と参加してくれました。ビデオ放映、写真撮影、音声を手伝ってくれました。2回目には子供連れで姪夫婦、甥が参加してくれました。)

 

・若い世代が参加している各種の催しに参加して「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の宣伝物を配布したり発言して認知・関心を高める活動を継続します。

 

・「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」のHPを設計依頼した会社に相談し工夫します。

 

5、加害者としてできることを模索し続ける。

 

・従軍した父親、祖父たちの戦争は中国、朝鮮、アジアの人たちの2千万人以上の命を奪いました。

 

 その子孫にも多大な負の影響が今も続いています。

 

・「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」、や「万人坑で残虐非道が行われた事実を伝える」などの活動、そして日本国内でも徴用工たちへの万人坑同様の残虐非道の加害の歴史を語り継ぐ活動などを続けている多くの市民団体があります。こういう組織に学んで日本の起こした戦争によって被害を受けたアジアの人たちの心に寄り添う活動を探していきます。

 

6、父親たち(当時の日本国民)を洗脳し戦争(人殺し)を強制した国の責任について。

 

・父親たちは日本の戦争がアジアの人たちへの侵略であり道理のない戦争であったのに、聖戦など

 

と教え込まれ真実を知らずに戦争に駆り出されました。その結果、PTSDという病気にさいなま

 

れ人生を家族ともども台無しになったのです。これは戦争の一面です。傷痍兵、戦災孤児など戦

 

争は戦闘が終わっても日本国民にも、その精神、生活に多大な負の遺産を残しました。

 

・日本という国は従軍兵士のPTSDの存在を覆い隠し、戦争孤児は遺棄されるなど戦争を起こし

 

た責任は全くとっていません。

 

・「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」は戦争を起こした日本の責任は今も果たされていないことを社会に訴え続けます。

 

7、武蔵村山市を「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」活動の出発点、拠点にしたい。

 

社会に認知される第一歩を武蔵村山市でしるした。ここをホームとして活動を広げます!

 

・武蔵村山市を拠点に会員組織をつくります。武蔵村山市から活動領域を広げます。

 

・早期に会員30人をめざします。

 

 

 

 

 

 

 

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PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」代表 黒井秋夫