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父と暮らせば(3)記憶の澱・第13回日本放送文化大賞テレビグランプリ受賞作品

この作品は
NNNドキュメントとして2018年1月20日に放送された(現在はユーチューブで視聴可能)。
この番組の紹介文に下記の一節がある。
「中国戦線での加害体験と、沖縄戦での死闘の記憶。その狭間で、悩み、苦しみ続ける、元日本兵がいます。
満洲へ渡った、ある開拓団の人々も、被害と加害、両方の記憶を胸の奥にしまっていました。
戦争がもたらすものとは−。戦争体験者の心の奥底に「澱」のようにこびりつく記憶を見つめました」。

番組の中で元日本兵はこのような話をする。「進駐した村の住民捕虜を木に縛り付け肝試しと称して銃剣で突き刺す訓練をした。中国を進軍中に食料を村から強奪する。歯向かう村民は殺す。立ち去る時に村は焼いていく。女性とみれば老若を問わず強姦もした」。こういう行為を繰り返しているうちに「可哀想だとかという感情は全くなくなる。あの人たちを人間だとは思っていなかった」。
それはベトナム戦争での米兵の体験や心の動きの話しと全く一致する。
元日本兵の手記などを読んでも「記憶の澱」の内容は特殊でも稀な例でもなく、日本軍ではごく普通に行われた事であり、戦場の兵士の普通の感情だったことが分かる。戦場では普通の人間の情緒ではないし、生き残れないという事なのだ。

従軍した私の父は戦場の出来事の話しをしたことは無い。ましてや放送のような話は一切話したことは無い。

番組の中で、ある元日本兵は90歳を越して「語り部として体験を人前で話すようになって、寝ていてうなされることが無くなった」と、傍にいた妻が話した。その日本兵は戦場体験を公の場で話すことで「記憶の澱」をようやく解き放つことができたのだろう。
見方を変えれば戦後70年間、人間のほぼ一生を「記憶の澱」に支配され続けて生きてきたと言えるのではないだろうか。

父に問う。「あなたも戦場でそのような体験をしたのですか?だからこそ、口を閉ざし続けたのですか?「記憶の澱」を溶かすこともできずにあの世にまで持って行ったのですか?」私はいま、こう書きながら涙を流しています。声をあげて泣いています。

自分自身を全否定するような体験を、話せば家族に軽蔑されるような事柄をどうして口に出せるだろうか!

私はピースボートでの気づきまで、ごく最近まで従軍した父の立場になって戦争を考えたことがなかった。思いつかなかった。そういう想像力は全く働かなかった。ただ無口な父親としてしか見ていなかった。
なんという貧困な人間性。もう少し父への思いやりがあったなら、言わずともわかりそうなものではないか。
情けない息子だ。本当に申し訳ない。

どうだったかは、何が真実だったのかは今では分からない。父はもういない。
私自身の「記憶の澱」はまだ解けない。まだ道半ばだ。
父と語り続けるしかない。