「世界」12月号 遠藤美幸さん「戦友会狂騒曲」で
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が
紹介されました!
遠藤さんは言います。『90歳を越えた老兵たちは最期のその時まで「戦争だけは絶対するな」と叫び続けた。彼らの声は死んだ兵士の声であり、日本兵が殺めたあまたの人々の声でもあるのだ。「戦場体験」を元兵士から聞けた最後の世代として、これらの「声なきこえ」も掬い上げ、元日本兵らの非戦の思いを受け継いでいきたい。』
心に響く「ある種の決意」です。私も同じような思いです。
歴史を俯瞰する根底に、歴史を構成するひとり一人の心の変遷をきちんと踏まえてこその俯瞰の価値なのだと確信しました。歴史書には数行だとしても何百ページになる数知れない人々の人生の「平等なまとめ」になっているのか、恣意的な結論に導いていないか。その事を浮き彫りにするのが遠藤さんが15年に渡って経験し、綴り続けた「戦友会狂騒曲」の一つ一つのドラマの価値だと思いました。
歴史書が真実か否かが遠藤さんの「戦友会狂騒曲」のレンズを通して映し出される。そんな感想を持ちました。
歴史は「戦友会狂騒曲」を土台に書かれ、まとめられたなら、俯瞰し、数行でまとめても良い。そう思いました。
「語り合う会」の創設時は「告発する」活動でした。それが2年間ですっかり変わりました。
今はどんなことでも良い「戦争を語り継ぐことに意味がある。語り継ぐことには戦争を阻止する力がある」と思うようになりました。「おしゃべりカフェ」には誰でも(保守でも革新でも。右でも左でも)つどい、自身の、父親や母親、叔父や叔母の姿を、心の内を想像力をめぐらし話し合いたい。
そのまとめが「意見の相違を解決するのは戦争だ!」とは絶対にならない。
必ずや意見の相違は話し合いで解決する。「戦争をしてはならない」に収れんすると確信するからです。
8月号から読んできた読者の人たちは「戦友会狂騒曲」の遠藤さんの活動と「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の活動を同系列の活動として受け止めると思います。とても光栄です。わずか2年でしかない活動なのに「身の丈に合わない評価」ですが嬉しいことです。遠藤さんに対する評価を汚さない活動をめざしたいと思います。
2019.11.9 黒井秋夫。